飛竜の世界
「飛竜の世界?」
「そう。今アタシが拠点にしているところ」
エックスの問いかけにトリガーは答える。魔法の連鎖を構成する世界の一つ。ただしその世界の人間は魔法を持っていない。魔法を持っているのはその世界に住む『飛竜』という生き物だ。
「飛竜はトカゲかなんかが進化した生き物よ。大体5mくらいの体長で、羽が生えてる。犬くらいには頭がよくて、人間に懐く。それから、魔法も使える」
飛竜の世界の人間は、飛竜を使役して生活している。文明としては中世以前のレベルである。科学水準はまだまだ低い。そんな必要が無いくらい都合のいい生き物がいたからだ。
飛竜は人間を乗せて空を飛ぶことも魔法を使って日常の仕事も助けてくれることも出来る。それがしっかり人間に懐くのだ。そちらに依存するのも無理なからぬことである。
トリガーがこの世界に辿り着いた時、先ほどの人間世界の街と同様にパニックになった。飛竜を駆る人間に襲われたりもした。しかし相手が何であろうと魔女である彼女の敵ではない。鬱陶しいと思わせることしかできなかった。
殺さない程度にやり返して圧倒的な力の差を見せつける。その結果、飛竜の世界の住人は全面的に降伏した。トリガーもそれを受け入れた。彼らは飛竜以外の戦力を持たない。彼らには出来ることはもう何もない。これ以上責め立てたところで嫌な気持ちが残るだけだ。だからここで終わりにしようと。
『別に怒っていないわ。痛くも痒くもなかったからね。暫くこっちの世界に居つかせてくれば、貴方たちには何もしないであげる』
トリガーの要求を飛竜の世界の住人はそれを受け入れた。そうして彼女は取り急ぎの居場所を手に入れたのである。
「よかったじゃないか。それなのにどうして人間世界に?」
「うん。さっきも言ったけど、飛竜は魔法が使えるの。キャンバスと魔力を持ってるってことね」
「うん」
「一匹の飛竜が魔女になっちゃって」
「……は?」
「その子は人間にも懐かず暴れてるの。やっつけてって頼まれたんだけど、あんまり苛烈にやるのもどうかなーって。力を見せすぎて恐がられても嫌じゃない?だから人間クンに止めてもらおうかなって」
「待って待って」
エックスは一度トリガーの言葉を遮った。飛竜──羽の生えた大きなトカゲが魔女になる。よく分からない。
「それは魔女みたいに大体60倍の大きさになったってこと?」
「ううん。完全に魔女。アタシたちと同じくらいの大きさの……人型の女の子で、しいて言うなら角と羽が生えてる」
何をどうしたらそういうことになるんだろう。エックスは訝しんだ。トリガーからは彼女が拠点としている世界に厄介な敵が現れて、退治を手伝ってほしいという所までは聞いた。しかし、詳しく聞いてみると思ったより意味不明である。
「……まあ。とにかく魔女がいるってことだ。それならやっぱりボクが行った方が早いんじゃ……」
「あんまりアタシやアンタが戦っているところを見せたくないの。魔女同士の戦いなんて。人間の視点で見たら滅茶苦茶恐ろしいものでしょう?」
トリガーはエックスの前に手を差し出した。
「貸して。アナタのお気に入りの人間クン」
「……公平じゃないとダメ?他に魔女と戦えそうな子何人か知ってるけど」
「アタシはその子を一番に信用しているから」
何しろ操られていた時とはいえ、一度は自分を倒してしまった人間だ。強さは折り紙付き。彼女自身それをよく分かっている。
トリガーの様子に、エックスは惑いつつも公平を手渡した。不安げな姿に笑いかける。
「大丈夫よ。何かあったら助けるから」
「絶対だよ」
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ここまで。自分抜きでトントン拍子で話が進んでいる。公平は焦った。まだ自分は一度だって行くとは言っていないのに。
「お、おいっ。二人ともちょっとまっ……!うわあ!?」
「じゃあねー。また戻ってくるから!」
トリガーは飛竜の世界への裂け目を開いた。それからエックスに向かってぶんぶんと腕を振った。別れの挨拶である。公平のいる方の手であった。
「ちょっと!?危ないでしょ!」
エックスは慌てて言った。
「ああ。ごめんごめん。じゃあまた」
魔女の力に翻弄されて、公平は何も言うことが出来なかった。結局彼はトリガーに連行される形で飛竜の世界に赴くことになってしまったわけである。
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トリガーは公平を右肩に乗せて飛竜の世界を歩いていく。いきなり人里に現れては相手を踏みつぶしてしまうかもしれない。だから一度、そこから少し離れた森に降りることにした。木々を踏みつぶしながら進んで行く。これでも彼女なりに住み着いている世界に配慮しているのである。
飛竜の世界には本当に羽の生えたトカゲが人間を乗せて何飛んでいた。公平は空を舞う彼らに目を輝かせた。子供のころに遊んでいたカードゲームにあんなのが居たなと思い出す。あれに乗れたら楽しそうだ。
トリガーは公平の様子にクスっと笑った。
「興味あるみたいね。人間クン?」
「いやあそりゃあね。面白いよ。飛竜いいなー。一匹ほしいなー」
エックスの部屋だったら飼っても問題ないんじゃなかろうか。人間視点では大きい生き物でも魔女の感覚では大したことないだろうし。
「そうねえ。やめておいた方がいいかな」
「え?なんで?」
「まあそれは後で。ほら。アタシが拠点にしている町についたよ」
トリガーはしゃがみこんで顔を近づける。身体が傾いて公平は転がり落ちそうになった。「おっと」と言いながら手で彼を受け止める。
石造りの家々から住人が出てくる。一瞬怯えたようにしていたが、相手がトリガーと分かると少し安心したような表情を浮かべる。
どの家も外で飛竜を飼っていた。この世界においては自家用車のようなものなのだと公平は理解する。トリガーは近くにいた女性に声をかけた。
「町長さんはいるかしら?」
女性は『ちょっと待ってください』というと庭で日向ぼっこしている飛竜を撫でた。何かの指示を受け取った飛竜は顔を上げて鳴き声を上げる。
「っ!」
公平は胸の奥がざわつくのを感じた。トリガーが悪戯っぽく笑う。
「気付いた?」
「これって魔法か?」
飛竜は魔法を使って遠くの仲間と連絡を取り合っている。暫くすると別の飛竜が飛んできた。その背中に髭を生やしたおじさんを乗せている。
「おお。戻られましたかトリガー殿」
「ええ、ただいま。そうそう。彼がアタシの言っていた男の子。例の飛竜が変身した魔女をやっつけてくれるわ」
言うとトリガーは公平を地面に降ろした。「まだやるとは言っていないが」なんて言いそうになったが、思いがけずその言葉を飲み込んでしまった。間近に迫る飛竜の迫力に圧倒されたからだ。
町長はそんな公平の姿に不安を覚えた。相手はこの飛竜よりずっと大きいのに。こんなのを相手に怯えているような男が、本当に何とかしてくれるのだろうか。
「と、トリガー殿。本当に彼で……」
「大丈夫よ。だって」
その時。町のずっと向こうで爆発音がした。咄嗟に公平はそちらを見る。
「……魔女!」
「き、来た!」
住民は慌てて自分の家に避難した。町長もそのうちの一つに逃げ込む。
遠くに魔女が現れた。トリガーの言っていた通り。悪魔のような角と羽が生えている以外はただの魔女だ。大きささえ無視すれば人間の女の子と変わらない。
何人かは飛竜を駆って応戦する。しかし無駄な抵抗である。相手の魔女は彼らを片手で薙ぎ払った。逃げ去っていく飛竜は無視して、墜落した人間に向かって炎を吐き、周囲の家ごと焼き殺す。
彼女の蹂躙をトリガーは涼しい顔で見つめていた。助けに行くつもりはなかった。
今までも追い払うくらいのことはしてきた。本気で戦えば倒すことは出来るだろうが、町の人を必要以上に怯えさせたり、或いは被害がもっと大きくなったりする恐れがある。何より相手は自分よりトリガーの方が強いことをもう知っている。彼女の姿を見れば逃げ出すのが目に見えていた。だから公平を連れてきたのだ。
「さあどうする人間ク……ン?」
足下に声をかけるも、すでにそこには公平はいなかった。それに気付いた直後である。魔女と化した飛竜の身体が切り裂かれ、血が溢れだした。大きな傷に膝をついて爆音を立てて倒れこむ。
「なんだ。もう終わったの」
そりゃそうか、と呟く。仮にも自分を倒した人間だ。あの程度の相手は一瞬で倒してもらわなければ困る。
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「や、やっちまった……」
思わず身体が動いていた。いつの間にか敵のすぐそばにいて、空間ごと敵を切り捨てる『最強の刃・レベル4』で仕留めていた。飛竜魔女が悔しそうな何が起きたのか理解しきれていないような涙目でこっちを見つめている。
家々から人が出てきた。聞いたことのないような大きな音とそれ以降の静けさが気になって。そする大怪我をして倒れている巨人と、そのすぐそばでぽつんと突っ立っている男の姿が目に飛び込んだ。
次の瞬間、わっと歓声が上がった。遂にあの飛竜を倒したと。喜びの渦の中心に公平はいた。ありがとうありがとうと感謝されて手を握って喜ばれて。困惑する。戦いに勝ってこんなに喜ばれたことなんて今までにない。
ズッ。小さくともはっきりとした音が聞こえた。ピタッと歓声が止まる。その音は魔女になった飛竜から聞こえた。僅かに指先が動いている。地面を擦った音だ。つまり。まだあの巨人は生きている。
シンと張り詰める空気。それを乱すように、殺せよと誰かが言った。
「え?」
公平は思わず言った。誰が言い出したのかは分からない。
殺せ。また誰かが言った。
殺せ!声は少しずつ大きくなる。
殺せ殺せ!数は少しずつ多くなって。
殺せ殺せ殺せ!やがて、喜びの渦は殺意の嵐に変わった。
「お、おい……」
止まらない。公平はそう理解した。これは洪水のようなものだ。個人の力では止めようがない。だが流されるつもりもない。相手の命を奪うことは自分のポリシーに反する。
「あのなあ!俺は……」
その時である。いくつもの殺意の視線が自分に向けられていることに気付いた。発信源は町の至る所。公平はゾッとした。この数多の殺意は、ペットみたいに飼われている飛竜から発せられているということに。
「な、な……!」
言葉に詰まっていると「そこまで」と空から声がした。見上げるとトリガーが宙に浮いた状態で腕を組んでこちらを見下ろしている。ぱちんと指を鳴らすと魔女飛竜の身体が光に包まれて宙に浮いた。
「この飛竜はアタシが預かる。この飛竜と一緒に、この世界を離れることにするわ。そして二度とここには来ません。これでいいでしょう?」
その言葉に町人は矛を収めた。この危険な飛竜が居なくなるならどうなってもいいと。
トリガーはもう一度指を鳴らした。公平の身体が浮き上がって、彼女の手の上に収まる。
「さあ。帰りましょうか」
「え?いや、ちょっとまっ」
公平の言葉なんて無視して、トリガーは目の前に開いた空間の裂け目に飛び込んだ。彼女の姿が消えると裂け目は閉じた。血の跡以外には、そこに巨人が居たという痕跡は残らなかった。あとに残ったのは再び巻き起こった町人たちの歓声と、消えることのない飛竜たちの殺意だけである。
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「おい。アレどういうことだよ」
エックスの部屋で公平はトリガーに尋ねていた。アレとは飛竜たちの殺意である。異様な雰囲気だった。飛竜は人間に懐いていると聞いたけど嘘っぱちじゃないかと疑ってしまう。町人たちは気付いていないようだったが、アレは彼らにも向けられていたのだ。
話を聞いたエックスは何かを理解したような顔つきで頬を掻く。トリガーは一つ息を吐いて口を開いた。
「……魔女はさ。平和な環境では滅多に生まれないのよ」
「え?」
「強いストレス。命の危険。爆発するような強い感情。そういうものが魔女への変化を促進する」
トリガーは眠っている魔女化した飛竜を横目に見た。彼女はどうして魔女になったのか。
何かがあったのだ。魔女になってしまうほどの何か。魔女にならなければいけないほどの何か。それが何なのかは分からない。ただ、もしかしたら他の飛竜はみんな、その理由を知っているのかもしれない。もしそうだとしたら、一つだけはっきりと分かる事がある。
「あの世界の人間は近いうちに絶滅するでしょうね」
「なっ……!」
トリガーの言葉に公平は絶句した。冗談で言っているわけではないのは一目で分かる。だが想像したくない。あの世界の飛竜のうちの1パーセントでも魔女になったら。それが人間を襲ったら。
「そんなことに公平を巻き込むのはやめてよ」
エックスは苦々しく言った。それから公平を摘まみ上げて、何かから守るみたいに手の中に握りこむ。
トリガーは悪びれもせずに小さく笑った。
「これは警鐘よ。もしかしたらその魔女が、いつか人間世界を襲うかもしれないからね」
「……その時はボクがみんなを守るよ」
「そう」
そう言ってトリガーは再び空間の裂け目を開いた。魔女になった飛竜を脇に抱えてそこに飛び込む。裂け目はすぐに閉じた。静けさが部屋を包む。エックスは小さく息を吐いた。それから手を開いて公平に語り掛ける。
「悪気があったわけじゃないんだ。本当に警鐘のつもりなんだろう。だいぶ手荒だけどさ」
「……そうだな」
気の抜けた声で返す。何に落ち込んでいるのか自分でも分からない。けれど自分が暗い気持ちの中にいる自覚はあった。
なんて声をかけたらいいか。エックスには分からなかった。だけど何か声をかけてあげないといけないように思った。彼に微笑んで、囁くように『大丈夫だよ』と声をかける。
彼女に『大丈夫』と言われると、不思議なことに本当に大丈夫な気がしてくる。公平はもう一度『そうだな』と答えた。相変わらず気の抜けた声だったけど、それでもいいかとエックスは思った。




