鬼ごっこ③
ここまでで、エックスの力に中てられて動けなくなるような者はみんな脱落した。ローズだけはちょっと可哀想だったけれどもそこは散り合えず気にしないことにする。
今、逃げているのはみんなエックスの力にも負けずに動くことが出来、魔法も使える者たちばかりだ。
「……よし。それなら。もう一つ負荷を強くしてみようか」
そう言うとエックスは更に一つリミッターを外す。『箱庭』の街全体を一層大きな力のが走り、力で沈めていく。ただ立っているだけで、彼女の足を中心として数百メートル先の道路までが罅割れる。すぐ近くの建物が音もたてずに崩れていった。
「おっと」
『箱庭』に魔法をかける。忘れていた。この状態ではただ存在するだけでエックスは世界を壊してしまう。魔法で強度を上げてやらなければ公平たちを探す前に『箱庭』の方が崩壊してしまう所だった。
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「来た……」
公平は呟いた。昨日の特訓の最終段階はここだった。『虹翼の連鎖』ではエックスとデイン・ルータの二人の力が溢れることになる。それを再現するには二つのリミッターを外す必要があるらしい。
ビルの影からエックスを見つめる。『箱庭』を強くする魔法以外は何もしていない。だが彼女の身体が一層巨大になったように感じた。『箱庭』ごと彼女の手に収まっていて、指先一つで圧し潰されてしまうような感覚が公平を襲う。自然と呼吸が荒くなる。根源的な、絶対的な存在に相対することによる恐怖に圧し潰されそうになる。
「……ふう」
呑まれてしまえば動けなくなる。昨日の経験で分かっていることだった。屈服しそうになる身体を無理やり立ち上がらせて、もう少しエックスから離れることにする。昨日と同じルール。制限時間は十分。残りは凡そ八分程度。絶対に逃げ切ってみせる。
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「……さあて、と。みんなはどこかなー?」
残っているのは飛行能力により空へと逃げた魔人姉弟。魔女の身体がもつ高い身体能力で逃げるヴィクトリーとミライの母娘。それから公平。
広い『箱庭』の街。エックスのみが身長100mの巨大な身体である。腰をかがめて見下ろせば街中を見渡すことが出来た。
「うーん……」
だが小さな逃亡者たちをピンポイントで見つけ出すのは少々手間である。路地裏のような狭くて目視しにくい場所まで、隅々を探すのはどうしても時間がかかる。ハンデとして探知を使っていないのでなおさらだ。エックスは身体を起こし、口元に手を当てて少し考えた。目に映るのは周囲に立ち並ぶ建物たちである。
「……いっそ全部薙ぎ払ってしまおうか?」
心臓がどきんと鳴る音がした。くすっとエックスは笑う。街中の建物が全部壊されてしまっては隠れる場所が無くなる。逃げる側としては不都合だ。焦る気持ちも分かる。
鼻唄を歌いながら一つのビルをジッと見つめて真っ直ぐに向かって行く。心臓の音はそこから聞こえた。なるほどなるほどと心の中で呟く。全部のビルを潰されてしまったら、中に隠れている者はとっても困る。
「つまりここに一人はいるんだ」
しゃがみ込んで窓に瞳を近付けて、ビルの中を覗き込む。幾つかの階をじろじろと見てみるけれども見当たらない。
(死角にいるのか。もしくはもう逃げちゃったのか)
もしも中にいる者が、今のエックスの力を受けても動けるのであれば、この状況からでも魔法を使って逃げる手段が幾らでもある。そうなると違う手を考えなければいけない。
「……うん。この中にはいないのかもね。……なら」
にいっと笑みを浮かべると屋上を両手で掴む。そうして軽く左右に揺らし始める。
「ハズレなら壊してしまおうか!また隠れられたら厄介だしね!」
ほらほら、と徐々に力を強くしていく。ビルの揺れもそれに比例して大きく激しくなっていく。
「ひいっ」
その声をエックスの耳は聞き逃さなかった。右手を離してビルの三階部分に腕を突っ込む。そのまま反対側に突き出した右手の拳は、コンクリートの残骸に紛れて小さなものが微かに動くのを感じていた。
「はい、捕まえたー。まだまだだよヴィクトリー。魔女の身体に胡坐をかいているようじゃダメだよ?」
腕を引っこ抜く。手を広げるとミライとヴィクトリーがそこにいた。ミライの方は気絶して目を回している。ヴィクトリーの方は流石に意識が飛んではいない。だが逃げられなかったということはつまりそういうことだ。彼女は魔法が使える状態ではなかったのである。
「こっちも結構頑張ってるんだけどな……?」
「ふっふっふっ。まあもう少しこの状態で鬼ごっこを続ければ逃げ切れるようになるさ」
言いながら『牢獄』送りにする。二人を鬼に捕まった者を捕らえるビルの屋上だ。
大きく背伸びをしながら立ち上がる。そうして右足を後ろに大きく振り上げて。
「残るは三人」
思い切り。前に向かって蹴りを入れる。
「だねっと!」
その衝撃が彼女の前方に一気に広がる。圧倒的な力が津波のように、エックスの目の前に広がる建物を薙ぎ払い粉砕していく。
「……ふふんっ。すっきりしたね」
「うっ」
「くっ」
今のエックスは魔法を使わずとも繊細に力をコントロールできる。『箱庭』に広がるあらゆる建物を破壊しながら、それよりも遥かに小さな逃亡者たちを一切傷付けないという荒業も可能だった。そしてそれによって。
「ふふっ。見いつけた!」
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「──っ!」
エックスの目が確かに自分たちを捉えている。それに気付いた三人が選択したのは同時にバラバラの方向に逃げる事だった。魔人姉弟は互いに近くにいた。同時にあべこべの方向に走り出すことは可能である。そして公平はそんな彼らの動きを探知によって見極めていた。二人がそれぞれ東西に逃げたのであれば、自分は北方向に走っていく。これで少しでも時間を稼ぐ。運が良ければ一人は逃げ切れる。
「くすっ」
エックスが小さく笑った。次の瞬間彼女の姿が消える。と、思った直後、公平の目の前には彼女の靴が。
「強化が使えるくらいには今のボクに慣れている公平が一番厄介だからねっ!」
そして、地面ごと思い切り蹴り上げられた。
「くっ!?」
まずい。公平は直感した。再びエックスの姿が消える。遠くで小さな悲鳴が聞こえてきたかと思えば、自分と同じように高野が吹っ飛んでくる。既にエックスの力を受けて魔人化の魔法が解けていた。
「このまま桑野も蹴っ飛ばして、一網打尽にするつもりか!?」
公平の予想は正しかった。一秒前に西方にあったエックスの姿はまたしても消え去り、かと思えば東の方角から「うわああ」という叫び声が聞こえてくる。そうして殆ど同時に高野と桑野の身体が公平に衝突した。
「あたっ!?」
と、まばたきした一秒にも満たない僅かな時間で。目を閉じて開くだけの時間で。
「わーっ!?」
エックスの手が三人に迫ってきていた。既に自分たちは彼女の間合いに入っている。エックスが手を閉じれば捕まってしまう状況だ。脱する手段は一つだけ。魔法を使うしかない。公平は手を前に突き出した。
「メ……」
呪文を唱える刹那、不安が公平を襲う。
(打てるのか)
(昨日はエックスがこの状態になってから一回だって魔法は使えなかった)
(たった一日でなにが変わるって)
そんな、心の奥から手を伸ばしてくる声を。
「うるせえっ!『メダヒード』!」
黙らせるように叫ぶ。ダメだろうと何だろうとやるしかないのだ。やらなければ捕まる。やらなければ成長はない。やらなければいつまで経ってもエックスが求める領域に届かない。エックスを、助けられる自分になれない。
魔力が起動する。キャンバスに書いた魔法が、現実に出力され、炎となって公平の掌から放たれた。周囲に浮かぶ瓦礫に命中し、公平に掴まる桑野と高野ごと、後方に吹っ飛ばす。
「よし──、あ、ダメだ、ちょっと足りねえ!?」
まだエックスの手の届く範囲だ。全然逃げられていない。
「まだです!『変われ。LEON』!」
「!?」
高野の身体が獅子の魔人の姿に変身し、公平を思い切り殴りつけた。次の瞬間エックスの手が閉じられる。高野の手に掴まる。その代わりに公平と桑野が地上に向かって吹っ飛ばされる。
「『切り裂け。STAG』!」
桑野もまた呪文を唱える。黒いクワガタの魔人へと姿を変えると、公平を抱えながら着地をする。
「桑野……、助かった」
「あの聖女。俺は知ってます」
「え?」
「よくウチの店にくる客だった。だから、ってわけじゃないけど。ちゃんと話をしたいんだ」
だから俺も行かないといけない。その為にここで負けられない。桑野はそう続けた。
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「おお……」
エックスは手を広げて気絶している高野を見つめた。それから地上にいる桑野にも目を向ける。魔人の身体によるアドバンテージだけではない。寧ろソードとの生活の方が効果を出している。皮肉なことだが、常に魔女に殺されかねない危機的状況で十年以上も暮らしていたことで、圧倒的な力を前にしても魔法が使えるようになっているのだ。
「……うん。これなら大丈夫かな?」
少なくともこの三人は合格だ。今の自分を前にしても魔法が使えるのであれば、『虹翼の連鎖』でもきっと戦える。
残るは7人。残りの時間でどれだけ戦えるようになるか。




