ぎゅー!
棚の上。田中やSF研のメンバーが寝泊まりしている家をじっと見つめる。
「みんな大丈夫かな……」
「いやーエックスの力に気圧されて気絶しただけだし。少ししたら起きるって。俺みたいに」
「まあそうだけどさあ」
ボウシたちとの話は終わった。結局ムームーの気迫に折れたエックスは、彼らを戦いの舞台に連れていくことにした。今彼らはエックスとの戦闘で限界ギリギリまで追い込まれてしまい、人間世界にある公平のマンションで死んだように眠っている。
「……俺さ。どっちかって言うとボウシたちの方が心配なんだけど。あいつ等居たらかえって危ないんじゃないか?」
「そうなんだよねえ。決めちゃったとはいえ少し後悔してる。今からでも撤回できないかなって思ってるくらいだ。だってほら。公平とかはルータの攻撃効かないでしょ?」
何故なら公平は人間だからだ。魔法使いではあってもその枠で見ても桁外れの力を持っていたとしても。
神でない以上は、現在『影楼の連鎖』の神であるルータの攻撃は届かない。自動的にエックスの力によって守られる。よって世界破壊級の大規模な攻撃を直撃でもしない限りは平気なのだ。
「でもあの三人は神さまだから効いちゃう……。ん?」
その時、何か小さな違和感がエックスを襲った。恐らくは無視してもいい些細なもの。
(いやでも……。もしもそういうことだとしたら。アイツもきっと……)
「?どうしたの?」
「んー。いや。何でもない。って言うか大したことじゃなかった」
「……そう?」
「それよりさ公平。もう一回人間世界にいこう」
今回の用件は『ボウシたちの様子を見に行くこと』以外にもう一つあった。だがそちらを片付ける前にみんなが倒れてしまった。そうなると予定の続行は出来ない。部屋に戻ってみんなを休ませる方が先だ。
そしてそれが終わった今、気兼ねなくもう一つの目的を果たしに行ける。
「え?もう一回?いいけど……」
「うんうん。ありがと。それじゃあ行こうか」
そう言うとエックスは公平を摘まみあげて、再び人間世界へと向かった。
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「……なにやってんの?」
「んー?見て分かんない?」
「分からないから聞いてるんだ」
「見ての通りなんだけどなあ」
見ての通りとなると。公平は彼女を見上げた。
普段の倍くらいに大きくなって。その状態でペタンと座って。県内で最も大きな建物──高さ100mを超える地上三十階のビルに両腕を回して、ぎゅうっとハグをしている。
「……ようにしか見えないけど」
「なあんだ。分かってるじゃない。ふふ。見ての通り。ぎゅー!ってしてるのさ」
確かにそうなのだろう。だが聞きたいことはそうではない。その行為の目的の方が効きたいのだ。現状まるで意味が分からないのだから。
「うん。こんなもんかな」
言うとエックスは立ち上がり、ビルから離れる。そうして足元に注意しながら公平の元に歩み寄り、彼を摘まみあげ、右手の上に載せた。
「よおし。次行こう」
「次?っていうかコレは一体何を」
「ぎゅーっとしてるんだって。せっかくみんな眠ってるんだ。普段できない、普段やったら怒られそうなことをしようかなーって」
「えーっ!?そ、そんなことなの!?嘘だろお前!?」
「嘘じゃないよー。さあ次だ次だ」
意気揚々と凍結したアスファルトの道路を歩いていく。凍ってしまった車両を避けながら広い国道へ足を踏み入れる。真っ白な静寂の世界で、エックスの足音だけが響き渡っていた。
--------------〇--------------
「ぎゅー!」
高層ビルを抱きしめる。
「ぎゅー!!」
高さ100mを超える建物は手当たり次第に抱きしめる。
「ぎゅー!!!」
地上からその光景を見上げると、まるで抱きしめられているビルが彼女の恋人のように思えた。
「ぎゅー!!!!」
あの中から見えるのはどんな景色なのだろう。きっと窓の向こうに映る景色エックスだけのはずだ。中はきっと薄暗くなる。彼女の身体が外からの光を遮断してしまうから。その巨体は一切の悪意がなかったとしても、中にいる者を圧倒するだろう。
「よーしっ次だっ」
公平を連れてエックスはあちこちに行った。ビルでも展望台でも電波塔でも、とにかく大きい建物から順番にハグしているようだった。決して壊さないよう慎重に。それでいて出来る限り強い力で。
「ぎゅー!」
ハグ一回につき時間は一分未満。抱きしめる建物は一つの県につき五個。理由は分からないがそういうルールでエックスは動いていた。
抱きしめる建物の大きさに応じて自らの大きさも変えていた。具体的に言うとその建物の倍の大きさに。そうすると腰を下ろした時に丁度同じか少し相手の方が大きいくらいの背丈になる。結果として大き目のぬいぐるみに抱きついているような格好になる。
「……うん。これでここも終わり。じゃあ次だ」
空間の裂け目を開いて、その奥へと進む。出て行った先は首都東京。『よっと』と声を出して飛び出た彼女の身長は現在600m。普段の6倍だ。
「ふっふっふー。待ってろよー」
不敵に笑いながら、国内最大の高さを誇る電波塔に向かって行く。ここまで大きくなると歩いて進むことは出来ない。東京の地はごみごみとしていて、今のエックスでは歩いていくだけでも被害を起こしてしまう。仮に確率操作を用いて凍った人を踏み潰さずに進むことが出来たとしても、歩行時にどうしても起こる揺れのせいで氷ごと人々が砕け散ってしまう。
5分ほどで目的の電波塔のすぐ前にまで着く。流石にこれだけ大きいと、更に倍の大きさになって座って抱き着くということは出来ない。地面に着いた脚が両手の指を使っても到底数えきれないくらいの被害を起こしそうである。
左手を前に出して、そっと凍り付いた展望台に触れる。覗き込むと中には、やはり凍ってしまった人の姿見えた。エックスは困ったように微笑んで声をかける。
「ふふ。初めまして、かな?スカイツリーくん。こんな形でとは思ってなかったよ。もっと普通に来たかったな。でもまあ、今だから出来ることもあるしね。じゃあ公平ちょっと待ってて……」
と、右手の上の公平を見つめる。何やら言いたげな目が自分を見つめているのに気付いて、ちょっとだけ可笑しくなって笑ってしまう。
「どうしたの?」
「そろそろ本当のことを話してくれよ。なんか目的があってこういうことをしてるんだろ?」
「ないってば。ただぎゅー!ってしたかっただけ」
「そんなバカな話が……」
「あっ。分かっちゃったあ」
「え?分かったって何が」
「公平ってば嫉妬してるんだっ!」
予想外の言葉が飛んできて、公平は目を丸くした。耳を疑う発言である。もしかしてボウシたちの戦いが思った以上に負担が大きくて、情緒不安定になっているのではないか。或いはやはりこの世界を凍らされた責任に圧し潰されそうなのではないか。思わずそんな心配をしてしまう。
「ふふふー。ボクに抱きしめられたいならそう言えばいいのに」
「いや、無機物に嫉妬なんかするわけ……。ってか」
「いいからいいから。はいどおぞ」
エックスは手を傾かせて、すべり台のようにする。果たして、公平は手の上から滑り落ち、そのまま彼女の胸に着地することになった。
「お、おい話を」
「ぎゅー」
問答無用である。今日ずっとやっていたように、エックスは塔をぎゅっと抱きしめた。暖かく柔らかい彼女の胸が押し当てられる。視界は彼女の上着の赤色でいっぱいになった。圧倒的な質量に潰れてしまいそうである。ほのかに甘い香りが彼を包んだ。
「お、おま……」
そこで公平は気が付いた。エックスの魔法が塔に向かって流れていくのを。こうして密着していなければ決して気付けなかったほどにその気配は完璧に秘匿されていた。
(これって……)
顔を上げるとエックスがにこりと微笑んで自分を見ていた。そうして無言のまま首を小さく横に振る。エックスが何も言わない理由は恐らくこの氷のせいだ。
『この氷はルファーの力を使っている。アンタでも溶かすのは一苦労。その前に溶かそうとしているのが分かったら……アタシはこの世界にとどめを刺す』
(そうだった。そういえばガンズ・マリアが言ってた。この氷、下手に細工をしようとしたらアイツに勘付かれるんだ)
この氷は盗聴器のようなものだとしたら。下手なことをすれば凍らされた人たちが殺されてしまう。であれば敵に気付かれないように仕掛けをするしかない。そしてそれ故に公平にも何も説明をしない。出来ることは表情で察してもらうことだけだ。
「……あ、公平。そろそろ離れるからね。ボクの服にしっかりしがみ付いていた方がいいよ?」
「え。あ、うん」
ぎゅっと。公平はエックスの胸に抱きついた。それを確認し、満足げに微笑んで、身体を塔から離す。
「そういうことだから。日本中制覇するからもう少し付き合ってもらうよ?」
そう言うと。彼女は次の地点に向かって飛んで行くのであった。




