巨人の魔女の日常と周辺
100mの巨人が軽やかな足取りで大通りを駆け抜けていく。眼前に見えるもう一人の巨人に向かって真っ直ぐに。向こうが気付いた時には不意打ちの飛び蹴りが炸裂していた。
「とりゃー!」
「きゃあ!?」
今日も今日とて人間世界に襲い来る魔女をやっつける。蹴り飛ばすと同時にディオレイアへの道に突っ込んで追い払う。
「みんなー!応援ありがとー!またねー!」
足下にある小さな街並みに住む小さな人たちに向かって手を振り、空の彼方へ飛び去って行く。相手方も手を振り返してくれていた。たったそれだけのことでも、思い返すだけでエックスの顔は太陽みたいに眩しい笑顔になった。
魔女をやっつけたり、困っている人を助けるのはエックスの日常になっていた。そうして助けられた人たちは彼女に感謝し、彼女に対する印象もプラスのイメージが増えていく。エックスの周辺は少しずつ良いものに変わっていた。恐らくは飛行機事故の件がきっかけである。
先日某国に現れた魔女を倒した時は、エックスが帰る前に住民が靴の傍にまで駆け寄ってきて、飛び立つことが出来ずに少しだけ困ったくらいである。その時はどうしたらいいか分からなかったので、同行して肩に乗せていた公平にヘルプを求めた。
『みんなエックスにお礼がいいたいんだよ。握手でもしてあげたら?』
『ええ……?』
なんだかよく分からないまま、その場にしゃがみこんで指先を差し出して握手のようなことをした。彼らが満足するまで触れ合うことにした。
見知らぬ人たちがすぐ近くに来られるのは初めてである。なんだか照れ臭くて、心の奥がむずむずした。
この件をきっかけにエックスは少しだけ自信をつけた。もしかしたらボクって自分で思っている以上に人気者なんじゃないか、と。手を振ったり、ちょっとした悪戯で派手な魔法を見せてあげたりするくらいのファンサービスも積極的にやるようになった。SNSの声よりも生の反応が彼女を元気にしている。
襲ってくる魔女はエックスにとって脅威ではない。それを退治したことによる世界の反応は暖かいものである。巨人の魔女の日常と周辺は、ある意味で平穏なものになっていた。
--------------〇--------------
「ねえ公平、ボクは決めたよ」
「決めた?なにを?」
「ディオレイアの魔女を一網打尽にする。全部ディオレイアに送り返す」
「……ほう」
人間世界はまだいい。エックスが居るので魔女の一人や二人襲ってきても問題なく対処できる。だが他の世界はどうか。人間に味方する魔女のいない世界では、対処さえ出来ずに滅ぼされるだけである。勿論ディオガの部下である魔女たちが事態の解決に動いているのだろうが、それで解決するのを待つのはあまりにも悠長だ。
そして、仮にエックスがやっつけると言っても、やはり巨大な魔女が襲ってくるのは人間世界の人たちにとっては恐ろしい事態である。こうして彼らと仲良くなりつつある今だからこそ、この問題はきっちり解決するべきだとエックスは考えたのだ。
「あ、いや。けどさ。結局のところそれが出来なかったから、こうして襲ってくる魔女をやっつけて追い出すってことをしてたんだろ?」
公平が尋ねると、エックスは何やら含み笑いをしはじめた。この問題を解決する妙案が彼女にはあるらしい。
「実はさ。昨日、たまたま知っている世界にディオレイアの魔女がやってきたから、やっつけに行ったんだ。そこでちょっとヒントを貰ってね!」
「え?そうなの?知ってる世界ってどこ?」
「公平も知ってる世界さ。デイン・ルータが住んでいるところだよ」
--------------〇--------------
「……きゅう」
「ふうっ!」
『聖技の連鎖』を裏切った聖女、デイン・ルータ。彼女は今、『魔法の連鎖』にあるとある世界で暮らしていた。この世界はルータが外に出て行かないように鍵をかけている。ただしそれは出る時にだけ働くもの。外から誰かが入ってきたらエックス以外の者では追い出すことができない。今回はこの世界にディオレイアの魔女が侵入したということで、エックス自ら足を運んだのであった。
撃退するのにかかった時間は十秒弱。被害はゼロである。
ひと仕事終えたエックスの背後、ずしんずしんと足音をさせながら、デイン・ルータが歩み寄ってきた。小柄……といってもエックス同様巨人である彼女は上目遣いにエックスの瞳を見つめる。
「ありがとうございます。エックス様」
淡々とした口調でお礼の言葉を述べる。ルータはこういう聖女だった。感情表現をあまりしない、口数の少ない大人しい聖女である。
「ふふん。どういたしまして!」
エックスは得意げに胸を張った。最近調子のいい彼女は、調子がよすぎて、調子に乗っている節がある。ルータはそんなエックスをあまり気にせずに、代わりに彼女にやられて目を回している魔女の方に目を向けた。
「この魔女は一体?」
「あ、ああ……。それね……」
エックスたちが異世界の王国、ディオレイアでやったことを話す。その後ディオレイアで起こった事件についても話す。全てを聞き終えたルータは不思議そうに首を傾げた。
「それなら、いっそ全員まとめてやっつけて、一気にディオレイアに送り返した方がいいのでは?」
「それが出来るなら苦労しないよ。どこに魔女がいて、その魔女がどこ出身の奴かなんて分からないんだし」
「……そうでしょうか?では仕方ないですね。なにかそのディオレイア出身の魔女だけに共通するものがあればいいのですが……」
「……待てよ?」
ふと考える。公平と自分の違い。人間と魔女というだけではない違いがあるのだ。それはキャンバスの質の差である。ウィッチも言っていたことである。
あくまでも例えだが、人間世界の者が持つキャンバスと魔女の世界の者が持つキャンバスとでは、絵を描くための紙と文字を書くための紙と似た性質の違いがある。
もしもそれが他の世界でも存在していれば。ディオレイアの魔女が持つキャンバスの特徴だけを抽出して、探知することが出来れば。確かに一気に捕らえることが出来るはずだ。
ぱあっとした笑顔をルータに向けて、その手を握ってぶんぶんと上下に振る。
「ありがとう!もしかした上手くいくかもしれない!」
ルータは小さく微笑んで答える。
「それならなにより。それなら近いうちに作戦を開始するの?」
「うんっ。善は急げって言うしね!明日にはちょっと色々やってみる!」
エックスの言葉を聞いたルータは、今までで初めてと言えるくらいのいい笑顔を見せた。そして、『頑張ってくださいね』と告げるのであった。
--------------〇--------------
そういうわけで作戦開始である。少し時間がかかりそうなので、その間の人間世界の防衛をヴィクトリーに託し、出発した。まずはディオレイアに行く。そうして何人かの魔女と話をして、キャンバスの性質を調べさせてもらう。この世界のキャンバスは人間世界のものにとても近い。だが、やはり微妙な違いが存在した。それだけで、一気に全員を捕らえることが出来る。続いて悪い魔女以外が巻き込まれないように、ディオガから部下の魔女に対して帰還命令を出してもらう。これで第一段階完了だ。
続いて第二段階である。世界の狭間を泳いでいき、適当なところで目を閉じ、巨大化する。星を超えて宇宙を超えて、やがては世界一つを軽く超えるだけの大きさにまで。林檎大の球体が目の前で輝いている。これが人間世界である。いつでも握り潰せる状況だ。
続いて何もない空間の前で両手を突き出し、手と手の魔力を注いでいく。ビッグバンを超えるエネルギーによって星が一つぽつねんと浮かんでいるだけの世界が一つ構築された。人間世界のような輝く球体である。この世界ではおよそ生き物と呼べるものは一つとして住んでいない。つまりどんな風に扱ってもいいということだ。
「よし。次!」
連鎖全体に対して探知を行う。今回探す対象がディオレイアの魔女のみ。それ以外はスルーである。果たして、『魔法の連鎖』のあちこちに散らばった魔女たちを、全員纏めて手と手の間に在る世界へと転送させる。
次から次へと魔女が集まってくる。その力の気配はエックスにとってみればとても弱く、とても脆い。他の世界では絶対者である彼女らも、今のエックスを前にしては触れただけで潰れてしまうか弱い生き物でしかない。
「……ふふ。ボクのこと見えてるかな」
見えるようにしてやろう。半ばイジワルでエックスは星から見える景色を操作する。魔女たちには空を超えたさきに映るエックスの姿を茫然と見つめていることだろう。或いは服の赤色しか見えていないかもしれない。空を全部自分の服だけで覆い尽くす様を想像して、自分の大きさと強さに少しだけどきどきした。
「……おっと。いけないいけない」
本来の目的を思い出したところで転送が完了する。エックスは世界に口元を近付けると、そっと息を吹きかけた。目の前の世界の中の魔女たちの身体を彼女の吐息が包んでいく。エックスはにんまりと微笑むと、じっと世界の中を覗き込んだ。
「ふふ。今のでみんなの魔法を封印してあげたよ。でも恐がることはないさ。このままディオレイアに戻るだけ、だからね」
って言っても聞こえないか。なんて思いながらぱちんと指を鳴らす。呼び出したディオレイアの魔女たちが一斉に故郷へと帰らされていく。次の瞬間にはエックスが作った世界は完全に無人となった。
「よし。これで終わり!」
誰も居なくなった世界を両手でぱちんと叩き潰す。残っていても邪魔になるだけだ。手を広げれば微かな残骸が残っているのが見えた。これで本当に全部終わりである。
「こんなに上手くいくなんて!ルータに感謝しないとなー」
そう言って。元の大きさに戻って。人間世界へと帰っていく。
--------------〇--------------
「ただいまー!」
すぐに彼女は思い知ることになる。
「……え?」
エックスが好きだった街。景色。全てが、氷で覆われた凍土の世界に変わっていた。建物も車も全て凍り付いている。スーパー小枝だと思われる建物も。公平の通う大学も何もかも。人の気配はない。だが人の姿は街にあった。凍ってしまった人の姿が。
そして。そんな凍った人もあっさりと踏み潰される。
「あはははは!」
「さっすがねーマリア様は!一瞬で終わらせちゃうんだもん!」
楽し気に嗤う、エックスの大好きな街を踏み荒らす巨人の姿。全部を、彼女は茫然として見つめていた。
遂に彼女は思い知る。巨人の魔女の日常と周辺。そこにはぬるま湯のような平穏などという物はないということを。




