空上のトラブル
「ううう……」
いよいよ公平の新学期が始まった。昨年は大学四年生ということもあって割と暇なことが多かった彼だが、今年は大学院の新入生である。去年よりもずっと忙しいし、平日はほとんど毎日外出している。そうなるとエックスは一人で外へ出て行ってあちこち見まわり、時々やってくる魔女を蹴散らしてはディオレイアに送り返すという日々を繰り返すことになる。
将来のために自分で選んだことではあるが、やっぱり寂しい。自分だけで家にいるよりは多少マシだが、どうせ空を飛び回るなら公平と一緒に行きたかった。隣に彼がいるだけでも全く寂しくなくなるのに。
早めのお昼ご飯である梅干しのおにぎりをもちゃもちゃと食べて、昨晩の残り物であるお味噌汁を飲んで、お茶を飲んで一服し、ウィッチの分のご飯にラップをして机の上に置いていくと、スッと立ち上がる。
「……さて。そろそろ支度をしないと」
とぼとぼとした足取りでリビングを出ていき、シャワーを浴びる用意をする。そのあとは歯を磨いて、身だしなみを整えたら出発だ。
半ば義務的になっている彼女の見回り。困っている人を見かけたら助けるようにしているし、魔女を見かけたらやっつけるようにしている。とにかく気が重い。はじめはそれなりに意気込んでやっていた。全部は自分のため。それにこういう事態になったのも自分の責任である部分がある。
だが最近はそういう気分でもなくなっていた。彼女が元来持っているネガティブな性格が顔を出したのである。
「どうせなあ……。また怪獣とかなんだとか言われてるんだろうなあ……」
目立てば目立つほどそういう声が大きくなっていくのではないか。エックスが一番不安なのはそこだった。
昔、SNSで自分の評判を調べたことがある。その時の評判はそういうマイナスイメージのものが殆どだった。
仕方がないことではある。この世界の人間はまだ魔女というものに慣れていないのだから当然の反応なのだ。自分の活動はそういう感情を払拭するためのものでもある。
だがやっぱりそんな風に思われたくはなかった。こうやって目立った活動をしているとまたそんな声が増えてくるのではないだろうか。どうもSF研の田母神の話ではニュースになっていることもあるらしいし……。
シャワーを浴びている間も不安が募る。歯磨きしている間も、歯と歯の間に詰まって取れない何かのように心配事は消えなかった。いっそもう一度調べてみればいいのだが、その勇気もない。
鏡に映る自分の顔をじっと見つめる。シャワーを浴びて歯も磨いて奇麗になった頬をぱんぱんと軽く叩いて気合を入れる。
「……よしっ。行こう」
そうして今日も現状維持。その結果としてついてくる評判は恐いけれどやらないといけないことはやらないと、というパターンだった。
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ふわふわ。空を往く。エックスは基本的に地上から数キロメートルの高さで移動している。ここまで来ればエックスとぶつかってしまうほど大きな建物はないし、飛行機にぶつかってしまうほどの高度でもない。これくらいが丁度いい。これよりも高く上がるのは山を乗り越える時だけだ。
行く直前までは憂鬱な空中遊泳も初めてしまえば爽快である。凍えるような高域の風も魔女である彼女にとってみれば心地いい涼しさである。遮るものは何もない空の旅。リラックスしたエックスはスマートフォンを取り出してネットサーフィンモードである。
「……んん?」
SNSのアプリを開いて犬やら猫やらの動画を見て癒されたところで、おかしな投稿があった。
『こんなことなら猫を連れてくるんじゃなかった。ゴメンね』
なんとなく気になる文章だった。スレッドを表示させて詳細をチェックする。
この投稿者はこの春で実家を出て引っ越すところだったらしい。実家から引っ越し先は遠いので、どうしても飛行機を使うことになる。当然元の家にはもう帰らない。その際彼女は大事にしていた猫を連れていくことになった。実家に残すという選択肢もあったが、ずっと一緒にいた大事な猫と離れることがどうしてもできなかったらしい。
そして現在。その飛行機が目下墜落中だそうだった。
「は?へ?墜落?墜落とはあの墜落?」
他にも情報がないか調べてみる。機関部に不具合が生じ、翼からは炎があがり、制御不能の状態であるらしい。予定ではここから10分後に地上に激突するそうだ。最早落下地点を選ぶことさえ出来ず、このまま行くとどこかの街に落ちて大惨事を起こすことになる。予想される犠牲者の数は……
「ちょっとー!?」
そこまで読んだところでエックスは一気に加速した。並行して上空にあるキャンバスの気配を探知する。通常この高さに人はいない。ここで探知されるキャンバスは全て、飛行機等の手段で空に飛んでいる者だけだ。
そしてその中でも猛スピードで落ちているものを探し出す。それがこの墜落しようとしている飛行機である可能性が高い。
「……!いた!」
見つけたそれのすぐ傍にまで続く道を創り出し、飛び込む。落ちていく飛行機のすぐ右横にエックスは飛び出した。全長およそ60m。彼女の身長よりも少し小さめである。
「あっ!?ちょっとこっちが速いか!?」
落ちる飛行機を追い抜いていきそうになって、慌ててスピードを落とす。同じ速さにまで落ちたところで、飛行機と並走し一緒に落ちていく。窓の向こうには突如現れた巨人の姿にぎょっとしている人の姿が見えた。エックスはニッと笑うと飛行機の真上へと移動し、そのままギュッと抱きしめた。
飛行機の窓がエックスの腕や胸、上着に包まれてしまい外の様子が分からなくなる。ただでさえ落下中だというのに、なおのこと訳の分からない事態が起きて、乗客が大混乱だった。
「よおし。あとは……」
そんな事とは露知らず。エックスは徐々に自身のスピードを落としていく。飛行機は最早自信で動ける状態ではなかった。今のもただ落ちているというだけである。ならば同じスピードで上から抱きしめてやって、そこからゆっくりゆっくりと減速していけば、やがて彼女の身体の重さがブレーキになって、止まってくれる。そう期待をしていたのだが、思いのほか上手くいった。高度500mの地点で救出成功。もう地上に激突して大惨事ということはない。
「ふうっ。これでもう大丈夫じゃない?」
一応魔法を施してやり、未だ動いている箇所を止める。電気系統も停止させる。これでこのあと中の燃料が何かの原因で発火して大爆発……なんてこともなくなるはずだ。ほっと安堵の息を吐くと、飛行機を持ち上げて窓から中の様子を覗きこんでみる。
怯えた視線でこっちを見ている人がいた。頭を抱えてぶるぶると震えている人がいた。だが死んだり怪我をしたりしている人はいない。
「はあ……。よかったあ……」
そう言うとエックスは地上に目を落とした。どこかに飛行機を下ろせるような広い場所はないかと。見下ろす街並みはごみごみとしたビルの立ち並ぶオフィス街だった。
「……ううん。ないなあ。こんなところに落ちたらそりゃ大惨事だって」
どれだけ時間的猶予があったかは分からないが、避難はあまり進んでいなかっただろうと思われる。というよりも人間の移動手段ではどうしても限界がある。
「ってことは取り敢えずでもここに降ろすのはダメ、か。うーん、どこがいいかな」
近くに空港なんてないかしら。空の上から探してみる。
--------------〇--------------
大学の昼休み。研究室のメンバーで集まって、食堂でお昼ご飯を食べる。公平がカレーうどんを啜っているところで田母神が話しかけてきた。
「ねえ。エックスさん久々にお手柄みたいよ」
「お手柄?なにがあったのさ?」
「ほら」
差し出された田母神のスマートフォン。そこに書いてあることを読んでみる。どうやらあわや墜落というところだった飛行機をエックスが救い出し、近くの空港に降ろしてあげたらしい。乗客が降りたのを確認したところで『それでは』とだけ言い残して空の彼方に消えていったとか。
「『お礼が言えなかった』。『彼女はヒーロだ』。『ありがとう』。……なんでエックスさんさっさと帰っていったのかな」
「え、そりゃあ……」
公平は知っている。彼女は以前SNSで色々言われたせいで人の評判を聞くのを極端に嫌がっている。だからいい評判でさえ聞こうとしないのだ。
ただ、それはなかなか説明が難しいので。
「エックスは照れ屋だから」
そういうことにしておく。
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