表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/433

八月病の後の八月の日常

 トルトルに勝利して帰ってきたエックス。マアズはその姿を茫然と見つめた。傷らしい傷はない。平気な顔で笑っている。公平と笑いあっている。


「うん。もう大丈夫。トルトルはもうこっちの世界に手は出してこないと思うよ。それくらいには懲らしめてやったからねっ!」


 その言葉がマアズの心を真っ白にしてしまう。彼女は自分の連鎖に帰れなくなっていた。そもそも魔法の連鎖に来られたのもトルトルの力があってこそ。彼がマアズを置いたままこちらに干渉しないことを決めたのならば戻る手段は無くなってしまう。あまりの状況にパニックになって喚きだす。


「------------!」


 突然のことに公平や吾我はぎょっとした。その剣幕もそうであるが、彼女の叫ぶ言葉が聞いたこともない意味不明の言語だったからだ。

 連鎖が変われば使用される言語系は大きく変わる。今まで言葉が通じ合っていたのもトルトルの力の恩恵なのだろう。ただ彼女がこちらを罵倒しているのは分かった。ボディランゲージや表情で感情を伝えるのは共通言語である。


「話にならんな」


 吾我はそう言うときゃあきゃあ騒ぐマアズを当て身で気絶させた。それからその場で動画を撮り始める。八月病をばら撒き、世間を騒がせた女を捕えた、と。


「これからも調査は続けますが。恐らくはコレで、全部解決するはずです。……そうだ。今回の件は自分だけでは解決できませんでした。協力者のおかげです」


 そしてついでと言わんばかりにスマートフォンのカメラを公平に向ける。慌てて顔を隠す。


「なんで避けるんだ」

「目立ちたくないからだよ!」

「まだ撮っているだけで投稿してないだろ」

「それでも嫌なんだ!」


 逃げる公平を吾我は追いかける。吾我は公平のことを自分の組織に入れたいらしい。もしかしたらこれはその一環なのかもしれないし、もしかしたらただ遊びたいだけなのかもしれない。二人が何だか微笑ましくてエックスはクスっと笑った。

 吾我は突然に振り返ってエックスにカメラを向ける。慌てて近くのビルに身を隠す。

 追いかけてくる足音が消えたので公平も振り返る。


「あー!お前なにやってんだ!」

「エゴサーチして落ち込むくらいならもっと露出を増やせ。発信しなきゃ誰も分かってくれないんだ」

「そういうのは同意を得てからやれって……うわっ」


 吾我は再びカメラを公平に向ける。顔を隠して映像に残らないようにと抵抗する。そんな姿に声を出して笑った。


「ご、吾我クン?」

「うん?」


 見るとビルの背後からエックスが顔だけ出してこっちを見ている。


「そ、それさ。消してよ?ボクだって目立ちたくないし」


 その身体で目立ちたくないってのは無理だろうと思いながら。この二人が一番頑張ったのだからもっと誇ればいいのにと思いながら。実はもう既にトルトルを追っ払った姿を撮影した動画が第三者によって投稿されていることは隠しながら。


「考えておくよ」


 一言言った。


「ダ、ダメ!ちゃんと消して……」


 吾我は彼女に答えずにマアズを連れて去って行った。エックスの「あああ~……」という力ない声だけが残った。


--------------〇--------------


 エックスがトルトルを倒してから数日後。各国政府や関係機関は正式に八月病が根絶したことを発表した。突如として新規の感染者は出なくなり、既存の感染者の症状も順次回復していった。社会危機をもたらすほどの病による恐怖は去って、世界は元の形に戻ろうとしている。

 エックスはトルトルの力が消えた時点で八月病も無くなっていたのではないかと考えている。あれだけの規模の力を人間一人で制御できるはずがない。あの鳥が力の大部分を担っていた可能性が高いと。


「まあ。もう終わったことだから。どうでもいいけどさ」


 なんて言いながらコーヒーを飲んでいる。


--------------〇--------------


 八月病が消えたとなれば休業していたお店も営業を再開する。賑やかな、夏休みらしい夏休みが戻ってくる。もう自粛なんてしなくていい。エックスは小躍りしそうな気分だった。

 どこかに行こうかと公平は言った。エックスの頭の中で行きたい場所が沢山浮かんできた。うんうんと悩んで、そして海に行きたいと言った。夏と言えば海である。テレビドラマでもそう言っている。


「海……か。……うん。いいよ。じゃあ明日な」

「やったっ!」


 それからエックスは一人で水着を買いに行った。デザインは公平にはナイショだ。現地でのお楽しみということにしよう。


「う、わあ。コレちょっと派手じゃない……?でもこれくらいのがいい、かなあ……?」


 悩む。公平はどんなのが好きなのかな。落ち着いた感じ?派手な方がいいの?露出はやっぱりちょっとくらい多い方がいいよね?どうだろう。……よくよく考えてみるとそういう事はあんまり聞いてない。


「えーっと。えーっと」


 ああでもないこうでもないと売り物の水着を手にとっては戻す。悩みは終わらない。


--------------〇--------------


「……って。色々考えて買ったのにさ」

「い、いや……海じゃん?」

「釣りがしたいなんて一言も言ってないぞ!」


 エックスは怒りながら釣り竿を上げる。食らいついているのはクロダイ。高級魚である。

 連れてこられたのは海ではある。しかし海水浴場ではない。水族館に隣接する釣り場だ。それも他に客の来ていない寂れた桟橋。手ぶらで行けるから、という理由だけで選んだのだ。


「すっげえ……。俺なんかさっきからヘンな魚しか釣れてないぜ」


 色鮮やかな見たことのない魚がバケツの中で泳いでいた。


「……公平魚釣り好きだったっけ?」

「いやべ……。うん、好きだよ」

「いま『別に』って言おうとしたな?別に好きでもないんだな?」

「い、いいじゃん!なんか魚釣りしたくなったんだよ!」


 何かを誤魔化すようにして公平は海に針を投げていく。何か変だ。何か誤魔化している気がする。公平の顔をじっと見つめてみる。どこか目を合わせまいとしている。


「公平水着は買った?」

「え、いや、買って、ない」

「……ふうん」


 普通「海に行こう」って言ったら海水浴がしたいってことじゃないのか。敢えてそれを避けたのか。


「……ねえ。もしかしてだけどさ」

「……え?」

「もしかして。公平泳ぐの苦手?」


 公平は顔を横に向けた。エックスと目を合わせまいとしている。弱点を知られたくなかった。泳げないわけではないのだ。ただそんなに得意じゃない。それに子供のころ海で溺れそうになったことがあり、それ以来避けていたのだ。


「……そうかそうか」


 その声色は急に明るい。ああ終わったと心の中で天を仰ぐ。どうせ誰も見てないし、とエックスは服を脱いでくる前から着ていた水着姿になる。


「そういうことならボクが教えてあげようじゃないか!」


 にんまりと愉快そうにエックスは笑っている。だから嫌だったんだ。


「い、いやここ海水浴場じゃないし」

「関係ないねっ!」


 そう言ってエックスは数メートルはある桟橋から海へと飛びだした。


「ええっ!?」


 落ちていく彼女を桟橋から見下ろす。綺麗なフォームで入水し、そして。海が吹きあがった。「ぷはあっ」と飛び出した巨体。海水が雨のように降ってくる。ぷるぷる頭を振る。しぶきが公平の身体にかかる。100m級の身体が上半身だけ出して、悪戯っぽい微笑みで見下ろしている。丁度目の前には少し派手な赤いビキニに包まれた胸。

 

「さあ。行こうね……!」


 彼女の身体に気を取られて近付いてくる手への反応が遅れた。ハッとして振り返る。ここで捕まったら海を克服する陸に上げてもらえない。

 しかし。普通の人間の大きさでしかない公平の逃走は、巨人であるエックスには遅すぎた。簡単にその手に囚われる。


「ふふふ。逃げても無駄だよー?」

「止めろっ!海で泳ぐのは恐いんだ!どうして分かってくれないんだ!」

「まあまあ。普段くらいには厳しくしないよお。マンツーマンでしっかり見ててあげる。溺れそうになっても助けてあげる」

「だ、だってさ!ほ、ほら。カッコ悪い泳ぎ方見せたくないし!」


 咄嗟に口をついて出た言葉。エックスはクスっと笑う。多分本心なんだろうなーと思った。そしてにっこり笑って返す。


「それはそれで。可愛いからボク的にはアリだ」


 言うとエックスはぱちんと指を鳴らした。お店で見てきた男性用の水着のイメージを魔法で再現し、公平をそれだけ着た状態にする。

 何も言えなかった。ただあんぐりと口を開けて茫然と彼女を見上げるだけだ。エックスは構わずに海に身体を倒していく。そのまま身体を捻って泳ぎ出した。


「ここじゃあ流石に目立つしねー。もうちょっと沖の方に行こうか」


 公平を手にしたまま泳ぎ始める。猛スピードでエックスの身体は水をかき分けて前進していく。振り落とされたら助からないんじゃないかって気がして。息を止めて全力で彼女の指にしがみ付いた。

 そんな彼を想って。指にかかる力を感じて思わずにやけてくる。日常が帰ってきたなーと嬉しくなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ