魔女と人が共に生きていける国
なぜだ、と魔女の王である男は呟いた。全てを賭けた最後の魔法が押し返される。それはつまりディオレイアという国も、この世界の未来も、全てがあの炎によって焼却されるということだ。だのにどうして自分はもう動けないのか。それが一番、納得がいかない。
従者である魔女が男を止めようと、傷ついた身体を厭わずによろよろと歩き始めた。あと数歩というところで、その足を倒れて沈黙していた異世界の魔女が掴む。離せだなんだと叫びながら振りほどこうとしているが、異世界の魔女は亡者の如く更に手を伸ばしていく。遂には立ち上がって従者を羽交い絞めにし、そのまま後ろ向きに倒れた。
じたばたと藻掻いて脱出しようとする。だが彼女を押さえつける腕の力は強く、逃れることは出来なかった。最後は異世界の魔女が残った魔力全てを雷の魔法とし、自分ごと感電させて再び気絶させた。
──そして、その時が来た。
「だああああああっ!」
炎が光を呑み込んだ。空に浮かぶ光の円環。力の源である4つの光点。そのすべてが炎の中へと消える。燃え尽きる。一片の灰さえ残さずに消し飛ぶ。
魔女の王が放った一撃。彼の全てを込めて撃ち込まれた光。それは結局、なにも為すことが出来ないままに、青空に消えていったのであった。
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「──まだだ」
ディオガが、剣を支えにして立ち上がった。公平は我が目を疑った。こちらはもう動ける状態ではない。『ギド=デイルハード』と『アルダラ・ジ・メダヒード』による反動は、身体のあちこちを痛めつけていた。立っているのさえやっとである。それでも倒れないのは倒れた瞬間に訪れるであろう痛みが恐ろしかったからだ。
「まだ動けるのか……。あれがお前の全てじゃなかったのかよ」
「全てだったさ。全てをぶつけたさ」
ディオガはおぼつかない足取りで公平の元へ一歩一歩進んで行った。三度の『ギド=デイルハード』によるダメージは相当なものだ。動けるわけがない。魔法を使える状態でもないはずだ。杖代わりにしていた剣が、その先から徐々に崩れていく。もう、彼は限界なのだと公平は理解した。
「よせよ、もう。これ以上は」
「まだだ。まだ、終わって、な──」
そして遂に、剣が崩れて形を失くした。あと一歩で公平に届くといったところで、ディオガは倒れ込んだ。
「まだだ。まだだ」
「……もう終わったんだよ」
「まだ──」
「あとで鏡でも見て来いよ。お前の目、色が変わっているぞ。黒い目になってる」
それを聞いたディオガは目を大きく見開いた。その意味はすぐに理解できた。
「もう俺にはアンタと戦う理由がない。だからもう、終わりだよ」
「く、ははは……」
ディオガが力なく笑いはじめる。公平が何も言えずに彼を見つめていると、突然彼らのいるテーブルが揺れた。そのせいで公平は尻もちをついてしまう。全身を激痛が駆け抜けて、思わず悲鳴を上げる。
「な、なにが……」
「結局こういう終わりか」
「あ?」
ディオガの言葉に疑問を覚えながら彼を見る。と、その時、彼らを深く暗い影が包んだ。公平は顔を上げる。『あ──』と声が漏れる。幾つもの目が遥かな高みからこちらを見下ろしている。ディオガを助けるためにここまで来た魔女たちだった。
(けど魔眼の効果はもう切れてる。ってことは──!)
寝ている場合ではない。公平は歯を食いしばり痛みをこらえて立ち上がった。本当はもう動ける状態ではない。動いていい状態でもない。だがこのままではディオガが危ない。
「ま──」
一人の魔女が無言でテーブルを軽く叩いた。卓上を走る衝撃のせいで公平はまたしても倒れてしまう。あの魔女のことは知っている。聖地にいた銀色の鎧の魔女である。
「くそ……」
「もういい……。お前まだ一度くらいは魔法が使えるだろう。さっさと逃げてしまえ」
「なに言って……」
「お前の魔眼に私たちは操られていたみたいね」
「そうだな。ミクス」
ディオガは倒れたままの状態で更に続ける。
「俺はお前たちを利用した。俺の目的のためにな」
「……そうね。魔眼の力を受けてから今日までのこと全部覚えているわ」
「だが見ての通りだ。魔眼は消え、俺自身も打ちのめされた。俺の負けだ。あとは好きなようにすればいい」
「……そう。なら好きにさせてもらおうかしら」
「馬鹿お前なに諦めて──!」
ディオガは喚く公平の声を聞いてくすっと笑った。何をそんなに慌てているのか分からない。こうなることを知っていて自分を倒したのではないのか。いいから早く逃げてしまえばいいのに。
(……まさか魔女ではなくて、こんな訳の分からないやつに負けて終わるなんてな)
ディオガはゆっくりと目を閉じた。次の瞬間に訪れるであろう最期をジッと、待つ。
「……?」
だがしかし。いつまで待っても何も起こらない。叩き潰されることも引き裂かれることもない。静かなだけだ。ディオガは目を開けて、精一杯の力で顔を上げる。
「……あ?」
そこには。さっきまで自分を見下ろしていたであろう魔女たちが跪いていた。頭だけが彼の目に見える。
「なにをしている?」
「始まりは間違いだったかもしれません。しかし……いや、やはり。我々の王は貴方だけです、ディオガ王」
「……は?」
ディオガは瞼をぱちぱちとさせて困惑していた。もう魔眼の力はない。体躯でも力でも圧倒的に勝る彼女らが、自分なんかに忠誠を誓う意味が分からない。傍らで倒れている公平も理解が追い付いていない様子である。
「魔女と人間が共に生きていける国。ディオレイアでの暮らしは幸福だった記憶しかありません。貴方を手にかけ、この国を壊したとしても、その先の未来にはきっと不幸しかまっていない」
「い、や。そんな。俺は……」
「これは皆の総意です。今度こそ本当の意味で、貴方様に仕えさせていただけませんか」
「俺は……」
公平は魔女たちの言葉を聞いて、安堵して、目を閉じた。
(そういえばエックスもヴィクトリーも言ってたっけ)
魔眼のことを無視すれば、この国は決して悪いものではない。むしろ良い国でさえある。魔女も人も幸せそうに生きている。楽しそうに暮らしている。そんな国を壊す理由はどこにもない。
もしかしたらここにいる魔女たちも最初は人間嫌いだったのかもしれない。だがそんな彼女たちもディオレイアで数年間も暮らせばどうだろうか。人と一緒に、笑い合って生きていければ、憎しみも嫌悪も、消えていくのではないか。
「よかったじゃないか」
ディオガに言う。
「なに?」
「アンタのやってきたこと、全部が間違いじゃなかったみたいでさ」
「……うるさい」
ディオガが顔を隠すようにして言った。その身体が微かに震えているのは、痛みを耐えているからではないのだろう。やがて、彼は深く息を吐いて、もう一度顔を上げ、自身に忠誠を誓った魔女たちを見つめる。
「……いいんだな。俺はもう後ろめたいことは少しもない。今まで以上に扱き使ってやるぞ」
「どうぞ。私たちはディオガ王の手足。ご自由にお使いください」
その言葉に、ディオガは安堵したように息を吐きだす。こんなことならもっと早くに魔眼の力を解除すればよかったのかもしれない。……そう思ってすぐに、それは出来なかっただろうなと考え直す。
(俺には勇気がなかった。世界を壊しかねないことを選べなかった結局、外から手を出してくるヤツが居なければ、こんな結果まで辿り着けなかっただろうな)
彼が考えていたのは魔眼の継承だった。仮に自分が死んでも、信頼できる他の者に魔眼を託すことが出来れば、きっとこの世界の安寧は保たれると信じた。だがそれも結局嘘偽りで塗り固められた仮初の平和でしかない。それよりも、この結末の方がずっといい。これはきっと最善の到達点だ。
「ありがとう。みんな。では──」
「ディオガーーーー!!!」
「は?」
「え?」
「ん?」
外から大声が聞こえてくる。ディオガと公平は同時に客間の入口に顔を向けた。どたどたどたどたと大きな足音が近付いてきて、殆どドアを蹴破るような形で一人の魔女が飛び込んでくる。
「殺す!ディオガ!お前だけは絶対に殺す!」
「わ、ワールド!ワールド!?落ち着きなさいって!」
「これが落ち着いていられますか!?」
ヴィクトリーを引き摺るようにして入ってきたワールド。怒りに燃える彼女の姿に公平はさあっと青ざめた。
(すっかり忘れていた──!)
彼女はディオレイアに来て少ししか経っていない。他の魔女と違って絆されるわけがない。更に悪いことに──。
「あ、アイツ……ランク99になってやがる……」
ディオガに対する怒りと屈辱が彼女のキャンバスを成長させてしまった。おかげでヴィクトリーは手も足も出ない。止めに入る魔女たちも含めて一瞬で蹴散らすと、ディオガの元にずしんずしんと歩み寄ってくる。
「ディオガ……!殺す……!」
「お、おい。ヴィクトリー?エックスはどうした」
「ま、街の様子を見てくるって……」
「なんでエックスが行ったの!?」
「仕方ないでしょ!?」
外の方が魔女は多い。エックスが優先的に気にかけるのは当然である。それにワールドは目覚める前までランク98だった。ヴィクトリーと互角である。彼女一人でも止められると考えるのは当然だった。その結果がこれである。
ずうん。一瞬前まで跪いていた魔女たちは皆倒れた。テーブルの前にはワールド一人が立っている。ぼろぼろの状態である公平とディオガを見下ろす彼女の蒼い瞳はどこか恍惚としていた。
「ふ、ふふふ……。見つけましたよ。ディオガ王?」
「……は。ははは。なんだ……結局ここで終わるのか……」
「馬鹿野郎諦めんな!?」
「今日までのお礼をしないとですからね……。ふふ……お前のような害虫が長生きしているのは不愉快ですから。一撃で終わらせてあげましょうね?」
まずい。公平は思った。今のワールドには遊びがない。じっくり痛めつけて殺すとかそういう雰囲気ですらない。つまり逃げる余裕がない。
ワールドは拳をギュっと握り、ゆっくりと振り上げる。次の瞬間それが叩きつけられて、潰される。問題なのは恐らくその拳の着弾点には公平も巻き込まれているということだ。
「待て!ワールド待て!少し話を!」
「黙れ虫けら──!」
勢いよく拳が振り下ろされる。公平とディオガは思わずキュッと目を閉じた。
「……くっ」
だがしかし。一秒後も十秒後も叩き潰されるということはなかった。
「あ、あれ……?」
「ま、またか?今度は一体なんだ……?」
二人は恐る恐る目を開ける。
「く……」
「あ、あっぶなあ……」
ワールドの背後。彼女の手首を掴む魔女の影。緋色の瞳。公平はそれを見てほっと胸を撫でおろした。
「離し……離してくださいエックス!」
「いやいや!?離すわけないだろ!?」
「……よかったああ」
エックスが来てくれたのなら、もう大丈夫だ。公平は安堵しながら目を閉じた。もういい加減限界である。ミライたちのように自分ももう気絶してもいいはずだ。
「わー!?公平大丈夫ー!?」
エックスの声が、暗闇の中で聞こえる。




