侵略者と追跡者
異連鎖の侵略者・神秘使いのマアズ。彼女が投稿した動画は、最初は単なる悪ふざけと思われていた。だがしかし彼女はそれを無視する性格ではない。状況が分かっていないのならば、分からせるまで。全ての命は自分の手の中にあるということを。
程なくして二本目の動画が投稿された。最初に使用したものとは違うアカウントからである。それも既に他人が運営しているもの。国外の女優のアカウントからだった。
『うーん、マアズちゃんラッキー!二回目にして何万もフォロワーがいるのを捕まえちゃうなんて!』
動画の中でマアズは言った。女優からアカウント名とそのパスワードを聞きだしたらしい。画質は荒く見づらいが、彼女の足元には既に小さな血痕がいくつもついている。
『小虫にしては綺麗な顔立ちですねー。ほーらカメラ目線。プチって潰れるところをみんなに見てもらいましょうねー。最後の舞台ですよー?』
女優を摘まむ指先をスマホのカメラに近づける。泣き叫びながら圧倒的な力を持ったマアズの指先に抵抗している、のだろう。正確なことを言うとよく分からない。理由はシンプルだ。彼女が小さすぎるせいである。
彼女の表情を切り取ろうとすればどうしたってカメラに近づける必要がある。そのせいで画質は悪くなる。矮小な身体から発せられる声も同様に微かであり、聞き取ることは出来なかった。その後ぼんやりと指と指の間が赤く染まったことを確認できた。
マアズはその後女優のアカウントを本格的に乗っ取った。アカウント名は『マアズちゃん♡』に変わって、何か国語かで『これからも小人が適当な数だけ送られてきたら虐殺動画を投稿するよー』という内容の呟きを投稿した。
ここに来てようやく世界中の人々は気付いた。これは悪ふざけやフェイクではない。現実に彼女が八月病を撒き散らし、その結果縮められた人間を残酷に潰す動画を投稿しているのだと。
数時間後、三本目の動画が投稿された。マアズの足元、白い床の上を逃げる小さな点たちに向かって、恐怖を煽るようにわざとらしくゆっくりと、後ろから順番に踏みつぶしている。
『おっそぉい!ほらほらー。もっと頑張らないと踏み潰されちゃうぞー?』
彼らはとうに限界を超えている。それだけ必死に逃げている。それでも、身体の大きさの違いは残酷で。その全速力すらも嘲笑うみたいに転送された人々は全員赤色の汚れに変わった。
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公平が購入したマンション。人間大になったエックスと吾我と合わせて三人が集まっていた。インターネットにつながる環境に身を置き、リアルタイムで情報を得るために人間世界での活動を選んだのである。
「三本目の動画。コイツが投稿されたと思われるビルの一室に向かったが……やはりもぬけの殻だった」
吾我はエックスたちに言う。彼の所属する組織──WWの力であればマアズが動画を撮影した場所を容易く特定できる。実際これまでも動画を確認してから十分以内にマアズがいると思われる場所を見つけ出して現地に向かっていた。だがしかし、いずれも彼女の影すら捕らえることは出来なかった。
動画の投稿の直後に既存の拠点を放棄しているようである。投稿用の端末も逐次変えている。彼女を捕まえる糸口が掴めない。
「じゃあ……マアズを捕まえることは出来ない?」
吾我は公平に頷いた。エックスは暗い表情で俯く。その力をもってしてもマアズの位置を特定することは出来ない。自身の連鎖の神・トルトル神が護っているからだ。
続いてエックスは転送させられた人の位置を探ることにした。不自然に消え、不自然に現れるキャンバスの気配を追いかければいい。……そう考えていたのだが。残念ながらそれも上手くいかなかった。そもそもキャンバスの探知すら出来なかったのである。世界中を暗い膜が覆いつくして、探知を妨害しているようだった。
「敵の神様に邪魔されているんだ。この状況で探知をしようと思ったら、少し力を強くしないといけない。……魔法を使えない人だったら……それだけで……」
トルトル神の妨害に負けないくらいの力。弱い人間を殺してしまえるくらいのエネルギーが世界を覆うことになる。結局大勢が死ぬことになる。それでは意味がない。
「せめて八月病をどうにかできれば……。これ以上敵の犠牲になる人も減るんだが……」
エックスは目を逸らした。普通の病気ならば彼女の力で根絶することが可能である。しかしこれは未知の力・神秘によって成立する病。消し去るには時間がかかる。一日二日では不可能。そして、そんなことをやっている間にマアズに虐殺される人は増えていく。悠長にやっている余裕はない。
こうして考えている間も、誰かが縮められて転送させられている。マアズが満足する数になればまた彼らを残酷に潰して殺す動画が投稿される。
「……取り敢えず。ボクは八月病の解析する。どうにかして病気を消してみる。吾我くん達はその間に……」
「ああ。なんとかマアズを探し出す。一番解決が早いのはそっちだ」
「じゃあ俺も吾我を手伝って……」
と、その時。公平の携帯電話が鳴り響いた。電話の相手は友人の田中である。
「も、もしもし?」
『お、おい公平!あ、あれ本物なのか!?あのマアズとかいう女……』
どうやら例の動画・騒動の一連の流れを見たらしい。
「あ、っと。いやあれは」
『お、俺もあんな風に……?あの女の所に送られて……。こ、ころ……』
声が震えていた。いつもの余裕はない。田中は怯えている。らしくないじゃないかと心の奥で呟く。だが無理もない。当事者になるのは初めてなのだから。
何と声をかけていいか分からなくて、殆ど無意識にエックスに目を向けた。彼女は公平に手を差し出した。一つ頷いて携帯電話を託す。
「もしもし?田中くん?……うん。うん。……ゴメンね。怖い想いをさせて。うん……大丈夫。なんとかするよ。うん」
エックスは電話をしながら立ち上がり部屋を出て行った。
彼女を見送りながら、吾我はぽつりと呟いた。
「……どうして俺たちは平気なんだろうな」
「え?」
「八月病。俺たちも感染していれば、最終的にはマアズの元に転送させられる。そうすれば……身体の大きさは違っても魔法で戦えるのに……」
「……そうか。確かにそうだよな」
八月病に罹らないのは魔法使いだから。逆に言えば魔法使いでなければ八月病に罹ることが出来る。その状態であればいずれ縮められ、転送させられる。
だがそれでは戦えない。それにそこまで症状が進行するのを待つには時間がかかりすぎる。エックスが八月病の根絶するのとどっちが早いだろうか。
「……いや。まてよ」
「どうした?」
「……ちょっといいこと思いついた。試してみたいんだ。エックスが戻ってきたら……」
その時ちょうどエックスは電話を終えて帰ってきた。顔を上げて公平と目を合わせる。彼女はそこに秘めた何かを感じ取った。
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「ふふふふ。そろそろいい数集まった♪」
胡坐をかいて自分の素足の前に集めた小人たちを見下ろす。彼らにとってみればこの足ですら巨大な壁。その視界を想像するだけで胸が高鳴る。くにくにと指を動かすだけでも恐怖を煽る。身体の奥が熱い。彼らを丸ごと踏みつぶしてしまいたい衝動に駆られる。いけない。四本目の動画の趣向は『踏みつぶし』ではないのだ。懐から取り出した黒い物体を見せつける。
「これなんだと思う?そこで売ってた1000円もしない玩具なんだけどさ」
エアガンだった。見上げる人々の脳裏に嫌な予感がよぎる。
「んで。これは一つ1円もしないタマ。うふふ……。まさかこんなの当たったくらいで死んだりしないよねえ。そこまでゴミじゃないよねえ。キミたちの尊い命がこんな1000円以下玩具から飛び出す一山幾らのプラスチック以下の価値なわけないわよねえ」
意地悪く笑う可愛らしい顔。冗談じゃないと、蟻サイズの人々は我先にと逃げ出した。噴き出してしまいそうなくらいのろまな一団。マアズは片足をあげて、彼らのすぐ目の前に踏み下ろした。人間が、自分が足を下しただけで発生した風圧に飛ばされてくる。この命はもう自分のものだ。嗜虐的な感情に心が躍る。
「まったく……誰が逃げていいなんて言ったのかしら?これはもうお仕置きしないと駄目じゃない?」
マアズが杖を握って何事か祈った。誰かの携帯電話が浮かび上がって撮影を開始する。これは即ち処刑の合図。微かな悲鳴が耳に届く。微笑みながらエアガンを向ける。
「さ・あ・て。どれにしようかなー。……ん?」
と、もう一人別の小人が転送されてきた。いいところで間の悪い。心の奥で一瞬むっとする。だから、最初のターゲットはこの小人にしようと思った。ほんのちょっとでも不快にさせるのが悪い。この小人は状況もよく分からないまま巨大なBB弾に打ち抜かれて死ぬのだ。マアズは彼に銃口を向けた。
「いいところで邪魔すんなっ♪」
引き金を引く。オレンジ色の小さな弾が放たれる。それは一直線に小人に伸びていって、そして。
「……!?」
弾き返ってきた。瞳に向かって戻ってくるBB弾を咄嗟に躱す。標的に命中せず、床から跳ね返ってきたにしては異様な軌道である。こんなに跳ねる材質だっただろうか。まるで、何かに打ち返されたかのようだった。
「な、なんなの。……きゃ!?」
続いて外から大きな音がして、それ相応の揺れが襲った。足元の小人たちは立っていることもできず次々に倒れた。
「じ、地震……?」
その時である。外から差し込んでいた光が消えた。何かに遮られたかのようである。怪訝に思いながらそちらに目を向ける。
「……っ!」
そこにあったのは瞳であった。緋色の瞳が覗きこんでいる。
「そこか」
地の底から響いてくるかのような声。同時に一人を残して足元の小人たちが消えた。残っているのは一番最後に来た小人だけである。マアズは慌てて立ち上がった。最後の一人がどんどん大きくなっていく。
直後、窓の割れる音がした。反射的に目を向ける。そこに居たのは、以前対峙した魔法使い、吾我レイジ。
「うまくいったようだな」
「ああ。最高の気分だよ」
視線を戻すと元の大きさに戻ったもう一人の魔法使いが。
「エアガンで撃ってくるとはな。奇跡的に予習済みだ。ラッキーだった」
「ど、どういう……こと……?」
魔法使いには強力すぎる神秘は効かない。自分の力では完全に使いこなせないからだ。今回はそれを逆手に取った。魔法使いには八月病も縮小能力も効かない。だからこそ転送されることはないはずだった。
「なのに……なんで!どういうことよ!?」
「はあ?どういうことだって?何でもいいだろ」
ぶっきらぼうに返して、マアズに剣を向けた。
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「一度エックスに俺のキャンバスを託す。その上で八月病に感染する」
公平はエックスと吾我に言った。
魔法使いであることの条件。それはキャンバスと魔力を持っていること。どちらか一方を失えば魔法は使えなくなる。つまり、魔法使いではなくなる。
マアズが操る力の一部は強力な魔法使いには通用しない。そして魔法使いの強さを数的に測るのはランク、即ちキャンバスの広さである。
自分が持つランク99の広大なキャンバスを放棄すれば、八月病に感染することが出来るのではないかと公平は考えた。その強力な感染力であれば容易いことである。
「……でも、その後は?縮小されて転送されるのを悠長に待っているつもり?」
「いや。そこは時短で」
「時短?」
「エックスに縮めてもらうんだ。自動的に転送される大きさまでさ」
「……は?いやそんな……。あ、いやでも。待ってよ……」
悪くない。エックスは思った。最初の一瞬こそ『また馬鹿なこと言って』なんて思ったがよくよく考えると試してみる価値はある。
「それでいいのか?八月病の効果で縮められないと転送されないんじゃないか?」
「それならそれでいい。そうなったら他のやり方を探しながら俺の症状が進行して縮むか、エックスが八月病を根絶するか、お前たちがマアズを見つけ出す作戦に切り替える」
そこで吾我も納得した。マアズの転送の条件が『八月病に罹っていて、かつある程度まで縮んでいること』であればそのまま敵の拠点に乗り込むことができる。最短距離で事態を解決できる最高のルートだ。
条件が『八月病・第二段階により縮小されること』であれば多方面から敵を追い詰める作戦にシフトすればいい。組織力による追跡とエックスによる病の根絶の他にもう一つ選択肢が増える分だけ得である。
「その後はどうする。魔法を失くして、武器になるのは魔力で強化された肉体だけ。縮められた身体で勝ち目があるのか?」
「そのまま戦ったんじゃあ勝てない。でも俺は違う。他の奴ならともかく、俺だからこそ勝ち目がある」
公平はエックスに視線を送る。それだけで彼女はその意図を理解できた。ニッと笑って頷く。そのやり取りで吾我も合点がいった。
「そうか。お前らはそうだったな」
「そう。そういう事だ」
「そういう事だねっ!」
エックスは公平のいる場所であれば、どこであろうと探知なしで道を開くことが出来る。逆もまた然り。例え宇宙の果てでも別の世界でも別の連鎖に至って、二人は互いに相手の元に行けるのだ。そこに理屈はない。そこにあるのはもっと純粋なものだ。二人はこの現象をこう呼んでいる。『愛と絆の力』と。
かくして。作戦は動き出した。公平はキャンバスをエックスに託し、八月病感染者である田中に会いに行った。その強力な感染力を信じた。症状が出ずとも、体内に病を取り込めればそれでいい。
戻ってきた後、エックスは公平を小さくした。この後どうなるかにかかっている。上手くいかなくとも次の作戦に移るだけなのだが、出来れば今日中に事態を解決したい。
彼女の手の平で、公平が蟻と同じくらいの大きさになった時、その身体が淡い光に包まれた。
「来た……!」
「来たか!」
エックスの背後で吾我の声がした。公平は彼女の手の上で、彼女を見上げる。何だかいつもよりも大きく見える。実際蟻と人間では、人間と魔女よりもサイズの倍率の差が大きいので当然のことだ。
「じゃあ。行ってくる」
「うん。待ってて。ボクもすぐに行くから」
そうして二人は笑いあって。次の瞬間公平の姿が消えた。エックスは吾我に振り返る。
「一度元の大きさに戻るね。そうしたら一緒に公平のところへ行こう。ここから逆転だよ!」
「ああっ!」
魔法の連鎖の逆襲が始まる。