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ディオガ王の魔眼

「行きましょうエックス。ディオガ王も整地の巡礼から戻ってきているはずです」

「はあ」


 喫茶店を早引けしたワールドは魔女の世界で着ていたドレス姿となって、エックスの前を歩き始めた。城までの道案内である。通り過ぎる魔女がワールドに挨拶してくる。


「今日は喫茶店のお仕事が終わるのが早いのね、ワールド。これからお出かけ?」

「ごきげんようリリィ。ちょっと古い友人をディオガ王のもとに案内しようかと思いまして……」

「そうなんだ。くすっ。早く歩くのに慣れるといいわね」

「ふふ……。今はゆっくり歩くくらいで良いんです……」


 などと言っているワールドの歩行は牛歩である。おっかなびっくりといった調子で一歩一歩ゆっくり慎重に足を下ろしていく。一歩進む度に地面を睨み、次に足を下ろす予定地点に人間が居ないことを確認したのち、再び足を上げる。彼女の歩き方はこんな感じだった。


「エックス……。足元には気を付けてくださいね……。町民の皆様が歩いていますから……」

「ボクはキミよりもずっと前から足元に注意してますー」


 正直に言えばもどかしい。足元を歩く人間たちに気を遣っているのはきっといいことだ。だがそれにしても牛歩が過ぎる。牛歩という表現すら牛に申し訳ない。牛の方がもうちょっと早く歩いているのではないか。ワールドは足元に気を遣い過ぎているせいで一歩進むのに十秒以上もかかっている。これではいつになったらお城に着くのか分からない。

 そもそも道行く小さな人間たちは魔女と一緒の街に住むことに慣れている様子だ。歩いている魔女の傍に不用意に近付くことはないように思える。


「ねえワールド?他の人たちみんなボクたちから離れてくれてるよ。ちょっと気を付けて歩いていけば踏んだりしないよ。っていうか周りの魔女もみんな普通に歩いているじゃないか」

「そりゃあ貴女や他の魔女は慣れているでしょうけど……。私はそうじゃないんです……。それに下手に足を下ろしたせいで地面を揺らしてしまって……、それで誰かが転んだらどうするんですか」

「……じゃあ魔法を使って行けばいいじゃない」

「ディオガ王の許可なく魔法を使うことは禁じられていますので……」

「ああもうっ。そんなことボクは知らないもん!」


 エックスはワールドを羽交い絞めにした。


「ちょ、ちょっとエックス」


 ワールドはディオガとかいう王さまのいうことを聞かないといけないのかもしれない。どうしてそういうことになったのかは釈然としないがとにかくそういうことなのだろう。

 しかしエックスはそうではない。顔も知らない王さまのことなんか気にしない。ワールドをぎゅっと抱きしめて、そのままの状態で風の魔法を身に纏い、空へと浮かび上がる。


「っていうか案内なんかされなくても大体分かるよ。あの大きい建物がお城だろ」

「……まあ。そうですけど」


 空を飛んで行けば城まではすぐだ。足元を気にする必要だってない。到着まで五分もかからない。


「……ねえエックス」


 その道中で、ふと思い出したかのようにワールドが口を開いた。


「なあに?」

「今までごめんなさい。貴女が正しかったわ。今なら私にも分かります。人間と一緒に生きていけるなら、その方がずっと素敵なのですね」

「……ワールド」


 今の彼女は、やはり正常ではないのだろう。彼女はこんなことを言うような魔女ではないのだ。だからきっと何かがあって、どこかがおかしくなっている。


「……別に。気にしてないよ」


 ただそうだと分かっていても、ワールドのその言葉は、エックスには少しだけ嬉しいものだった。


--------------〇--------------


「……こんなところに本当に人間が住んでるの?」

「もちろんですとも」


 着いたお城は魔女のサイズで見ても巨大である。魔女が住む城下町を囲う城壁ほどではないが、それでも天を衝くほどに大きい白いお城だ。


「ここにも魔女が住んでるんです。だからこれくらい大きくないといけないんですよ」

「ふうん。なるほどね。言われてみれば門番も魔女だね」


 エックスの視線の先では鎧を着こんだ魔女が二人、にこりと微笑みながら見張りをしている。見た目も中身もあまり強そうではない。その気になれば公平でもやっつけられそうだなとぼんやり思う。


「待っていてください。私が門番にお話をしてきますので」


 ワールドは門番の元へと向かって行った。置いていかれたエックスは手持ち無沙汰になって、右のポケットに手を入れると、中に隠している公平のことをつんつんと突っついてみたり、ころころ転がしてみたりして暇をつぶした。

 やめろーと声が聞こえてくるが、聞こえないふりをして更に続ける。指先で受ける微かな抵抗を楽しんでいると時間はあっという間に過ぎていった。


「お待たせしました」

「ん?」


 気付けばワールドが戻ってきていた。


「ディオガ王に謁見する許可をいただきましたよ」

「ああ、うん。ありがとう」


 ポケットから手を取り出して、再びワールドの後についていく。城門の奥は魔女の彼女から見ても広い空間であった。正面と左右には通路があって、武器を持った魔女やメイド服を着た魔女たちが、あっちへこっちへと忙しく歩きまわっている。床に目を落とすが人間の姿は見当たらない。この城には王さま以外の人間は住んでいないのかもなとエックスは予想してみる。

 高い天井にはきらきら輝くシャンデリアが吊り下げられていた。壁には風景画や女性の人物画が飾られている。全て魔女の大きさのビッグサイズだ。

 真っ直ぐ歩いていくと階段があった。


「ディオガ王はこの先です」


 ワールドは階段を登り始めた。階段の左右には女性の石像がどんと置かれていえう。先ほど見かけた絵画と同じ人物である気がする。何か意味でもあるのかなと思いながらワールドの後ろをついていく。

 階段を登り切った先にあったのは大きな扉だった。とても人間の力では開けられそうにない、魔女の背丈以上もある大きな扉である。


「この奥にディオガ王がいらっしゃいます」

「本当にいるの?こんなお城人間が住むには不便なだけだと思うけどなあ」

「王は自分よりも城に住む魔女のことを考えておいでですので」


 そう言いながらワールドは音を立てないようにとゆっくり扉を押した。

 「王さまね」、とエックスは呟く。どうしても『影楼の連鎖』で出会ったリオンを思い出しまう。

 エックスとしてはリオンはあまり好ましい人物ではなかった。偉そうで自分勝手で部下には必要以上に厳しく接する。初めて出会った王がそんな調子だったせいか、『王さま』という立場の人間にちょっとだけ苦手意識があった。


「ディオガって王さまはどんな人なんだろう」

「会えば分かりますよ。とても素晴らしい人物です」


 完全に開かれた扉の奥。ワールドは先に中へと入っていった。エックスも後に続こうと一歩部屋の中へ足を踏み入れる。その瞬間、奥から大きな声が聞こえてきた。


「よく来たな、ワールドよ!話は聞いているぞ!そこの魔女がお前の同郷のものか?」

「はい。エックスという魔女です」


 そう言ってワールドはエックスに道を譲った。ここから先は一人で行けということかな、とエックスは勝手に理解をして先に進んで行く。後ろで聞こえてくる足音が遠ざかっていく。扉が開く音がして、そして閉まった。ワールドが自分を置いて出て行ってしまったのである。薄情なと思いながら部屋の奥に目を向ける。

 そこには一人の魔女が居た。石像みたいな魔女だった。目は閉じられていて、ぴくりとも動かない。陶器のように白い肌が石造の印象を一層強くする。彼女の手はお椀の形にして胸元に配置されていた。その上には人が一人座っている。


(アレがディオガ王?)


 そんなことを思いながら、その姿をよく見てみる。見た目は若々しい。二十代前半くらいに見える。端整な顔立ちは自信たっぷりに微笑んでいた。人間の範疇ではだが、背は高そうである。スマートな体型。髪は短めの茶髪。そしてその目は碧色に輝いていて──。


「うぐっ!?」


 突然くらっと来た。瞳の輝きを認識した瞬間に眩暈がしたのだ。思わず膝をついてしまう。頭が割れるように痛い。


「なんだ……。今の?」

「む?……ふっ。なるほど。異世界の魔女というのは厄介だな。まさか新たな例外が現れるとは」


 ディオガの言っていることは意味不明である。だがエックスは意味が分からないままに顔を上げた。


「どういう、ことかな……?」

「ふんっ。まあいい。どうせすぐに知ることだ。それに分かったところでどうしようもない。教えておいてやる」


 ディオガは自身の碧色の瞳を指差した。


「これは魅了の魔眼である。魔女を虜にする眼だ。貴様はこの力の影響を受けているのだ」

「ま、がん……?」


 そう言われてようやく魔力探知を行った。ディオガの両面の内部には膨大な魔力と強力な魔法が籠められていた。見ただけで相手に影響を及ぼす大魔法である。


「魅了。魅了の魔眼だって……?」


 まさか、とエックスは呟く。ワールドの異様な様子は、ディオガの魔眼の影響を受けた結果なのではないか。もしそうだとしたら説明がつく。彼女の心中で千年以上も渦巻いていた人間への敵意を、あの目の力で捻じ伏せてしまったのではないか。

 それに気付いた瞬間、怒りがふつふつと湧いてきた。ワールドが持つ人間への敵意は決していいものではない。無くなるのなら無くなってしまった方がいいのかもしれない。だがそれは魔法で無理やり消していいものでもないはずだ。


「心を無理やり操って好き勝手するなんて、許せない……!」

「ほう。勇ましいな。それで?貴様はどうする?」

「……っ。頭は痛いけど、でもそれだけだ。ボクの心を操るまでには至ってない!」

「そうだな」

「だったら、この場でお前をやっつける!力づくでお前の力を解除させてやる!」


 そう言ってエックスは大きく手を挙げた。


「『裁きの剣』!」


 バチバチと音を立てながら魔法の剣が発現する。ディオガは余裕そうな表情でにやりと笑った。彼を手にしている魔女は相変わらず止まったままだ。護衛の魔女かと思ったが、動こうとする様子はない。それならそれで、都合がいい。


「はあっ!」


 腕を大きく振り下ろす。剣がディオガ目がけて放たれた。刃の幅だけでも数メートルはある巨大な剣。それはディオガのすぐ目の前でぴたりと静止して、そのまま溶けるように消滅していった。

 エックスは大きく目を見開いて愕然とした。我が目を疑う光景である。当然だがディオガを殺すつもりは全くなかった。だがそれでも確実に命中させるつもりで撃った攻撃である。それが途中で消えてしまった。まるで『裁きの剣』がディオガを傷つけることを拒んだかのようである。


「な、なんだこれ……」


 ディオガは相変わらずの笑顔で自分を見つめていた。エックスは焦りながらも、もう一度手を挙げる。


「『裁きの剣』!」


 再度呪文を唱える。けれども部屋の中がしんとした静寂に包まれるばかりである。エックスの頬を冷や汗が流れ落ちた。今度は当たる当たらないの話でさえない。魔法さえも発動しなかったのだ。


「な、なんでこんな……」

「簡単な話よ。確かに俺の目は貴様の心を奪うことは出来なかった。だが、貴様の力に制限をかける程度のことは出来たというわけだ」

「そんな……」

「あとは頼むぞ、シグレ」


 ディオガを手にした魔女がぱちっと目を開けた。そうして淡々とした口調で『はい』と答える。それから左手を顔のすぐ横まで上げて、ぱちんと指を鳴らした。その瞬間エックスの足元に空間の裂け目が開く。本来ならば魔法で幾らでも対処できる。しかし今は魔法が使えない状態だった。よって──。


「うわあああっ!?」


 エックスの身体は重力に従って、足元に開いた空間の裂け目へと落ちていくのだった。

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