勝利の魔女のお引越し計画
「うーん。やりすぎちゃったかなあ」
目をぱちぱち。頬を掻きながら指先を見つめる。正確には指先に足を摘ままれている公平を見つめていた。
指を軽く左右に揺らしてみる。その動きに合わせるように公平は一切の抵抗なく左右に揺れた。
その身体は力なくだらんとしていた。既に意識は無い。傷は治してある。生命活動に支障はない状態になってるはずだ。だがそれはそれとして苦しい特訓の果てに精魂尽きたといった感じである。
「仕方ない。今日はこれくらいにして、あとは明日にしようか」
当然返事はなかった。ちょっとだけ公平の身体を心配しつつ部屋に戻るための空間の裂け目を開く。同時に裂け目の向こう側でとある魔女の気配を感じた。
「ん?なんだろう、向こうから会いにくるなんて珍しいな」
独り言を言いながら裂け目を通り抜けていく。部屋に戻ると金髪ツインテールの可憐な魔女が勝手に机に座って待っていた。エックスの姿を認めると『やっほ』と軽く手を挙げてきた。
「どうしたのさ、ヴィクトリー」
「んーまあ、大した話じゃないんだけどさ」
『そうなの?』と言って、エックスは公平を机の上に寝かせてやる。
「ちょっと待っててね。お茶の用意をするからさ」
台所へと歩いていって、杉山さんから貰ったちょっといい紅茶を淹れることにする。貰ったはいいものの中々飲むに飲めなかった代物だ。別にお客さんが来るわけでもないので好きな時に好きなだけ飲めばいいのだけれど、それは杉山さんに失礼なんじゃないかと思ってしまい手が出せなかったのだ。せっかく良いものを貰ったのだから、相応しいタイミングで飲むべきではないのかと。
エックスが台所でお湯を沸かしている間、ヴィクトリーは机の上に寝ている公平を指先でつんつん突っついたり、ころころ転がしたりした。ううんと唸りながらうなされている様子が可笑しく、微笑ましい。
「相当疲れているみたいね、彼。全然起きないじゃないの」
「もう……。あんまり公平にイジワルしないで!」
「アンタほどのことはしてないと思うけど」
「どういう意味さ。はい、どうぞ」
「はい、ありがとう」
ヴィクトリーが一口飲んだのを見て、エックスもティーカップに口を付ける。
「どう?ちょっといいヤツらしいけど」
「いい香りね」
「そうだね。味は?」
「味は……よく分からないわ」
「ボクも」
そう言って二人は笑い合った。千年前に殺し合った間柄。今、こうして和やかにお茶が出来るのは奇跡のようである。
「それで?今日はどうしたの?」
「んー。まあさっき言った通り、大した話じゃあないのよ」
「うん」
「ちょっと、引っ越しをしようと思って」
「へえ」
引っ越しの手伝いでも頼むつもりだろうか。それくらいなら魔法でちょちょいのちょいだ。ただヴィクトリー一人でもそれくらいは出来るはずである。それに手伝いなら魔女の世界に幾らでも協力してくれそうな相手がいるはずだ。彼女はエックスと違って魔女に対する人望はあるのだから。
「魔女の世界を離れようと思うのよね。人間世界で暮らしたいなって」
「……ん?」
予想外の発言である。ヴィクトリーはティーカップに目を落として続けた。
「前から考えてたんだよねー。リアとリゼのためにもさ。やっぱ同年代の子に近い環境で暮らすのが良いんじゃないかなーって。美緒は元々教師だったから色々教えてくれているけどねえ……。やっぱりそれだけじゃあ教育的によくないと思うのよ」
「お、おいおい。だからって人間世界で暮らすなんて……。今はまだ無理だよ。魔女が暮らせる環境じゃないし」
「だからここに来たんじゃない?アンタだったらアタシを人間大の大きさに縮められるでしょ?」
「え、ええっ!?」
出来るか出来ないかで言われれば当然出来る。エックスにはそれくらい簡単に出来る。だがそんなことを頼まれるとは思っていなかった。ヴィクトリーは魔女であることを誇りに思っていたはずだが。
彼女はその名の通り戦いに生き、勝利を求め続けた魔女である。その巨体を容赦なく振るい、かつて魔女の世界に存在していた人間の文明を破壊した者の一人だ。
それが今ではお母さんの顔をしている。子どものためなら魔女の身体なんて捨てて人間サイズで生きるのもやぶさかではないといった雰囲気。人は変われば変わるものである。
「それにミライとも一緒に暮らしたいし?別に魔女の世界を完全に離れるわけじゃないのよ?ただ生活の拠点を人間世界に移すだけで」
「はあ……。いや、いいけど。でもワールド怒るんじゃないかなあ……」
「あはは。まあその時は喧嘩ね。うん、今までで一番の大喧嘩になるかも」
「おっそろしいなあ。魔女の世界が壊れちゃうんじゃないの?」
「かもね」
二人はけらけらと笑い合った。魔女ジョークである。本当に壊せてしまえるので冗談にはなっていないのだが。
「……っていうか。その感じだとワールドはまだキミの考えをしらないわけ?勝手にやっていいの?」
「そこなんだよねー。ナイトやローズ、他の魔女にはもう言ったのよ?でもまだワールドには話せてないんだ。あの子三日くらい前から他所の世界に行ったきり帰ってこなくてさあ」
「え、ワールドが?そんなことある?」
「そ。おかしいよね?」
「だいぶおかしいと思うよ……」
ワールドは魔女の世界の管理役をやっている魔女だ。日々、魔女の世界に於けるルールを制定したり、困っている魔女がいれば助けてやったりしている。そういうことが苦にならず、そういう生き方が好きな性格だった。
そんなワールドが三日も理由も言わずに魔女の世界を離れるなんて。エックスには信じがたい話である。
「そっちの世界で何かあったんじゃないのかな……」
「やっぱりそう思う?流石にアタシも同じ意見。だから明日その世界を見に行こうと思っているの。人間世界への移住はそれが終わって、ワールドにちゃんと話してからの予定」
「……ボクも行こうか?」
ワールドとヴィクトリーはほぼ互角の魔女である。故にワールドが勝てない相手ではヴィクトリーが戦っても勝てない可能性が高い。
今回の件、ワールドの身に何かあったと考えるのが自然だ。そんなところにヴィクトリー一人で行って大丈夫だろうか。エックスは心配だった。
そんな彼女の想いとは裏腹に、ヴィクトリーはふるふると首を横に振って答える。
「気持ちは嬉しいけどね。でもこれは魔女の世界の問題よ。別の場所で生活している今のアナタに助けてもらうのは筋違いだわ」
「でも……」
「大丈夫。アタシだって状況判断くらいできるからさ。危ないと思ったらすぐに帰ってくるわよ。まあ、そうなったら本当に助けてもらうかもね。でも今はまだそのタイミングじゃないわ」
「……分かったよ。でもダメそうだったら言ってね?助けに行くからさ」
「ええ。無いとは思うけど、その時はよろしく。……でさっ。話を戻すんだけど」
「話?……ああ。引っ越しのことか」
「うん」
そんなことよりもワールドが戻ってこないことの方が大事ではないかとエックスは思う。しかしヴィクトリーはあまり心配してはいない様子だった。彼女はそれだけワールドの力を信じているのである。
「アタシね、ワールドに話したらすぐに向こうに行くつもりなの。それで今のうちに予行練習をしておきたいんだ。それで悪いんだけど、アタシのことを人間サイズに縮めてくれない?」
手を合わせて『お願いっ』と頼んでくる。それを断る理由はエックスにはないので。
「んーいいよ。それじゃあちょっと立ってもらえる?」
「オッケー」
すっとヴィクトリーは立ち上がった。エックスはそんな彼女をぎゅっと抱きしめる。彼女の大きな胸がエックスに押し当てられた。その柔らかさを自分のものとを比較すると、なんだかちょっとだけ悔しくなる。
「うわっ。なにっ?いきなり」
「この方が都合がいいの。大人しくして手」
「そ、そう?」
納得したのかしていないのか不明だがとにかくヴィクトリーは黙った。なので希望通りの魔法をかけてやることにする。彼女の身体が仄かに輝く。かと思うと、ゆっくりと、人間サイズに向かって縮み始めた。
頭一つ分小さくなったかと思うと、そこから数秒で一気に半分くらいの大きさにまで縮む。既にヴィクトリーの足は床に着いていなかった。彼女の身体が微かに強張る。エックスは小さく笑って、縮小を止めてやった。
「なに?恐いの?」
「そ、そんなわけないでしょ」
「そう?まあまだ4分の1だ。まだまだ人間サイズには遠いからね。もうちょっと続けるよ?」
「う、うん」
縮小を再開する。既にヴィクトリーのバストのサイズよりもエックスのそれの方が大きくなっていた。なんだか嬉しいような虚しいような。
小さくなっていく彼女の頭をそっと撫でてみる。ヴィクトリーは顔を上げて抗議するかのような目を向けてきた。
「子供扱いしないでよ」
「子供みたいなもんだよ。今のボクにとってはさ」
だがその子供のようだった時間も一瞬にして終わる。遂に彼女はエックスの手の中に収まる、人形くらいの大きさにまで小さくなってしまった。それでも人間よりずっと大きい。凡そ10mくらいである。裏を返せば彼女はここから更に縮むということである。
「ふふふ。もうちょっとだよヴィクトリー」
「ま、まだ縮むの?人間小さすぎない……。ちょっとエックス。加減を間違えてアタシのことを潰さないでよね」
「潰すわけないだろ。ボクほど人間の扱いに慣れてる魔女はいないんだからさ」
そこから一気にラストスパートである。氷が溶けていくようにヴィクトリーの大きさは少しずつなくなっていった。
そっと胸に押し当てる形になった手を放す。その上ではすっかり人間サイズになったヴィクトリーがちょこんと座っていた。つい数分前までは同じ背丈だった彼女だが、今では小指ほどの大きさもない。
「はい。終わったよ」
「……う。結構大迫力ね」
「ふふっ。大きさ比べでもする?」
「しないわよっ!このイジワル!」
「ごめんごめん」
エックスはくすくす笑いながら小さなヴィクトリーを机の上に降ろしてやった。
「どうする?せっかくだしそのまま人間世界の街でも歩いてみる?」
「い、いいわ。せっかくだけど。今日はもう元の大きさに戻してよ」
「え。もう?」
「だって。想像よりずっと小さいんだもの。こんなんじゃ落ち着かないって」
やれやれと思いながら言われるがままにヴィクトリーを元の大きさに戻してやる。本当はもうちょっと小さくなった彼女をからかってやりたかったのだが、これ以上やると絶縁されそうだったのでこれくらいにしておく。
元の大きさ、100mに戻ったヴィクトリーは安心したかのようにほう、と息を吐いた。彼女の姿を見てエックスはぽつりと尋ねる。
「どうする?引っ越しやめる?」
「や、やめないわよ。……まあ。うん。今のところはやめないつもり」
初めに比べて明らかに勢いが落ちていた。人間サイズの分身に意識を飛ばし、それを動かして疑似的に縮んだことならヴィクトリーにも経験がある。しかし本体である彼女自身の身体が小さくなったのは恐らく初めての経験のはずだ。万が一事故が起こったら二度と元には戻れない緊張感がそこにはある。彼女の決心を揺るがすには十分すぎる出来事だったのかもしれない。ちょっとだけ悪いことをしたなとエックスは思う。
「まあ、ちょっと考えたらいいよ。今すぐ引っ越すってわけじゃないんでしょ?ワールドを探しにいかないとだし、じっくり考えてから答えを聞かせて」
「……そうね。うん。そうする」
そう言ってヴィクトリーは魔女の世界へ続く空間の裂け目を開けた。
「今日はありがとうね、エックス。アタシ明日にはワールドを探しに行くつもりだし、なにがあったのかすぐに報告するわ。引っ越すかどうかは……それからってことで」
「はいはい。ゆっくり考えて。それじゃあね」
「ええ。それじゃあ。紅茶ご馳走様」
ヴィクトリーはにこっと微笑んで手を振りながら裂け目を通って行った。程なくして裂け目は閉じて、部屋の中がシンとする。
「……それにしても、ワールドは一体どうしたのかなあ」
どうしてもヴィクトリーのことよりもこちらの方が気になるエックスであった。
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それから二日経ち、三日経ち、四日が経った。ヴィクトリーからの報告は未だにない。きっと彼女の身に何かがあったのだ。そう判断したエックスは、二人の魔女が戻ってこなかったという件の世界へと向かうのであった。




