エックス、小学生に仕返しをする。
『影楼の連鎖』から帰ってきて十日後。エックスは鼻唄を歌いながらホットケーキを焼いている。『影楼』での出来事に暫く落ち込んでいた彼女であったが、一週間もすぎると徐々に元気を取り戻していった。公平はそんな彼女の上機嫌な姿を眺めている。
「よかったよ。エックスが元気になって」
「ふふ。いつまでも、クヨクヨしても仕方ないからね」
『よおし、出来たぞ』と。エックスは焼きあがったホットケーキを皿に移す。バターをのせてはちみつをかけて完成だ。公平を摘まみあげてリビングに戻っていく。
テーブルの上に彼を降ろし、その目の前に皿を置いた。公平の目の前に鎮座する巨大ホットケーキ。圧倒される迫力である。
エックスは椅子に腰かけた。公平は彼女とホットケーキとの間に挟まれる格好になる。
「ふふふ。なかなか良い感じ。いい匂い」
「うーん。匂いは分かるけど……」
公平からでは見た目の良し悪しがよく分からなかった。彼の背丈ではホットケーキの側面しか見えない。エックスは小さく笑い、再び公平を摘まみあげて肩に載せてやる。
「どう?」
見えるのは綺麗な丸型をしたオーソドックスな見た目のホットケーキである。焼き色がほどよく付いている。バターがとろりと溶けていて、確かに美味しそうな見た目だった。
「おお……。本当にいい感じだ」
「でしょ?ふふん。初めて焼いたにしてはなかなか上出来じゃない?」
フォークとナイフでホットケーキを切り分ける。フォークに突き刺さったそのひと切れを肩の上にいる公平に近付ける。『はいどおぞ』というので、公平は遠慮なく目の前に突き付けられた巨大なそれを齧る。一欠片のうちの1%弱が削れた。公平の一口ではそれだけ食べるのがやっとである。
「……あ。うまっ」
「ほんと?じゃあボクも……」
言うと彼女は一口で残りの99%を食べてしまった。もくもくとホットケーキを咀嚼し、噛み砕いていく。
「あっ。ほんと。美味しいじゃん!」
口元を抑えて目を輝かせて言う。公平は肩の上から彼女を見上げていた。もしもあの咀嚼に巻き込まれたらただでは済まないのだろうなと、何となく考える。人間の身体なんてあのホットケーキよりもずっと弱い。彼女の歯と歯に一息に噛み砕かれて、痛みを感じる前に死んでしまうだろう。
「どうしよ。ボクってば天才じゃない!?」
エックスは無邪気にはしゃぎながらホットケーキを食べて、時々公平にも差し出す。
「ところでどうして急にホットケーキを?」
もぐもぐと口に含んだホットケーキを咀嚼しながらエックスに尋ねる。
「んー。別に。なーんか食べたくなったから。こういう普段やらないことをボクがするときはそういう気分になったからだっていうのはいつものことだろう?」
エックスは何やら得意げな顔で言っている。
「要するに気まぐれなだけじゃないか」
「ふふん。魔女は子猫よりも気まぐれな生き物なのさ」
それはそれでどうなんだろう。公平は疑問に思いながら、再びエックスに差し出されたホットケーキを一口食べる。
「あとは……。ちょっとイヤなこと思い出したからかな。甘いものを食べて忘れたくなったんだ」
「え。なにかあったの?」
「ほら……前に言ったでしょ。ちっちゃい子に怪獣だとか言われたって話」
「ああ……」
その話ならエックスから聞いている。その日ずっと落ち込んでいたエックスだったが、翌日目が覚めると様子が変わった。今度アイツ等見つけたらとっちめてやると息巻いていた。悲しみとか辛いという感情よりも怒りが勝ったらしい。小学生という若さでエックスの怒りを買ったという彼らには若干同情する公平だった。
「それに。明日は決闘だからね!しっかりエネルギー補給しないと!」
「決闘?」
「うん。ほらこれ」
ポケットから取り出したのは相対的に小さな、人間サイズの茶封筒。中を広げてみると汚い字で何か書かれている。
「『公園で待ってる』?なにこれ」
「昨日、スーパー小枝で例の小学生のお母さんが渡してくれたんだ」
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昨日のこと。エックスはスーパー小枝でサバを見比べていた。塩焼きが食べたかった。どうせなら美味しい塩焼きがいい。けれども魚の鮮度の違いが見た目では分からない。何となくキラキラしているものを選べばいいのだろうかと悩んでいたところ。
「あのお」
後ろから声をかけられた。見知らぬ声。エックスは少し驚いて振り返る。
「は、はい?」
「あの。エックス……さんですよね」
「……はい」
30代前半くらいに見える女性。落ち着いたブラウンカラーの服を着ている。髪は茶髪。目が小さくて背は低い。気の弱そうな雰囲気を感じた。取り敢えず知らない人物である。
「ごめんなさい。急に声をかけたりして。うちの子がお世話になっているみたいで」
「……はい?」
さっきから『はい』しか言っていないな、なんてエックスは思った。だがそう言うしかない。彼女のこともそうだが発言にも全く心当たりがないのだから。
エックスの怪訝な表情に、彼女は何ごとかに気付く。
「あ、ごめんなさい。三人で遊んでいるって言ってたし、誰の母親か分からないですよね。勝久の母です。勝久」
「カツヒサ……」
「はい。あ、これ。勝久が渡してほしいって言ってて」
女性は鞄のなかから茶封筒を取り出した。エックスはもやもやした気持ちのまま、それを受け取った。
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「多分リーダー格の『かっちゃん』だろうね。お母さんはラブレターかしら、なんて笑っていたけど、これは絶対に果たし状だ」
「……いくの?」
「いく。潰す」
淡々とエックスは言う。比喩表現だろうが『潰す』は洒落になっていない。その気になれば人間を物理的に踏み潰すことの出来る彼女が使っていい表現ではない。
心配そうにしている公平を見て、エックスは慌てて訂正する。
「じょ、冗談だって。公平までボクのこと怪獣だと思ってるんじゃないだろうね」
「冗談?冗談なの?」
あんまり深刻な表情だったので本気だと思ってしまった。エックスは呆れ顔でホットケーキを一口食べる。
「そ。だって、待っていたら可哀想じゃないか」
「ああ……。まあそうね」
エックスの言う通りだ。待ち合わせをした相手が現れなかったら悲しい。きっと裏切られた気分になる。春が近付いてきたとはいえ外はまだ外は寒い。その冷たい風は約束を反故にされたもの悲しさを一層強くするだろう。
そこまで考えて、あれ?と公平は思った。なにか悪い予感めいたものを感じた。
「俺も行っていい?」
「えー。いいけど別に面白くないよ。小学生と会って、適度に遊んでやって、終わりだし」
「うん、まあ。一応ね。一応」
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約束の時間は午後三時。現在時刻午後四時。既に一時間が経過している。
「やってくれた……」
エックスはブランコに腰かけて頭を抱えた。自分の甘さを痛感している。あの小学生たちを小学生だからと言って侮っていた。敵はとても性質の悪い連中だ。
隣のブランコで公平が苦笑いした。なるほどなと納得する。嫌な予感はこういうことだったらしい。呼び出しておいて無視する。実際にされてみて再認識した。これは相手の心を傷つけるにはかなり効果的なやり方だ。
「まさか……。来ないとは、ね」
「ホントだよ……。公平がいなかったきっとボク泣いてたと思う」
エックスは悔しそうに唇を噛んだ。その言葉は心なしか少し震えていた。彼女の言葉に公平は共感する。同じ状況だったらきっと自分も泣いている。
「まあ、もう待っても来ないだろうし。来ても笑われるだけだし。帰る?」
「……公平。ボクは決めたよ」
「え?なにを」
「こういうことするヤツにはきっちり仕返ししてやらないと、ってさ」
この発言は昨日家で聞いたものとは違って冗談ではないな。公平は思った。
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杉山勝久は市内にある某集合住宅の四階にある部屋で生活している。先日、彼は仲間と作戦をたててエックスを騙してやった。呼び出しておきながら待ち合わせに現れないという作戦。きっと彼女は待ちぼうけ。その姿を思い出すと笑みが零れる。春休み明けにクラスメートに自慢するネタが出来た。
彼はこの日の午前中、友人である『タク』と『カチク』と一緒に公園でサッカーをやっていた。午後からは『タク』の家でゲームをする約束をしている。今はお昼ご飯を食べるために一時解散したところだ。
「ただいまー!母ちゃん今日のお昼……」
と、帰宅した勝久は、玄関に見知らぬ靴があるのに気付いた。お客さんが来るなんて聞いていないけどな。首を傾げながら白い玄関扉を彼なりに気を遣って静かに閉める。
「わあ。すごいっ。本当にホットケーキ焼くの上手なんですね!」
「そうでしょう?実は一昨日初めて焼いたんですけど。せっかくだから『かっちゃん』にも食べてほしくって」
声が聞こえてくるキッチンの扉を開けて、勝久は絶句した。
「な、な、な」
「ああ、おかえり勝久。ほらお姉さんに挨拶しなさい」
「や。おかえり、『かっちゃん』」
怪獣だったり忍者だったりする女──エックスがわざとらしくにっこりと微笑んでいた。
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「おーい。待ちなよ『かっちゃん』。ホットケーキもお昼ご飯も食べないのー?」
「いい!コンビニ行くし!」
「待ってよお」
「付いてくんな!」
勝久は早足で家から離れていく。コンビニでも『タク』の家でもいい。とにかくあの女のいないところに行きたかった。だというのに彼女は後を付いてくる。元より背が彼女の方が大きいので、振り切ることが出来ない。
下を向いて無意識に早足になる。エックスの足音は変わらず付いてくる。イライラした。そんな昨日のことがむかついたのか。だからって家まで来ることはないだろうに。大人げない。
「おうい。『かっちゃん』ったらあ」
その『かっちゃん』ってのもやめろよ。それは俺たち仲間同士の呼び方なのに。
「うるせえなあ!怪獣女!そんなに昨日の……」
と、振り返る。目の前にエックスの姿はなく、代わりに高く聳える『なにか』が見えた。なんだろう、と勝久は顔を上げる。そして、言葉を失った。
「昨日のこと?勿論怒っているさ」
空高くにエックスの顔がある。目の前にある『なにか』は脚であり、それは当然遥か上空で彼女と繋がっている。一瞬彼女が大きくなったのかと思ったが、周囲を見回せばそうではないことがすぐに分かった。異様に大きなタバコの吸い殻。やたらと高い塀。自分が小さくなったのである。
「あ、あ、あ……」
「キミさ。ボクのこと甘く見てたでしょ。何をしたって自分は子どもだから手荒なことはしないだろうって」
エックスの足が一歩近付く。その衝撃で勝久は一瞬だけ浮かび上がって、落ちた。腰が抜けて立てない。エックスは構わずに足を上げる。勝久の真上に。
「でもね。最近嘘を言われたり騙されたりしててさ。そういうことに対して普段よりも敏感で、とても不愉快なんだよね。だからさ。悪いけど」
ぐんぐんと巨大な靴の裏側が近付いてくる。下手なプレス機よりもよほど重く力強い彼女の足。踏み潰されたらひとたまりもないことは小学生の勝久にも分かった。思わず大きく悲鳴を上げてしまい、精神的に限界が来て、遂に気絶してしまう。
そこでエックスの足がぴたっと止まった。足をどかして勝久を元の大きさに戻してやる。
「……ったくもう。これで少しは懲りなさいよね。あんまり人をバカにするとこういうことになるんだぞ」
と、独り言を言って勝久を彼の家へと送り届ける。『かっちゃん、平気だって言っていたけど、やっぱりご飯を食べてないせいで具合が悪くなったみたいなんです』とか適当なことを言ったらあっさり信じてもらえた。
集合住宅を出て、エックスは思い切り背伸びをした。暖かい日差しが気持ちいい。なんだかとても清々しい。
「あーっ。すっきりしたあ!」
とてもいい笑顔で、エックスは言って、スーパー小枝に寄ってから帰ろうかなと考えながら再び歩き出すのであった。




