未来には終わりしかない。
土を踏む音がした。耳障りの悪い音が心に響く。ああ、悲しい。涙が出てくる。分かっていたことだが、終わりの時が来てしまった。ヒトであれば寄り付かない険しい山の頂上。その際の際。殆ど崖のような終着点。こんなところに逃げ込んでも、見えていた結末は追いかけてくる。
「やあこんにちは。いい景色だねえ。綺麗な紅葉だ。この世界は今秋なんだね」
「いい景色。綺麗。そうかな。あんなものどこがいいんだ?」
背後に迫る女の声。俺はそれに振り返ることなく答えた。山並みを染めるあの紅色は、数分後、俺の返り血で染まる世界を暗示しているようにも見える。
「へえ。言葉が通じるんだ。特級の影楼は人間以上の知性があるってのは本当だったわけか」
「そんなもの。ない方がよかった。他の連中みたいなただの獣だったら、こんなに苦しくなかった」
立ち上がりながら振り返る。緋色の目をした、短い髪型の女。にっこりと微笑んで俺を真っ直ぐに見つめている。彼女の目は鏡のように俺の姿を映していた。
「鷹の頭。鎧を纏った、赤い身体。クロノくんに聞いていた特徴の通りだ。未来を見る目を持つ特級影楼『フューチャー』」
その通りだ。俺には未来が見える。この後どうなるかも知っている。これからすることが無駄だと分かっている。それでも、俺は口を開けた。命乞いだ。
「念のため、聞くぞ。見逃してくれないか。俺はまだ……」
「この辺には町があったらしいね」
思わずぴたりと。俺の言葉が止まる。
「でも。さっき見てきたそこは。町ごと鳥の嘴で抉り取られたみたいな大穴があるだけで。……ああ。そういえばキミの口も嘴だね」
「仕方ないじゃないか」
「仕方ない?なにが?」
俺は。とんと後ろに跳び下がる。そうして俺の身体は落ちていき、次の瞬間山を見下ろすほどにまで大きくなる。俺に終わりを運んできた女をギロっと睨む。
「欠けているんだよ。俺たちは何かが。人でも町でも世界でもなんでもいいから喰わないと。俺たちは耐えられない」
ああそう。女は言った。この行動が無駄なことも、この目は知っている。俺がもう一度封印される未来はどうあがいても覆せない。
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くしゃり。エックスの足は赤い鷹の頭を踏み潰した。足の下の残骸から光が漏れ出てきて、彼女の手に収まる。光は小さなカードに変わる。影楼が倒れ能力を明け渡したのだと理解する。
山肌は影楼の血で真っ赤に染まっていた。美しい紅葉を鮮血が染め上げて、なんだか気味が悪い。足元にはぐしゃぐしゃに踏み荒らされた針葉樹たち。無惨に倒れたその姿は、自然という人間の力では決して太刀打ちできないものを一方的に蹂躙してしまえるエックスの力を証明していた。
「ふう。終わりっと」
影楼と戦うために山より巨大になった身体で大きく背伸びをする。現在おおよそ2km。流石に1級影楼の『クラスター』よりも強かった。
未来を見る能力を持っているだけあってこちらの攻撃は難なく躱してくる。避けられない範囲攻撃で仕留めようにも身体が大きすぎるせいで、まだ無事だった少し離れた町まで傷つけてしまう。
やむなくエックスは少しの間時間を止めることにした。そうして敵が動けないでいるところで足を潰し逃げられないようにする。あとはただの作業である。今の巨大な身体で魔法を使ったらその余波が恐いので素手で格闘する。腕を引きちぎり手刀で胸を貫き、影楼が倒れたところで頭を踏み潰す。残虐ファイトだ。
エックスの戦いは百キロ近く離れた町からでも窺い知ることが出来た。数キロメートルの巨体がぶつかり合うとはそういうことである。
いつ自分たちを喰らいにやってくるのか気が気でなかった特級影楼。その身体を、まるで紙でも引き裂くみたいに破壊していく巨大な女。あの足が動くたびにどれだけの自然が破壊されたのか想像もつかない。影楼の血にまみれたあの女の瞳がこちらを見たらそれだけで殺されそうなくらいに恐ろしい光景だった。
エックスはそんな恐れの感情の入り混じった数千の視線を感じていたが、気にすると戦えなくなるので無視することに決めた。この影楼に勝ってこの世界からさっさと立ち去れば、住人のみんなは安心である。だから早く終わらせよう。そう自分を納得させて。最終的に勝ったには勝ったけれど、その結果として血まみれになった手を見つめていると、なにか大切なものを失くした気がしてならない。
「一体何があんなに悲しかったのやら」
戦っている間、敵の影楼はずっと泣いていた。涙を流している相手を仕留めるのはなんだか後味が悪い。封印されたくないという気持ちは分かるけれども。それを言ったらヤツに食べられた人の方がよっぽど苦しく無念で悲しかったはずだ。何はともあれ、これで特級影楼の内の一体を仕留めたことになる。
「それにしても。面倒だなあ」
ついさっき登ってきた山に腰を落とす。彼女の臀部の下敷きになって、山頂が磨り潰され、標高が若干低くなったのだが、それはエックスのあずかり知らぬ話である。ぶらぶらと退屈そうに足を揺らして、リオンの言っていたことを思い返す。
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エックスが特級影楼を倒した少し前のこと。彼女は吾我や杉本と一緒にリオンの話を聞いていた。
「最初に打ち明けるがの。私の力は封じられたのではない。ルファーの手で、封印していた特級影楼の内一部が開放させられて、あらゆる世界に散らばってしまった……というのが本当の話じゃ。つまりは、事実上私は今神ではないことになる」
吾我は我が耳を疑った。あれだけ強力な威圧をしてきながら、実際には神ですらないなんて。そんなことがあり得るのかと。一方でエックスはなんだか納得がいったような顔をしている。
「そういうことね。どうりで。神さまにしてはなんだか力の規模が小さいと思ったら」
エックスの分析にリオンは苦々し気に鼻を鳴らした。吾我はエックスに小声で尋ねる。
「あ、あれで力の規模が小さいっていうのか。神っていうのは一体どれだけの……」
「んー。まあ……。そうね。今のリオンと戦って勝てない程度の強さの神さまはいるけどさ。ボウシくんとかそれくらいかな?でも今のリオンは影響力が小さい。連鎖全体を見通す目はないと思う。それならただ強いだけで神さまとはいえない」
連鎖の神はその連鎖全てを同時に見ることが出来る、というのが条件であり定義である。それが出来ないリオンは条件を満たしていないことになる。
「そうだ。今の私は厳密には神ではない。だから聖女などに国の主導権を握られたのだ。これが国民に知られれば大変な事態での。かといって私が特級影楼を狩りに行くのも難しい。保持している特級影楼が3体だけではオリジナルの特級影楼を殺すのは至難の業だからの。死ぬ可能性も十分にある。私が死ねば本当にこの連鎖は聖技のものだ。動くに動けない状態だったのだ」
「……ってことはだ。ボクたちが特級影楼を倒して、王さまのところに持って来ればいいってことだね」
リオンはニッカリと笑う。
「話が早いな。『魔法』の女神」
「ボクは神さまじゃ……」
「ああ……、分かった分かった」
うんざりした口調でエックスの主張を遮る。
「とにかくそういうことだ。私は今3体の特級影楼を保持しておる。お前らには、他に4体の特級影楼を封印してほしい。計7体の特級影楼を手に入れれば神の領域に手が届く。そうなった暁には喜んでお前たちに力を貸そうじゃないか」
曰く。7体の特級影楼の力をその身に収めることで神の領域に手が届くらしい。リオンはうまくいけば『聖技』との同盟を解消すると言った。『聖技』への鍵も喜んで渡すとまで言ってくれた。エックスにとっては悪い条件ではない。
「特級影楼は各世界に1体のみ存在する。ルファーに開放させられた影楼のうち一体もこの世界のどこかにおる。頼んだぞ『魔法の連鎖』」
「……うん。分かった。そういうことなら。早速行こうか?」
そう言って吾我と杉本の腕を掴む。
「えっ?」
「お、おい。そんないきなり」
半ば二人を引き摺るような恰好で謁見の間を出て行こうとした、その時である。
「ああ最後に」
「ん?」
リオンが呼び止める。何かしらとエックスは振り返ってみる。
「そうそう特級影楼を1人で2体保持しないように。私以外の者が持つと爆発して死ぬぞ。私のように同時に3体以上持っていれば問題はないがの」
吾我も杉本も青ざめた表情で茫然としている。この王さまは今、にこにこ顔でとんでもないことを口走らなかったか。全くもって意味が分からない。
「そういうことね。疑い深いなあ」
ただエックスにだけはリオンの意味が分かった。
彼は3体しか特級影楼を保持していない。万が一それに並ばれたらやがては神の座を失いかねない。それを防止するために世界のルールを書き換えたのだ。恐らくこのルールの影響は自分と同等の相手には使えない。だから同時に3体の力を手に入れれば爆死しないで済む。そういうことだろう。
「まあ。その辺は大丈夫だと思うよ。それじゃあねー!大船に乗ったつもりで待ってなさーい!」
エックスは元気に手を振りながら、改めて謁見の間を出て行く。




