完全球体。
「力を示す、とは。たいそうな自信だの、少年」
「いや別に。恐くて恐くて仕方ないですよ」
微笑みながら言うリオンに対して、杉本は落ち着いた様子で飄々とした態度を見せる。それ自体が自信の表れではないかとエックスは苦笑した。
「さあ王さま。そちらの最大戦力をお出しください?こちらはこの杉本優くんがお相手しますので」
せっかくだから乗ってやる。無駄に丁寧な言葉遣いをして相手の感情を揺さぶってやれ。そうして怒らせてやる。相手は尊大な王。怒らせてやればこっちの提案に乗ってくるはず。
リオンの表情は変わらない。だが瞳は笑っていない。
「うん。よろしい。確かにこちらも少しばかり一方的だったの。アルトロイド。相手をしておやり」
「はっ」
杉本の元に一つの影が近寄ってくる。その男の声はどこかしわがれていた。近付いてくるにつれてその姿が分かる。身の丈2mほどの大男。小柄な杉本と並ぶと本当に大人と子供ほどの体格差である。実際大人と子供ではあるのだが。
「1級影楼士・アルトロイド。お前の名は」
「杉本……優です」
杉本はごくりと唾を飲み込んだ。見下ろしてくる大男を観察する。見た目はリオンよりは若いが、それでも皺の入った顔。
獣のような瞳が睨んでいる。雰囲気が重い。先ほどのリオンの放ったほどのものではないが、強いプレッシャーが杉本を押しつぶしていた。それを押し返すかのように、深く息を吐きだすと、怯まずに口を開く。
「……またおじいさんですか。このお城老人ホームですか?」
「小僧。口の利き方には気を付けた方がいいぞ」
「これは失礼」
「本当に失礼なヤツだな」、と公平が言った。自分のすぐ目の前でとんでもないことを言っている中学生。しかも相手はヤクザみたな人相のデカくて筋骨隆々のおじいさん。これは公平の直感だがこのアルトロイドとかいう男間違いなく人の一人や二人殺している。軍人なのだから当然と言えば当然なのかもしれないが。仮に強がりだったとしてもこんな相手をよくぞ煽れたものだ。一周して尊敬する。
杉本と会話した記憶は今の公平にもあった。だがその時は初対面の相手にこんな滅茶苦茶なことを言う男ではなかったと思う。多感な時期だからなにかよくないものに目覚めてしまったのだろうか。
「吾我さん?アイツあんなヤツでしたっけ?」
「いや、あれは多分。お前の影響だろ」
「……え?俺あんなでした?」
「勝つためならどんなことでもするやつだろ、お前は。相手を怒らせて冷静な判断力を奪うとか。やりそうなもんだ」
「や、やったかな……そんなこと……」
公平は心配になってきた。魔法を使って戦っていた瞬間の記憶はまだ取り戻していない。その時どんなことを自分はやっていたのだろうか、と。
杉本はアルトロイドから目を離してリオンを見つめて尋ねる。
「それで。王さま。どこで戦いをするんです?このお部屋もその気になれば戦えるくらいに広いですけど、流石にここでドンパチは──」
その瞬間。台風のような風圧と共に杉本の身体が公平と吾我の間を通り抜けた。エックスはその姿を涼しい目で追いかけて「ふうん」と呟く。リオンがにやりと笑った。
「無礼者。許可なくリオン様に話しかけるな。そもそも、お前が戦うための場所など誰が用意するか。立場を弁えろ。──まあ。死んでいなければだが」
アルトロイドは拳を突き出して言った。その一撃で杉本を殴り飛ばしたのだと、公平は理解した。
「き、汚え……。不意打ちなんて……」
「いや不意打ちはお前の得意技だろ……」
「俺一体どんなヤツだったんですか!?っていうかアイツ大丈夫……」
「大丈夫に決まってるだろ」
えっ、と公平は振り返る。杉本は「びっくりしたー」などと言いながら身体を起こしている。見たところどこにも怪我をしてはいないようだ。
「不意打ち大好き人間が身内にいるからな。アイツだって咄嗟に防御ができるようになってるさ。それより離れよう。こんなとこに突っ立ってたらアイツの邪魔になる」
吾我に促されるままに公平は部屋の端へ。エックスはその後ろをついていきながら杉本に「頑張ってー!」と応援する。
「さて」
杉本は頬をぱんぱんと叩いて、その場で軽く跳躍した。そして手を大きく動かして柔道の構えをとる。
「やりますか」
「素人め」
言うと同時にアルトロイドの姿が目の前から消える。猛スピードで杉本の背後に回り込み殴り掛かる。
「ふっ!」
「っ!?」
しかし、今回は杉本の方が一枚上手だった。視力を魔力で強化。動体視力を高めることでアルトロイドの動きを完全に追いかけていた杉本。背後から忍び寄り後頭部を殴ろうとする拳を首だけ動かして躱す。そのままがしっと敵の腕を掴み、思い切り投げ飛ばした。
「くっ……!」
「いっぽーん。これが柔道の試合ならもう俺の勝ちですね」
「この……!」
アルトロイドが手のひらを杉本に向ける。咄嗟に後ろに跳び下がると、一瞬遅れて高速の火球が放たれた。炎は謁見の間の天井を燃やす。
「……アレが『影楼』か。流石にさっきので負けを認めてはくれないっすよね」
「逃がすか!」
アルトロイドは立ち上がり、再び手のひらを杉本に向ける。返すように杉本も手を挙げた。
「はあっ!」
「『バララ・ギ・ヒュラゴルト』!」
ウィッチ流の魔法。突き出された杉本の手のすぐ前に魔法陣が浮かび上がり、回転しながら氷のつぶてを連続で放つ。それはさながらマシンガンのように。威力はアルトロイドの炎と互角。だが連射性能が違う。炎と氷という相性の差を無視して、突き抜けていく。相手の巨腕に氷が掠り、だらっと血が流れて、かと思うと瞬間的に凍り付く。
「ちっ」
アルトロイドは舌打ちすると思い切り跳びあがった。そうして天井に、『影楼』の力か鍛え上げた筋肉の力かは不明だが、張り付く。杉本は一瞬絶句したが、構わずに氷のマシンガンを敵に向ける。
「喰らえ!」
と、叫んだ瞬間に。杉本の身体が宙に浮かんだ。
「えっ!?」
「そこだ!」
「あっ、しまっ」
アルトロイドは思い切り天井を蹴った。その勢いのままに杉本の腹部を殴りつけ、そのまま床に叩きつける。
「がっ……!?くっ!」
敵の腹を蹴り飛ばす。げほげほとせき込んで逆流した胃液を吐き出す。口元を拭い、息を切らしながら起き上がった。
「よく分かったよ小僧。お前の実力が。一つ一つの攻撃の威力は優秀だ。しかし、その程度ならせいぜい2級影楼士レベルだな。肝心なものが欠けている」
「肝心なもの……?」
「つまりはこういうことだ。『ボール』」
アルトロイドはなにかをした。だがその変化が杉本には分からない。見た目には変わっていないように見える。分からないのなら、やることは変わらない。
「『バララ・ギ・ヒュラゴルト』!」
もう一度氷のマシンガンを放つ。が、先ほどまでと違い、アルトロイドは少しも動こうとしない。反撃の為に手をあげることさえしない。余裕の表情で笑っているばかりだ。果たして、氷のつぶては敵に着弾──しなかった。代わりに彼から少し離れた位置の床や天井に命中し、着弾点を凍結させる。
「なにっ!?」
まるで何かに弾かれたような挙動である。
「こういうことだ、小僧。氷や炎。そういう攻撃なら2級でこと足りるのだ。必要なものはこういった、特別な力だ」
「ああ、そうですか!」
この距離からでは見えないなにかが起こっているのだろうか。杉本は意を決して接近戦を挑む。できればあの敵の間合いには入りたくはない。しかしその力を見極めるためにはやむを得ない。
「莫迦め!」
アルトロイドはニイッと笑って駆けだしてきた。一歩前へ。一歩前へ。更にもう一歩。前に進む度に死地へと近付いていく。だが、それでも敵が何をやっているのか杉本の目には全く見えなかった。
「く……!」
間合いに入った瞬間にやぶれかぶれと言った感じで殴り掛かる。だがしかし。杉本の拳はアルトロイドには届かなかった。そこから1メートルほど離れた地点で何かに阻まれて、弾かれてしまう。さき程突然に浮かび上がったのと同じ感覚だった。
「壁か……!」
目には見えない壁が、そこにある。
「分かったところでもう遅い!」
スッと。アルトロイドは手を挙げる。そこから炎が放たれて、杉本の腹部に着弾する。
「つ……!」
吹き飛ばされながら。歯をぐっと噛み締めて。
「『ギラマ・ジ・ヒュラゴルト』!」
最大級の魔法をアルトロイドにぶつける。杉本の最大火力。冷たく凍える巨大な氷の槍。それは部屋全体の温度を一気に下げて、凍りつかせる。『影楼士』はリオンが、公平と吾我のことはエックスがそれぞれ守る。それがなければ全員氷漬けだ。
「ぬっ!」
アルトロイドが身構えた。この一撃で敵の壁を貫くことが出来なかったら、もはや破壊は不可能。
「壊れろォ!」
ビリビリと空気が震える。ぎゃりぎゃりと激しい音が響く。一秒ごとに床も壁も天井も何もかもが凍り付いていく。やがて、氷の槍はその持てる力を全て出し切って、砕け散った。
炎に吹き飛ばされた杉本は起き上がりながら顔を上げる。
「やったか!?……っ!」
「残念だったなあ。小僧」
アルトロイドは健在であった。その身体は少しも凍り付いてはいない。彼の周りはそもそも氷の影響を受けていなかった。その証拠として彼の足を中心にして凍り付いていない円形の領域がはっきりと分かる。
「……」
「さあ。降参するなら今の内だぞ小僧。お前の攻撃はもう私には──」
「完全図形」
「っ!」
「1級影楼にそんな力があるって。そういえば聞いていました。貴方の『影楼』はボールでしたよね。完全な球体を操るのが貴方の能力ですか」
「……なんだ小僧。貴様一体」
「完全な球体はあらゆる図形と面積0で接する、んだったかな。あとで公平サンに聞いてみよう。面積0で触れているなら圧力が無限大のはずですよね。でも別に壊れたりはしなかった。その球体はそもそも触れていなかったということにするのかな。だから、触れようとすると弾かれる?」
「……ああそうだ。私の『影楼』はボール。完全球体を作る能力。この球体は完全であるがゆえに壊れない。少しでも欠ければその完全性が揺らぐからな」
「……『メダヒード』!」
杉本は炎の魔法を撃った。完全な球はそれを弾いて、天井に着弾する。天井が燃えて光が差し、影が出来た。
「分かったところで無駄だ。もうお前に勝ち目はない」
「それはどうですかね。攻略の目途は立ちましたけど」
「なに?」
「『ハリツケライト』」
「……なにをしても無駄だ!もう一撃炎を──」
アルトロイドが右腕を上げる。攻撃を用意をしながら、彼は杉本の様子に不安を感じていた。本当に逆転の可能性を見出したというのか。そもそもこの男はさっきからほぼ致命的ともいえるダメージを幾度となく受けている。なぜ倒れないのか分からない。不安が一層大きくなる。それを振り払うように頭を振り炎を放つ。
杉本は無言で『ハリツケライト』を投げた。光の杭はアルトロイドを守る球ではなくて、彼の腕の影に命中する。それを確認してから放たれた火球を躱す。そうして回り込みながら敵に近付いていく。
「逃がすか!──っ!?」
追いかけようと腕を回そうとして、それが出来ないことに気付く。右腕が全く動かない。まるで磔にでもされたみたいに。
「貴様なにをした!?」
代わりに左腕を上げる。その瞬間に杉本は二本目の杭を投げた。それは左腕の影に突き刺さる。同時にアルトロイドは左腕まで自由を奪われたことに気付く。
杉本は足を止めた。敵の攻撃は直線状にしか動いてこない。そしてその攻撃は全て手を起点に発動する。攻撃の軌道の外側に立てばもう傷を負う恐れはない。顔を上げてアルトロイドを睨み、ゆっくりと歩み寄っていく。
「影か!?この杭は影に刺さっただけで磔にするのか!?」
「わざわざ教えるわけでしょ」
焦る敵のすぐ目の前に立って。冷たく言い放つ。
「だ、だが。こんなものいつまでも続く効果ではない!」
「そうですね。それくらいは言ってもいいかな。いいとこ3分です。残り……1分以上ありますね」
「な、ならば。この円がある限り攻撃は……」
「『ワーグイド』」
杉本は目の前に作った魔法陣に手を突っ込んだ。それは空間と空間を繋げる扉。行先はアルトロイドを守る完全球体の内側。
「──っ!」
伸びた手は。アルトロイドの首を掴む。
「王手」
「くっ……!」
「こんなもの。壊す必要ないんですよ。内に入る手段は幾らでもある」
「き、きさ……!」
「十秒あげます。降参してください。でないと、俺の『ハリツケライト』が貴方の首を貫く」
ちらっと。アルトロイドは玉座を見た。リオンは戦いが始まる前と一切変わらずに微笑んでいる。戦いが始まる前と一切変わらずに鋭い眼差しを向けている。
「く、くく……!」
「4・3・2。……参ったな。降参しないんですか?」
「殺せ……!生き恥を晒すくらいなら……」
杉本は深いため息を吐いて手を離した。代わりにアルトロイドの腹部に手を当てる。
「『ヒュラゴルト』」
氷のつぶてが鍛え上げられた腹筋に撃ち込まれる。アルトロイドはかはっと血を吐いて、そのまま気絶した。完全球体が消えたのを確認すると、杉本は『ハリツケライト』の効果を解いてやる。
「お疲れ様です。流石に強かったですね」
アルトロイドからの答えはないけれど。そう声をかけてやる。




