いざゆかん、『影楼の連鎖』。
『影楼の連鎖』への遠征当日。約束の時間の午前十時の五分前。吾我と杉本は一緒にエックスの部屋へとやってきた。テーブルの上で吾我はエックスを見上げて一瞥し、続けて公平の方を向く。
「準備は出来ているか?」
「え、あ、はい。大丈夫です」
吾我は何か言いたげな顔をして公平を見つめる。彼の敬語はなんだか調子が狂ってしまう。一応エックス以外の人物に関する記憶は取り戻しているはずなのに人間関係が修正されていない。どういうわけだか吾我には分からなかった。
「どーもお久しぶりです。なんだかすみません。色々大変なのにサポートできなくて」
吾我の隣に立つ杉本は人懐っこい笑顔で挨拶してくる。一年前に一緒に戦っていた時は、あまり笑わない男の子だった印象があった。ワールドの元での過酷な日々の記憶が傷になっていたからだ。一年経ってそれが少しでも癒えているのなら、幸いである。
「ごめんね。せっかくの春休みなのに呼び出してさ」
「いいですよ。そんなの。むしろこの一年何の役にも立てなくて、悔しかったくらいです」
「……ありがとう!うん。これで全員揃ったね!」
一人ずつ摘まみあげては強力な防御の働きを持つ魔法の球体で覆う。エックスの目線ではガシャポンのカプセルのようなそれを順番に机の上に並べていく。
「よしっ。おっけい。この中にいれば安全に異連鎖間渡航が出来るからね」
「閉所恐怖症だと気が狂いそうになるんだろうな……」
吾我は魔法のカプセルの壁面をぺたぺた触りながら呟いた。
「吾我クン閉所恐怖症なの?」
「いや別に」
「そっか。それはなにより。これに入るのが一番安心安全だからさ」
『影楼の連鎖』に行く際、エックスは爆発的に大きくなる。物理的に世界や連鎖の大きさを超えてしまうくらいに。その状態で『影楼の連鎖』に近付いていき、小さくなりながら飛び込んでいくのだ。その際に多大な衝撃がかかる。巨大化しているエックスならともかく一緒にいる人間では耐えられないくらいだ。カプセルの中に入っているのが一番いい。
「あ、そうそう一応。公平にはもう言ってあるけど、みんな目を閉じておいた方がいいよ?」
「なんでですか?」
「ああ。それはな。あんまりサイズが違い過ぎて理解が追い付かない光景が飛び込んできて頭がくらくらってするからだよ」
杉本の問いかけに公平が答えた。『心錬』に行った時もエックスは同じ手法で渡航した。そしてその時は目を開けていた。だから、その時の光景を公平は見ている。
エックスのポケットの中が際限なく広がって、やがて果てが見えなくなり、自分が宇宙の中にポツンと置いてけぼりにされたような気分になる。実際それは的外れな感覚ではない。連鎖を渡る際のエックスの最大サイズは宇宙をポケットに入れられるレべルのスケールになるのだから。宇宙的で根源的な不安と恐怖が一瞬だけ思考が乗っ取ってしまうのだ。逆に言えば実害はそれだけなのだけれど、これから戦いになるかもしれないという状況を考えると余計な精神的ダメージは避けるべきであろう。少なくとも公平は外に出て暫くは気分が悪かったし、軽い吐き気もした。
公平の説明に吾我はこくりと頷く。これから見知らぬ世界に飛び込むのだ。避けられる不調は避けた方がいい。
「分かった。兎に角目を閉じていればいいんだろ?……それはそれとして。『影楼』に行く前に確認をしておこう。今回の目的を」
「えーっと」
エックスは口元に指先を軽く当てて考える。目的は大きく二つだ。一つは聖女、イプロス・シロンの支配から『影楼の連鎖』を開放すること。もう一つは『影楼の連鎖』の神さま・リオンから『聖技』への鍵をもらうことである。
『影楼の連鎖』が聖女に支配されているのはルファーによってリオンの力が封じられているため。シロンを追い出して力を取り戻してやり、更にルファーからの干渉を防いでやれば、リオンも快く協力してくれるのではないか。
「ボクのせいで『聖技』に虐められているって言うなら、助けてあげないと。……勿論。後者はついでではあるけど『影楼』に行くなら必ず鍵を回収するさ」
「……うん。了解した。それなら、俺たちの仕事はエックスのサポートになるかな」
必要になるか分からないけど、と吾我は自嘲するように呟いた。エックスはクスっと笑う。
「『心錬』の時の例になるけど。ルファーの分身が襲ってくることもあるからね。そうなったらボクはそっちに専念しないといけないし、みんなにはシロンと戦ってもらわないと」
カプセルを手に取ってポケットに一つずつ入れていきながら言う。
(それに……)
口には出さないが、『影楼』の使い手が襲ってくる可能性だってある。『聖技』に虐げられている連鎖は異連鎖人を敵視している。『心錬』の時のように現地人と戦いになることだって考えられた。その時、出来ればエックスは戦いたくない。人間相手に力を振るうのはあまり気が進まない。悪いとは思うけどそういうことは公平たちに任せたいのだ。
「よっし。それじゃあ行くよ!」
手を挙げて。行先は世界と世界の狭間。そこから身体を大きくしていって連鎖の外まで出る。いざゆかん、と空間の裂け目を開るために腕を振り下ろそうとして──はたと止まる。
「……あ。そうだった。忘れてた」
改めて空間の裂け目を開ける。ただしその行先は最初の目的地とは違っていた。
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「や。クロノくん」
「これはこれは。エックス様」
クロノは身体を起こして病室に現れたエックスににっこりと微笑む。
「てっきりもう『影楼の連鎖』に行ったものとばかり。どうしたのです?」
「うん。もう行くからさ。キミも連れて行った方がいいんじゃないかなって」
「ああ。なるほど」
現状クロノには『影楼の連鎖』に帰る術はない。リオンの力が封じられているせいで向こうからの回収を期待できない。そしてこれからエックスたちが『影楼の連鎖』に行き、無事に目的を果たして戻ってこられる保証もない。
「……ってなったらさ。今のうちにキミも一緒に『影楼の連鎖』に連れて行った方がいいと思うんだけど」
「そうですね。……うん。確かにその方がいいかもしれない」
「よしっ。決まりだ!」
「いやっ。ちょっと待って。勝手に病室から消えていいんですかね」
「まあ大丈夫でしょ」
エックスはクロノに魔法をかけた。縮小の魔法である。60分の1の大きさにまで縮んだ彼を優しく摘まみあげて緋色の瞳に近付ける。
「……うん。問題はなさそうだね」
「問題あることあるんですか?」
「一回もないけど。あんまり自分の力を信用してないからねえ。無事に縮められているか念のため確認しているんだ」
と言いながらクロノをまじまじと見つめる。指先をぐるぐる回して360度入念に。頭の先からつま先まで。
「これは……なかなか大迫力ですね……」
「恐い?」
「少しだけ」
「ふふっ。それが素直に言えるなら大丈夫だよ」
大抵の場合、初めてこのサイズ差でエックスと対峙した者は恐怖で何も言えなくなるか気絶するかしてしまう。なんだったら公平は気絶した。良いか悪いかは置いておくとして、クロノは聖女との交流もあったからこそ、エックスを前にしても平常心でいられるのだろう。
完全に問題が無いことを確認すると、クロノのことも魔法の防御で包んでやってポケットの中へ。左右のポケットに二つずつ。片方には吾我と杉本。もう片方には公平とクロノ。エックスは公平の入っているカプセルをにぎにぎと握ってやってからかっている。
「よおしっ。さあ行こうか!改めて!」
--------------〇--------------
そうしてやってきた『影楼の連鎖』。飛び出したのは空の上。地上を見下ろして最初に視界に入ったのお城だった。ただのお城というには少し大きすぎるきらいもある。目測だが魔女や聖女の身長よりもずっと高いように見える。そんな大きなお城に人間が住んでもただただ広いだけで不便ではないか。エックスは訝しんだ。
「あ、もしかしてアレがリオンが住んでるところかな」
クロノ曰く。リオンは神であると同時に王であるという。王様であればお城に住んでいるものだろう。その大きさはともかく。
城の周りには城下町が広がっていた。イプロス・シロンに支配されているとクロノから聞いたが、空の上から見下ろす街中はそんな様子はなく活気があった。そもそもシロンなる聖女らしき姿が見当たらない。気配も感じない。どういうことだろうと首を捻りながらポケットに手を入れ、クロノの入っているカプセルを取り出す。ぽんっという音と煙と一緒に魔法が解除されて開放された。
「……おお。帰ってきたのですね。私の世界に」
「ねえねえクロノくん。なんだかイプロス・シロンがいないようだけど?」
「あれ。言ってなかったでしたっけ。あの聖女毎日は『影楼の連鎖』にいないんですよ。一週間の内二日来る感じかな」
そんなこと聞いてないよ。エックスは思った。少しだけムッとしたので、無言でクロノの脚を掴むと逆さづりにしてこの数万メートルの空の下に晒してみる。
「わーっ!?ちょっとちょっと!流石にこの高さはまずいですって!」
「ったくもう。ちゃんと事細かに教えてくれないと困るんだけどなあ」
手のひらの上に戻してやる。ともあれ今はシロンはいないということだ。そしてシロンがいないから街の人ものほほんと普段通りの生活を送っているということである。そういうことなら彼女が現れる日まで待つしかない。
「まあ。そういうことなら仕方ないか。ところでクロノくん。アレはなに?」
「アレ?」
「そうそう。お城の次に目に入ってきたやつ」
そのお城と同じくらいに大きな真っ黒な人型のなにか。城下町をぐるっと覆う壁の外側で闊歩している。手には槍のような武器を携え、時々地上に手を伸ばしては地面を掴み取り口の中へと運んでいる。そういう生き物の群れ。
「……影楼ですね。……あのサイズだと一級かな。うん。どうしよう。参ったな。一級でも相当手ごわいですよ。しかもあの距離だと。数時間もしたら城下町に入ってきますね」
「へえあれが影楼か」
一級。決して一番強い相手ではない。それならあれだけ数が居ても公平たちに任せてもいいだろうか。ただ力の判定がいまいちはっきりしない。1級影楼たちがどれくらいの力を持っているのか判断がつかない。
「……まあ。最初だしね!」
感知で力を測れないなら直接戦って見極めるまで、である。公平たちに任せるのはこの次からでもいいだろう。
「『未知なる一矢』!」
この魔法でどれだけのダメージを与えられるかな、なんて考えながら弦を引き絞る。放たれた光の矢は真っ直ぐに影楼の内の一体へと突き刺さった。矢に秘められた莫大なエネルギーがパチパチと音を立てながら影楼の巨体へ流れ込んでいき、そのまま爆発四散した。数十mの大きさの腕や脚が転がり落ちて、その度に大地が揺れる。
「……ふうん」
思っていたよりずっと、弱い。拍子抜けだ。これなら公平たちに任せてもなんにも問題なかった気がする。
「ま、いいや。まず一匹、っと」
影楼たちがエックスの存在に気付いた様子だ。クロノをポケットにしまうと。にんまりと笑って巨大な黒い群れに向かって加速していく。




