冬・ケーキ・杖・怒り
その日。東信也は姉の店を訪れていた。
その日は雨が降っていた。季節は冬。凍える空気が更に冷たく感じる。事務所から高速道路を使って東京まで。およそ3時間半の道のりだった。適当なところに車を停める。雨が有難かった。お陰で文句をいう者もいない。厚手のコートを着て。傘をさして。なるべく濡れないようにと走りだす。
姉は人様には言えない家業を嫌っていた。ある時唐突に、さながら烈火の如く出奔した。その後どういう経緯があったのかは聞いていないが、東京の洋菓子店に弟子入りしたらしいかった。
反発し自分の道を進む姉。仕方のないことと諦め、家を守る弟。どちらから言い出したというわけではないが、二人は互いに相手を他人だと思うことにした。それが互いの人生のために最良であると考えて。だから会うことも殆どなくなっていた。
昨年、本当に数年ぶりに顔を合わせた。部下から姉が洋菓子店の跡を継いだと聞いて、ちょうど誕生日が近かったので、信也はケーキを買いに行った。入店し、ケーキを選び、会計し受け取る。数分にも満たない時間。ケーキ屋と客という立場。それでも相手が元気でいることは分かった。最後まで姉と弟には戻れなかったけれども。
翌年のその日も信也の誕生日だった。傘を閉じ、コートに付いた雫を払い落として入店する。カウンターの向こう側に立つ姿を見る。
「……あァ?」
「いらっしゃいませ!」
はきはき挨拶する店員。一歩一歩と近づいていく。名札には東と書かれていた。苗字は姉や自分と同じである。だけど彼女は、姉ではない。
思わず苦笑してしまう。自分は愚かだなと。そりゃあそうだ。こんな自分に誰が会いたがるというのだ。この日に自分が来ると分かっているならバイトでも雇って身を隠すさ。
ショーケースの中身を適当に見る。取り敢えずショートケーキを頼んだ。店員が箱詰めする姿をぼんやり眺める。
諦めてしまえばよかった。このまま帰ればよかった。諦めるのは慣れているのだから。
ただ、この時の信也は諦めきることが出来なかった。もしかしたら病気でもしているんじゃないかと思ってしまった。手渡された箱を受け取ってぽつりと呟く。
「……今日、店長は?」
「……は?」
「え?」
次の瞬間、店員はカウンターを飛び越えて信也を押し倒した。ケーキの入った箱が無造作に転がる。両腕が彼女の足で押さえつけられた。首元を左腕で抑え込んでくる。
「てめっ……!」
「『ちいさくなあれ』」
どこからともなく取り出された杖が光る。しかし何も起こらない。
「……なんで効かないんだろ。面倒だなあ。死体の処理だって楽じゃないのに」
認識障害も縮小能力もある一定の実力のある魔法使いには効果が薄い。既に明石四恩から魔法を学んでいた信也も例外ではない。
「て、めえ!どういうつもりだ!」
「おっ。威勢だけはいいね。逃げられないくせにさ」
信也は顔を赤くした。彼女の言う通りである。小柄なこの女のどこにこんな力があるというのか。
「舐め……やがって……!」
彼女は呆れたように息を吐いた。そして小さく呟く。
「『切り裂け』」
再び杖が光る。かと思うと彼女の左腕が光に包まれた。首元の痛みの質が変わる。まるで刃物を押し付けらえているような。
「よ、よせ……」
「よさない」
ぐっと力を籠める。血が流れだすのが分かった。思わず零れた小さな悲鳴。このままだと生きたまま斬首されてしまう──。
が、それ以上はなかった。彼女は突然力を緩めて立ち上がった。
「トルトル神様がそうおっしゃるのであれば」
ぜいぜいと息を整える。自由になった。このまま反撃してもいい。腰には拳銃。魔法だってある。戦えないことはない。
首筋に触れてみた。確かに血が流れている。もう少し力を籠められていれば。切断されずとも血管を切られて死んでいたのでは。
上体を起こして相手の目を見る。まるで虫でも見るみたいな視線。抵抗すれば、次はない。
諦めた姿に満足したのか、彼女は小さく笑った。そして信也に言う。
「ツイてたね。アタシの神様がアンタを見逃してやれってさ」
そう言って背中を向けカウンターの向こうに戻る。わざと無防備な姿を晒している。余裕の表れだ。
信也は息を荒くしながら立ち上がる。攻撃されてからずっと考えていたことを問いかける。
「こ、ここの店長は?」
「んー?あー。あの人ねー」
そして。人差し指と親指を触れるか触れないかくらいに近づけて見せてくる。にやにや笑いながら言ってのける。
「これくらいに小さくして。ケーキん中に埋めてどっかのガキに売った。とっくに消化されてんじゃない?」
女は売り物のケーキを取り出してわざとらしく大きな口を開けて頬張った。心がどうにかなりそうだったけれども。かと言って出来たのは逃げることだけであった。視界の隅の潰れた箱。その中にあるショートケーキ。それが急におぞましいものに思えた。
「あー。このこと誰にも言っちゃダメだよー!言ったらぶっ殺すからねー」
背後でケラケラ笑う声を聞いた。
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「俺は……諦めたんだよ。俺じゃあどうにもならねえからよ……」
ローズの部屋。そこに合流した公平とエックス。
エックスとローズは机に座って、公平と吾我は机の上で信也の話を聞いていた。言葉が出ない。ただ、感情だけが爆発しそうだった。あの女の言葉は本当だ。本当に彼の姉を縮めて殺したのだ。
「……酷い」
ローズが呟く。これでは誰にも話せないのだって無理はない。話せば自分が殺される。
「その……トルトル神ってやつが黒幕か」
吾我の言葉にエックスは頷いた。
「……けど。残念だけどそれ以上のことは分からないね。一体何が目的で……」
「空を広げたいんですよ」
突然聞こえてきた声。上から。五人は咄嗟に顔を上げた。信也が「ヒッ」と声を上げる。公平はその姿に目を見開いた。小柄なショートヘア。小動物的な可愛らしい顔立ちと、それに似つかわしくない邪悪な笑み。
「お前……!」
「話しちゃったんだねえ。殺しに行くって言ったのになあ」
怯える信也をローズが手に取り、包み込むようにして守る。
「空を広げる、って?」
「人が道を作るのと同じですよ」
彼女はエックスの問いかけににっこり笑った。
「人間は道を広げてました。便利になるから?生活区域を広げたいから?理由はいろいろです。道を作る事自体が目的なのかもしれません。トルトル神様も同じことをお考えなのです」
「同じ?」
エックスは訝しんだ。
「あのお方は、自らが羽ばたく空を増やしたいだけです。ですので、女神様には貴女の連鎖を譲っていただきたいのですが……」
「……魔法の連鎖もそこに在る世界も誰のものでもないよ」
「でしたら!トルトル神様のモノでも問題ありませんね!」
滅茶苦茶なことを言うものだ。しかしこれが相手の理屈なのだろう。同じ世界の同じ星の別々の国同士でも考え方の相違があるのだ。そんな小さなスケールですら分かり合えないこともある。会話をしたところで分かり合えない可能性は高かった。そして。当然のようにそうなっただけである。
エックスにとってみれば彼女の言葉は納得できるものではないだろう。こちらが何を言っても彼女は納得しないだろう。議論では終わらないのだ。終わらせるための手段は一つだけ。
「……仕方ないね」
ローズが心配そうにエックスを見つめる。椅子から立ち上がろうとしたその時。
「待てよ」
机の上で。二つの力が発動しようとしていた。
「まだ俺はあの女と決着つけてねえ」
「攻撃されたのは人間世界だ。なら、最初に反撃するべきはその住人である俺たちだろう?」
公平と吾我が。それぞれ武器を手に敵を見上げる。
「降りて来い」
「……あんた等があの世界の代表?あんた等やっつけたらあの世界をくれる?」
「ああ。くれてやるよ」
公平のその言葉に、吾我は信じられないという目を向けた。
「勝手に世界を賭けるな!」
「いいんだよ。どーせ負けねえし」
「だからってお前……」
「乗ったァ!」
急速で落下してくる敵。両腕が光を帯びる。吾我は諦めた。こうなっては仕方ない。要は勝てばいいのだ。公平や信也の話の通りなら、あの腕は未知の力で強化され切断能力を得ているはず。
「ふんっ!」
「だあっ!」
二人は敵の攻撃を同時に受け止めた。裏を返せば、二人の魔法で作った武器と敵の腕の力は互角ということである。
だがそれは分かっていたこと。元より二対一。このまま手数で圧倒すればいいのだ。
公平と吾我は同時に斬りかかる。敵が小さく笑った。突然彼女の背後から杖が飛び出して光を放つ。
「『ぶった切れ』!」
その両腕が武装されていく。鋼を纏っていく。さながら巨大な刃のように。その一撃は紙でも切るみたいに二人の武器を容易く破壊した。
「……!」
「ちっ!」
咄嗟に後ろに下がる。彼女は追いかけながら両腕を振り回した。攻撃の勢いで分かる。これは一撃でもまともに受けてはならない。それはつまり死を意味する。
「ほらほらほら!逃げてばっかだとそのうちぶった切っちゃうよお!」
だが敵の言う通りだ。このまま逃げてばかりではいられない。公平と吾我は一瞬見つめ合った。互いの意図が何となく通じ合う。
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ローズは二人の戦いをはらはらしながら見つめている。始まってしまった以上手出しは出来ない。というよりローズは人間とは戦えない。それは例え相手が異連鎖の侵略者であろうと変わらない。
エックスにちらちらと視線を向けてみる。気付いた彼女は微笑みで答えた。
大丈夫、と言うように。
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「とどめッ!」
敵が大きく両腕を振り上げた。今この瞬間こそ好機。吾我は貯めた魔力で魔法を発動させる。
「『ガガガ・オレガホイール』!」
バイクを作り出す魔法だ。公平はあまりに魔法らしくないので気味悪がっている。走り出した単車が敵を轢き飛ばした。
「今だッ!」
「おう!」
二人はほぼ同時に手を前に出す。
「『ギラマ・ジ・オレガアロー』!」
「『断罪の剣・完全開放』!」
13本の剣が敵の周囲に展開される。剣と剣とが魔力のネットワークで繋がり合った。それは網のように働いて敵を完全に捕らえる。元々はソードという魔女の魔法であったが。
「……そんなもの、いつの間に使えるようになった?」
「『レベル5』の持続時間を延ばす特訓の副産物だよ」
『レベル5』とは公平にあらゆる魔法を操る力を与える魔法である。著しく体力を消耗するため現状10分も使えない。公平はその持続時間を延ばすために『レベル5』を発動させた状態で色々な魔法を使う特訓を行っていた。その中でも『断罪の剣』は使用頻度が多かった。そのおかげで魔法が彼の身体に馴染んだのである。
「まあ、いい。これでヤツを仕留められる」
吾我が大きく弓を引いた。そこで気付く。敵の手が僅かにこちらに向いている。まだ何かしてくる。
「トルトル神様。もう一度お力をお借りします。『羽ばたいて』!」
次の瞬間、発現したのは鳥の姿を象った光。それが二人の元へと迫る。極大の一撃。公平が一度見た破壊の翼である。
「面白い。勝負だ!」
吾我は矢を放った。光の矢が真っ直ぐに鳥の姿をした攻撃とぶつかった。彼の頬を汗が伝う。今のままでは力が足りない。足元が少し凹む。ローズに怒られるかもなと小さく笑う。──そして
「まだまだ!」
更に次の矢を撃つ。更に更に次を。敵の顔が僅かに歪んだ。次だ次だ次だ。あの鳥を貫くまで撃ち続ける。
「俺は負けない!俺たちの世界をキサマのようなヤツには渡さない!あああああああッ!」
「く……くっ!」
次々放たれる矢の一撃。それらは遂に巨大な光の鳥を破壊した。
同時に吾我は膝をついた。手に持った弓が消失する。
魔力の網の中で敵は再び手を前に出す。
「も、もう一度……トルトル神様……!」
そこで。彼女は気付いた。もう一人が居ない。次の瞬間背中に痛みが走る。通り抜けていく姿が目に入った。
「お、まえ……!」
吾我と敵の一撃がぶつかり合う中、公平は敵の背後に迫っていた。攻撃するべきは吾我の矢が彼女の鳥を堕とした直後。あれだけの威力の技が破られれば少なからず動揺する。その一瞬の隙を狙っていた。
期待通りのタイミングが訪れた時。公平は13本の剣の内の一つを手に取って彼女の背後から斬りぬいたのである。
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落下してきた彼女は机の上で倒れこんだ。息も絶え絶えの状態。仰向けになって公平と吾我を見る。そして、一言。
「卑怯者め……!」
「誰がお前みたいな外道と正々堂々戦うか」
公平はあっけらかんと言い放つ。コイツは変わらないなと吾我は思った。勝つためならなんだってやる。そして実際に勝つ。だからこそ最強を自称する。それが公平だった。彼のプライドは負けないことだけである。
「うん。二人ともお疲れ」
「ああ……良かった……」
エックスが声をかけてきた。ローズは安堵した表情である。ずっと二人の魔女に俯瞰で戦いを見守られていたわけであるが。そう思うと何だかスケールの小さいことをしていたような気がする。
「……最後だけ横取りするようだけど。あと先はボクがやる。キミたちが手を汚す必要は……」
「いや。貴女こそ手を出さなくていい」
言いながら吾我は斧を手に前に出た。
「一人殺したところで俺は今更気にしない」
そう言って斧を振り上げた。そして、彼女の首元へと振り下ろす──直前に笑い出した。吾我の手が止まる。
「……気でも狂ったか?」
「そうね。おかしくなっちゃったかも……。ねっ!」
そして。彼女は手刀を自らの左胸に突き刺した。大量の血を吐き出す。
四人は大きく目を見開いた。驚きと困惑。そういう感情が空間を支配する。
「は、ははは」
死にかけの身体が起き上がる。その目はまっすぐに公平と吾我を見つめていた。
「覚えた。あんた等の顔はよおく覚えたよ。はははは。ははははは!」
笑い声は徐々に大きくなる。代わりに彼女の身体から色彩が失われていく。存在が薄くなっていく。そして、そのまま消えた。血も何もかも消失し、そこに彼女が居たという痕跡の一切が無くなってしまった。
「……どういう事だ?あの女、自殺したのか?」
「……分からない。分からないけど」
まだ終わっていない。エックスはそう思った。
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ビルの縁に腰掛ける女が目を開けた。あの男が自分のことを誰かに話せば、自動的に分身が彼の前に現れる。そういう仕掛けだった。トルトル神の予言によれば、そうすればこの連鎖接触できるということだった。だからこそ相当精度の高い、戦闘力で言うなら本体と遜色ない性能の分身を仕込んだのだが。
「負けちゃったねえ。魔法使いってのも結構やるねえ」
彼女はクスっと笑った。とはいえ、二度の接触で少しは情報を取ることが出来た。どうすればあの神からこの連鎖を奪えるかも、なんとなく。
「それじゃあ……始めちゃおう」
彼女は大きく杖をかかげた。強い光が、人間世界の空に伸びる。