インフルエンザに倒れた男
最後のゼミを終えて。全部の単位を取り終えて。卒業式まで間完全に自由になって。全能感に近い開放感を得た公平は大いに遊んだ。田中や数学科の友人と飲み歩いたり、エックスと一緒に新潟に帰って友人の勇人や卓也と飲んだり遊んだり、エックスと一緒に映画館とか遊園地とか水族館に行ったり。
──そして、その結果。
「けほっけほっ」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない……」
インフルエンザに罹った。
--------------〇--------------
その日の朝、なかなか部屋から出てこない公平をエックスは心配した。棚の上にある彼の部屋。その屋根をカパッと取り外して中を見てみると元気のない顔で、ベッドの中で苦しんでいる姿があった。急いでベッドの中から拾い上げ、病院へ一緒に行き、インフルエンザであるとの診断を受けたである。
エックスは先に公平を部屋に帰し、いつでも様子を確認できるようにと自分のベッドで寝かせてから、人間世界に戻ってスポーツドリンクとゼリーを買っていく。
横になりながら公平は思い返す。そういえばニュースで言っていた気がすると。今年のインフルエンザはタチが悪いから気を付けましょうと。そんなタイミングで人が大勢集まるところに何度も何度も出歩いたのだから必然的な結果と言える。携帯で友人の安否を確認してみた。卓也と勇人もインフルエンザに倒れていた。自分が持ち運んだのか向こうから感染ったのかは最早不明である。一方でエックスは当然のように元気だった。魔女の身体は病気にも強いのだ。
「ああ……しんどい。しんどいよお」
苦しそうな声で公平が呻く。エックスは膝立ちしてベッドの上に顔を近付けると、その様子を心配そうな眼差しで見つめた。
「エックスぅ。魔法でインフル治してくれえ」
「んー……。そうしたいのはやまやまなんだけど……。ダメだよ」
「ほわーい?」
エックスは公平の返事にちょっとだけ可笑しくなった。熱にうなされているせいで語彙がおかしなことになっている。笑っていいのかちょっと微妙だ。
「あのね。お医者さんからお薬もらったでしょうが。安静にして体力付けてお薬飲めば治るんだよ?それを無理やり魔法で治したら、免疫つかなくなってまた病気に罹るよ?」
「そんなあ……」
「ボクは神さまじゃないからね。なんでもかんでも魔法で解決はしません。本当にどうにもならなくなった時だけ。その代わりに看病はしてあげようじゃあないか。なんてったってボクはキミのお嫁さんだからね」
言いながらすっくと立ちあがる。まずは体力を付けなくてはならない。体力を付けるならご飯を食べるしかない。公平は今日朝から何も食べていないのだ。
「取り敢えずおかゆ作ってくるから。食べられそうだったら食べてね。飲み物が欲しかったら呼んでね?」
「おかゆ……?いまなんも食べたくない……」
「食べられないならそれでもいいよ。用意だけしておくからさ。お腹すいたらいつでも食べられるようにしてあげよう」
寝室から出てキッチンへと向かうエックス。ずしんずしんという足音が頭の中で響いて、なんだか頭痛が酷くなった気がする。
--------------〇--------------
「……あれ?おかゆってどうやって作るんだっけ」
キッチンで。さあおかゆを作るぞ、おいしいおかゆで公平を元気にするぞ、と意気込んだところで、そもそも作り方を知らないことに気付いた。そういえば知り合ってから今まで公平が風邪に罹ったことは無かったと思い出す。冬場に海水を頭からかぶった時ですら身体を拭いて暖まったら翌朝も元気であった。詰まるところ、おかゆを作る機会が必然的になかったのである。
「まあでも。見た目のイメージから大体想像はつくよ」
おかゆなんて要は水っぽいご飯の究極系。つまりはご飯を煮詰めてあげればいいのだ。ご飯なら朝食の残りがあるからすぐに作れる。一応念のため作り方をスマートフォンで調べてみる。
「……マジ?い、いや。知ってたし。おかゆの作り方くらい」
知らなかった。検索の結果出てきたおかゆの作り方はエックスの想像とは違った。通常よりも多めの水で炊いてあげて作るらしいのだ。この通りに作るのであれば、朝食の残りを使うことはなさそうだ。
「まあまあ!そういうことだとしても簡単だって!」
お米を適当な量だけ取ってボウルへと。そうしてざっくざっくとお米を研いであげる。適当な回数だけ研いであげたら30分ほど水に浸す。
一度公平の元へ戻り、スポーツドリンクを飲ませてあげた。ゼリーはまだ食べられないらしい。それならそれで無理はさせないことにする。
再びキッチンに戻りボウルの中身を確認する。お米がしっかり水を吸って、ぷっくらしてきた。そこでお米がお鍋に入れて、普段より多めの水を入れて火にかける。水が噴き出してきたところでお米が焦げ付かないようにかき混ぜてあげる。沸騰してきたら蓋をして、また30分くらい放置だ。
「さて」
ここ先は全て待ち時間。ヒマだ。公平でもからかってヒマを潰すか……と思ったところで自分が一体なんの為におかゆを作っているのかを思い返す。今は彼と遊んでいる場合ではないしそんな体力は彼にはない。
「そうだよ。そうそう。公平公平。あとはもう待つだけだし様子でも見に行こう」
独り言を言いながら公平の元へと戻っていく。後ろでしゅーしゅーという音がして、お米が鍋の中で踊り始めているのが分かった。
戻ってみると公平は小さく震えていた。顔色も悪い。
「わ、わーっ!?公平!?だ、大丈夫!?」
「大丈夫じゃない……。寒い……。頓服のんだけどダメだ。ごめんね俺もう……」
「待った待った。大丈夫だから!寒いんでしょ?そういうことなら……!」
エックスはそっと布団の中に入って公平の身体を軽く握る。彼女の手の中で公平は困惑した。
「……え?なに?」
「ほら。こうすれば暖かいでしょ?」
ナイスアイデア、と背後にあるエックスの巨大な顔は得意げにしている。魔法が使えるのだからもっと他にやりようがあるのではないかと公平は思った。ただ実際に布団にくるまっているよりはずっと暖かいのと、全身をエックスに抱きしめられているような加減のおかげでどこか安心してしまったので。
「そうだね。確かに。これなら、いいや」
それだけ言い残して目を閉じた。エックスが居るからきっと大丈夫、寝て起きたらきっとマシになっている、と信じて。
「さて」
公平を握って暖かくしてあげてから五分くらい。すうすうと寝息をたてはじめた。現在の公平の大体の体温を測ってみると、なんとビックリ39度台。流石になかなか目を離せない状況である。じっくりと見守ってあげなくてはならない。つんつんと寝顔を突っついてみたくなるが、起こしてしまったら悪いので我慢である。
眠ってくれた公平の方はこれでいいとして、問題がもう一つ残っている。
「おかゆどうしよ……」
今からだいたい30分くらいしたら完成である。それくらいのタイミングで身に行かなければならない。それを超えたら、やがては火事になってしまう。だからキッチンに戻りたいのだが、今動いたら公平を起こしてしまう。
「し、仕方ない……」
エックスは魔法を発動させた。ぽんっという音と煙と共に、自分の分身が現れる。命令通りに動く魔法の人形だ。スマホを取り出して先ほどおかゆの作り方を確認したページを開き、虚ろな目をした人形に見せる。
「見ての通りだよ。あとは最後の工程だけだから。よく読んで。しっかりやってね」
人形はコクリと頷いててくてくとキッチンへ進んで行く。エックスはほっと息を吐いた。本当は魔法で料理はしたくない。何故なら便利過ぎるから。材料を用意して、作り方をインプットすればあとは自動的に作ってくれる。そこに学習機能を付与してあげればやがては自分で作り方を覚えて、勝手に美味しい料理を作ったりしてくれるのだ。
だがエックスはそれをしたくなかった。せっかく自分で料理を覚えたのだから自分でやりたい。今回は公平のための緊急措置である。
手の中の公平は少し汗ばんでいた。身体を冷やしたらいけないから、目を覚ましたら着替えさせてあげないと。そういえば卵があった。卵がゆにしてもよかったな、と思いながら作り方を確認する。
「……おかゆってご飯を煮ても作れるんかい」
ちょっとだけ悲しくなって、ちょっとだけ可笑しくなる。
--------------〇--------------
「……うう」
「あ、起きたね」
目を覚ますと少しだけ身体が楽になっていた。眠っている間に薬が効いてきて体温が落ち着いてきたのが分かる。体感で言うと37度後半くらいだろうか。まだ外出は出来ないだろうけど、この分なら明日には回復しているだろう。少し安心した。そして安心したら。
「エックス」
「なに?」
「お腹空いた」
エックスは小さく笑う。公平は照れているのか熱のせいか少しだけ顔が赤い。
「いいともいいとも。途中で魔法に頼ったけど……。おかゆだってバッチリ出来てるんだから!あ、でも。その前に着替えちゃおう。汗でびしょびしょだよ」
「これエックスの手汗も含まれてない?」
「……否定はしない」
エックスは公平から服を剥ぎ取って、汗で濡れた身体をタオルで優しく拭いてやる。同時に魔法に命令を送り、人形におかゆを持ってきてもらう。人形はお椀におかゆを入れてくると、無表情のままにやってくる。
「……うわっ。ビックリした。エックスがもう一人いる」
「魔法で動く人形だよ?なにをそんなにビックリするのさ」
「酷い夢を見たんだ。たくさんのエックスに追いかけ回される夢」
「ね、熱にうなされてるからって。ボクのこと好きすぎじゃない?」
「へ、あ、うん」
なんだか照れている感じで喜んでいるエックス。くすぐったそうにして嬉しさを全身で表現している。それから人形からお椀を受け取ると、それごと人間大の大きさに小さくなった。そうしてスプーンですくったおかゆを食べさせてくれる。
ちょうどいい塩気のおかゆをもぐもぐと食べながら、公平は少しだけエックスに申し訳なく思った。さっきまで見ていた夢はたくさんのエックスに踏み潰されそうになったり蹴り飛ばされそうになったりした本当の悪夢だったからだ。
(と言っても……)
にこにこ顔でおかゆを食べさせてくれる今のエックスにそれを言ったらこっぴどく怒られる気がしたので、黙っておくことにする。




