SF研再び。
暗闇がゆっくりと裂けていく。深い眠りから目覚めたベール・タニアは痛みを感じながらもゆっくりと瞳を開けた。『聖技の連鎖』にある自分の家の天井だ。すぐに自分の身に起きたことを思い出して、奥歯を噛み締める。『心錬の連鎖』にて手酷いダメージを受けたのだ。その相手がエックスであれがまだいい。よりによってとどめを刺したのは現地の人間である心錬使い。この短期間で二人の人間の攻撃に倒されたのは、彼女が聖女になってから初めてのことである。
「おう。起きたか。タニア」
「っ!?マリア……!」
思わずそっぽを向く。今の自分が情けなくてみっともなくて恥ずかしいことを分かっているから、マリアの顔を見ることが出来ない。
「おいおい。それはないだろ。心配して見に来てやったってのに」
「心配だって!喧嘩を売りに来たの間違いでしょ!?」
思わずマリアは苦笑する。これだけ憎まれ口をたたく余裕があれば問題はなさそうだ。何の気なしにタニアのベッドに腰かける。
「ルファーから聞いたぜ。タニア、お前また人間にやられたんだってなあ?」
「ほら……!やっぱり喧嘩を売りにきたんじゃないの!っていうか座らないで!アタシのベッドはアンタの椅子じゃないんですけど!」
タニアは身体を起こしマリアを睨みつける。身体は痛いけれど我慢する。
「言っておくけど!アレは油断しただけだから!もう一度やれば全く問題なくアタシが勝つし!」
「そうかよ。でも残念。もうお前をやった心錬使いとのリベンジは出来ないぜ」
「は?なんでよ」
「ソイツ、もう死んじまったらしいからなあ」
「……ちっ。余計なことを。一体誰が仕留めたわけ?」
「……タンザナイト」
その名に。タニアは目を丸くしてマリアの顔を見つめる。
「タンザナイト?アイツが?出来るわけないでしょ!?だって……」
「さあ。でもアタシもアイツの姿を見ちゃったしなあ」
「……『機功』のアイツが絡んでるわけ?」
「さあ。なにをどうしたのかアタシにも分からないよ」
スッと立ち上がり、タニアの寝室の扉へと歩いていく。
「ん?もう帰るの?」
「ああ。全く心配する必要なんてないくらい元気なのは分かったし。アタシもそろそろ準備しないといけないからな」
「準備?」
「ああ」
タニアに向けたマリアの横顔は不敵な笑みを浮かべていた。
「『魔法の連鎖』と、もう一度喧嘩をするのさ。これ以上お前を構っている暇なんてない」
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今日はゼミの日。次回が今年度、最後のゼミである。発表者は田中だった。最後くらいはいい形で終わらせたいと、図書館に誘われた公平である。公平は公平で緊急の用はないので田中に付き合うことにした。次に担当する部分を彼に読ませて、分からないことを聞いてもらうことにしている。
「なあ」
「なに」
田中は小声で聞いてくる。公平も小声で返す。図書館は騒いだりしてはいけないのだ。
「この間の女の人……なんだっけ。田母神さん?」
「ああ田母神」
「あの人って、なに?」
「分かんね」
彼女がいわゆる『巨大な女の子』が好きなのは知っている。そういう仲間とつるんでいるのも知っている。田母神自身は自分が大きくなりたいのだということも分かっている。だけどもっと根本的な部分が分かっていない。どこの学部の人間なのか。今何回生なのか。何処に住んでいるのか。基本的な人となりがまるでつかめていなかった。
「いや俺もね。今まで大学で見かけたことないなあって思ってんだよね。けどなんだろ……。あの人今年になって見かけるようになったなって」
「あー。そうだっけ。そうかもね」
「それにさ。あの人エックスさんのこと追っかけてんだろ?なんで今になってお前に接触してきたん?去年から時間あったのに」
「……知らないよ。いいから勉強しろよ。手止まってるぞ」
「ああ、うん」
田中は再びノートに目を落とした。暫くの間、二人に会話はなく、かりかりと走るペンの音だけが響いていた──。と、いうのも数分間だけ。
「なあやっぱりあの人さ」
「だから。勉強しろって」
「いやでもさ。気になるじゃん。気になることを先に潰さないとさ。集中できねえよ」
知らねえよそんなこと。公平はそう思った。だから思ったことをそのまま口に出そうとした。その時。
「それは。私たちがまだここの学生ではないからよ」
声の主の女は田中の隣に腰かける。彼女は田母神。公平の隣にはメガネの大男、峰崎が座った。
「SF研……!」
「ええそう。SF研よ」
確かもう一人朱音という男がいたはずだが、今日は来ていないらしい。
「えっ。田母神さんウチの学生じゃないの?」
「ええ。残念ながら。来年度からここの大学院の院生になります」
「ウソ。お前らそんな事言ってた?」
「言ってないかもしれない。けど言う必要が無かったからな」
峰崎はしれっと言った。
「来年から院生ってことは……。俺らと同期?え?卒研とかゼミとか大丈夫なの?」
「ええ。私たちもうその単位はとったから。あっちに残る必要がもうなくなったの」
田中の質問に田母神はにっこりと笑って答える。『あっち』という言い方に、公平は何か引っかかるものを感じた。彼女が所属していた大学は、随分遠くにあるような印象を受ける。
「ちなみに『あっち』ってどこ?お前らどこの大学から来たの?」
「三人ともT大だけど」
「へえT大。……T大!?」
「はあっ?ウソだろ!?」
T大といえばこの国の最高学府。公平たちの通う大学よりも二つか三つ上のランクの大学だ。衝撃的な事実に二人は思わず大声をあげてしまった。同時に図書館の利用者たちが二人を睨む。ばつが悪くなって、周りに『すみません』の意味を込めてぺこぺこ頭を下げる。
「おいおいおい。まじでT大?T大ってあのT大?東京理科学技術大学略してT大とかそういうのじゃなくてマジのT大?」
田母神も峰崎も真顔で頷いた。
「なんなら学生証見る?まだアタシらT大生だし」
田母神が財布から取り出した学生証には、田母神の顔写真と名前と一緒にT大という文字が書かれていた。
「本当は去年のうちに編入するはずだったんだけどな」
「ねー。なんでか三人とも忘れちゃったのよねー……。気付いたら春になっててさ」
その理由を公平はなんとなく察した。エックスから昔の話を聞いていたからだ。エックスはユートピアという魔女を倒した後、自ら人間世界を去った。その際、人間世界に住む全ての者から自分に関する記憶を消したのである。
田母神たちが公平の大学を編入する理由があるとすれば、それはエックスに会うためだ。そのエックスに関する記憶が無くなれば、わざわざランクが下の大学へ編入しようとする意味がない。
「だから死ぬ気で卒研終わらせて。最短でこっちに引っ越してきたってわけ」
「……これ理学部数学科って書いてあるけど。数学科ってゼミじゃないの?」
「卒論で卒業させてくれる研究室もあったからね。あとで研究室入り直してどうにか出させてもらったわ」
「じゃあ峰崎クンも数学科?」
「いや俺は生物学科だ。人間を巨人にする手法を確立するために研究をしている」
「で、私はその理論の構築を手伝うために数学をやってるってわけ。朱音は理系科目は苦手だからさ。最終的にその辺りの法整備をするために法学部で勉強しているわ」
説明を聞いた結果公平も田中も引いた。彼らの人となりが少しだけ分かった。尋常ではないバカだ。人生の全てを性癖に捧げている大バカ集団だ。なまじ知識があるだけにタチが悪い。
「と、いうわけで。四月からヨロシク」
と、田母神が公平に握手を求めてきた。なにか嫌な予感がする。
「……ヨロシクって?」
「四月から貴方たちの研究室に入ることにしたから」
「……へえ。そう」
もう脳みそのキャパシティオーバーだ。頭の回路の一部がショートしている気がする。ぼんやりとした思考で公平は田母神の握手に応じた。理由は分かる。自分の傍にいればエックスに会う確率が増えるからだろう。だからって本当にそんなことやる奴があるか。
「はい田中クンもヨロシク」
「あ、はい。ども……」
田中も何だかよく分かっていない雰囲気だ。この人たちは自分たちの常識を遥かにぶっちぎっている。理解が追い付かないのも無理はない。公平だって追いついていない。
「あ、そうそう」
田母神は小さく手を叩きカバンの中をゴソゴソする。中から出てきたのはDVDだった。
「例のビデオ完成したんだけど。いる?っていうかエックスさんに見てほしいんだけど。すごい出来だよコレ。そこそこ売れたし」
「へえ完成したんだ。……売ったの?これお前の友達の卒業制作じゃないの?え?エックスはそのこと知ってんの?」
「え?えーっとどうだったっけ」
「まさか無許可で売ったんじゃないだろうな……?」
「えーっとね。あれー?どうだったかな?」
公平と田母神がエックスのビデオの話で話している最中、田中は手持ち無沙汰になって峰崎に話しかける。
「えっと。峰崎クンはどこの研究室に入るの?」
「ウチのOBが教授をやってたところがあるらしいから。そこへ。明石って人だけど知ってる?」
「明石。明石……。聞いた事あるような。ないような」
「そうか。まあ、いいや」
それからすぐに。司書を通じて公平と田母神に苦情が入った。うるさいから追い出してほしい、と。
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「うわーっ。結構過激だねえ」
机の上に置かれたエックスの右手。その人差し指に座って田母神から貰ったビデオを見る。まだ彼女たちがこのビデオを売ったということをエックスに言えていない。もしも無許可だったら恐ろしいことになりそうな気がして、恐くて言い出せなかった。
画面の中のエックスは『箱庭』の街のビルを蹴り飛ばしたり、逃げる人間を摘まみあげて食べてみたり、走る車を捕まえて握り潰したりとなかなか残虐非道であった。彼女の動きの一つ一つが大迫力である。ミニチュアではなく実際にこのサイズの建物を破壊しているので、真に迫った迫力があるのは当然のことなのだが。
「どうする、公平?ボクがこんな風になったら」
悪戯っぽい瞳でエックスは公平に問いかけた。その視線を見上げて一言からかってみる。
「この間こんな感じだったじゃん」
「むう……公平のイジワル。ボクだってあの日のことは気にしているんだよ?」
わざとらしくむっとした表情をすると、左手でひょいと公平を摘まみあげた。そうして大きく開けた口の真上へと運んでいく。
「そんなイジワルな公平は食べちゃおうかなー?」
「うわあっ!ちょっと!?これ冗談でも結構恐いから!」
「ふふふっ。どうしよっかなー?ボクってば気まぐれだしー?」
映像の中のエックスが冷たく残酷に『箱庭』の学校の上に座り圧し潰していた。その一方で実際のエックスは楽し気に公平をからかって遊んでいる。公平は両者を見比べて、よくこんな演技が出来たなと心の何処かで感心するのであった。




