進撃だ!蹂躙だ!
「さあ進撃だ!さあ蹂躙だ!ワハハハハッ!」
高笑いしながら春の塔へ向かって真っ直ぐに走っていく。道中にある建物やら魔女やら何から何まで全部無視だ。幾つもエックスの足の下敷きになっていく。
「おいおいおい……。これ大丈夫なの……?」
「あれ?公平忘れちゃった?記憶を失くしてから一回も話してなかったっけ?
エックスはその場で足を止めると、足元に有った建物にずんと足を乗せる。
「ボクは魔法で事象と確率を自由に操ることが出来る。ふふふ。つまり……」
そのまま体重を乗せて建物を踏み砕いた。思わず公平は目を覆ってしまう。まだ中には大勢魔女がいたはずだ。いくら頑丈な魔女でも今のエックスに踏みつけられたらただでは済まないはず……。と、思っていたのだが。
「大丈夫だって。ほらよく見てよ」
「え、え……?」
言われてエックスの肩の上から地上を覗き込む。6kmの高さゆえに見にくかったが、彼女の靴の下から魔女たちが何人も這い出して逃げ出しているように見えた。
「『百人の相手の真上から思い切り足を踏み下ろしても、ただの一人も傷つくことなく生き延びる』という事象。ボクはそれが起こる確率を引き寄せたのさ。くくく……。だ・か・らぁ」
甘い口調で言うと。逃げ惑う魔女たちを嘲笑うかのように、その場で足をツイストさせて踏み躙る。辛うじてエックスの靴の下から抜け出したかと思ったら、執拗に追いかけ回すかのように足の方が迫ってきて、地面との間で圧迫されながら転がされる。
本来ならばこんなことをすれば魔女たちは良くて大怪我、悪ければひき肉になる運命である。だが今エックスは誰も怪我をしない死にもしないという事象を引き寄せている。何だったら痛みすらない。びっくりして気絶する程度で済む調整である。
「ふふんっ。ざっとこんなもんよっ!」
「なるほど……。いやそれはよかったけど……。ちょっと乱暴では?」
「これくらいのことはボクだってこの世界に来てすぐにやられたもん……」
「確かに……」
そういえば最初に魔女に接触した時に踏みつけられて踏み躙られて酷い目に遭ったのだなと思い出す。あの時は魔女のハイヒールの踵を蹴り壊して転ばしてやったが、それでその恨みや怒りが解消されたわけではなかった。エックスはただ我慢していただけである。胸の内でぐるぐると渦を巻いていた負の感情が爆発したのだ。
「さあさあ進撃を続けようじゃあないか!どんどん蹂躙していこうじゃあないか!このエックスちゃんを止めないとみんなの大統領が酷い目に遭うぞ~!」
そう言って軽くスキップするみたいにして街を揺らしながら先へ先へと進んで行く。邪魔な建物は蹴り飛ばす。足元を走る車は踏み潰す。目に付いた魔女はついでみたいに踏みつける。
公平はエックスの肩の上から振り返って彼女の歩いてきた道を見つめた。通った後に残るものは何もない。完全にやっていることが怪獣である。
「だ、誰も傷ついていないとはいってもやりすぎでは……」
「かもねえ。でも、それでもこれくらいやらないと。きっと分かってもらえないよ」
「なにを?」
「力による支配はそれより大きな力の前にはなにも出来ないんだってこと」
『まあ、あとで街も魔法で直してあげるさ』。エックスは公平にだけ聞こえるように小声で言った。エックスが怒っていたのは踏みつけられたり踏み躙られたりしたからだけではない。それ以上にこの世界そのものに対して怒っていた。小さな弱者を蹂躙するのが魔女という生き物の本質であると、この世界の構造そのものが言っているようで。それならそれ以上の大きな力でこの世界を壊してやる、と。
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春の塔ではハルカゼ大統領の秘書であるサクラが大慌てで走っていた。向かう先はハルカゼの住んでいる部屋である。
「だ、大統領!」
普段は静かに開けている扉。今はそんなところにまで気を配ることが出来なくて強く開けてしまう。部屋の中では紺色のレディーススーツを着たお団子ヘアの女性……ハルカゼが窓の前で茫然と立ち尽くしていた。
「な、なんなのよあれは……」
既にハルカゼも窓から『それ』を見ていた。未だかつて見たことのない大巨人。それが街を蹂躙しながらこの春の塔へと迫ってきている。さながら『夏の時代』に自分が当時仕えていた小人の殿様を踏み潰した時のようだ。
「見てください。これを……」
「なに……一体なんなの?」
サクラの持つタブレット端末には今起きている巨人による破壊の推定被害者数が書かれている。ハルカゼはそこに書かれた数字を見つめることしか出来なかった。言葉を失ってしまう数だった。
この世界の『人間』は即ち魔女である。だからとても頑丈でちょっとやそっとのことでは怪我だってしない。しかし今回のケースはその『ちょっとやそっと』を大きく超えていた。
「……あの巨人は建物だけじゃなく、目に付いた避難民も車も全部念入りに踏みつぶして進んでいます。何というか……執拗に市民を傷つけることを優先しているような……」
「……彼女の目的は?ここに向かってきているというのは聞いています。この行動を止めるように交渉する余地はあるの?」
「目的は、分からないです。ただ……」
「ただ?」
「彼女はついさっき人間になった元小人だったと、春都高校の教員が言っているらしいです」
「元小人か……」
最悪だな、とハルカゼは思った。元々小人だった者は小人であった時に酷い目に遭ったことをよく覚えている。小人開放運動だとかを街中でやっていることが時々あるし、犯罪をする可能性も比較的高い。
「……教育プログラムは済んだの?」
「あ、いえ……。最初の一時間だけ、と。聞いています」
「そう……」
だからこそ最初に教育する。数日かけてこの社会のルールと義務、そして小人の身では得ることの出来ない権利を教える。小人であった時の恨みとか怒りなんて捨ててこの社会に順応した方がずっといいということを分かってもらうのだ。窓の向こうで楽し気に街を踏み荒らす巨人はそれをちゃんと聞いていない。こんな蛮行に出たのもそれが原因ではなかろうか。
そう考えているところにサクラがおずおずと口を挿む。
「ですが、その。だとしてもですよ。あんなに大暴れしては仲間だった小人も巻き添えを喰らうのでは……」
「それは……」
『あ』と思わず声が出る。もう一つの可能性に思い至る。同時に身体が震えた。もしもそうだとしたら話なんて通じない。かといって撃退する手段もない。ハルカゼは青ざめた顔で頭を抱えた。
『春の時代』が来てからこの世界では戦争というものは起こっていない。当然軍事的な用意はない。そもそも自分たちの身体が武器・兵器では殆ど傷つくことが無いということを、小人と戦っていた彼女はよく知っている。この世界には迫りくる巨人に対抗する手段が何一つとして存在していないのだ。
「サクラさん。今すぐ逃げてください。今からでもなるべく遠くへ」
「だ、大統領はどうするのですか」
「ここに残ります。あの巨人がここを目指しているのは私が取り急ぎの標的だからでしょう。少しでも皆が逃げる時間を稼ぎます」
「そんな!それなら私も」
「サクラさん」
ハルカゼはサクラに向かって微笑んだ。諦観の色を見せるその笑みにサクラは言葉を失う。
「お願い」
「は、はい……。分かりました」
急いで出て行くサクラの後ろ姿を見送って、ハルカゼは深く息を吐いた。あの巨人には話が通じない可能性がある。人も小人も無差別に蹂躙する姿がそう思わせた。もしかしたら、彼女の目的が『春風宣言』と同じことかもしれないと思ったから。かつて人間だった者たちを『春風宣言』によって小人という劣等種へと貶めたのと同じ。つまり。
「今度は私たちを小人に貶めて、自分だけが唯一の人間として君臨しようとしているのかも……」
ハルカゼはぞっとしながらその予感を言葉にした。
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「よーしっ。着いたよ公平!春の塔だ!」
流石にこの国のシンボルというだけあって巨大だ。人間世界の日本でいう所のスカイツリーだ。今のエックスよりもずうっと背が高い。
「うーん。ハルカゼはどこにいるんだろう」
「こういうのって大体最上階じゃないか?」
「うーん……」
流石に今の身長でも最上階は遠い。背伸びをして手を伸ばしてもまだまだ届かない。
「仕方ない。もうちょっと大きくなるか……」
「えっ。また?」
「だってこの大きさじゃあ中に入れないし。かといって小さくなる気もないし」
エックスは胸元に手を当てて、まず自分の上着に魔法をかける。これ以上大きくなると公平やポケットの中にいる兄妹の身体への負担が大きくなる。だから上着に触れている間は地上にいるのと変わらない状態になるようにした。その後は巨大化魔法の再発動である。彼女の身体が再び緋色の光で包まれて、春の塔よりも少し大きいくらいにまで一気に巨大化する。更に7倍。40km。
「おっと。大きくなりすぎたか。これじゃあ部屋が見れないね」
『失敗失敗』と少しだけ腰をかがめる。果たして、最上階の一際広い部屋の中には小さく震えながらもぴんと立ち、こちらを毅然として見つめている一人の魔女の姿があった。エックスはにんまりと笑うと、指先でガラス窓を弾き飛ばした。事象の操作をしているので中の魔女が傷つくことは無い。ガラスの破片如きで魔女が怪我をするとも思えないが、念のためだ。
「やあこんにちは?貴女がハルカゼ?」
「え、ええ。私がハルカゼです」
「そう。話が早くて助かるよ。早速だけど。『春風宣言』。あの内容変えてくれない?」
ああ、やっぱり。ハルカゼはそう言いたげな顔をした。大統領だけあって賢い。察しがいい。
「簡単な話じゃないのは分かるけど。でもこれ以上酷い目に遭いたくはないだろ?」
「で、出来ません。あれは私たちにとっては最も大事なもの。それを変えるなんて」
「む。なかなか強情だな。でもそれがいつまで続くかな~?」
塔の中へと指を突っ込み、ハルカゼを摘まみあげる。彼女の足を摘まんだまま姿勢を正し、ぷらぷらと揺らしてやる。
「ほらほら。高いでしょ。恐いでしょ。紐なしバンジージャンプやってみる?流石にこの高さから落ちたらタダじゃあ済まないよね」
「ひっ。いやっ……。お、落とすなら落とせばいいでしょう!私の命と引き換えに『春風宣言』を守れるなら本望です!」
「えー……そんなに?」
思ってた以上に頑固だ。力づくでは交渉が進まないかもしれない。気が進まないが別の方向性で脅かしてみる。
「言っておくけどさ。ボクがその気になったらキミを通して変えさせる、なんてことしなくてもいいんだよ?分かるでしょ?」
「く……」
「そんなに難しいことは言わないよ。人間と小人、みたいな関係じゃなくてさ。平等を目指すというか。同じ目線で一緒に生きることを模索してほしいというか……」
「やはりそういうことですね……。私たちを小人へ貶めようと……」
「いやいや。なんでそうなるかな。ボクはただ、相手を無暗に傷つけたりするなって言っているだけで……」
「私は決して屈しない!貴女にこの国も世界も渡さない!」
エックスはハルカゼの言葉に目をぱちくりさせた。彼女はこっちの話を聞かないでわあわあと騒ぎ立てている。そんなハルカゼにそっち瞳を近付けて尋ねてみた。
「なんか勘違いしてない?」
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「酷いと思わない!?あのハルカゼってやつ、ボクがあの世界の魔女も人間も全部支配してやろうとしてたって思ってたんだよ!?」
「いやまあ……そう思っても仕方ないんじゃないかな……」
「ううう。公平までそんなこと言うのか……」
ハルカゼとちゃんと話をして。エックスとしては小人を無暗に虐げるようなことを止めてほしいだけであることを告げた。街の人は気絶しているだけで怪我一つしていなくて、建物だって魔法で直せることも見せた。ついでにハルカゼ以外の者からエックスが暴れた時の記憶も消した。残っていてもトラウマになるだけの恐ろしい記憶だ。必要な者だけ覚えてくれればそれでいい。アキトもユリもエックスのことを忘れてしまったが。今回のことは覚えている方がよくないことのような気がしたので。これでいいのだと自分に言い聞かせる。
ハルカゼは、納得はしなかった。だが、エックスの力を見せつけられて。逆らっても得はないことを思い知らされて。善処はすると言ってくれた。少しずつでも社会の仕組みを変えていく、と。あとは彼女に任せるのが一番いい。
念のために、と。エックスは帰る前にアキトとユリに一つの魔法をかけてハルカゼに託した。二人に命の危険があれば強制的にエックスの元へ避難させる魔法。これで最低限この二人は無事に生きていけるはずである。
「あの世界はこれからどうなるのかな」
エックスは机の上の公平に語り掛ける。つんつんと指先で彼の頭を突っつきながら。
「分かんないけど。けど、少なくとも人間が住みやすい世界にはなっていくんじゃない、かな?」
「だといいけどなあ。……ああ、なんか今頃もっといい手はなかったのかなって思えてきたー……」
机に突っ伏して唸る。結局力でハルカゼに言うことを聞かせた形だ。公平も言っていたけどこれではやっていることがただのテロ行為だ。もうちょっと理性的にスマートに事を進めることも出来たのではないか。全部が終わった以上もう後悔しても仕方がないのにやっぱり後悔してしまう。
「ま、まあ……社会の仕組みを変えるのって正攻法じゃ難しいし……。結局誰も傷つけてないしさ」
「けどもうちょっとマシなやり方あったと思うんだよー!ああ、もっと考えればよかったー!」
エックスの悲痛な声が部屋中に響いた。




