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歴史を学ぼう

 魔女と人が共存する世界。それは実際には魔女が『人間』として人間を『小人』として支配し虐げている世界だった。

 この世界に人間大の大きさでやってきた結果、『小人』として散々追いかけ回されたり踏みつけられたりと散々な目に遭っていたエックスだったがmどうにか元の大きさ100mへと戻るタイミングを得られた。自分を捕まえようとした眼鏡の数学教師に向かって『どうだ見たか』と得意げにする──というのがつい5分前のこと。


「えーっと」


 その後エックスはその教師に手を引かれてどこぞの空き教室へと連れてこられた。古ぼけた木製の机には『卒業だ~!』とか『3年間みんなサンキュー』とか卒業生が書いたと思われる落書きが残っている。

 廊下に面するガラス窓から生徒たちが興味深げにこちらを覗きこんでいて、それを先ほどの数学教師が窘める。生徒たちは各々自分の教室へと戻っていき、数学教師はエックスのいる教室に入ってくる。


「ごめんなさい。小人が人間になるのはとても珍しいから。みんな興味津々で」


 と、彼女はばつが悪そうに言う。


「いやそんな事より……」

「今、係の先生が来ますから。もう少し待っててね」


 エックスの言葉を遮って数学教師は歩み寄り、ぎゅっと彼女の手を握り締めた。


「でも本当に良かったわね。人間になれて。これからはよろしくお願いしますね?」

「は、はあ……」


 それ以上の返答をすることが出来なかった。本心からよかったと言っているのは分かるのだけれど、それが却って気味が悪い。


「それじゃあ。またね」


 数学教師が出て行った後。エックスは一人だけ空き教室に残された。


「な、なんだよぉ、さっきの。ついさっきボクのこと捕まえようとしたくせにさ」


 この大きさに戻った途端に態度が180度変わった。この世界の魔女は人間のことを本当の本当に下位の、互いにコミュニケーションを取り合うような存在ではないと認識していたのが伝わってくる。ついさっきまでは小人だったんだから仕方ないでしょ?と言った感じである。ここがそういう世界なのは理解している。この世界では自分の考えの方がマイノリティなのも分かっている。それを差し引いても不愉快だった。


「くっそお。どうにかしてぎゃふんと言わせてやりたい……」


 胸ポケットに指を突っ込んで公平を摘まみあげ机の上に置く。ここに連れてこられる時に酷く揺れたせいか公平は目を回して直立することが出来ずに転んでしまう。


「だ、大丈夫?」

「ああ、うん。平気平気」

「ねえ公平。ボクはあんなヤツの仲間だなんて思われたくないよ」

「それならもう自分の考えを言うしかないんじゃないかな。『ボクは小さいものを虐めて喜ぶようなことはしない』って」

「そうだね……!よおし!」


 半ば皮肉を交えて言ったつもりなのだが。妙に意気込んでいるエックスにはそんなことはもう言えない。彼女は日常的に退屈すると公平をからかって遊んでいるので、実際にはあまり強く言えた立場ではない。一応彼女は公平に同意を得てはいるので、『そういうことをするなら同意を得てからにしましょう』であれば胸を張って主張できるかもしれない。


「でもまあ。なんにせよ悪いようにはされないでしょ。その大きさだったら手厚く扱われるみたいだし。適当にやり過ごして帰っていいんじゃないかな」

「そうだね。うん。このままアキトくんとユリちゃんをどこか安全なところに逃がしてあげられれば、もういいかな……」

「……そのアキトくんとユリちゃんはどこに?」

「あ、そうだった」


 机の上で拳を開く。ポトンと二人が落ちてきて、机の上で尻もちをつく。


「あ、ごめん。大丈夫?」


 ずいっと顔を近付けて二人の姿を覗き込む。見たところどこも怪我をしていないようではある。取り敢えず安心したところで、『ひっ』という悲鳴が聞こえてくる。『あっ』と公平が呟く。エックスは一瞬フリーズしてしまったが、すぐにその声の意味を理解して、二人から顔を遠ざけた。彼女の表情の変化に気付いたアキトは青ざめた顔でその場に膝と手を着く。


「も、申し訳ありません!エックス様!ほらユリも!」

「あ……、申し訳ありませんでした!」

「だ、大丈夫だよ!ほら、顔上げて。ボク全然気にしてないし!」


 恐る恐るといった様子で兄妹は顔を上げる。エックスはにっこりと微笑んでみせた。


「ボクの方こそゴメンね。びっくりさせちゃったね」


 人差し指を立てて、ゆっくりと二人の目の前に降ろす。


「改めて挨拶しよう。ボクはエックス。こんなに大きいボクだけど、よろしくね?」

「は、はい……」


 これがエックスのなりの握手であると気付いたアキトとユリはびくびくしながら彼女の指を握る。まだ二人は酷く恐がっている。仕方ないことだとエックスは自分を納得させた。今この教室で自分のことを恐れていないのは公平だけだ。


「公平」

「ん?うん」

「ボクさ。やっぱり」


 と、言おうとしたところで。扉が開いた。エックスは目だけをあげて入ってきた者の姿を見る。さっきの数学教師とは違う。別の教師だ。銀色の髪。自分に似た赤色の目。どこかクールな印象を与える整った顔立ち。


「貴女がついさっきまで小人だった方ですか?」

「そうだけど……あ、そうだ!言っておくけど、ボクは小さいものを虐めて喜ぶようなことはしないからね!」

「おお……言った……」

「……ふふん。言ってやったぜ」


 エックスは得意げである。それに対し教師は『そうですか』とにこっと笑いながら言うだけだった。ちょっとだけショックである。彼女は笑顔のままエックスの元へと歩み寄ってきた。咄嗟に机の上の3人を手で庇う。


「あらら……何もしないわよ?貴女のお友達でしょう?」


 と言って何かの冊子と未使用のノートとペンを机の上に置く。口でなにを言おうと相手は自分より小さな生き物を虐めて悦に浸る魔女の仲間だ。信用なんてできない。事故を装って今の冊子で叩き潰していたかもしれない。アキトとユリに小さく『ゴメンね』と言って上着のポケットへ隠す。


「俺は?」

「公平は大丈夫でしょ」

「いやまだ魔法の封印解除されてないよ……?」

「……まあ。大丈夫大丈夫。公平一人なら守り切れるし」

「おいっ!?」


 慌てる公平の姿にくすっと笑いながら、冊子の方へ目を落とす。


「ん?『小人から人間になった方々へ』?」

「ええ。貴女……確かエックスさん、よね?エックスさんはこれから人間社会で生きていくことになります。小人たちの世界とはお別れ、というわけですね」


 一枚冊子を捲る。楽しそうに輪になっている女の子たちのデフォルメされたイラストが掲載されていて、2ページ目には序文として『小人から人間になったあなたには今までとは違う権利と義務が与えられます』なんて書いてある。


「そこで私たちの社会の基本的なことを学んでいただきます。これは小人から人間になった全ての方の義務ですので。私は講義を担当するミツルギと申します」

「ほお」


 何が書いてあるんだろうな、と思いながらもう一枚冊子を捲ると、最初の章のタイトルが目に付いた。


「──『今日の社会の成り立ちについて』?」

「ええ。まずはそこから。当然知っていると思いますが再確認です。簡単に言うとこの国の歴史のお話ですね」


--------------〇--------------


 それからミツルギは小一時間ほど講義をした。エックスはそれを聞きながら要約したものを貰ったノートに書いていく。


「時代が大きく動いたタイミングは大きく4つ……」


 最初は1600年代初め。この国で初めて人間が魔女になる。当時は幾つもの小国が争っていた時代。その魔女は自分の国のお殿様に仕えたことで、その国は多くの戦を制した。

 次の転換点は1600年代中頃。他国にも魔女が現れたことで戦の在り方が変わった。優秀な軍師・英雄と呼ばれる武将・強力な武器を手にした兵士が何人いようと魔女一人にさえ絶対に敵わない。必然的に魔女のいない国は魔女を保持する国に無条件で降伏する。戦うだけ無駄だからだ。魔女を保持する国同士がぶつかり合えば既存の軍隊は意味を為さない。戦うだけ無駄だからだ。そして魔女が扱えるような武器もないので、戦は魔女と魔女による拳と拳の代表戦が主流になっていった。

 三つめは1600年代後期。ハルカゼという魔女が現れた。彼女も初めは自国に仕えていたが、やがて同族ともいえる魔女と戦うことに疑問を抱くようになる。そして彼女は遂に行動を始めた。ハルカゼはまず自国の殿様をお城ごと踏みつぶした。そうして国を乗っ取り、同じように魔女になった者たちを呼びかけ、魔女のための国を作ろうとしたのだ。

 初めはハルカゼ一人。だが次から次に仲間は増えていく。自分より遥かに小さくて弱く、それでいて偉そうなだけで何もしない殿様に仕える意味が分からないと思う魔女が大勢いたのだ。

 自国の殿様を守るためにハルカゼに挑む魔女もいた。しかしその時に既にハルカゼは魔女の仲間を作っており、多対一で勝てるはずもなく、一人また一人と命を落としていった。その戦いの果て、1700年。ついにハルカゼはこの国を統一したのであった。

 ハルカゼはこの国の大統領となり海外の魔女と交流をもつようになる。そしてハルカゼを含む自国の代表となった魔女たちの間で一つの宣言を策定された。その名は『春風宣言』。これが採択されたのが最後の転換点だった。


「この文書が、魔女が人間で、人間は小人であると定義してるみたいだね」


 エックスはこそっと公平に言う。冊子には『春風宣言』の全文が載っていた。長い文章がずらっと続いているが、要するにそういうことだ。


「『春風宣言』が国際的な文書として採択されてしまったからこんなことになったのか……」


 こくこくとエックスは首を縦に振る。その間、ミツルギは何か思うところがあるような目でこちらを見つめている。彼女たちの言うところの『小人』と自分が仲良くしているのがそんなに気に食わないのだろうか。


(でも、そんなことボクが知るもんか)


 ミツルギの視線を無視していると、彼女は諦めたようなため息を一つ吐いて更に続けた。


「小人は互いに殺し合いを続ける野蛮な獣です。実際小人たちの争いに多くの方が巻き込まれ、命を落としました。この世界のためにも私たち人間が小人たちをちゃんと管理しなければいけない。そういうハルカゼ大統領の想いがこの『春風宣言』には籠っているのです」

「管理、ね」


 自分たちで設定した基準をクリアした者にのみ生存権を与え、それ以外をまるで虫のように扱う。常に死と隣り合わせの日常で生きることを余儀なくされる。言いたいことは色々あるけれど、一言で表現するなら『気に入らない』。


「ミツルギ先生。質問があるんだけど?」

「はい?なんでしょうエックスさん?」

「そのハルカゼって人は今どこに?」


 『あっ』と公平は呟いた。ハルカゼはこの世界に於ける『人間』。即ち魔女である。魔女であるからには寿命は大幅に伸びる。ここにいるエックスだって1000年以上生きているけれど全く老いることなく元気だ。身体も精神も二十代のそれだ。となればハルカゼも。


「ああ、そうね。貴女はまだ人になったばかりだから知らないかもしれませんね。ハルカゼ大統領は……今日は官邸にいるんじゃないかな。あ、ホラ」


 ミツルギは窓の外を指差した。エックスはそちらに目を向ける。


「ここから見える一番高い建物、春の塔。あそこで生活しているはずよ」

「ああ。そうなんだ。ありがとう、ミツルギ先生」


 エックスは不敵な笑顔で言った。公平には一つ分からなかった。それを聞いて彼女はなにをするつもりなのだろうか。

 公平を摘まみあげて立ち上がると、窓の方へと歩いていく。春の塔の大まかな位置を確認してから窓を開けた。がらがらという音と一緒に外から風が入り込んでくる。この学校は魔女の使うもの。単純計算で人間世界の建物の60倍の大きさだ。人間である公平にはこの高さの空気は少し冷たかった。だがそれ以上に。なにかイヤな予感がしてしまって背筋が総毛立った。


「へえ。あそこに住んでるんだ。おっきい建物だね」

「そうですね。春の塔はこの国の象徴……エックスさん何を?」


 窓枠に手をかけて身を乗り出す。このままだと落ちてしまう。彼女の肩の上。公平は地面を覗き込んでくらくらしそうになった。普段エックスと一緒に暮らしている公平ですら少し恐いくらいの高さ。ここから落ちてもエックスは魔女だから怪我することは無いだろうが、魔法の使えない今の自分では危ない気がする。


「エックスさん。行儀が悪いですよ。早く戻って……」

「お断りします」


 そう言って。エックスは身を投げ出した。


「わああああああ!?」


 慌てたのは公平の方である。きゅっと彼女の服を握り締めせめて振り落とされないようにと頑張る。と、その時。エックスの身体が緋い光に包み込まれた。次の瞬間彼女の靴がずしんという音と共に地面に着く。同時に地面が大きく揺れた。すっと背筋を伸ばして姿勢を正す。ついさっきまで自分のいた魔女の学校は膝よりも低い。通常の魔女の大きさの更に60倍。6kmの大きさ。


「まったくもうっ。そんなに慌てなくたっていいのに。ボクが公平のことを考えていないわけないだろう?」


 一瞬前よりも一気に広くなったエックスの肩の上。彼女の柔らかい声に公平は苦笑いすることしか出来なかった。

 エックスの足元では多くの魔女たちが騒いでいた。最初から魔女だった者にとっては初めて目の当たりにする巨人の姿である。パニックになっても無理はない。


「そ、それで?一体何をするんだよ、こんなに大きくなってさ」

「ふふっ。そんなの決まってるでしょ?」


 顔を上げる。視線の先にはハルカゼのいる春の塔があった。更に巨大化してから最初の一歩を踏み出す。傍にいた魔女が悲鳴をあげながら逃げ惑っていた。地面に足を下ろした瞬間、道路には亀裂が入り、建物が震えた。


「ハルカゼに会って。『春風宣言』を撤回させるのさ」


 アキトとユリを助けると言った。その為には『春風宣言』を撤回させ、改めて人と魔女との関係性を定義する文書をハルカゼに宣言させるのが一番手っ取り早い。エックスはそう判断した。その為の手段は選ばない。誰かを傷つけるつもりはないが、少しくらいは恐がってはもらう。この世界に対するちょっとした仕返しだった。


「……テロだこれ」

「失礼な。ちょっと歩いただけだよ?」


 などと、エックスはどこか楽し気に嘯くのであった。

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