脱出!
背後にいる子どもは二人。彼らを救助しつつこの魔女の巨大な包囲網を脱出しなければならない。幾つもの巨大な視線がエックスを貫く。ほんの少しだけ胸がドキっとした。巨大な相手に明らかな害意をもって見つめられているということはやっぱり少しだけ緊張する。それが今の自分よりずっと弱い相手であっても、だ。
「この小人どこから……」
魔女の内の一人が手を伸ばしてきた。呑気な声の調子。油断しきった雰囲気。今がチャンスと判断した。一人が手を出せば、当然他の手は止まる。エックスは振り返りながら背後にいた二人の子どもの手を握り、そのまま思い切り床を蹴って跳びあがった。この間一秒未満。
「あれ、いなくなったよ!?」
「ええっ。あ。子どもの小人もいなくなってる!」
「うそっ!?あーもう、つまんない!」
天井面に足を突き刺してぶら下がるエックスは、見当違いのところを探している魔女たちの様子にほうと安堵のため息を吐いた。
「うわ……もごっ!?」
「きゃ……むぐっ!?」
脇に抱えている二人の子どもが、あまりの高さと不安定な自分の状況に怯えて大声を出しそうになったので、咄嗟に口を塞ぐ。ここで魔女たちに気付かれたらまた面倒なことになる。
魔女たちがこちらに対して警戒していたならもう少し脱出も難しかった。だが相手はエックスたちのことを取るに足らない小人と見做している。彼女たちにとって少し予想外のスピードを出してやれば簡単に逃げられると思っていた。
「おちっ。落ちるっ!?」
胸ポケットの出口をギュっと握りしめて落ちないようにと頑張っている公平の声。エックスはクスっと小さく笑った。
「落ちてきていいのに。口で受け止めてあげるよ?」
この声を受けて公平が下を見やる。大きな口をあんぐりと開けてエックスは彼が落ちてくるのを待っていた。
「あーん」
「……いやっ!落ちない!もうちょっと粘る!」
強情な公平だな、と。エックスは少しだけ可笑しくなった。同時にチャイムの音が鳴る。時計を見ると13時の少し前。お昼休みの終わりの予鈴らしい。こうなると学生である魔女たちはそれに従って次の授業の準備をしなくてはならない。
「よしっ。これでもう大丈夫、と」
五分後。次の授業の担当の教師である魔女が入ってきた時。エックスは天井面を蹴って、開かれた扉の奥へと飛び込んでいった。次の瞬間ぴしゃりという音とともに高層ビルのような高さの扉が閉じられる。
「ふう」
扉を背もたれにして腰を落とす。廊下は掃除を雑にしているのか少しだけ埃っぽい。この大きさでこの世界にいるとどんどん身体が汚れてしまいそうだった。イヤだなあと思いながら、腕の力を緩めて子どもたちを自由にしてあげる。
「もう大丈夫。危ないところだったね?」
にこっと微笑んで言う。一人は男の子。もう一人は女の子。どちらも中学生くらいの見た目に見えた。
「あ、ありがとうございました」
男の子の方が言って、二人同時に頭を下げる。
「いやいや。いいよいいよ。好きでやったことだし。ボクはエックス。キミたち名前はなんていうの?」
「あ、ごめんなさい。オレはアキト。こっちは妹のユリ」
「よ、よろしくお願いします……」
「アキトくんにユリちゃんね……。うん。よろしく」
二人はどこかエックスのことを警戒しているように思えた。無理もないかと思う。あれだけ無茶苦茶な身体能力を見せつけたのだ。二人にしてみれば目の前にいる女なんておっかなくて当然だ。そう思われるのはちょっとだけ寂しいけれど。
「それにしても。キミたち一体なんだってあんな危ないところに?」
「逃げてきたんです。オレたち。このままだと……鳥の餌にされそうだったから」
アキトの言葉にユリがこくりと頷いた。そういえばそんなことを中の魔女たちが言っていた。アオヤギとかいう魔女が人間をペットの餌にしているとかなんとか。この世界にはそんなに大きな鳥がいるのかと呑気に考える。
「廊下にいたら人間に見つかりそうだったから……。だから誰もいなかったこの教室に隠れていたんです。でもしばらくしたらいっぱい来て……」
「なるほどね」
たまたまここのクラスが体育の授業だったのが良くなかったのだろう。安全地帯と思われていた無人の教室がものの数分で危険な空間に早変わりしたのだ。とはいえ見つかったのが、魔女たちが着替えている最中だったらもっと酷かったかもしれない。場合によっては何も言わずに踏み潰されていたかも。
「それで?この後二人はどうするの?」
エックスの問いかけにアキトはふるふると首を横に振った。思わず目を丸くしてしまう。
「なにか当てがあって逃げ出したんじゃないの?」
このまま学校にいても遅かれ早かれ死ぬ。魔女に見つかって捕まるか気付かれないうちに踏み潰されるかの二つに一つである。かといって外に出たところで危険が消えるわけでもない。どこか魔女に見つからない隠れ家のような場所でもない限りはいつでも死と隣り合わせなのだ。そして魔女の手から逃げ出してきた以上は自治区域に入ることも諦めているのだろう。
「どこでもいいから逃げたかった。鳥に食われるよりはマシな死に方が出来れば、って」
アキトはユリの頭を撫でながら言う。その目はもう全部を諦めたような雰囲気で。放って置いたら次の瞬間よからぬことをしでかしそうな雰囲気に思えた。
「ワタシが人間になれたらアキトを守れるのに……」
ユリが俯いて言う。
「そうか。人間が魔女……。じゃなくて。小人が人間になるんだもんね。ユリちゃんが大きくなったらアキトくんを守れるか」
「でもそんなの滅多にないですよ。普通に産まれてくる人間の方がずっと多いんだ。元小人の人間なんて全体の10%もいない」
「……ん?待って。『普通に産まれてくる』?」
「ええ。普通に。それがどうかしたんですか?」
兄妹のあっけらかんとした様子にエックスはもしやと思って聞いてみる。
「……一応参考に質問するんだけど。普通にって、人間を産むときにはお父さんとお母さんが必要じゃない?でも魔女って女の子しかいないでしょ?……どうしてるんだっけ?」
アキトは少し照れたような呆れたような感じで口を開く。
「……だからっ。そんなの。人間が小人の男を捕まえてっ」
それから暫くの間。この世界に於ける保健体育の授業が始まった。エックスは興味津々といった面持ちで目を爛々にしながら聞いていた。内容はある程度知っていることだった。要するにエックスが公平と一緒にやっている、人間と魔女でのセックスだ。
この話を聞いて初めてエックスはこの世界に来てよかったかもなと思った。自分たちのセックスは決して間違っていなかったのだ。そして上手くやれば自分と公平との間にも子どもが出来るらしい。100%魔女が産まれるらしいが、自分たちなら大丈夫だろう。取り敢えず今後ちゃんと避妊をするべきかどうかは悩みどころである。
「そっか。なるほどね。うん。いい話聞いた」
「いい話って。選ばれた小人は、人間の中で捻り潰されるんだ。どこもいい話じゃないですよ」
「ああ。ごめんごめん。確かにそうだ。うん。ごめん。こっちの話だから」
アキトの言う通り魔力による強化を施していない人間ではまず間違いなく中で潰れて死ぬだろうが。それはエックスと公平には関係の無いことである。何しろもう既に何度もやっている行為なのだから。とはいえアキトもユリも少しばかり怒っている様子。
「許してよお。代わりにこの場から助けてあげるからさ」
「助けてって……そういえばエックスさんってどこから」
その時、授業終了を知らすのチャイムが鳴り響いた。アキトとユリの顔が青ざめる。
「しまった……。話し過ぎた……」
「アキト……!」
ユリは不安げにアキトの服の袖を掴む。それを見て、彼は覚悟を決めたように妹の手を掴んだ。行先はないけど。行けるところまで行く。死ぬ瞬間ギリギリまで足掻いてやる。
「行こう。ユリ。エックスさんも」
「待って待って」
エックスはアキトの腕を掴んだ。その力は強く、振りほどくことが出来ない。
「離してください!オレたちは逃げるんだ!」
「ここから逃げたって死んじゃうだけだよ」
「でもここにいたって死ぬだけだろ!?」
アキトの言葉にエックスは首を横に振る。その瞬間教室の扉が開いた。眼鏡をかけたスタイルのいい数学の教師が一歩外へ出てくる。超重量を誇る足が空気を圧縮し突風を起こした。吹き飛ばされそうになる兄妹をエックスが支える。
「うわあっ!?」
「きゃあ!」
「うん?」
アキトとユリの叫び声に教師が反応し、床に視線を落とす。
「あら。小人。しかも三人も」
「あ、ああああ……」
「いやだ……いやだよ……」
教師は片膝をついて三人に手を伸ばしてきた。彼女も魔女の本能を抑えるつもりはないらしい。眼鏡の奥の瞳は獲物を前にして愉悦の色を見せている。それがエックスにはイヤだった。本能にただ従って生きるなんて、まるで獣だ。
「大丈夫だよ」
エックスはそう言ってアキトとユリを抱き寄せた。そのまま縮小の魔法を解除し、元の大きさへと戻る。
「……あ、あらっ?」
「おっと。どうやらボクは『小人』から『人間』になったようだ」
芝居っぽい口調で言う。この世界、小人は手酷く扱われる一方で人間は優しくされる。こうなってしまえばエックスだって特権階級だ。さっきまで一緒にいた兄妹は自分の友人であると主張すれば他の魔女から守ってあげられる。この場にいる魔女全員と戦って撃退する必要はない。
(それにこれなら迷い込んだ『小人』が『人間』になったってだけ。アキトとユリと同じで誰かのところから逃げたことにしたっていい。少なくとも外部から忍び込んだ不審者じゃないぞ)
悪戯な笑顔ですっと立ち上がる。釣られて教師の方も起立した。元の大きさに戻って立って並んでみて分かったが、エックスの方が頭一つ分背が高い。ちょっとだけ可笑しくてくすっと笑う。
視線を下に落とした。兄妹は二人とも状況を吞み込めていない様子である。ただやはり魔女は恐ろしい存在ではあるようで少し怯えた表情で自分を見上げている。
「ほら。ねっ?もう大丈夫」
だから少しでも安心させてあげたくて、笑顔でウインクしながら言ってみる。




