学校へ行こう
魔女と人が共存する世界。この世界は数時間前に生まれた数億年分の歴史を持つ世界である。そういう情報だけを保持している世界なのだった。
共存とは言うが、対等な立場ではない。魔女は普通の人として生きていて人は小人として彼女らに踏み潰される危険と隣り合わせな世界で生きている。明確に下位の、劣った存在として扱われているのだ。
「おかしいと思わない、そんなの!」
そう息巻いているのはエックスである。彼女は今、元の大きさに戻っていた。人間世界に於いては100mの巨人である彼女もこの街の中では魔法を使えることを除けば少し背の高い女性に過ぎない。
目の前の門の奥にある建物はとても大きかった。この辺りでは一番大きい学校なのだとか。当然魔女のためのものである。人間世界にあったら小さな町の一角を丸ごと押しつぶしてしまうのではなかろうか。
「やっと着いたのか……?」
公平が彼女の上着の胸ポケットから顔を出して尋ねる。
「ん?うん。あの魔女の言った通りだった」
「恐かったなあ、もう。エックスが元の大きさに戻るまでずっと死ぬかと思ったよ」
「えー、そう?ボク的にはちょっと新鮮だったけどな。面白くはなかったけど」
この世界では『小人自治区域』の外に出た人間から人権がはく奪される。と、言うよりも自治区域にいる間だけは人間として認められるらしい。かといって全ての人が入れるわけではない。容姿・頭脳・身体能力といった様々な部門に対しての試験をクリアした高水準の人間だけが入れるのである。
試験を受けるためには最低一人の魔女のお墨付きがいる。この小人は小人にしては出来がいいと魔女に認めさせなければならないということだ。そんな許しを出してくれる魔女は早々いない。大体の場合出会った瞬間に踏み潰される。つまり前段階からして厳しいハードルが課せられているということだ。その代わり一度入ってしまえばその子孫も中で生活することを許される。高水準の小人の子供も品質が良いということで、だ。
そういうわけで小人として外に出たエックスと公平には常に危険が襲ってきた。道行く魔女に捕まりそうになったり気付かれないうちに踏み潰されそうになったり、或い車や自転車に轢かれそうになったりと。このままではいつまで経っても進めないので、エックスは仕方なく元の大きさに戻ることにしたのであった。
「しっかし。この世界の魔女は魔女と人間とで対応が全然違うね。この大きさに戻ったらみんなすごく親切だった」
元の大きさに戻ってから適当な魔女に学校の場所を聞いてみたらすごく親切に教えてくれた。その優しさがあるのなら、自分よりずっと小さな相手にも優しくしてほしいものである。
「それで?なんで学校なんだっけ。バタバタしてたから全然聞けなかったけど」
「ああそれね。この世界の歴史を知りたくてさ」
この世界には昨日以前の過去はない。今日生まれたばかりの新しい世界だからだ。しかして昨日以前の過去の情報は存在する。
「この世界だって最初からこんなんじゃなかったはずだ。魔女は人間から生まれるものだしね。きっと最初に魔女になった誰かがいて、その誰かの行動が今のこの世界を作ったんだと思うんだよね。歴史の授業なんかどこの学校にもあると思うし、ちょっと盗み聞きしてやろうと思ってさ」
「なるほど。……なるほどね」
エックスの言いたいことは概ね分かったけれど、一つ彼女は大事なことを忘れている。今このタイミングで最初の魔女が現れた時代に関する授業が聞けるとは限らないということだ。
「さあて。行くよ、公平!」
元の大きさでのこのこ入って行ってもきっと追い出されてしまう。エックスは再び人間サイズに小さくなって、校門の隙間からこっそりと中に入り込んだ。
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昇降口は静かであった。生徒らしき魔女の気配もない。今はきっと授業中。みんな教室とかグラウンドとかそういうところで勉強をしているのだろう。普段魔女が行き来しているからか、周囲は砂っぽくて煙たい。左右に聳えたつ巨大な壁は靴箱。エックスはその間を軽やかな足取りで駆けていき、框をジャンプで登る。
「ほらっ。公平も早く」
「無茶言うなよ!今俺魔法も魔力も使えないのに!」
「あっ。そうだ。そうだったね」
「封印した張本人が忘れるな!」
てへっと誤魔化して框の上から降りてくる。それから公平の手を握って。
「じゃあ行こうか」
「うん」
「あ、ちょっと待って……」
少し考える。どうしたのだろうと公平が首を傾げると、彼女は『えいっ』と公平に魔法をかけた。
「うわっ。なにを」
気が付くと公平は60分の1の大きさに縮められていた。巨人の世界に迷い込んだ小人状態だったというのに、更に小さくなってしまった格好である。広い手のひらの上に載せられて、上からにっこりと自分を見つめるエックスの大きな顔を見上げる。
「うん。こっちの方がいい。持ち運びしやすい」
「持ち運びって……。人をモノみたいに」
「まあまあ。その代わりにちゃあんと守ってあげるからさ」
そう言うとエックスはまたしても公平を上着の胸ポケットへと招き入れ、改めて框を登った。続いて左右を確認。広くて果てしなく長い廊下が続いていた。正面には先ほどの框なんて目じゃないくらいの階段が。一段一段が数mはある。
人間世界の60倍の大きさの世界なのだ。廊下の幅だって相対的に60倍になっているに決まっている。そんな中で一人ぽつんと立っているエックスはなんだか虫になったような気分だった。こういうのはやっぱり新鮮で、少しだけ面白い。
窓から差し込む日の光が道を照らしてくれている。どの道を進めば教室に着くのか、正直言って分からない。
「さてどうするか……。うん?」
背後からがやがやと賑やかで明るい声が聞こえる。地面が微かに揺れ始めた。外で体育の授業を受けていた生徒が戻ってきたのだ。先ほどまで自分たちのいた昇降口では楽し気に談笑しながら上履きに履き替えている100m級の体躯を持つ魔女の生徒たちが。
公平が胸ポケットからひょいっと顔を出し、小声でエックスに話しかける。
「おいおいおい。大丈夫かよ……」
「大丈夫だって。こっちはこんなに小さいんだから。大声ださなければ気付かれないよ」
「そうかな……」
「それにちょっといいことも思いついたし」
「いいこと?」
ずしんずしんと音を鳴らして、体操着姿の魔女たちが近付いてくる。エックスは公平をポケットの奥へと押し込むと、悠然と彼女らが来るのを待った。一歩一歩進むたびに揺れは大きくなる。だがエックスはよろけたりしない。怪物のような上履きが迫ってくる。だがエックスは慌てない。冷静になれば危ない位置は分かるものだ。
「ここじゃなくて。……こっちかな」
少しだけ右に移動する。次の瞬間、ほんの一瞬前に彼女がいた場所に靴が踏み下ろされた。
「よしっ狙い通り!」
エックスはぴょんとジャンプして真横に落ちてきた靴の紐を掴む。そのまま靴の主はエックスに気付くことなく進んで行った。このまま行けばきっと教室に戻る。
「ふっふーん!場所が分からないなら連れて行ってもらえばいい!」
「揺れっ、揺れる!大丈夫かよコレっ!?」
胸ポケットの中で公平が騒いだ。エックスはポケットの口を右手で塞いで彼が飛び出さないようにする。左手は靴紐をギュっと握りしめている。彼女の身体能力ならばこれくらい軽いものだ。
「まあまあ。落ち着きなって公平。ボクが一緒なんだから大丈夫。大船に乗ったつもりでいなよ」
「この大船めっちゃ揺れるんですけど!船酔いするんですけど!」
「もうちょっとの辛抱だ!頑張れー!」
エックスはけらけらと笑いながら言った。
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「あーもう。疲れたー」
「あつーい。もう汗でびしょびしょだよー」
「ねえ。午後の授業なんだっけ?」
「えーっとね。げ。数学だ」
「うそ。アタシ宿題してきてないよ」
魔女の学校は魔女が通うものなので。基本的には女の子しかいない。だからと言うわけでもないのだろうが、魔女たちは平然と教室で着替えていた。エックスはそれを教室奥のロッカーの上で腕組しながら見ている。腕を組くんでいるのは万が一にも公平が外に出ないように胸ポケットの出入り口を封鎖するためだった。
時計を見れば12時過ぎ。恐らくこれからお昼休憩。その上次の授業は数学。ここにいてもこの世界の歴史は教えてもらえないだろうな。エックスはがっくりしながら立ち上がり、他の教室へ行ってみることにする。
「あっ。ねえ、みんな小人いるよ!」
見つかっちゃったかな、と面倒に思いながら顔を上げる。が、魔女たちは自分の方を見ていない。代わりに見つめているのは床である。何人かの魔女はきゃはははと笑いながらわざとらしく音を立てて歩いていた。すぐにそこにいる人を追い詰めているのだと、エックスは理解した。
「こいつ等どこから入ってきたのかな」
「アオヤギ先生のところから逃げてきたんじゃない?」
「あ、それだ。どうする?返す?」
「いいよ。アオセン、ペットの餌用の小人いっぱい飼ってるしバレないバレない」
「でも微妙なのしかいないね。子どもばっかり」
「アタシいらなーい」
「えっ。じゃあウチがもらおうかな」
「私もほしーい!子どもって腕とか脚引っこ抜くと面白い声で泣くんだよ!」
「うわっ。ヤーちゃんひっど」
どっと笑い声があがる。楽しそうに語る彼女らの言葉は酷く残酷で、そこにいる子どもの気持ちを考えると胸がきゅっとする。
まだエックスはここに来た目的を何も果たしていない。だからここで騒ぎを起こすのは本意ではない。出来れば目立たず静かに。彼女らに見つからずに行動を続けたかったが。
「仕方ないよね」
諦めたように小さく笑うと思い切りロッカーを蹴る。その勢いで魔女たちの輪の中へと飛び込んだエックスは、自分を見下ろす幾つもの巨大な顔を見上げた。
「えっ。この小人どこから来たの?」
「なんかいきなり出てこなかった?」
「まあなんでもいいじゃん。一匹増えたってことで」
小人が突然現れた戸惑いと小人が突然増えた愉悦。背後から感じる子どもたちの恐怖。それらを肌で感じながら、どうするかな、とエックスは考えた。




