休息の世界五分前仮説
世界五分前仮説という言葉がある。どれだけ長い過去を持つ世界であっても、その過去の情報ごと世界が五分前に構成された……という仮説を否定することはできないという意味合いだ。
「そういう感じでね。魔法の連鎖に新しい世界が出来たんだ。ちょうど五分前。生まれたばっかりなのにもう人間世界レベルの文明になってるんだよ。面白そうだしさ。ちょっと遊びに行ってみない?」
エックスは妙に嬉しそうに公平に問いかけた。
連鎖は世界の集まりで、世界はよりよい連鎖を構成するために長い時間をかけて崩壊と再生を繰り返している。出来のいい世界が生まれれば、次に生まれる世界はそれを模倣して、全体としてのレべルをあげていく。
さて。連鎖に神様が生まれたとする。神様が生まれる世界はよい世界のはずである。だから新しく出来る世界は神様の生まれた世界を真似しようとする。環境やヒトの形だけではなく神様が生まれる前までの歴史まで。と、なると。神様が生まれる前から世界を運営するのは時間と資源のムダなので。それ以降生まれる世界はある程度の過去は単なる情報として刻み込まれて、神様が生まれたのと近い時代から動きだすのだ。
そういうわけで、エックスがランク100になってから初めて生まれた新しい世界はある程度の過去を持っている。といっても、魔法の連鎖は魔女の世界のエックスと人間世界の公平の二人が出会ったことで神様が生まれたので。
「新しくできた世界ってどんな世界なの?」
「ふっふっふ。すごいよー?なんとね。魔女と人間が一緒に暮らしている世界みたいなんだ!」
エックスの言う通り。新しい世界の歴史は二つの世界のものを適度に混ぜ合わせたものになっていた。
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新しい世界は魔女と人間が一緒に暮らす世界。魔女の世界と人間世界の歴史が適当なバランスでミックスされた世界。考えようによってはエックスの理想の世界である。彼女はこういう類の世界が生まれたらすぐに感知できるように連鎖全体に魔法をかけていた。もしそんなものが出来たら自分の目で見てみたいと思って。人間世界を離れる気はないけれど、人間世界がそんな世界になったらいいなと憧れを抱いてはいる。そんな世界に。エックスと公平はやってきていた。
「ここが。魔女と人間が一緒に生きる世界か」
公平は周囲を見回しながら呟く。
「うん。どうやらそうみたいだ」
彼の隣には人間大の大きさに縮んだエックスが居る。この大きさで魔女と人間の暮らしを見てみたいと思ってのことだった。が。
「……それにしては」
「魔女がいないね」
実際に目の前に広がっているのは人間世界とそっくりの風景である。のどかな住宅街。風が穏やかに吹いてきて、近くの公園では親子が楽しそうに遊んでいる。道行く人はみな普通の人間。キャンバスはさほど大きくないし魔力も感じない。人間世界の人と同じような服を着た普通の人たちだった。彼らがみなついさっき生まれた命だなんて信じられない。
「間違えたんじゃないの?お隣の世界に来たとか」
「まさか……ボクが間違えるなんて」
確かにこの世界であっているはずなんだけどな、と呟く。
「てかさ。エックスの話が本当ならここ魔女がいるんだろ?流石に魔法を使えるようにしてほしいんだけど」
「まあまあ。これも休憩ってことで。第一魔女と人間が共存しているんだよ?安全に決まっているじゃあないか」
「今のところ魔女は見当たらないから平和だけどさ」
「うーん……。そこなんだよなあ」
探知をしてみようにもこの世界、魔女も含めて魔法が使えそうな者の気配をまるで感じない。だから魔女と人間の区別がつかないのだ。無理やり探ることは出来るだろうけれど、多分探知の力だけで周囲の人が発狂してしまうだろう。仕方がないのでエックスは公園に向かって歩いていった。公平が後についていくと、彼親子連れの母親に『すみません。ちょっとお聞きしたいことが……』と尋ねている。
「はい?えっと。なんですか?」
「あのお。この辺に魔女っていない、です?」
「ま、魔女?」
母親は見るからに怪訝な表情を浮かべた。
「まじょいるよー」
と、未就学児くらいの年齢に見える子供が先に答えてくれる。
「おっ。本当?ドコにいるの?」
「ここ!」
子供が指差したのは持ってきた絵本である。『アラララ姫』とかいう聞いたことのない名前の童話。その表紙にいかにも悪そうな顔をした魔女のおばあさんが描かれている。
(あ……。これ魔女で通じないんだ)
母親の方はすっかり警戒している様子だ。この調子だと本当にこの世界には魔女がいないんじゃないかと思ってしまう。だがしかし。エックスの魔法は確かに魔女と人間が一緒に暮らす世界の誕生を感じ取ったのだ。ここには魔女がいるはずなのだ。
(……巨人の概念と魔女という言葉がイコールじゃないんだな)
そう思い直して。エックスはこほんと咳払いする。どうもこの世界は魔法が現実のものとして捉えられていないようだ。使える者がいないのだから当然である。だとしたら魔女という言葉から現実にいる巨人を思い浮かべる方が無理な話なのかもしれない。
「ごめんなさい。えっと。巨人。巨大な人がどこにいるか知りませんか?」
「きょ、巨人?いやいやそんなのいませんよ」
これでもダメなのか。流石にエックスは落ち込んだ。本当に自分の感知が上手くいかなかったのかもしれない。
「あ。もしかして」
と。後ろで公平が何かに気付く。そして。『あの』と躊躇いがちに口を開く。
「『普通の大きさの人』ってどこにいます?」
「え?……ああそれなら。えっあんなとこ行くんですか?」
「『あんなとこ』かあ……」
「えっ。えっ?どういうこと?」
『普通の大きさの人』がいるところまでの道を聞いた公平は、エックスと一緒にそこに向かうことにする。母親は『なんでこんなことも知らないんだろう』と言いたげな顔で見送ってくれた。
公園を少し離れてから、エックスは公平に尋ねる。
「ねえ、公平。どういうこと?なんであれで通じたの?」
「いやだから……この世界最初から魔女がいるんだろ?」
「うん」
「だから……その……いいたくないけど。魔女の方がが普通になってるんだよ。で、俺たちのサイズはその……小人扱いというか」
「ええ……」
なんだか急にこの世界がイヤになってきたエックスである。
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行き着いた先は、例えて言うなら『関所』だった。普通の大きさの『人間が住む街』と『小人が住む街』とを繋ぐ関所。職員に聞いてみたら『人間が住む街』には最低一つ『小人自治区域』なるものを用意する義務があるらしい。親切に教えてくれた職員に向こう側へ行きたいと尋ねると、彼は信じられないものを見たと言わんばかりの表情を浮かべた。
「本当にこの先行くんですか?やめといた方がいいですよ」
「……それはどうして?」
「死にますよ?」
ああ、とエックスは胸の内で天を仰ぐ。この世界は理想の世界ではなかった。ただ単に、巨人と人間が同じ世界で暮らすことのできる程度の制度が整っているだけの世界。人間が簡単に巨人に殺される世界であるというのは、魔女の世界と何も変わらない。
目に見えてショックを受けているエックスを気遣うように公平は声をかける。
「大丈夫?やっぱ向こうに行くのやめる?」
「あのー。一応行くのは自由ですけど。迷っているならやめた方がいいと思いますよ?」
職員さんにまで言われてしまった。エックスはふうと息を吐いて、口を開く。
「いや。行く」
ここまで来たらどんな世界が広がっているのか見てみたい。いずれ人間世界にも魔女が生まれて増えていく。この世界はその時の最悪の場合のシュミレーションだ。そういうことにすれば見る価値だってある。
「そうか。じゃあ、行こうか」
「……ああ。それでは。あの。向こうでは一切の人権は無視されますので。それからこちら側へ戻ってくることも出来ませんので。悪しからず」
ここまで親切に先に進むことを考え直すように言ってくれた職員さん。最後にすごく嫌なことを言ってくれた職員さん。二人は彼にお礼を言って先へ進んだ。
少しだけ長く続く通路を歩いていき、やがて『関所』の出口である扉の奥へ進む。外の景色にエックスも公平もぎょっとした。まるで人間世界の都会だ。大きさを無視すれば人間世界と同じである。高層ビルが幾つも立ち並び、あちらこちらを人が行きかっている。違う所は大きさだけ。建物も人も全部魔女サイズだった。
振り返って関所を見てみる。見上げてもてっぺんが見えないほどに大きなドームがあった。
「さっきの街はこのドームの中に作られたものなんだね……」
「じゃああの空も太陽も作り物かあ」
「おや。何だろうあれ……張り紙かな?」
見ればドームには何か紙が貼ってあって何かしら書いてあるらしい。とはいえ殆ど真下のこの位置からでは書いてあるものが分からない。エックスと公平はドームから離れて張り紙を確認しようとした。
「うーん。なんて書いてあるんだろう。もうちょっと離れてみようか」
「そうだな……うわっ!?危ない!」
「え?……ひゃあ!?」
二人のすぐ真横に踏み下ろされた巨大なハイヒール。その風圧に吹っ飛ばされそうになった。この街を行き交う『普通の人』──つまり魔女に危うく踏み潰されそうになった格好である。
「……ん?なにか聞こえたような」
ハイヒールの主は足を止めた。彼女の巨体が作る深い影が公平とエックスと包む。魔法は使えずとも魔女は魔女。五感を含めて肉体の性能は限りなく高い。足元からした60分の1サイズの人間の悲鳴さえ聞き取れたようだ。このままだと気付かれる。
「ヤバイ。エックス逃げよう」
「待ってよ。足元気を付けろって文句を……」
「いやそんな事言ってる場合じゃ……」
「えっ。小人がいる」
ぎくりとした。気付かれてしまった。顔を上げると巨大な驚いた表情がこちらを見つめていた。童顔で少し垂れ目の可愛らしい顔立ちだが、これだけ大きさが違うと威圧感の方が大きい。
「まずい。エックス逃げ……」
彼女の手を引いて離れようとするも、エックスは公平の手を振りほどいてびしっと遥かな高みでこちらを見下ろす魔女を指差す。
「こらっ!危ないじゃないか!危うく踏み潰されるところだったんだぞ!もっと足元気を付けて歩きなさい!」
「エックス!?何をしてんの!?」
「わあ。なんか言ってるー」
「うわっ!?」
「わっ!?こらっ、なにするんだ!?」
名も知らぬ魔女はエックスの怒りの言葉など意に介さず、巨大な手を伸ばして二人を摘まみあげてしまう。100mの高さへと登っていくエレベーターだ。ふと視線を横にしてみるとさっきのドームに書いてある張り紙の文字が読めた。『この先小人自治区域。一切の立ち入りを禁ず』とある。
「へー。もしかして小人自治区域から出てきたのかな。バカだなーこの小人」
「いきなり摘まみあげたりしないでよ!ボクにも都合ってもんがあるんだからさ!」
ぷんぷんと怒っているエックス。公平はそれを横目で見つめる。エックスが公平を摘まみあげる時、こちらの都合を気にしていたことは数えるくらいしかなかったと思う。どの口でこんな文句を言っているんだろうかと不思議に感じた。
「って。そんな場合じゃないってエックス。これヤバいよ……」
「あっ。こっちは男の子かあ」
じいっと。ぱっちり開いた栗色の瞳が興味深げに公平を見つめる。指先でくるくると転がされて、身体の上から下まで。全身を隈なく品定めをしているみたいだった。
「うーん。まあまあかなあ……。うん、この子は持って帰ろうっと」
「えっ!?」
「なに言ってんだよ!?公平はボクのパートナーなんだぞ!勝手に持ってっていいわけないだろ!」
「こっちの女の子は……。ミーコにあげたら喜ぶかなあ」
「ボクはモノじゃなーい!人にあげるとかあげないとかそんなことをしていいと思ってんの!っていうか!大きさが違うからって相手を玩具みたいにするのは……!」
またしても自分のことを棚に上げた台詞を吐くエックス。わいわいと姿に、彼女を摘まみあげている魔女の目が急に冷めた。
「……うるさいから。やっぱいいや」
魔女は興味を失くしたように言うと、ぱっとエックスを摘まんでいる指を離す。
「うわっ、とぉ!?」
突然のことに対応できなかったエックスはそのまま地面に落っこちてしまう。アスファルトの道路に激突した彼女だったが身体はどこも痛くなかった。ちょっとビックリしただけである。それが収まると続いて怒りが心の中で湧いてくる。こんな仕打ち酷過ぎる。自分だったから良かったものの他の人間だったら死んでいる。
「ちょっと!いきなり何を……」
と。言葉を言い切るより先に。『ずうん』という重たい音を立てて、巨大なハイヒールがエックスの真上から落ちてきた。
「ああっ!?エックス!?」
魔女に摘まみあげられたこの位置からでも公平には分かった。少し苛立った様子でエックスを地面に落としたこの魔女はそのまま彼女を踏みつけてしまったのだ。あまつさえつま先を支点として足をツイストさせて踏みにじってまでいる。
「……さっ。行こうか。小人さん」
魔女はついさっき踏み潰した小人のことなど気にも留めず歩き出した。エックスが離れていく。暫く進んでから彼女は公平を見た。戦利品を確かめる程度の意思だったが、何か言いたげな雰囲気を感じる。
「どうかしたの?なんか言いたいことでもある?」
「……エックスにあんなことして。あんた後悔するぞ」
「は?」
露骨に不機嫌になった魔女は公平を捕らえる指先の力を強くした。その圧迫感と苦しさで公平の表情が苦悶に歪む。
「なに?よく聞こえなかったけど。踏み潰されたいって言ったの?」
『言ってないよ』と言いたかったけれど。あまりに苦しくて声が出せなかった。そんな様子に少し気が晴れたのか魔女はすぐに指先の力を緩めてくれる。
「なんて。冗談冗談。レアな男の子の小人だもん。こんな簡単に潰したりは……、うわっ!?」
突然、ハイヒールの踵が折れてしまって。魔女はその場に転んでしまう。
「いたた……」
膝をさすりながら立ち上がる。なんでこんな急に靴が壊れてしまったのだろうと不思議だった。
「……あれ!?」
そして気付く。さっき捕まえた小人がいなくなっている。
「さっきの男の子は!?潰しちゃった!?あれ!?」
きょろきょろと地面を見て、そこには小人がいなかったので、今度は服に血の痕が残っていないか確認する。しかし、そんな形跡はどこにもなかった。魔女は暫く公平を探したが、やがて気付かないどこかに行ってしまったのだと自分を納得させることにした。
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「ボクはばかだな」
エックスは大の字に寝転がりながら呟いた。太陽が目に染みる。身体には傷一つない。60倍の大きさの相手に踏みにじられたってエックスは平気だ。ただ心が痛かった。
夢を見ていたのだ。人間と魔女が一緒に暮らす世界があると。すぐに現実を見せられた。そんな世界はまだどこにもないのだと痛感する。
「いいさ。もう。反面教師だ。人間世界をこんな世界にはしない。それでいいさ」
呟きながらエックスは立ち上がり、公平を連れて行き自分を踏み潰そうとした魔女を見定める。この世界のことはもう許す。悪い例として記憶に刻み付ける。
「それはそれとして」
エックスは魔女に向かって走り出した。まともな人間ではありえない速さで徐々に徐々に相手との距離を詰めていく。
「お前は許さーん!人のこと足蹴にしやがってー!」
助走をつけたエックスは地面を思い切り蹴って飛び蹴りした。矢のような鋭さと勢いでハイヒールの踵をへし折る。その瞬間魔女はよろけた。エックスはそのまま垂直に跳びあがって、指先に捕らえられている公平を助け出すと、そのまま着地して魔女から離れていく。
「ふふん!いい気味だ!」
「助かったよエックス!で、どうする?帰る?」
暗に帰りたいよという意志を伝える。エックスは少し考えてから口を開いた。
「ボクはこの世界はもう反面教師だと思うことにしたんだ」
「うん」
「だからもう少しこの世界を見てみる。取り敢えずどんな教育してるのか見たいな。うん。学校へ行こう」
「……そっか」
帰りたいんだけどなと思う。思うけれどエックスはもう決めてしまったみたいなので。公平にはもう止めることはできない。
「……せめてさ。やっぱ魔法だけは使えるようにしてくんない?」
「うーん。考えとく」
そこは即断即決してほしかったな。公平は苦笑した。




