最後の切り札は。
ギドウは自分でも驚くくらいに落ち着いていた。聖女──ベール・タニアと再び対峙した時、自分がどうなるのか疑問であった。家族の仇を前に怒りに飲み込まれるのか。或いは家族を殺された恐怖に押しつぶされて動けなくなるのか。
「どっちでもなかったな」
タニアが苛立った顔でゆっくりと立ち上がる。明確に敵意を向けられている。立ち上がることでその巨大がよりはっきりとし、やがてそれを超えて感覚が狂っていく。そんなわけがないのに、山よりも大きいのではないかと一瞬錯覚してしまう。巨人と向き合うというのは、そういうことだった。
死にそうになるくらいの熱量。何処からともなく漂ってくる肉の焼ける嫌な匂い。そして、燃える世界の光景。ギドウは深く息を吐く。五感で感じるすべてがギドウに怒りと恐怖を与えてくる。
「大丈夫だ」
自分に言い聞かせるように呟く。怒りは燃やす。かと言って飲み込まれやしない。恐怖は抱える。だが押しつぶされたりはしない。
後ろでじっと自分を見つめているエックスの方が、タニアよりもずっとずっと強かった。自分はそんなエックスに攻撃できたのだ。行けるさ、ギドウ。そのための準備はしてきただろう。
「『デイルハード=ギラディアン』!」
ギドウの持つ『心錬』の剣が発光する。『心錬』は心の形を武器へと錬って、力に変える能力。ギドウの力は雷を操る剣を創るものだった。
「それで?そのぴかぴか光る剣でなにする気?」
「簡単なことだ。お前を倒す」
そしてこの『デイルハード=ギラディアン』は、心錬の剣に更なる特性を付与する技。対聖女用にギドウが開発した第二の心錬。それがこの光る剣だった。
「……ふっ」
一方で。タニアはギドウの言葉に逆に冷静になっていた。こんな虫けら気にしても仕方ないと鼻で笑い、それから後はもうエックスのことだけ意識している。
ギドウは苛立ちながら、同時に心の何処かで安堵した。それならそれで、いい。油断してくれているならそれで結構だ。
「行くぞ……」
雷の力で脚力を強化。地面を蹴って跳びあがり、タニアの右腕を斬りつける。そのまま腕を蹴って距離を取り、空中で空気を蹴って旋回。続けて首筋を斬る。
『おっ』とエックスは思わず口に出した。
(ボクを攻撃した時に比べると遅いけど……)
それでもコントロールが出来ている。恐らくこれが、ギドウが制御可能な最高速度なのだろう。
「……ちっ」
タニアは思わず舌打ちした。かと言って彼女の身体には傷一つ付いていない。痛みすら感じていない。ただ不愉快だった。
「うおおおおっ!」
ギドウはタニアの周りを地上・空中構わず、縦横無尽に駆け回り、次から次へと斬り続けていく。今の速度は制御可能とはいっても身体にかかる負担が大きい。もう既に彼は必死だった。
そんなギドウの努力もタニアにしてみれば自分の周りを鬱陶しく無意味に飛び回るだけの羽虫のようにしか感じられない。このまま無視してエックスの対処をしたっていいのだ。
「っだあ!」
「ああもうっ!」
左腕を斬りつけられてから、一瞬遅れてタニアは斬られた箇所を叩く。無視しても問題ない存在とはいえ。無意味なことを繰り返しているだけとはいえ。自分の身体に攻撃を続けている人間を見逃してやれるほどタニアは我慢強くはなかった。
(それに……)
今のエックスから追撃をしてくる気配を感じない。少なくともこの男との戦いが終わるまでは動くことはないように感じる。であれば死なない程度に仕留めて捕えて人質にでもすれば。この場から撤退するチャンスが見えてくるのではなかろうか。
「このっ!このっ!」
身体中を斬りつけるギドウを追って叩いたり踏みつけたりする。だがどうしても一瞬遅い。理由は分かっていた。エックスから受けた攻撃のダメージである。全身を走る痛みが身体を鈍らせるのだ。
しかしタニアは攻撃を止めなかった。この速度、相手の身体の方が先に疲れ果てて動けなくなるのは明白だった。攻撃を続けてそれを躱すために必要以上に動かせ続ける。そうすればいずれ敵は行動不能に陥るだろう。
一方でタニアの方は、身体は痛むけれど疲れはしない。虫を追いかける程度の感覚でしかないから疲れようがない。そしてギドウの攻撃ではタニアは傷つくことはない。圧倒的にこちらが有利だった。遊んでいるだけで自動的に勝てる勝負である。
精々走り回ればいい。そのうち動けなくなったところを捕まえてやる。そんなことを考えてタニアはほくそ笑んで。
「えいっ」
ギドウを追いかけてぺチンと肩のあたりを叩く。
--------------〇--------------
「んー。ギドウクン、おかしなことしてるな」
ギドウの動向は気になるエックスだったが、それよりも先にやるべき事に意識を向けることにした。タニアは今、ギドウに気を取られている。街からも大きく離れていた。今なら逃げ遅れた生存者を助けることが出来る。神聖技を使われることもないだろう。
「ま。最悪使われてもいいけど」
タニアに魔法が通るようにしたのと同じことをすればいいのだ。つまり自分のキャンバスをこの世界の人間に分けるのだ。強力な魔法使いは神聖技の効果を受けにくい。エックスのキャンバスを得て疑似的に魔法使いにしてしまえば神聖技による洗脳は回避できる。
「さて。それはそれとして、と」
探知を開始する。まだ生きている者の気配を探る。残っている中で一番大きな建物──恐らく学校には大勢の生存者がいた。タニアが現れた時点でそちらへ避難したのだろう。取り急ぎそれはそのままでいい。今のところ安全だ。それより優先するべきは崩れた家屋。その瓦礫に埋もれている者の気配である。
「十。二十。……まだまだいるな」
同時にそれは。それと同じかあるいはそれ以上に瓦礫の下敷きになって亡くなってしまった者がいることを意味する。建物に押しつぶされて生きているなんて、それだけで奇跡のようなものなのだから。
エックスは怒りとか悲しみとかで震えそうになる心を落ち着かせて、生存者を自分の手の上へと移動させた。そのままでは全員を載せてやることは出来ないから、10分の1くらいに縮めてやって。
突然暗闇の中から光の下へと移動した生存者たち。彼らはみな一様に自分に何が起きたのか理解できない様子だった。きょろきょろと周囲を見回して、やがてこちらを見下ろす大きな瞳に気付く。
「あ、だいじょ……」
その瞬間に生存者たちからの反応が返ってきた。恐怖で逃げようとするもの。腰を抜かして震えているもの。泣き叫ぶもの。反応はまちまちだが、とにかく恐がっている。
「あ、っと。びっくりしたよね。だ、大丈夫。ボクはキミたちを助けに来ただけだからさ」
安心させてあげようと微笑んでみせる。却って悲鳴が大きくなった。エックスはしゅんと落ち込む。
「ま、無理もないか……」
ついさっきまで巨大な聖女に襲われていて、かと思ったら今度は(相対的に)聖女よりも大きなエックスの手の上にいるのだから。いきなり避難所の学校に送ったらびっくりするだろうと思ってワンクッション間に挟んだつもりだったのだが逆効果だったらしい。
エックスはそれ以上なにも言わずに、手のひらの上の彼らを元の大きさに戻した状態で避難所へと転送した。これで取り敢えずこの街の生き残りは救助出来たことになる。
「……それにしても」
再びギドウとタニアの対決に目を向ける。相変わらずタニアはギドウを捕らえることができないようだ。一方でギドウの攻撃がタニアに効いている様子はない。それがエックスには不思議だった。ギドウは魔法使いで言うならランク99相当の実力者。如何に相手が聖女とはいえ全くダメージを与えられないなんて信じがたい。
「ギドウクンは一体なにを考えて……。ん?」
その時に気付いた。タニアの身体が淡く光を放っている。その光はまるでギドウの持つ剣のようだった。
「……ああ。なるほど。そういうことか」
ギドウの作戦。その詳細をエックスは何となく理解した。そしてタニアに同情の視線を向ける。
「ちょっと可哀想だけど。でもまあ自業自得だ。この世界の人の方がよっぽど酷い目に遭ったんだもんね」
そう呟いて、まだ生き残りのいる街に意識を向ける。
--------------〇--------------
「うああああッ!」
「こいつ……!うっざい!」
ギドウの攻撃が始まってから十分以上経っていた。これだけ時間が経ってもタニアは攻撃を当てることが出来ていない。エックスの魔法による影響を考慮しても想定外だった。とっくの昔に疲れ果てて倒れているものと思っていた。その計算はある意味で合っている。心錬の力だけではギドウはもう開始時のような速さは出せない。今の速度は心錬と身体能力をあげる力を持つ果実・ギジメによる効果を重ね合わせた結果だった。
(これじゃまるで。アイツを相手にしているみたいじゃない……!)
同じような状況には覚えがあった。タニアにとっては最初の屈辱。思い出して思わず奥歯を噛む。もう二度と追いつくことのできない相手。自分がスピードで勝つことのできなかった、神速を誇る人間のこと。その記憶を振り払うように頭を振る。
「そうよ。そう。アイツはもう……」
そう言ってから。ハッとして空を見上げる。困惑したような顔で『えっ』と思わず呟く。そんなタニアは隙だらけだった。ギドウはその瞬間を見逃さない。ダメ押しでギジメをもう一口含み、身体強化をさらに上げる。その状態でタニアの腕を駆け上がりながら一気に五回斬りつける。
「ダアアアアアッ!っ!これでッ!」
ちょうどタニアの顔の位置に上がる。その瞬間視界がぼやけた。目が霞む。いよいよ限界が来たことを察する。次の瞬間にギドウの身体を途轍もない衝撃が襲って、100mの高さから一気に地面に叩きつけられた。
「ふっふーん。あったりぃ。ようやく限界が来たみたいね?」
タニアが嘲笑うように言う。どうやらタニアに叩き落されたらしい。心錬とギジメによる身体強化が無ければ死んでいた威力である。人間と聖女の身体の違いを痛いほど思い知ったギドウは剣を支えにしてよろよろと立ち上がる。
「はい。無駄な努力ゴクローサマ。見ての通りタニアちゃんには傷一つついてません。それに比べてアンタはもうふらふら。軽く叩いてやっただけでもう死にかけ」
「……やっと攻撃が当たって、安心したか」
「……あ?」
ギドウは口元を押さえながらタニアを見上げる。
「まだオレは、動ける」
「あ、っそ。強がりはもういいからさ」
そう言ってタニアはゆっくりと足を上げた。捕まえて人質にして──なんてこと。頭に血が上った彼女はとっくに忘れている。
「死んじゃえって」
「まだ、だっ!」
彼に向かって足が降ろされる直前のこと。ギドウの姿が消えた。タニアは目を丸くする。全く見えなかった。
「バカな……。あんな身体でまだここまでの速度が出せるなんて……!」
完全に予想外である。足を元の位置に戻して周囲を見回す。
「あのムシケラ一体どこに……」
ギドウは。動いていなかった。そんな余裕は彼にはなかった。彼が出来たことと言えば果物を齧ることだけである。食べた者を一定時間透明にするズリンズの実を。
「……まさか逃げたの!?」
きょろきょろと自分を探すタニアを見上げながら、ギドウはゆっくりと心錬の剣を構える。準備はもう十分にやった。やれることは全てやった。息を整えて最後の力を振り絞る。ここから先はコントロールを考える必要はない。今できる最高速度で。一撃だけ当てる。それだけを考えればいい。
「さあ。出番だ。……ッ!『ギド=デイルハード』!」
「うっ!?」
その声にタニアはようやく気付いた。ギドウはどこにも行ってはいない。まだ自分の足元に居る。姿は見えないけれどいる。見えないのならば聖技で焼くのが一番早い。
「『──聖剣起」
「もう遅いっ!」
タニアが。聖技を発動させるよりも一瞬だけ早く。落雷のような音が響いた。ギドウは地面を蹴っていた。その軌跡は地上から空へと伸びる雷のようで。その剣はタニアの腹部を斬りつける。彼女は斬られたことを無視してギドウが通っていった方へと振り返る。既に果実の効果は消えていて、彼の姿は見えるようになっていた。
(透明になったということは逃げる余裕はもうなかったということ。今なら簡単に殺せる!)
タニアはギドウに向かって手を伸ばした。
「これで終わり!アタシの……」
「そんな簡単な話だと思うか?」
「……は?一体なにを」
タニアは自分の指先からしたビリッという音に気付いた。『え?』と手を見つめる。手が痺れて、感覚が無い。続いて腕が痺れる。その痺れは全身に回り。やがて痺れは痛みに変わって。
「ぐ、あああああああああああああ!?」
痛みは耐えがたく、そしていつ終わるとも知れない激痛に変わった。
「な、ぐああっ!?なん、これっ!?うううううううう!」
「う、あ……」
ギドウはタニアの悲鳴を聞きながら力なく堕ちていった。もう空気を蹴って飛び回る力は残っていない。身体強化をかける余裕もない。そしてこの高さは落ちたらぐちゃぐちゃになるくらいの高さだ。『あー。死んだなー』なんてぼんやり思って目を閉じる。と、予想よりも早く柔らかい地面に落ちた。不思議に思って目を開けると、なるほど緋色の瞳が自分を見つめている。
「こらっ。最後の最後で諦めてどーする」
「……それもそうだな」
地上に激突するより早くエックスに拾われたギドウは身体を起こしてタニアを見つめた。既に彼女は気絶していて、その巨大な身体にはまだ電撃が走っている。多分、今の彼女に常人が触れたら感電して死ぬだろう。
エックスは倒れている彼女に指先を向けた。押し付けた魔法の一部を回収するためである。もうタニアは動けない。自分が戦う必要ももう、ない。
「……終わったぁ」
「なるほどね。斬れば斬るほど雷エネルギーを相手に溜めることのできる能力だ。そうでしょ?」
エックスの問いかけにギドウは頷いた。
「『ギラディアン』は一回斬ればその後の攻撃の威力を倍にする。二回斬れば更に倍。三回ならまた倍だ。倍々ゲームで最後の『ギド=デイルハード』を強くしていくんだ」
「……そんなに?えっ。ちょっと待って。確かアイツには50回くらい斬りつけたから……」
頭の中で計算して、取り敢えずとんでもない数字になったことだけ理解する。魔女が持つものと同様の、聖女の身を守る防御膜──魔法や聖技・心錬などの異能の攻撃に対する守り。タニアのそれはエックスの魔法によって著しく損傷していたが、仮にそれが無かったとしてもギドウの最後の攻撃ならばタニアを倒していただろう。それだけの破壊力にはなっている。
これだけやらないとタニアには勝てないと思っていたのか、或いはこれだけやるくらいには怒りを覚えていたのか、定かではない。
「オレが勝てたのはアイツが油断してたからだよ。油断してなかったらさっさと聖技を使われて殺されてる。逆に。油断している今なら勝てると思ったんだ」
巨大な聖女とまともに戦えば勝ち目なんてない。ギドウにもそれくらい分かっている。勝機があるとすれば相手が油断している間だけだ。そういう意味で『デイルハード=ギラディアン』は最適の攻撃だった。
相手には一切ダメージを与えずにエネルギーを溜めるだけの技。最初から頑丈で並大抵の攻撃では傷一つつかない聖女であれば、『ギラディアン』を受けても非力な攻撃を繰り出しているだけだと早合点して警戒してこないだろう。その間こちらはじっくりと最後の一撃に向けて準備を整えることが出来る。限界ギリギリまでエネルギーを溜めて、『ギド=デイルハード』で爆発させる。これこそがギドウが考案した対聖女用の戦術であった。
ギドウの作戦は根本的な部分で魔女と対決する時の公平に近い発想をしていた。つまり相手が油断しているうちに仕留めるということ。そうでなければ戦いにすらならない。巨人の討伐という同じ目標を持っていた二人の結論が似通ってくるのは不思議な話ではない。果実やらなにやら使えるものは全部使おうとするのも……。
「あっ」
「ん?」
エックスはギドウをじいっと見つめる。巨人の瞳に見つめられるのは、まだ慣れない。敵意が無いと分かっていても少しだけ恐いギドウだった。
「な、なんだよ」
「ギドウクンさ。いつの間にズリンズの実を持ってきたの?」
「え」
確か。エックスの記憶ではギドウはズリンズの実は買っていなかったはずだ。無駄遣いするなとかなんとか言って。何故そのズリンズの実をギドウが持っているのか。
「えっ。あ、いやあれは」
「あ、分かった。公平のヤツ盗んだんでしょ」
「いや、それは。だから。それはホラ……言い方が悪いって」
「え。でも。それはつまり盗んだってことでしょ?」
「あ、いや。だから……」
しどろもどろになるギドウの姿は可笑しかった。最初に出会った時は全然そんな感じじゃあなかったのに。思わずエックスは笑ってしまう。
「クックックッ……。無駄遣いするなって怒ってたくせに……。その無駄遣いの果物を使っちゃったんだ!アハハハハッ!」
「いやだって!聖女と戦うって決めたのはついさっきだからァ!」
「アハハハハハッ!」
「おいっ!聞けって!」
これは後で公平に教えてやらないといけない。この人キミから盗んだ果物を最後の切り札にしてたんだよって。笑い話にしてあげないと勿体ない。
(それにしても……)
笑い過ぎて流れてきた涙を拭いながら思う。ギドウがそこまでやる理由はエックスには分からないけれど、こういう手段を選ばずに勝とうとするところも、公平によく似ている。




