エックス、車に轢かれる
ガンズ・マリアはア・ルファーに会いに来ていた。『魔法の連鎖』へと遠征し、デイン・ルータを連れ帰ろうとして、見事に敗れて戻ってきたベール・タニアが目覚めたことを報告するためである。神殿の最奥にある玉座。ルファーはそこで静かに座っていた。
「よおルファー。タニアが起きたぞ」
「そうですか。酷い怪我をしていたようですが」
「それなら。もう完治したよ」
「それはなにより。それで彼女は今どこに?」
マリアは後頭部を掻いてルファーにそっぽを向き、そのままの状態で質問に答える。
「『心錬の連鎖』に行った。相当ぶち切れてたからな。ストレス解消に世界一つ消費するんじゃないか」
「そう」
「このタイミングであそこに行くのはどうかと思うけどな」
「まあ、いいでしょう」
ルファーは。そういう事をあまり問題視していない。『心錬の連鎖』は『聖技』と同盟を結んでいる。他の連鎖の攻撃から『聖技』が守ってやる代わりに、その連鎖内にある世界を定期的に差し出す盟約となっていた。その先払い、という事にすれば世界の一つや二つ潰しても構わない──ということである。
「それであの子の気が晴れるなら。それで」
「……ところでルファーよ。これからどうするつもりだい?」
「これから、とは?」
目だけをルファーに向ける。銀色の瞳が、眩く輝く聖女の神の姿を見つめた。
「腹立たしいけれど。アタシもタニアも負けちまった。ルータは向こうに行った。この後『魔法の連鎖』はどう対処するんだ?」
「そうですね……」
「決まっているじゃない!」
背後から声がしたのでタニアは振り返る。開いた扉の向こう側に見える姿に小さくため息を吐いた。歩み寄ってくる聖女はそれに気付いて舌打ちする。
「なにさ。人間に負けた第一号のくせして」
「それでもお前よりは強いが?イプロス・シロン?」
シロンはムッとした目でマリアを睨む。短い白髪の聖女はマリアよりも若干背が低く、上目遣いの格好である。
「強がっちゃって。腕鈍ったんでしょ?でないと人間に負けるとかあり得ないし?」
「あのな……!」
「ってことでルファー!次はアタシが行っていいよね?マリアもタニアも役立たずみたいだしー?」
「おい。いい加減にしろよ、シロン。大体お前だって……」
「申し訳ないけれど」
ルファーの声は静かに、神殿の全体に響き渡った。マリアもシロンも黙ってしまって、無言で顔だけ彼女に向ける。ルファーは優しく微笑んで続けた。
「安心してマリア。次の手は。もう決めているから」
「もう決めている?一体誰を送るんだ?」
「──私の騎士を」
マリアとシロンは同時に目を大きく見開いた。
「タンザナイトを。向かわせます」
「ルファー。お前」
マリアの目に映るルファーの顔は、ここ百年で一番穏やかな笑みを浮かべている。それがマリアの心を重く暗く曇らせた。
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『聖技の連鎖』で起きていることをエックスは当然全く認識していない。『シロン』とかいう聖女のことも。目を覚ましたタニアが『心錬の連鎖』にいることも。『タンザナイト』という騎士のことも。何一つ知らないで呑気に外出しているエックスだった。
今日はちょっとだけ遠出である。活動拠点としている街から少し離れた商店街に来ている。スーパー小枝の店長に知られたら『どうしてウチに買い物に来てくれないんだ』と文句を言われるんだろうな、とエックスは心の中で小さく笑った。
「えーっとお肉お肉。おおっ。美味しそうなコロッケだ。すいませーん、コロッケ三つと……あと、こっちの牛肉くださーい!」
お店の奥から出てきた店主は、エックスの緋い目を見て一瞬ぎょっとした様子であった。購入した牛肉はちょっとお高めの和牛。事前に八百屋で買った新鮮な野菜と合わせてすき焼きを作る計画だった。
「ふふ。最近の公平は頑張っているからねー。今日くらいはいつもより豪勢で美味しいを作ってあげないと」
なんて言いながら紙袋に分けて入れてもらったコロッケを取り出す。食べ歩きは行儀が悪いかもな、なんて考えつつもコロッケを食べ進めるのを止めることはなかった。
「んー。サクサクで美味しー!」
もしゃもしゃ食べながら商店街を進んで行く。後は豆腐と白滝、それから卵だ。そう考えたところでふと足を止める。
「あれ?でもこういうのってどこで売ってるのかな?」
少し考えて。振り返る。商店街にはいくつもお店が並んでいる。取り敢えず豆腐屋さんはある。だが白滝屋さんとか卵屋さんはない。
「……やっぱ小枝に行こう。うん」
どこに売っているか分からないものを探すのは時間が勿体ない。スーパーであればどこに置いてあるか分かる。
周囲をきょろきょろと見回して、こっそり魔法が使えそうなところを探す。車道の反対側にある福屋と靴屋の間の小道が目に留まった。あそこなら問題ないだろう。そういうことならと左右を見て車の通りを確認する。
「うーん。まだ渡れなさそうだな」
少し先に行けば信号と横断歩道がある。本当はそこまで歩いた方がいいのだが、面倒くさい。独り言を言いながらコロッケの最後の一口をパクリ。もぐもぐと口を動かしてコクリと飲み込む。そうしてまた車の通りが落ち着くのを待った。まだ暫く時間がかかりそうだ。
「……ふふっ。そういうことなら」
再び紙袋に手を伸ばす。コロッケは三個買った。一個は公平の分。もう一個はおかわりだ。
「へっへー」
二個目のコロッケもサクサクだ。また今度買いに来よう。今度は一緒にパン屋さんでコッペパンも買ってコロッケサンドにしよう。小さな幸せの想像がエックスの胸の内で広がっていく。そんなタイミングで向こうの信号が変わった。
「……おっ。行けそうだ」
あちらから車が来ることは無い。反対方向に顔を向ける。そちらの車の流れは落ち着いていた。これなら、と。一歩前に踏み出す。
だが。その時のエックスは想像していなかった。パトカーに追いかけられた車が、信号を無視して猛スピードで突っ込んでくるなんて。
「……ん?」
それに轢かれるなんて。そのまま数十メートル先に吹っ飛ばされるなんて。その拍子に最後のコロッケが潰れてしまうだなんて。ついさっき買ったばかりのお肉や野菜まで、暴走車両を追いかけてきたパトカーに押しつぶされるなんて。
「だ、大丈夫ですか?アイツなんてことを……!」
「おいっ!救急車を呼べ!早く!」
「あ……、ああああっ!よくもやったなあの車!」
エックスはむくりと起き上がって自分を轢いて逃げた車を追いかけ始める。その身体には怪我一つだってない。当然だ。彼女は小さくなっているだけで、魔女なのだから。人間どころか車と比べたって彼女の方がずっと頑丈なのである。
それはそれとして。ここまでの時間と楽しい気持ちを一瞬で無為にされたことへの怒りは確かにあった。
「まてーっ!逃げるなー!」
どんどん遠くなっていくエックスの姿を、残された警察官たちは茫然と見つめていた。少なくとも彼女が元気なのは見れば分かる。
「どうします。呼んじゃいましたよ救急車」
「うん。それでもあの人車に轢かれているし。来てもらって一応」
口ではそういうけれど。どうも無駄に終わりそうである。
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やってしまった。どうしてこうなった。ちょっと無免許で運転していただけなのに。その時ちょっと前の車とぶつかっただけなのに。借りた車で事故を起こしたのを親父に知られたくなくて逃げただけなのに。
「やっちまった。絶対死んだろあれ」
車から伝わってきた鈍い衝撃を思い返して、ハンドルを握る手が小さく震えた。こうなったらもう自棄だ。どうなったって構うもんか。
「いいや。もうどうにでもなっちまえ」
このまま死んだっていい。ついでに何人道連れにしたって構わない。もっともっと速く。アクセルペダルを踏む力を強くして。車を更に加速させる。エックスを轢いて自暴自棄になっていた運転手。その数百メートル先で、空から巨大な何かが降りてきた。
「うおっ!?」
思わずブレーキをかけてしまう。車はイヤな音を立てながらその『巨大な何か』の前で停まった。
「なんだこれ……」
それは。靴のように見えた。まるで巨人の履いている靴。そこからずうっと上にまで塔が伸びている。
「これって……。うわっ。な、なんだァ!?」
車の中にいても分かる浮遊感が突然に運転手を襲う。窓に映る景色がどんどんと高くなっていく。何が起きているのか、彼の理解は追い付かなかった。
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その気になればこの通り一瞬なのである。自分を轢いて逃げたはた迷惑な暴走車両をあっさりと捕まえたエックスは窓からジロっと運転手を睨みつけた。
「さあ捕まえたぞ。潰されたくなかったら早く出てきなさい」
とんとんと車の天井を叩く。一回ごとに『出ろ』とか『早く』などと声をかける。五回目くらいで運転手が飛び出してきた。そのタイミングを見計らって車を指先で押し潰す。そうしてわざと、小さく舌打ちした。手の上で運転手の男が震えあがっているのが分かる。
「まあ、いいや」
残骸になった車を手の上から指先一つで弾き飛ばす。そのままエックスの足元へ、『ぐしゃあ』という音と共に落ちた。今は足元に人はいないので問題はない。小さく足を上げて車の残骸をペタンコに踏み潰したって問題はない。した。
運転手がエックスの手の上から自分の乗っていた車の末路に震えている。そんな姿をエックスは無言で見つめた。
(子どもじゃん。これ)
手の上の男は運転免許証を取れるか取れないかギリギリくらいの年齢に見えた。いいとこ高校生。下手をしたら中学生。男というよりは少年といった方が適切だろうか。そうなるとさっき踏み潰した車だって彼の持ち物ではないだろう。家族のものか、ともすれば盗んだもの。そう考えるとちょっとやりすぎたかもしれないと反省してしまう。この少年はともかくとして車の持ち主は多分悪くないのだから。
(あとで魔法で直しておこう……)
さて。それはそれとして。
「キミさ。ボクのこと覚えている?」
突然声をかけられて少年は不安げにエックスを見上げた。
「さっきキミに轢かれた被害者だよ」
「……え?」
「なあに?もう忘れたの?それとも死んだと思った?よかったね生きてて。人殺しにならずにすんだよ」
言いながらエックスはゆっくりゆっくり手を閉じていく。少年がきゃあきゃあ騒いでいるが、無視する。
「この通りボクは平気だ。でもすごく怒ってはいる。今日の買い物全部台無しにされて。だからこれくらいは甘んじて受け入れてほしい」
手はすっかり閉じていた。中にいる少年の元にはもう外の光は届いていないだろう。
「あんなスピードで突っ走ったんだ。どのみち死ぬだけだったんだよ。それがもうちょっと苦しくなるだけだ。結末は同じさ。ぐちゃぐちゃになるだけだよ?」
そう言って。きゅうと少しだけ力を入れる。小さく息を吐いて振り返り、片膝を落とした。今更になって追いついたパトカーから出てきた二人組の警官の前に少年を握りこんだ拳を落とし、気絶している彼を降ろす。
エックス自身は無怪我だが、迷惑を被ったのは本当だし、この少年が危険行為を働いていたのも本当である。だが司法を無視して私刑をするのも目覚めが悪い。かと言って何も仕返しをせずに済ませるのもスッキリしない。だからちょっと恐がらせて軽く握りしめて気絶させるくらいが妥当であろうと判断した。
「後はそっちで適当にどうぞ」
警官たちは茫然とエックスを見上げた。じいっと見られているので、エックスは不思議そうな表情で彼らを見つめ返す。やがて一人が我に返った。
「あ、はい。ありがとうございます。あ、そうだ。おい」
「ああ、そうだった。あの救急車が来ていますが」
「え?いいよ別に」
そう言うと両腕を広げ、その場でくるりと回る。
「この通りボクは無傷なので」
その動きで道路が揺れたためだろう。警官二人が二人とも転んだのを見たエックスは小さく笑って『ごめんごめん』と雑に謝る。
「じゃあ。ボクはもう行きますので。あ、そうだ。忘れてた」
スクラップにした車の残骸に指を向ける。彼女の魔法がかかって見る見るうちに車は元の状態へと戻る。
「それでは。ばいばーい」
手を振りながらエックスは空へと。雲の向こうまで離れていく。警官たちは何も言えず、ただ見送ることしか出来なかった。
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そう言えば、と。空の上でエックスは思う。今日の晩御飯はどうしようか。もう一度買い物に戻ろうか、と考えて首を横に振る。今更そんな気にはなれない。
「うん。外食にしよう。ピザがいい。なんだかピザが食べたくなってきたぞお」
空の上から地上を見下ろし、美味しそうなピザ屋さんはないかと探してみる。視界の隅にお好み焼き屋さんが映って、あっちもいいなと既に心変わりし始めていた。
そういうわけで。『聖技の連鎖』が何かをしようという時にも、エックスはいつもと変わらない。のんびりである。




