逆転
巨大な聖女との対決。互いに身長100m同士のエックスとタニアがぶつかり合うという事は、それだけで足元に居る小さな人たちが死にかねない事態であった。
困ったことに彼らは『神聖技』により生じた炎を見つめることに夢中で逃げてはくれない。エックスの事象と確率の操作により彼らを踏み潰すことは無いのだが、それでも不安だった。全能である彼女は自分の全能をそれほど信用できていない。絶対なんてないと自分に言い聞かせて足元を気にかけている。
総合的に判断してエックスのが不利な状況であるのは確かだった。戦いにくい環境。攻撃の通らない相手。それでも諦めてはいない。まだ勝機は消えたわけではないのだ。
--------------〇--------------
「ガンズ・マリアもデイン・ルータもそうだけど!」
エックスの剣を、タニアの聖剣──と称した炎の扇が幾度となく受けとめる。閉じた扇と剣とをぶつけ合っていると、なんだかおかしなことをしているような気がしてくる。
エックスは腕に力を籠めてタニアを押した。よろめきながら後ずさる彼女に向かって、横一閃に剣を振る。タニアは上体を倒すようにしながらその攻撃を躱した。その勢いのままバク転をし、再び構え直す。
「どうしてキミ等の聖剣は剣じゃないんだ。どういう名前だよ」
「どうでもいいでしょう?そんなこと」
『聖技』に於いては武器全般のことを『剣』と呼んでいるのかな、とエックスは考えた。
(あ、いや。それでも辻褄が合わないと言えば合わないな)
一般的に『扇』は武器ではない。
「そんなことに気を向けるなんて。随分と余裕ですのね!」
バッと音を立ててタニアの扇が広がる。そのまま大きく腕を振った。暴風と共に巨大な火の玉が幾つも放たれる。
エックスは慌てずに剣を振った。放たれた斬撃がタニアの火炎を全て打ち消す。後には二人の巨人の髪を微かに揺らす風だけが残った。
「ふふん。なるほどね。キミ自身を攻撃できなくてもキミの炎には攻撃できるわけだ」
「ふんっ。だからなによ。どっちにしてもアタシに致命傷を与えることは出来ないわ」
タニアは舞うようにして炎を連続で放った。エックスは避けない。真正面から斬撃で立ち向かい、それらをかき消していく。
「悪趣味なヤツめ!」
エックスが避ければ炎は彼女の背後に当たる。タニアの炎を見つめている人がまだ何人もいた。彼らを死なせないためには彼女が受けとめるしかなかった。
エックスの斬撃はタニアの炎では相殺できない。その程度の威力ではないものだった。余波が次から次へと街を襲う。建物は砕け、地面は割れた。
「あはは!間抜けな女神だこと!守ろうとした街を自分で壊しているわ!」
「……ふふん。さあてどうかな?」
「んっ?」
と、そこでタニアも気付く。自分の周囲に人間がいない。自分の炎が消し炭に変えたのではない。エックスの斬撃が消し飛ばしたのでもない。
「みんな死ぬほどキミの炎が見たいんだろ?この辺りから炎が消えれば自分から離れていくさ。」
「……ちっ。そういう事か」
今、二人がいるのは炎の壁の中心。エックスはそこから外側に向かって少しずつ炎を消していたのだ。必然と、『神聖技』の影響を受けた人は炎に近付くために自ら離れようとする。その瞬間、魔法で彼らを少しずつ遠ざける。そうしてタニアにも最後まで気付かれないように注意しながら『神聖技』を受けた人々を逃がしたのである。
「見てのとおり。ボクたちの周囲数キロから人の姿は消えた……」
「くっ!」
「これでボクの不利は一つ消えたよ!」
そのせいで街や建物は壊れてしまったが、人命は奪っていない。だから許してほしい。エックスは言い訳するみたいに心の中で呟いて走り出す。
タニアには攻撃が通らない。だから次は攻撃が通るように仕掛けていく。この後彼女は再び街を燃やそうと『神聖技』を使うはずだ。それをとにかく阻み続ける。タニアは聖女だが女神ではない。力にも限界がある。いずれスタミナ切れを起こすだろう。そこまで追い詰めれば。
(ガンズ・マリアのようにア・ルファーから借りた力に手を出さざるを得ないはずだ。その瞬間なら──ボクの攻撃は届く!)
これがエックスの勝利ルート。攻撃が通らないなら通る状況に持ち込むまで。タニアとは比較にならないほどに巨大な力を持っていたエックスだからこそできる戦い方である。
「いくぞぉー!」
とはいえこれはまだ布石の段階。本当の勝負はここからだ。だがそれでも確かに勝利に続いている道を走っている感覚はあった。
「──くっ」
「うおおおお!」
思い切り剣を振り上げる──その時だった。
「くっくっ……」
エックスはタニアが笑っていることに気付いた。
(なんだ?)
少なくとも目に見える形でこちらの不利を一つ潰した。流れはこちらに来ているはず。タニアの意図が分からない。そこまで考えたところで。空から降ってきた巨大な光の柱がエックスを飲み込んだ。
「まず一発」
タニアの声はエックスの耳に届かず、その場で膝を落とす。
--------------〇--------------
「な、んだよアレ……」
公平は空を見上げた。隣でエックスの戦いを観戦していたウィッチは目を丸くさせて呟いた。
「そういうことか……」
「ど、どういう?」
「異連鎖間狙撃、とでも言えばいいかな。ア・ルファーとかいう女神、『聖技の連鎖』から『魔法の連鎖』のエックスを狙撃したのよ」
「はあ!?」
ウィッチの顔を思わず見る。バカな。信じられない。連鎖と連鎖の間の距離はとんでもなく大きい。数字で表しきれる大きさを遥かに超えているはずだ。
いくら巨大とはいえエックスは精々身長100m。『聖技の連鎖』からこの世界までの距離は分からないけれど、そこからの狙撃なんて殆ど不可能なことのように思えた。
「それでもア・ルファーはやった。でないと、アイツが膝をつくなんてありえないでしょう?」
そう言われてもう一度、公平はエックスに目を向ける。彼女は荒く呼吸をしながら回復の魔法で受けたダメージを癒していた。その隙を狙ってタニアは再び動き出す。先ほどエックスがやったのと逆だ。自身の周囲を少しずつ『神聖技』の炎で焼いていき、街の人を近付けようとしているのである。これを放置していればまた不利になる。ふらつきながら立ち上がりタニアに向かっていった。
それを見て公平はようやく実感できた。エックスが回復の魔法を使わなければいけなかったほどの、そしてそれですら回復しきれなかったほどの痛手。彼女がちらちらと空を気にしているように見えたのは気のせいではない。
「まあ唯一の救いは」
ウィッチが空を見上げながら呟く。
「あの砲撃は『聖技』の女神といっても連射できないってことかしら」
「そ、うなのか?」
「さっきの攻撃は『もう避けられない』ってくらい近付いて初めてその気配を察知出来た。そのせいであの攻撃から『聖技』の位置を辿ることも出来ない」
ウィッチは、ルファーは砲撃の破壊力以上にその存在を着弾ギリギリまで隠すことの方に力を割いていると予想している。連鎖間を超える程の一撃はそれだけで途轍もないエネルギーを秘めている。エックスに気付かれずに撃つのは至難の業のはずだ。
「アタシだってアイツから隠れられるくらいに気配を殺せるけど、それは極限まで力を押さえているから。引き換えに魔法は殆ど使えなくなるわ。連鎖を超えてなおアイツを傷つける程の攻撃自体を隠すなんてそう簡単じゃないのよ。必然連射は出来ない。その証拠にまだ次の攻撃は来ていないでしょ?」
エックスとタニアの戦闘が始まってから約十分。つまり、ルファーは最低でも十分かけてようやく一発を撃つことが出来るのではないか。あくまでもウィッチの想像である。確証はない。だが恐らく正解だろうと彼女は思っていた。
「ま、そうは言っても焼け石に水ね。裏を返せば十分後──いやもう五分くらい経ったか。ってことは最短あと五分したらあのクラスの攻撃が来るってコト。大人しくアタシの封印を外してくれればよかったのに。暇つぶしにあの聖女と戦うくらいはしてもよかったわよ?」
ウィッチの言葉を上の空で聞きながら、公平はただじっとエックスを見ていた。
--------------〇--------------
よくないな。エックスは思った。完全に想定外の大ダメージである。思えばルファーは『聖技』には入れないように結界を張っていた。公平の記憶を取り戻さなければいけない関係上聖女には来てもらわないと困るが、せめて向こうからの攻撃は防げるようにこちらも対策をしておくべきだったと今更ながら反省する。
「どうしたの!?女神様!動きのキレが悪くなってますがァ!?」
「く……!」
タニアとの攻防は再び接近戦に持ち込まれた。剣と扇がぶつかり合い、音が響く。変わったことと言えばたった一つだけ。エックスが受けた激しいダメージである。
少し身体を動かせば、引き裂かれるような痛みが全身を襲う。タニアとの打ち合いで生じた振動さえエックスを苦しめた。もはや集中できる状態ではない。確立と事象の操作をする余裕もない。つまり彼女が一瞬でも気を抜けば足元にいる人を簡単に踏みつぶしてしまえるということだ。
(出来る限り動かないようにしないと……)
自分のことだけならともかく、他に犠牲者が出かねない状況であれば不利でもこういう戦い方をするしかない。
「アッハッハッ!そらっ!」
「うあっ……!」
それでもタニアの攻撃を受けると、痛みのせいでどうしても身体が動いてしまう。既に二回人を踏み潰しそうになった。辛うじて踏みつぶしてはいないが肝は冷えた。そしてまたもう一回。
「ほら次!」
タニアの攻撃で思わず半歩後ろに下がる。足を降ろしてから気付いた気配にゾッとした。もしも足を降ろす位置がほんの数m右にずれていたら、そこで火を見つめている三人を潰していたところである。
「う、わあああ!?」
そういう時に限ってタニアは『神聖技』を解除する。危うくエックスに踏み潰されていたという事実を彼らに気付かせる。悲鳴をあげながら逃げる姿に彼女の心がまた少し痛んだ。本当に、意地悪な聖女だ。
「アハッ!形勢逆てーん!流石ね!ルファーの言った通りだわ!」
「なに……?」
「ふふっ。聞きたい?」
そう言うとタニアは一気に近づいてきて扇でエックスの剣と鍔迫り合いする。また一歩右足が後ろに下がる。しかし今度はちゃんと注意していた。どうにかその辺りにいた人たちを一人も踏み潰さずに済んだ。ホッと安堵の息を吐くのと同時に足元から幾つも悲鳴が聞こえる。
「また『神聖技』を解除して……」
「んふふ。このまま押し倒してあげようか。全身でそのチビども押しつぶしちゃえ!」
「く……!それよりルファーのこと話せよ!」
「ああ。そうだった。ふふっ。まあ簡単な話よ。アタシたち最初からアンタを倒す前提で打合せしてたのよね」
「だろうね。ここまで手際がいいとそうだろうさ」
タニアは言葉通りぐいぐいと押してきてエックスを倒そうとする。どうにかそれを堪えて、自分の真下にいる人が逃げ切るのを待った。
「アンタを倒せるのはルファーだけ。ルファーは力だけならアンタと互角だろうけど、アンタよりも早く神になった。経験の差、ってヤツ?時間を稼いでくれたら異連鎖間狙撃で倒してくれるって話でさ」
「そんなことより……!さっきも言ったけどボクは神様じゃ……」
「まあそれはどうでもいいわよ」
そう言ってタニアは思い切り後ろへと跳び下がった。わざとらしくぼんやり火を見つめている人を何人か踏み潰す。
「おまえ……!」
「そろそろ十分経つわよ?」
「知ってるよ!」
天へ向かって矢を構える。タニアの会話も、見せつけるように人を踏み潰して挑発してきたのも時間が経っているのを気付かせない作戦。当然腹は立っているけれど、それくらいのことが分からないエックスではない。
(借りるよ、公平!)
『流星の一矢』。記憶を失くす前の公平が使っていた魔法。エックスが使えば、まさに神の領域に届く破壊力である。
「これならルファーの攻撃だって──」
と、その時だった。パンっという音がして、タニアの炎がエックスの腕を弾く。矢はあらぬ方向に向いて迎撃は失敗に終わる。直後にルファーによる二発目の異連鎖間狙撃がエックスに照射された。
「……あっ」
意識が遠のく。今度は膝をつくだけでは済まなかった。その場に完全に倒れてしまう。
(あ、まずい。ここに誰かいなかったっけ)
自分の身体で誰かを押しつぶしてはいないだろうか、と。今のエックスにはそんな調子で心配することしか出来なかった。薄くなる視界には相変わらず炎に見惚れる人々の姿が見える。お願いだから。早く逃げて。
ずんと音を立てて。エックスの見つめる先に足が踏み下ろされる。炎を見つめていた人たちをの下敷きにして。足はぐりぐりとその場を踏みにじる。
「……タニア!」
「あはっ。かわいそうにね。でももしかしたら幸せだったかもね。女神さまの胸に押しつぶされて死ねたんですもの」
「タニアァ!」
「コイツらもきっと幸せよ!だってアタシに踏み」
言いながらタニア足を上げる。
「潰さ……あれ?」
そこに血の痕は無かった。
「どういう……」
その瞬間、タニアはバッと後ろに振り返った。エックスはそちらに目を向ける。
「あ……」
彼女の目には、その姿がはっきりと映っていた。
「『ギラマ・ジ・メダヒード』!」
「こうへい……」
痛いのはイヤだって調子だったくせにさ。エックスは心の中で呟く。
「だ……大丈夫だよ……!みんな、お、れが逃がしたから……!」
「はは……」
「ベール・タニアァ!」
炎の魔法が公平の手のひらから放たれる。それは一直線に進んで行って。
「つ……!ぃっけえ!」
「──っ!」
タニアに直撃して、大きな音が街中に響いた。