タニアの『神聖技』
「そろそろ帰ろうか」
「そうだな」
エックスが公平と一緒に海から自分の部屋に戻ろうとした時である。それよりも一瞬早く空間の裂け目が開いて何かが飛び出してきた。
「うわっ、っと!」
「な、なんだあ!?」
頭にぶつかってきそうだったので慌てて避ける。飛んでいく『それ』をよくよく見ると黒い三角形の飛行機だった。いつぞや、異世界から飛来して襲ってきたものと同じタイプの戦闘機である。エックスはほっと胸を撫でおろした。あのままぶつかっていたら間違いなく壊していた。エックスはともかくパイロットの方が危険だった。怪我で済めばマシくらいの大惨事になるところである。
「危ないじゃないか!ちゃんと気を付けて飛べよ!」
ぷんぷん怒りながら顔の上あたりを旋回している戦闘機を注意する。こんな事で人を死なせたくはない。
エックスの肩に乗っている公平は怪訝な表情で戦闘機を見つめて呟く。
「今度は何の用だろ……」
「さあ?でもアイツ等自力で異世界間は飛べないからね。きっとデイン・ルータが呼びつけてきたんだろ」
言いながら手を伸ばして戦闘機を掴み取る。急に現れた失礼な輩にはこれくらいの対応でいい。そのまま顔の前にまで持っていき、機体の天窓からパイロットを睨む。
「取り敢えず用件だけは聞いてあげよう。出ておいで」
戦闘機のキャノピーがゆっくりと上がって、中のパイロットが飛び出してきた。そうして彼はエックスの手の上でこの世界に来た理由を話す。自分の世界が聖女ベール・タニアに襲われていること。ルータはギリギリまでエックスに頼らずに解決するつもりだったが、どうにもならず、やむなく自分を派遣したこと。全てを聞いたエックスは慌てて海から飛び出した。
「……待ってたぞ」
小さく呟く。三人目の聖女。だったらきっと持っているはずだ。奪われた公平の記憶の一部。
--------------〇--------------
そして。エックスはその世界に来た。ルータが人間と一緒に住んでいる世界。空からその光景を見下ろして、唇を噛んだ。酷い惨状だ。
ルータは燃える街の中で倒れて気絶していた。彼女の身体は炎による傷でいっぱいだった。状況を知らせてくれた軍人の言っていた事──『ルータが人を守るために自ら攻撃を受けていた』というのは本当のことらしい。街にはまだ避難できていない生存者が何人もいる。彼女には彼らをどこか遠くへ逃がす余裕はなく、本当に守るので精いっぱいだったのだろう。
エックスはすうっと息を吐いて、この炎の中で唯一笑みを浮かべている巨人、聖女ベール・タニアを指差す。
「勝負だ、ベール・タニア!ここに来た事後悔させてやる!あと、公平の記憶も返してもらうぞ!」
その宣言にタニアはくすくす笑った。その態度にエックスはムッとした表情を浮かべ、公平は困惑した。
「おい。アイツ笑っているぞ……」
「むぅ。何が可笑しいんだよ!?」
「だってそうでしょう?女神エックス。貴女様も異連鎖との戦いを経験しているのだから分かるはず」
エックスは一瞬たじろいだ。タニアの言いたいことは、分かる。本人は頑なに認めようとはしないが、エックスは『魔法の連鎖』の女神である。その為、女神ア・ルファー以外の『聖技の連鎖』に生きる存在を攻撃することは出来ない。自動的にルファーの加護により守られるからだ。それを突破するほどの強力な攻撃を打ち込めば、タニアを倒す前に余波でこの世界が崩壊する。だから彼女はエックスを前にしても余裕だったのだ。そもそも攻撃できないはずなのだから。
余裕の理由はもう一つ。街に残っている生存者たちである。ルータは防戦一方だったという話だ。自身の力で被害が出るのを嫌ったのだろう。その状況であれば、もっと大勢死んでいてもおかしくはない。聖女が魔女以上の力を持つものであるなら、それだけの事は容易にできるはずだった。エックスが来る直前まで大量虐殺を行わなかったのは何故か。
エックスの考えを透視したみたいに首飾りの牢屋から声がする。
「アンタとの戦いを有利に進めるため、かな?」
「……だろうね。分かっているじゃないかウィッチ」
ウィッチはふん、とそっぽを向いた。彼女はこの世界に来る直前に連れてきたのである。
仮に自分に攻撃が届かないとしても。戦う相手がエックスであるならば有利な状況で戦いたいはずだ。空で戦おうとすれば彼女は生存者を殺そうとするだろう。そうなればエックスは地上での戦闘を選ぶしかなくなる。そして地上で戦えば足元の彼らが気になって集中できなくなる。いつでも生き残りを人質みたいにしてエックスの動きを封じることが出来る。タニアにとって確実に有利な状況に持ち込むことが出来るというわけだ。
「ま、そういう事なら話は簡単よ。アタシにかけた封印を解きなさい。アタシはチビどもが足元で何人蠢いてようと気にしないし。アタシの魔法ならアイツにも通るわ」
「解くわけないだろ。どうせ逃げるつもりだろうしさ」
「……ちっ」
ウィッチは舌打ちした。エックスは『やっぱり』と心の中で呟く。ここに連れてきたのも戦ってもらうためではない。万が一自分が負けたせいで彼女にかけた封印が解けては大変なことになるからすぐ傍で見張っておきたかっただけだ。
空で話をしていると、痺れを切らしたのかタニアが口を開く。
「『魔法』の女神様は臆病者ね。いつまでもお空から睨めっこ?でもアタシ、そういう幼稚な遊びは好きじゃないのよね」
言いながらタニアは大きく足を上げた。その巨大な足が踏み下ろされそうとする先には茫然と炎を見つめて逃げようともしない女性がいる。
「や、やば……!」
と、公平が慌てて言った瞬間である。エックスは猛スピードで地上にまで降りて、一瞬でタニアの背後に入った。その気配を感じ取った彼女は咄嗟に振り返る。
「アタシが出ないならどうするわけ?」
その刹那。呑気な声でウィッチは尋ねた。
「決まってるだろ」
エックスは静かに答えて。
「はあっ!」
「くぅ!?」
タニアを思い切り蹴り飛ばす。ギリギリのところで防御をした彼女だったが。
「ああっ!?」
タニアの巨体が勢いよく吹っ飛ばされて、幾つものビルをなぎ倒す。エックスの蹴りの威力以上に、ルファーによる加護の影響による反発の方が大きかった形である。首飾りの檻の中でウィッチはけらけら笑いながら公平に言った。
「大変よ。エックスちゃんったら何人も殺しちゃったわ」
「えっ!?」
「ちょっ!?怒るよ、ウィッチ!たちの悪い冗談言わないで!」
エックスはぴんと檻を弾いた。ぐらぐらと揺れる中でウィッチは悲鳴をあげながら転がって頭をぶつける。
「……もうっ。みんな逃がしたに決まっているだろ」
「な、なんだよ。この前は俺に街の人を逃がす役をやってもらうって言ってたのに」
「ふふ。まあそれはもっと規模の大きいときに任せよう。これくらいならボク一人で大丈夫だ」
そう言いながらしゃがみこんで相変わらず茫然自失の状態である女性を拾い上げる。彼女は不安そうに周囲をきょろきょろ見回していた。それだけショックが大きかったのだろうと胸を痛めながら手近なビルの屋上に降ろす。ビルの中にはタニアを吹き飛ばした際に被害が出ないようにと避難させた人が全員いる。生存者は全員このビルに避難させる。そうすればこのビルだけ守ればいいという事になる。エックスは腰を落として屋上に顔を近付けるとにっこり微笑んで言った。
「暫くここにいてね。すぐに終わらせ──」
その時である。女性が屋上の柵を乗り越えて飛び降りようとした。
「ンな!?」
「ちょ、ちょっと!?」
エックスと公平はぎょっとした。錯乱しているにしたってちょっと反応がオーバーすぎる。慌てて彼女を摘まみあげて飛び降りを止めた。
「な、なにしてんの?こんなところから落ちたら死んじゃうでしょ!?」
「火!火を!火を見せてよぉ!」
「え?火?」
「……何言ってんだこの人?」
困惑している二人の背後からくすくす笑う声がした。エックスは女性を摘まんだまま振り返り、彼女をタニアに見せつけるようにして尋ねる。
「ベール・タニア。これはキミの仕業か?」
「ええ。ええ。ええ。そういうこと。これぞ心に届く私の『聖技』」
聖女たちが使う特殊能力。マリアは心を凍らせた。ルータは恋の雷を落とした。では炎の聖女であるタニアは──。
「炎の灯りと温度は生き物を引き寄せる。アタシの炎はその究極。一目見ただけで惹き付けられて魅了されて取り込まれる」
「魅了……。そういうことか」
この女性はタニアの破壊行為の末に茫然自失となっていたのではない。ただ彼女の炎から目を離せなくなっただけなのだ。足元を見るとビルの中から次から次に逃がした人が飛び出してタニアの炎へと向かっていく。
「これが私の炎!心に届く、『聖技』を超えた『聖技』!『神聖技』よ!」
「……ご丁寧にどうも。要は人に効く誘蛾灯ってわけだ」
エックスは手を挙げた。そういう事なら話は簡単だ。
「それならこの火を消せば……」
「どおぞ?消せば?」
タニアは余裕の表情を崩さない。その様相にエックスの手が止まる。このまま雨でも降らせて炎を消してしまおうと思ったのだが。なにか悪い予感がする。
「エ、エックス!?その人!」
「え?」
指先に目を向ける。と、摘まみあげていた女性が舌を噛んでいた。ほんの少しだが血が流れ出る。
「ちょっとちょっと!?」
そのまま噛み切るくらいの力である。慌ててエックスは魔法で彼女の動きを止めた。タニアが大声で笑い出す。
「あーあっ。カワイソ。その小人、アタシの炎が見られないなら死んじゃうかもね」
「……そこまで強い力なのか」
「そういう事。アタシがいる限りこの炎は人間を魅了し続ける」
仕方がない、とエックスは女性を地面に降ろしてやる。彼女もまた他の人たちと同様に炎に向かって走って行った。
これで雨を降らせたら、炎が消えた絶望感で全員その場で死にかねない。街の人を一度全員気絶させようか、とも思ったが。
(そうすれば恐らくコイツは逃げる。下手したらルータも無視して『神聖技』を解除しないまま)
いずれこの火が消えれば彼らは絶望して自殺してしまう。『神聖技』がタニアだけでなくルファーの力も秘めたものなら、エックスでもその魅了効果を解除できるか分からない。
タニアを異世界に引きこんで戦おうかとも考えた。だが先ほどの彼女の言葉、『アタシがいる限りこの炎は人間を魅了し続ける』が引っかかる。彼女が消えても『神聖技』の効果が消えなかったら。炎から魅力が失われただけで、タニアの炎に魅了された心は治らなかったら。そうなれば結局同じだ。『神聖技』の力を持つ炎が見られない苦しみで結局この街の人は自ら命を絶つ。
かと言って炎を消さなければ街ごと焼き尽されてしまって町の人は全員死ぬ。
「……ってことなら仕方ない」
一つ『神聖技』を解除する手段に思い当たる節がある。
(マリアの『神聖技』は、アイツを倒したことで効力を失った)
ルータの方は確認できていないが。それでもタニアを倒せば『神聖技』の魅了効果が消える可能性は高い。エックスは覚悟を決めた。公平とウィッチを先ほどのビルに降ろし、タニアに向き直る。
足元には薄ら笑いを浮かべながらタニアの炎を見つめ続けている人が何人も。彼らの命を刻々と脅かす炎を消すことは出来ない。異世界へタニアを誘い込むのも危険だ。──つまり。
「この状況で、アイツを倒すしかない」
自分に言い聞かせるように言い、呪文を唱える。
「『星の剣・完全開放』」
剣を構え、走り出す。一歩踏み出すごとに街が揺れ、『神聖技』に囚われた人たちが倒れる。ビルが揺れ、地面が砕ける。
「勝負だ!ベール・タニア!」
「いいでしょう!『──聖剣起動──』!」
扇を構えるタニアに向かって、エックスは大きく剣を振りかぶった。