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聖女と聖女

 どすんっと音がした。ルータが膝をついた事で起こった衝撃は街を揺らし、彼女から一番近くにあったビルは僅かに傾いた。爛々と輝く金色の眼が闖入者──ベール・タニアを睨む。

 聖技の炎は半径数十キロの大きさの円形に燃え上がっていて、蟻の一匹さえも逃がさない巨大な業火の壁となる。そこから広がった火は壁の内側を少しずつ燃やし始めていた。ぱちぱちと弾けるような炎の音があちこちで響く。

 ルータの手の中には逃げ遅れた人たちの姿があった。タニアとの戦いのさなかで一人また一人と保護していたのである。彼らに視線を落とし、安心させるようにとにっこり微笑んでみせる。


「大丈夫。みんなは絶対私が守る」


 まだ助けられていない人は大勢いる。彼らにも届くようにとはっきりと言う。かつて自分が破壊した連鎖のことを思い出した。『今度は』とルータは小さく呟く。

 タニアは呆れたように息を吐いた。ルータは人間を守るために自ら炎を受け続けていた。街が巻き添えを喰わないようにと自分から攻撃することもしなかった。言うなればただ傷つくだけの戦いである。それでも彼女は続けようというのだ。このままではいずれ死んでしまうし、それでは一体何をやっているのか分からない。


「ルータ。もういいでしょ。帰ろうよ。アタシはアンタを連れて帰るために来たんだから」

「私は……。帰らない。絶対に」

「全く……。アンタそんなにガンコだったっけ?」


 タニアは扇を構え直した。非常に残念だが、これ以上の会話は無意味なのかもしれない、と悟る。この問答も既に片手では数えきれないほどに繰り返した。『帰ろうよ』『帰らない』のミルフィーユである。仕方ない仕方ないと自分に言い聞かせて、聖技の炎を発動させる。


「そういうことなら。死なない程度に追い詰めて。それで連れ帰るよ」


 扇から放たれる炎の猛攻をルータは何度も何度も受ける。余波でまた街が燃えていく。一つ炎が放たれるたびに街中の気温が上がって行く。

 生存者たちは二人の聖女の戦いを茫然と見上げていた。急激な気温の変化が水蒸気を巻き上げて、世界が揺らめくように感じる。街を包む赤色が、空をも焼き尽すかと錯覚した。

 地獄のような世界の中で、必死に噛み殺そうとしても抑えきることの出来なかった叫びが、ルータの口から漏れ出て聞こえてくる。


--------------〇--------------


 ──といったやり取りを二人の聖女がしている頃。エックスは。


「あーあっ。公平が止めなかったら今晩はお魚パーティだったのに」


 まだ海にいた。大の字で仰向けなってぷかぷかと浮かび、潮の流れに流されるままに流されるのを楽しんでいる。エックスの右腕に座る公平は、呆れたような顔で言った。


「密漁者呼ばわりされてもいいなら止めないけど?」

「うーん……それはイヤだな。誇り高き魔女としては」


 と、言って顔だけを起こし、何かを期待するような目で公平を見つめる。目と目が合った公平は暫く考えてから、『そっか』と一言そっけなく返して水面に視線を落とした。エックスはムッとした表情で公平を左の人差し指で突っつく。


「全く。敢えてのツッコミスルーとは。そういう返し方は実は嫌いじゃないぞ」

「どういう事だよ!?」


 エックスはくすくすと笑いながら公平の反応を楽しむ。ぐりぐり指先で押さえつけたり。或いは摘まみあげてみたりして。こうして遊んでいると記憶は無くなっても公平は公平なのだと実感する。普通に考えたらだいぶ酷いイジワルをしているのに、文句は言いながらもちゃんと受け入れて付き合ってくれる。


「ああ。やっぱりボクは幸せ者なのかもね」


 しみじみと噛み締めるように呟く。公平はエックスの指先に抵抗しながら答えた。


「それは良かった。ところでさ。それはそれとしてそろそろ開放してくれない?」

「んー?しょうがないなー。……うん?」


 公平から指を離したエックスは不思議そうに目をぱちくりとさせた。


「どうした?」

「……悲鳴が聞こえた」

「え?」


 耳を澄ましてみる。が、公平には悲鳴どころか他の者の声も聞こえなかった。


「気のせいじゃなくて?」

「うん。絶対に。きっとずうっと遠いところから聞こえてくるんだよ」


 そう言うとエックスは公平を掴んで、くるりと一回転しながら上体を起こして立ち泳ぎする。そうしてじいっと目を凝らして周囲を見回した。


「いやでも。こんなところで悲鳴なんて……」

「いた」

「え?」


 エックスが見つめる先は水平線の向こう。公平の目には何も見えないくらいに遠い距離だった。


「何があるんだ?」

「着いたら分かるよ。……でも。今の大きさだと少しやりにくいな」


 そう言うとエックスの身体が光に包まれた。そうして少しずつ大きくなっていく。巨大化の勢いに置いていかれて落っこちないようにと公平を手で覆い隠して。やがては普段の十倍の大きさの1kmにまで大きく。そこで彼女は巨大化を止めた。


「うん。こんなもんでしょ」


 公平を肩に載せながら呟くと、悲鳴の在処へと続く裂け目を開ける。エックスは腕を動かして裂け目へと向かって前進した。公平は落ちないようにと慌てて彼女の肩をぎょっと抱きしめる。大きくなった彼女の動作の一つ一つはちょっとした油断で命とりである。それは彼女の一挙手一投足で起こる大きな海のうねりが証明していた。


--------------〇--------------


「もうダメだあ!」

「助けてえ!」

「死にたくないいい!」


 とある大型クルーズ船のあちらこちらでは悲鳴が上がっていた。数百人をのせて南の島へと向かっていた道中、船の底にクジラがぶつかった。その時船体の底に小さな穴が開いたのだ。それがどんどん大きく広がっていき、遂に沈み始めたのである。

 船内にいる者は少しでも水の侵入から逃れようと、船の上層部分へと走った。そのうちの一人、山上隆介は新婚旅行の最中であった。妻の伊織の手をぎゅっと握りしめて、絶対に離さないようにして前へ進む。一秒でも彼女を長く生かしたかった。せめて彼女だけでも救助が間に合うようにとデッキへ急ぐ。


「うわあっ!?」


 だがそれも無駄な抵抗だった。波の影響で僅かに傾いた船は、そのままゆっくりと横に倒れていく。船にいた人のうち何人かが投げ出された。その中には伊織もいた。思わぬ衝撃で手を放してしまったのだ。


「ああああ!伊織いいいい!」


 叫びながら隆介は手を伸ばすけれど、その手はもう彼女には届かない──。


「ふう。間に合ったかな?」


 そう思った時。大きな大きな声がした。


--------------〇--------------


「げっ。この船沈んでるのか!?」

「そ。ボクが気付いてよかった!」


 右手で落ちそうになった人を拾いあげ、左手では船を底から持ち上げて海から救い出す。そこに開いた穴からどばどばと海水が落ちていった。

 エックスは右手に顔を近付けた。助け出した人たち──彼女の感覚ではそれこそ蟻のように小さな人たちをじいっと見つめる。何人かは気絶していた。意識がある人の殆ど全員は突然現れた水着姿の巨人を前にして怯えた表情を向けている。寂しさと悲しさが合い混ぜになったような感情が冷たい風になって胸の中を通り抜けた。このまま纏めて握りつぶされるとでも思っているのだろうか。


(そんなことしないよっ!?)


 と心の中で抗議する。


「……うん。誰も怪我していないね。ふうっ。よかったよかった」


 胸の内とは裏腹に冷静で平気な口調で言った。恐がられた事に気付いていないフリをする方が多分いいだろうから。

 助け出した人たちの無事を確認したエックスは右手から顔を遠ざけて近くの港へ続く裂け目を作ろうとする。ちょうどその時である。彼女は船から聞こえる声に気付いた。目を向けると船の中にいる若い男の人がエックスの右手に向かって手を伸ばして『伊織ー!』と誰かの名前を叫んでいる。


(なんだろ。こっちに家族か恋人でもいたのかな)


 そういうことなら、とエックスは船に右手を近付ける。男は船からエックスの手の上へと飛び降りて、柔らかい地面に足を取られながらも気絶していた一人の女性の元へ走っていく。


「伊織!伊織!」


 男は女性を抱きかかえて必死に呼びかけた。気絶しているだけで大丈夫ですよ、とエックスが教えてあげようとした瞬間、『伊織』と呼ばれた女性の目がゆっくりと開いていった。


「……隆介?あれ?あたし……」

「あ、ああっ!伊織!よかった!」


 そう言って伊織をぎゅっと抱きしめて、わんわんと泣き出した。右手の上で。

 二人のやり取りを見つめていたエックスはちらっと肩の上の公平に目を向ける。


「公平はボクのこと抱きしめてくれる?」

「もちろん」

「今、適当に返事したな?」

「あ、バレた?」

「分かるよ!」


 エックスはくすくす笑いながら適当な港に続く裂け目を作った。


(まあ。こういう反応も公平らしいけどさ)


 そんな風に考えながら裂け目に手を突っ込んで船を置いていく。向こう側の港では、突然現れた600倍の大きさの手が大型クルーズ船を置いていく光景に腰を抜かす人が多々いたのだが、それはエックスの知るところではない。


「もう。そうやってイジワルするならボクにも考えがあるぞ」

「考え?」

「先にボクの方が抱きしめてあげよう。今の大きさのまま。ぎゅーーーーーーって強くね。……ふっふっふっ。果たして公平クンは潰されずに済むのでしょうか?」

「て、手加減してくれよ?」

「さーてどうしようかなー?」


 そうやって公平をからかいながら、エックスは船を見つけた時のように水平線を見つめた。太陽が沈み始めている。


「いい時間みたいだね。そろそろ帰ろうか」

「そうだね。お腹空いたなあ。俺今日魚が食べたいな」

「お魚なら海にいっぱいいるよ。何匹か持って帰る?」

「密漁者と言われてもいいならどうぞ」

「誇り高き魔女としてはイヤだな……」


--------------〇--------------


「……ったく。ルータったらなんでこんなに頑張ってたのかしら」


 響くような足音が街を揺らす。タニアは炎に燃える街の中で倒れているルータに歩み寄った。炎による猛攻の末に遂に気絶してしまったのである。結局彼女は殆ど反撃してはこなかった。


(アタシに対抗して雷を撃てばコビトの街もダメージ受けるから、なのかな)


 なんてことを考えながら横目で周囲を見る。炎の中でもまだ生き残っている小人は大勢いた。半分くらいは茫然と炎を見つめている。視線を前に向けるとルータに守られていた小人たちが彼女の周囲に集まって声をかけていた。


「ルータ様!」

「起きて下さいルータ様!」


 ルータの雷で彼女に恋しているのだろうか。或いは彼女に助けてもらおうと必死で呼びかけているのか。どっちにしろ気に喰わない。虫唾が走る。


「あ、そうだ」


 と、足を止める。その言葉によからぬものを感じ取り、不安げにこちらに顔を向ける小人たちをにまにまと見つめた。


「どうせもう終わりだし。ついでにこの世界も燃やし尽くしちゃおうか」


 眼下でざわめく小人たち。彼らを無視して扇をかかげる。そのすぐ上で炎の球が生じて、徐々に徐々にと大きくなっていく。本番はここからだ、とタニアは口を開いた。


「ふふ。五分もすればこの炎は世界丸ごと包めるくらいに大きくなるわ。けど、アタシはルータと同じで優しいから。特別にこの世界のチビどもにチャンスをあげる」


 その言葉に微かな希望が小人たちの間で生まれた。何を要求されるか分からない。だが力を合わせればきっとクリアできる。この世界を自分たちが守るのだ、と。

 そんな砂で出来たお城のような脆い願いを磨り潰すかのように、タニアは小人を嘲笑いながら言った。


「アタシの足元に来なさい。そうしたら……特別に踏みつぶして殺してあげる。……ぷぷっ。きっと炎で焼かれるよりはずっと楽な最期よ?だって一瞬で終わるものね」


 小人たちは炎の中にありながら凍り付いた。言葉の意味が一瞬分からなかった。やがてこの巨人には自分たちを生かすつもりは微塵もないのだということを理解して、絶望の表情を浮かべる。

 タニアは耐えきれずに大笑いしだした。こうでなくてはいけない。仲間のルータをたぶらかしたこの世界の生き物は徹底的に殺してやらなければ気が済まない。


「あっはっはっはっ!どうしたのみんな?誰も来ないわけ?ふーん。せっかくのチャンスをふいにするんだ?まあいいわ。アタシは優しいからその選択を尊重して」

「悪趣味なヤツだな!」


 空から声がした。タニアは咄嗟に顔を上げる。瞬間、駆け抜けた光の矢が彼女の炎を撃ち抜いて消し飛ばした。


「うっ!?」


 その矢が放たれた先には。


「そういうの、ボクは一番キライだ!弱いものイジメとか大っキライ!」

「どの口が言うんだ……」

「公平にするのはスキンシップであって弱いものイジメではないのでセーフだ」

「調子いいなあ……」


 肩の上の小人とそんなやり取りをやっている、とても強い力を秘めた女の姿だった。その正体は知っている。一目見て分かった。ぱっちりとした緋色の瞳に赤みがかった茶髪のショートヘア。ルファーやマリアから聞いていた特徴そのものである。

 タニアはこくりと生唾を飲み込んだ。ルファーからのアドバイスを反芻しながら不敵に笑う。


「遅かったのですね、『魔法の連鎖』の女神、エックス」

「違うよ。ボクは神様じゃない。誇り高き魔女だ」


 なんて。女神は冗談めかして言っている。

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