魔法を『かく』。
ウィッチは喫茶店で頼んだメロンソーダの作り物のような緑色をストローでかき回しながら外の景色を見た。行き交う人の姿と走る車。本来ならば楽しく遊べたであろう玩具がいくつも目について、それで遊ぶことが出来なくなった今の自分の無力を歯がゆく感じる。
思えばエックスに捕まってから初めて一人で外出したのかもしれない。彼女の許可がなければ魔女の巨体で出歩くことが出来ない。人間サイズの矮小な身体で外に出るなんてイヤでイヤで仕方がなかったが、実際にやってみると大したことはなかった。
からんころんと音がして、誰かが入ってくる。ウィッチは入口の方へと目を向けた。
「あ、やっほぉ」
手を振って出迎えてやる。入ってきた男は小さく舌打ちしながらウィッチの席へと近付いてきた。
「一体何の用だ。ウィッチ」
「なにって。この前の話の続きよぉ。アタシの『白紙』を返してもらおうと思って」
「『キャンバス』のことか。お前も懲りないな」
自分の魔法の『白紙』を所持している男。吾我レイジとかいう人間。彼はメニューを一瞥すると、店員を呼んでブレンドコーヒーを頼んだ。
(このアタシが人間なんかと待ち合わせをするなんて、ね)
それこそ。魔女になってから初めてかもしれない。
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運ばれてきたコーヒーを一口。吾我は不思議な気持ちだった。一年とちょっと前、命を賭けて戦った相手と、今こうして同じ席でお茶をしているなんて。
「まず最初に」
コーヒーカップを置いて、ウィッチの目を睨む。彼女は『なにかしら』という目を向けた。
「お前の『キャンバス』を返してやる気はない」
「でしょうねー。アタシだってタダで返してもらえるとは思ってないし」
けらけら笑いながら答える。調子が狂うなと思いながらも吾我は続けた。
「お前の状況はエックスから聞いている。彼女の力で魔法を完全に封じられている、と」
「ええそう。ホント。イヤになっちゃう」
「……」だから分からない。一体どうして俺から『キャンバス』を回収したいんだ?」
その言葉にウィッチは顔をしかめる。何か気に入らないことでもあったのだろうか。分からないが構わずに続ける。
「エックスの封印は完璧だ。俺から『キャンバス』を取り返したところで魔法が使えるようになったりはしない。仮に使えるようになってもエックスが纏わせた魔力ですぐに追い詰められるだけだ。……それなのに、一体何のメリットがあって取り戻そうとするんだ?」
「理由はシンプル。ちょー簡単よ。盗られたものを取り返したい。それだけ」
「なに?」
「アンタだってさ。泥棒に入られて大事な宝石でも盗まれたらムカつくでしょ。絶対に取り返したいでしょ。そういうこと」
一瞬納得しそうになって、思わず出そうになった『なるほど』の言葉を噛み殺す。
「お前にそんなことを言う権利はないだろ」
「え?」
「お前、一体いくつのものを壊した?何人殺した?そういう事を平気でやってきたお前が、自分がされたからって……」
「あーあー。うるさいうるさい」
耳に手を当て、目を閉じて、吾我の表情や言葉といった情報の一切を遮断しようとする。
「分かった分かった。アタシ別にそういう議論をしたいんじゃないからさ」
「……とにかく。『キャンバス』は返さない。エックスはああ言ったが万が一……」
「じゃあ取引しましょうよ」
「人の話を聞け!」
「人間の話なんか聞く価値ないわ。お前がアタシの話を聞きなさい」
あまりに自分勝手な言葉を、さも当然のようにウィッチは吐き出す。吾我の頭の中で何かが切れて、気付いたら立ち上がっていた。
「ありゃ?どうしたの?」
「帰る。お前と話をしようとした俺がバカだった」
財布からコーヒー代の千円札を取り出しテーブルに叩きつける。
「じゃあな。もう話すことは──」
「アンタ魔女とか聖女と戦えるくらいに強くなりたくない?」
「な……い、や。……なんだって?」
ウィッチはくすっと笑った。
「取引する?」
吾我は一瞬逡巡し、そしてもう一度元の席に腰かけた。
「あら素直。そういう態度は嫌いじゃないわ」
「……うるさい」
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自分でも感じていたことだった。あと一歩、力が足りない。一年前の魔女との戦いもそう。先般の聖女との戦いでもそう。
(俺は大事なところでいつも戦力外だ)
ウィッチの魔法を使うことで辛うじて魔女レベルの相手にもダメージを与えることは出来る。だがそれ以上にはいかない。自分よりもずっと遅くに魔法使いになった公平は、ウィッチの魔法よりもずっと強力な魔法を使いこなしていたというのに。
自分が弱いせいで亡くなった人は何人もいるのではないか。そのせいで公平は記憶を奪われたのではないか。もしも自分がもっと強かったら。状況はもっとマシだったのではないだろうか。そう思えば思うほど、自分の力不足が歯がゆく、憎かった。
--------------〇--------------
「取引に応じるってことでいいかしら?」
「今より強くなるとはどういうことだ。劇的に『キャンバス』を大きくする手段でもあるのか」
吾我の問いかけに、ウィッチは笑いを堪えるだけであった。
「おい。答えろ」
「くっくっくっ。そうね。うーんと。『心の白紙』が大きくなったりはしないわ。それでも今の何倍も強くなれる」
吾我は眉をひそめた。信用ならない。『キャンバス』が大きくなればなるほどに大規模の魔法が使えるようになる。強くなるとは『キャンバス』を大きくすることに等しい。ウィッチはそのプロセスを無視して強くすると言っているのだ。無茶苦茶である。
「うん?もしかして信用してないんだ」
「当たり前だ。『キャンバス』の成長抜きでどうやって劇的に強くなるというんだ」
「くっくっ。『キャンバス』……。『キャンバス』ね」
「なにが可笑しい」
「全部」
言っている意味が分からない。やっぱりこの女と会話しようとしたことが間違いだっただろうか。今度こそ本当に席を立ってしまおうか。
吾我が帰ろうとするのを察したのか、ウィッチは更に口を開いた。
「そうねえ。じゃあ前金を渡してあげるわ」
「前金?」
「強くなるための最初の入り口だけ教えてあげるってこと。取引に応じるかどうかは聞いてから決めればいいわ」
「そういうことなら……」
ウィッチは不敵に笑い、『おっけー』と言ってから説明を始めた。
「最初に。アンタ魔法を使うプロセスって説明できる?」
「『キャンバス』に魔法を描き、『魔力』で出力する」
『何を当たり前のことを』なんて思いながら淡々と言った。言い切るとウィッチは大笑いし始めた。非常に不愉快である。
「だから。お前さっきから一体なにがおかしいんだ」
「カンペキカンペキ。アンタ最高っ!期待通りの100点満点の不正解だわ!」
「……不正解?」
そんなはずはない。エックスもローズも魔法を発動させるプロセスはこのように説明していたはずだ。
「エックスちゃんたちはそれでいいんだけどねー。アタシやアンタ、この世界の魔法使いはそれじゃあダメなんだなあ」
「なにが違う。一体何が……」
「魔法をかく『白紙』の質よ」
よく分からない。疑問符の浮かんだ顔をしている吾我に対して、ウィッチは得意げに説明を続ける。
「こっちの世界の魔法使いが持っている『白紙』はさ。魔法を『描く』のに向いてないんだよ。そういう紙質じゃないの。どっちかって言うと、魔法を『文章』として『書く』のに適している」
「文章として書く……?」
「そう。なのにアンタは『描く』つもりで魔法を使っている。ミスマッチな使い方をしているってこと。だからあと一歩強くなれない。それだけの話よ」
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エックスとウィッチ。二人はそれぞれ『魔女の世界』と『人間世界』での魔法の創始者である。二人の魔法は殆ど同じプロセスで発動する。心の中に魔法をかいて、それに魔力を送り現実に出力する。違いがあるとすれば、前者は『描く』で後者は『書く』ということだった。
エックスは魔法で起こす現象を『絵』として『キャンバス』に『描き』、ウィッチは『文章』として『白紙』に『書いて』いた。
ウィッチの魔法には呪文そのものに『書く』プロセスが籠められている。その為エックスの『描く』やり方でもほぼ遜色なく使える。──勿論、正しいやり方で発動させた方がずっと強力にはなるが。
自分はこっちだから貴女はそっちと示し合わせていたわけではない。単に自分たちが心の中に持つ『白紙』に適したやり方を自然に選んでいたというだけの話である。
この差異にはエックスも気付いていない。相手の『白紙』を所持して、それを使って魔法を使おうとしない限りはほぼ気付くことはない。実際にはエックスも公平の『白紙』を借りて魔法を使ったことがあるが、このケースは例外である。
公平の『白紙』はエックスの魔法を獲得するために命がけの鍛錬を重ねたために、後天的にその性質が変化していた。『描く』と『書く』と両方適した性質を得たのだ。そのためにエックスは彼の『白紙』を借りた時にもほとんど違和感なく魔法を使うことが出来、そして彼女は『白紙』の性質の差異を見落としたのである。
この差異にウィッチが気付いたのは、エックスたちが使う『キャンバス』という名称からであった。『キャンバス』と言えば要するに『絵を描くための白紙』。自分や、人間世界に住む人間たちが持つ『文章を書くための白紙』とは異なるのではないかと推理したのである。
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「……と、まあ。そういうこと。ああ、失敗。ギリギリまで話しちゃった。まあいいや。こっからが取引。ここまで分かったうえで、ではどうしたらアンタがもっと強くなるのか。教えてあげてもいいけど代わりにアタシの『白紙』を返しなさい」
吾我は押し黙った。ウィッチの話が本当である保証はない。信じる理由もなかった。ただ、彼女の話に嘘があるようにも思えなかった。
「……分かった」
「おっ。分かったってことはアタシの『白紙』を返すってことね?」
頷いて彼女の問いかけに肯定する。これは目の前にある対聖女のためだけではない。そう遠くない未来、きっと人間世界に魔女が何人も生まれる。きっと優しい魔女ばかりではないだろう。それこそウィッチのような魔女が現れない保証はない。その時の為にも吾我には力が必要だった。
吾我はウィッチの手を握った。それを通して彼女の『白紙』を返す。
「くくっ。確かに」
ウィッチは小さく『やっと帰って来たわね』と愛おし気に呟いた。彼女にとって何より大切なものは、自分の魔法なのかもしれない。
「約束だ。俺が強くなるにはどうすればいい」
「ああそれ。まあ簡単よ。自分の魔法を見つめ直して、その力を言語化・再定義する。そしてその定義を『白紙』に書き込むようにイメージしながら魔法を発動させる。それだけ」
「……それだけ?それだけで強くなれるのか」
「ま、騙されたと思ってやってみなさいよ。慣れたらすぐに効果が出るからさ」
ちゅうちゅうとメロンソーダをストローで吸いながら言う。もしかして本当に騙されたのではないか。あまりにも簡単すぎる。疑いの目を向けていると、ウィッチは思い出したように口を開いた。
「あ、ここの会計任せたから。アタシお金持ってないし」
「じゃあなんでそんなものを頼んだ!」
「面白そうな飲み物だったから」
悪びれもせずに言うウィッチに吾我は舌打ちする。別に大した金額ではない。別に払ってやったっていいのだ。腹立たしいのは彼女が最初っから踏み倒すつもりでいたことである。自分が来る前から金もないのにメロンソーダを飲んでいたのだから、どうあったとしても金を払う気はなかったのだろう。
「まあまあ。そうカリカリしないでよ。このことエックスちゃんにも言っていいしさ」
「なに?お前エックスのことを嫌っていると思ったが。そんなことを教えてやる気になったのか?」
「嫌いよ?だから教えるんじゃない」
「は?」
意味が分からない。そんな吾我の気配を察したようでウィッチは続ける。
「だって絶対悔しがるわよアイツ。ぷぷぷ。『アンタの魔法なんか余裕綽々で使えるけどなにか?』って顔が崩れると思うと笑えるわ」
なるほどと心の中で呟きながら財布の中から取り出した一万円札をテーブルの上に置く。やっぱりウィッチとエックスは水と油らしい。
「仕方ない。釣りはやるよ。色々教えてもらったしな」
「あら。まあ当然よね。これでも足りないくらいだと思うけど、このくらいで勘弁してあげましょう」
「どうも」
一言言い残して吾我は喫茶店を後にした。
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「悔しい悔しい悔しい悔しい!」
どんどんどんどんと机の上を何度も何度も叩く。そのたびに机の上の公平や吾我が飛び跳ねて転がる。自分とウィッチの『キャンバス』の違い。それを吾我に教えてもらうまで気付かなかったのが本当に悔しかったエックスである。得意げに彼女に『メダヒード』の魔法を見せつけていた自分が恥ずかしい。ウィッチの魔法の本質を見抜けていなかったのに。
「ま、まあまあ。いいじゃないか別にさ。これで俺ももっと上手く魔法が使えるようになるわけだし……」
公平に宥められてようやく暴れるのを止める。代わりに力なく机に突っ伏して『ううう……』と悶えた。
「ああもう仕方ないな……」
そう言うと、公平はエックスの巨大な手に駆け寄っていって、その甲を撫でた。
「ほら気にしするなよ」
「気にするよお……」
落ち込むエックスとそんな彼女を慰めようとする公平。それを見て吾我は『なんだ』と思って小さく笑った。記憶が無くなっても、結局そんなに変わりはしないじゃないか。
「それじゃあ。俺はもう帰るよ。ウィッチの話が本当か、まだ半信半疑だからな。試してみないと」
「あ、もう帰るんですね吾我さん。お気を付けて」
「ああ」
公平の敬語は気持ち悪いなと思うけれども。少しだけ二人の今を見ることが出来て安心した吾我だった。