吾我の訪問
「難しいもんだな」
吾我はメールを見ながら呟いた。
「魔女・異連鎖・異星人。それらを撃退した一番の功労者はエックスなのに」
エックスが本当に意味で、人間と生きていける──もっと言うなら魔女と人間とが共存していける社会を作る。それが彼女が享受するに相応しい恩賞だと、吾我だけではなくWWという組織全体が考えていた。当然それを実現する為の働きかけは続けている。だが、上から降りてきた言葉は期待していたようなものではなかった。
『巨人が生活できるような土地はない』『その為の用意できる財源はない』『そもそも異世界人との共存を国民が望んでいるのか』『本当に魔女になる者が現れた時に改めて考えればいいのではないか』多くの国の政府の回答はこんな感じだった。
『道は厳しいよ、レイジ。WWという組織はもっと発言力があると思っていたんだけど』
各国に陳情を行い、その結果としての悪いニュースを伝えてくれた上長の言葉に思わず苦笑いしてしまう。魔法を用いた防衛に関してであればある程度融通が利くのだろうが、それ以外の意見を通すのは困難らしい。
お偉方の言いたいことはよく分かる。だが諦めるつもりもなかった。
「本当に魔女になる者が現れた時、ね」
アリスは魔女になりつつある。未だ不完全な状態で殆ど常に人間の大きさのままだ。だが、それでもいつ彼女が本当に魔女に覚醒するか分からない。
そうなった時。戦いの中で魔女になってしまった時。世界を守るために戦い、本当に人に戻ることが出来なくなってしまった時。その時、彼女の居場所はどこかにあるのだろうか。
「どこにもない」
当然だ。この世界はまだ魔女を受け入れる用意が出来ていないのだから。その時になって初めて考えたのでは遅いのに。
「なんとかしないとな」
椅子にもたれかかって、ぐぐっと背伸びをする。魔女という存在がこの世界にとって有益なことを理解してくれる人は増えているはずだ。エックスが何度も何度もこの世界の危機的状況を打破してくれたのだから。その声を大きくしていく。地道なやり方だが、これが一番確実ではないかと吾我は考えていた。
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「え?当分、お仕事はしないつもりだけど?」
「そうだよなあ」
突然の問いかけにエックスはきょとんとした。そっとコーヒーカップを魔法で渡す。魔女の大きさである彼女にとっては人間用のカップ小さすぎて手で運んだら潰してしまうのだ。彼女が自分のコーヒーを飲むのを見て、吾我もカップに口を付けた。
また以前のようにビルを壊したりスーパーの宣伝をしたり、といった仕事をする予定はないかという質問だった。
急に部屋に来て、おかしなことを聞くものだと思いながら吾我を見下ろす。彼はどこかがっくりした様子でバツが悪そうにしながら口を開いた。
「どうにかして『魔女』という存在の好感度を上げられないかな、と思ったんだ。魔女と人とが共存できる社会を作るために。貴女がときどきやっているような、こう……ありふれた仕事の方が却ってウケがいいと思うんだけどな」
「うーん。今はそれどころじゃないしねえ」
『聖技の連鎖』のこと。それを守る三つの連鎖のこと。そして公平の記憶のこと。やらなければならないことは沢山だ。それ以外のことは申し訳ないけれど全部後回しだ。とてもじゃないが手を付けられる状況ではない。
「まあ、それも仕方ない。確かに今は『聖技』をどうにかする方が先だ。そっちが上手くいった方が貴女の人気も上がるだろうしな」
「どうかなー。ボク今まで結構頑張ってきたと思うけどあんまり変わらないからねー」
今までやってきたことを思い返す。人間世界を襲った魔女と戦った。異連鎖の敵を二回もやっつけて、八月病という病だって根絶させた。聖女も一人やっつけて、ついでに大きいだけでそんなに強くなかった宇宙人も懲らしめてやった。
コーヒーの黒色に映る自分の顔を見つめながら、本当にもう少し褒められてもいいんじゃないかな、なんて思う。こんな世界と世界の狭間で生活している現状はどこか間違っていないだろうか。
「まあいいや。そんなことより公平のことの方が大事だしね」
「……その公平はどこだ?気配を追って大体の位置は分かるんだが」
「そこまで分かっているなら分かるでしょ。ボクの足元でボクの足を持ち上げる訓練をしているよ」
「ああ、やっぱりそうなんだ。……なんで?」
またしてもおかしなことを聞く吾我である。エックスは首を傾げて彼を見つめた。
「なんでって。魔力を使う練習だよ」
エックスの返答に吾我は釈然としない表情である。このやり方に趣味の部分が多分にあるのは認める。彼を足で踏みつけていると心の奥底がぞくぞくする。頑張って持ち上げてくれると嬉しくなってついつい力をいれてしまう。返ってくる抵抗でまた胸がときめく。
「公平は強くなれる。ボクは楽しい。win-winってやつさ」
「本当にアイツのことが大事なのか?」
「大事な相手じゃなきゃあこんなことはしない」
「そうかなあ……。ん?」
吾我が何かに気付いたような顔をする。
「あの扉はなんだ?あんなものあったか?」
「ああ。アレは……」
と、その時。エックスは扉の奥にいるウィッチが動き出すのを感じた。慌てて吾我を握りこんで隠す。魔法的な防御も施して、位置を特定されることも防いだ。
「お、おい……!」
「まあちょっと静かにしててよ」
扉を開けて、ウィッチがすたすたと歩み寄ってくる。机の上にある人間用の小さなカップに目を落とす。
「なに?人間が来ていたの?」
「ついさっきまでね。でももう帰ったよ」
何食わぬ顔で言いながら残りのコーヒーを飲む。ウィッチは「ふうん」と呟いて、椅子に座ると、吾我を握りこんでいるエックスの手を見つめた。
「ウソはよくないなあ、エックスちゃん。その手の中にいるんでしょ?アタシの『白紙』を持っているヤツが」
「ウソじゃないよ。本当にもう帰ったんだ」
「へー。そうなんだ?」
するとウィッチはエックスの手を突然に握ってきた。
「うわっ!なにするんだ!?」
「別に?急に手を握りたくなっただけ。ぎゅうっと。強く。いいでしょ?別に。どうせこの手の中には何もいないんだから」
なんて勘のいいヤツだ。手の中で吾我がとんとんと叩いてくる。エックスはウィッチの手を振りほどき、諦めたように手を広げる。
「あー。やっぱり!」
「ンな……!?聞き覚えのある声だと思ったら。なぜここにウィッチがいる!?」
こうなるのがイヤだった。人食いの魔女と一緒に暮らしていることを知られたくなかったのだ。
「アンタがアイツを倒したのは知っている!だが、何故一緒に暮らして……!」
「いやまあ。成り行きで……」
「そんな事どうでもいいわ!人間!アタシの『白紙』を返しなさい!」
「白紙?『キャンバス』のことか?誰が返すかふざけるな!」
吾我の言葉にウィッチは歯ぎしりする。悔しいがエックスがいる以上は強引な手も取れない。下手なことをすればまた縮められてしまう。
「……待てよ?『キャンバス』?」
ウィッチは何かに気付いたような顔でエックスを見やる。
「なにさ」
「ねえエックスちゃん。アナタ、自分の魔法とアタシの魔法の違いってどこにあると思う?」
「え?違い?」
言われてみると。エックスは悩んだ。まず魔力の動き方が違う。どこか非効率的に魔力を消費しているようにも感じた。そしてキャンバスに魔法を描くのもどこか難しい。ただ具体的にどこがどう違いかと言われると答えに困ってしまう。
「まあよく分からないけど。慣れれば使える。ボクはそうだったし。今の公平は最初からそっちをマスターするようにしているから問題ない」
「そう。魔法の天才さんはいいわね。でも言語化は出来ないわけだ」
ウィッチは不敵に笑い立ち上がった。そのまま立ち去ろうとする。吾我は慌てて彼女を呼び止めた。
「待て!話はまだ……」
「今日は飽きたし。話がしたいなら明日にしましょうよ。こんなシけたところじゃなくてさ」
けらけら笑って部屋の扉を開けて、中へ籠る。吾我はそれを舌打ちして見送ると、エックスに目を向けた。
「おい!どうしてアイツがここにいることを言わなかった!」
「ご、ごめんって!無力化しているから大丈夫だと思ったんだけど」
「そういう問題じゃないだろ!」
「ごめんってばー!」
ずっと小さな人間に説教をされている。きっと外から見たらすごくちぐはぐな光景なんだろうな、とエックスは可笑しくなった。
「おい!なに笑っている!話を真面目に聞いているのか!」
「聞いてるって」
なんて。死なない程度に公平をぐりぐりと踏み躙りながら考えている。