そして戦いが始まる
膠着状態が続いた。エックスも公平も一歩も動けない。この部屋の主の女。机の上に置かれた名札から東という名前であることが分かる。
指先一つでも動かせば爆発しそうな緊張感。険しい表情で睨む二人の侵入者に東はクスっと笑った。
「まあまあ。落ち着きましょうよ女神様?」
右手首を振りながら言いのける。その人差し指と親指の間には、目では見えないほどに縮められた誰かがいる。どうにかして助け出すまでこの状況は終わらない
「……その人を離してあげて。かわいそうじゃないか」
「かわいそうって。これは私の玩具ですよ。それに失くしたら攻撃されちゃうわ」
そりゃそうか、とエックスは思う。その指先にいるのは人質なのだ。一歩でも動けばコイツの命は無いぞ、という脅しである。
横目で公平の表情を覗いてみる。刺すような視線で東を睨んでいた。辛うじて踏みとどまっているだけで心の中は煮えたぎっている。彼が怒りに燃えているからこそ、エックスは逆に冷静になれた。
(二人して興奮していたら解決できるものも解決できない)
エックスは目の前の敵を観察した。相手の正体を見極めるのだ。落ち着いて対処すれば、勝機は見える。
「その人が何をしたっていうんだ。キミは何が目的なの?」
怪しまれないようにと会話を続ける。東は唇に人差し指を当てて、わざとらしく悩むように斜め上に視線を向けた。
「目的?うーん……。暇つぶし?」
くりくりと右手の人差し指と親指を擦り合わせる。魔女の聴覚を持つエックスからはそこくぐもった小さな悲鳴が聞こえた。公平と遊ぶ自分も傍から見たらこんな感じかもしれない。改めて反省するエックスであった。
隣から「ギリッ」という歯ぎしりの音が聞こえた。公平はそろそろ我慢の限界らしい。
『落ち着いて』
念話を飛ばす。公平がエックスに視線を向ける。
『アイツにはあの人を殺せないはずだ。殺してしまったらボクとキミの二人に同時に襲われるんだ。いくらなんでもここでそんな危険を冒さないはずだよ』
『けど……』
公平の言いたいことは分かる。いつまでもあんな残酷な行為を許してはおけない。
『一つ。作戦を思いついた。……悪いんだけど。イヤな役を頼んでいいかな?』
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「暇つぶし?そんな理由でこんな酷いことを?さっき誰かが死んだのを感じた。それもキミが?」
公平はエックスの作戦を頭の中で繰り返した。魔力を集中させる。勝負はほんの一瞬。決して手間取ってはならない。
感知して分かったことだが、敵はキャンバスを持っていない。つまりは魔法使いではないということである。人間を縮める原理は分からない。だがそのおかげで相手はこちらが魔法を使おうとしていることを気付けないはずだ。
「そう。これの恋人なんだって。あ、そうそう。面白いんですよ。さっき殺した女の人……」
東がそう言った次の瞬間。公平は集中させた魔力を解き放った。
「ミリサイズまで縮めたんだけど名前が……」
「『レベル4』!」
呪文を叫ぶのと同時に右手を振り上げる。空間ごと敵を切断する刃。その一撃が。
「ミリって言って……。っ!?」
東の手首を切断する。同じタイミングでエックスは思い切り前へと飛び出した。斬り飛ばされた彼女の手を胸元に抱き寄せて、そこに囚われていた小さな存在に「大丈夫?」と笑いかける。彼に魔法をかけて身体を元の大きさに戻しながら自分の部屋へと送った。
「びっくりしたかよ」
公平は『レベル4』の漆黒の切先を東に向けた。痛みに悶えて反応は返ってこない。流石にこれだけ離れたところから腕を斬り飛ばされるとは思うまい。そうして生じた一瞬の隙をつけば人質を助けられるはずだと思った。エックスは右足を上げた。
「やあっ!」
東が表情を歪ませながら顔を上げた。しかしエックスの方が一手早い。左脚を軸にし、全身に力を籠めて回し蹴りを叩きこむ。──だが。
「な……!?」
「あ、つぅ……。あっぶなあ……!」
その一撃が届かない。何か大きな存在が防御しているような。
(……そういうことか!)
東はどこからか取り出した杖をエックスに向けた。そこから放たれた光を、エックスは両腕で防ぐ。その衝撃を利用して公平の元へと戻ってくる。
「な……、なんで今攻撃が当たらなかったんだ?」
「アイツは異連鎖の人間だ!ランク100のボクじゃあ攻撃出来ない!」
彼女の説明に疑問符を浮かべる公平。そんな呑気な様子にエックスはどこか怒ったような表情を見せる。
「お前それ説明になってな……」
「とにかくっ!詳しいことは後で話すから!ボクじゃあ戦えないからっ!公平行って!」
「お、おう!」
仕方がないので走り出す。東は落ちた手首を拾いあげると、杖に祈った。
「『元に戻れ』!」
光に包まれた右手が彼女の腕にくっついてしまう。空間ごと切り裂いたというのに。何が何だか分からない。分からないが一つ分かる。この女はエックスの敵だ。
「ならテメエは俺の敵だなァ!『裁きの剣』!」
「『切り裂け』!」
手刀と剣とがぶつかり合う。公平は思わず「嘘だろ」と呟いた。今まで魔法で作った武器で受け止められたことや破壊されたことはあるけれど、手刀で防がれたのは流石に初めてである。
東は彼の僅かな動揺を見逃さない。手刀を大きく回して『裁きの剣』を弾きとばし、そのまま振り下ろす。公平は咄嗟に後退した。僅かにではあるが、服ごと身体が切り裂かれ血が飛び散る。
「ちっ……!」
落ちた剣の代わりに次の剣を生成させる。床についた時、僅かな揺れが起きた。部屋中の虫かごから小さな悲鳴が聞こえる。思わず意識を向けてしまった。その瞬間に東はさらに接近する。連続で撃たれる手刀の一撃を『裁きの剣』で受けとめながら、横目で虫かごを見る。
「……ここじゃあ戦えないな」
右足のつま先で床を叩く。東と一緒にそこに開いた空間の穴に落ちていく。行先はアパートの外だ。
「これで思う存分。やれるッ!」
駆けながら剣を振り下ろしていく。手刀と剣とがぶつかり合った。
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エックスは、虫かごの中の人たちを元の大きさに戻しては自分の部屋へと送っていた。攻撃できない以上は出来ることをやるしかない。何人かは既に亡くなっていて、それを確認するたびに胸が痛む。
「……よし」
全員を非難させると窓から身を乗り出して公平の戦いを望む。格闘戦は概ね互角。敵が行使している謎の力は身体能力も高められるようだ。魔力で強化された公平の身体にまで追い付いている。『裁きの剣』ではなく、もっと強い魔法を使えば一気に決着をつけることが出来るかもしれないが。
「……それじゃあ相手を殺しちゃうしね」
彼の性格はよく分かっている。いくら相手が悪人でも命を奪うことはしたくないのだ。それはエックスも同じ。東が纏う防御もその気になれば貫通できた。だがそれだけの力をぶつければ相手の身体が無事では済まない。
「待てよ……?」
ランク100の自分では攻撃できない。本気で撃てば相手を殺してしまう。だけど。
「これなら……!」
閃きが彼女の身体を動かした。
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「だあああっ!」
大きく距離を取った公平は『裁きの剣』を横一文字に振り切った。刃から白い斬撃が放たれる。東はその攻撃を手刀で切り裂いた。そして、公平に杖を向ける。
「手のお返しよ!『小さくなれ』!」
杖の先から閃光が迸る。この一撃は受けたらまずい。公平は咄嗟に躱した。
「そんなモン喰らうか……」
東がいたはずの場所に目を向ける。しかし彼女はそこにいない。かと思うと背後から羽交い絞めにされる。耳元で女の声がした。
「そう。当たるわけないよねえ。アンタ結構強いしさ」
「テメ……っ」
「でも今度こそ終わり!虫よりも微生物よりも細菌よりも!『小さくなあれ』!」
「く……っ!」
エックスに縮められる時の感覚を思い出す。圧倒的な無力感。相手が他の誰かだったら心が折れていたかもしれない。
(それでも……)
それでもやれることをやるだけだ。人間と魔女の戦いのような格好になるだけ。むしろお手の物ではないか。
小さくなることを覚悟した公平は、その時を待った。
「……」
「……」
待った……が。
「……うん?」
「……あれ?」
公平は東の拘束を振りほどき、その腕を掴む。
「何も……!」
そのままアスファルトに叩きつける。
「起きねえじゃねえか!」
「がは……っ!」
痛みに悶えながら立ち上がる所へ斬撃を再び放つ。東は杖を向けて『燃えろ』と叫んだ。火球が公平の一撃を相殺する。
「……借り物の神秘じゃあ魔法使いには効かないか!」
杖の尾を地面に叩きつけ『揺れろ』と叫ぶ。大地が震えだした。
「あ、う、わあ!」
ダメージを受けた身体。削られた体力。公平は東が起こした地震に倒れてしまう。その隙をついて東は背を向けた。この場はここまで。これ以上深入りはしない、と立ち去ろうとする。公平が「待て!」と叫んだ、その時である。
「逃がすかあ!」
エックスがアパートの窓から飛び蹴りを放った。東は構わずに逃げていく。彼女の攻撃は自分には届かない。そう分かっているからこその行動である。
そしてそれは間違いではない。ランク100の全能の力を手にしたエックスでは東に攻撃することが出来ない。彼女もその事はよく分かっていた。
「はあああっ!」
逆に言えば。キャンバスを持たない身体であれば。
「……がはっ!」
魔法で作ったダミーの身体であれば攻撃が通る。
エックスの一撃が東を蹴り飛ばす。大きく吹っ飛んでいく小柄な身体。地面に降りたエックスはそれを見つめた。
公平が駆け寄ってきた。情報に追いつけないと言った顔で、開口一番に「どういうこと?」と聞いてくる。
「何で今のは効いたの?」
「後で説明するから」
「じゃあ分かりやすく頼む」
「はいは……。うん?」
エックスは東の吹っ飛んでいった方へ視線を戻した。公平はきょとんとして彼女の表情を覗き込む。
「どうした?」
「……公平は感じないの?あの力……?」
「え?」
公平には分からない。東が魔法の力を感じ取ることが出来ないのと同じことだ。公平には魔法ではない力を感じ取ることが出来ない。しかし、エックスは分かってしまった。異様なまでに強大な力を感じる。耳をすませると東の声が聞こえた。
「……トルトル神さま、お力お借りします……!」
「まずいっ!」
直後、破壊力だけで言えば神域に迫った極大の一撃が放たれる。鳥の姿を象った光だ。
公平はあまりの眩しさに目を覆った。轟音が鳴り響く。次に目を開けた時、視界に写ったのは肌色の壁だった。
「……エックス?」
「あ、っぶなかったあ……」
躱せば街に被害が及ぶ。受け止めるしかない。しかし今のままではどうやっても受けきることはできない。そうすれば余波が街を襲う。やむを得ずエックスは意識を本体に戻した。元の大きさに戻って東の切札を右手で受け止めたのである。
「ふう。びっくりしたあ」
言いながらも平気な顔で立ち上がるエックス。公平はその巨体の向こう側の景色に目を疑った。道路が消失していた。暗くて底が見えないくらいの大きな谷になっている。両側も崩れそうだ。今のところ被害は道が消えたくらいなのは奇跡である。
「こんなもの……街に当たってたら……」
「大惨事だったろうね。まあ止められたからセーフだ」
エックスは地面に手を向ける。光がさして道を修復していく。
「ただ。彼女には逃げられた。残念だけど」
「……エックスでも追いかけられないのか?」
公平を見下ろして、申し訳なさそうに首を横に振る。
「ボクくらい……って程ではないけど。とんでもなく強い存在が彼女の背後にいる。その力で姿を眩ませたんだ。残念だけど追跡は出来ない」
全能の力を持つエックスですら追いきることの出来ない存在。公平は不安げに眉をひそめた。同時にそれでも自分の方が強いと暗に言っている彼女の様子が少しだけ可笑しい。
「一体、それってどんなヤツだよ」
「うーん」
エックスは少し迷うようにして、それから口を開いた。
「神様、かなあ。他所の世界の」
「神様」
思っていたより言葉のスケールが大きくて、公平にはオウム返ししかできなかった。