巨人の魔女の日常と周辺
異世界からの侵略。巨大な魔女の襲来。
『戦い!?てめー俺を何と戦わせる気だ!』
『ボクと同じ世界から来て、この世界を侵略しようとしているおっきな魔女だ。ボクは君たちを守るために来た。一人じゃ心細いから手伝ってほしい』
魔女・エックスは人類の味方となった。そこには失われた魔法を取り戻すという目的も確かにあったが、それ以上にヒトを守ることを彼女が望んだのだ。
エックスが人間の世界で初めて出会った青年・公平は、初めこそ戦いに巻き込まれることを拒否していた。しかし彼女と共に過ごす中で、彼女と絆を築き、彼女を守るために戦うことを選んだのだ。
『さあ!決めるよ公平!』
『ああ。これで決まちまえ!』
そして。エックスは全ての魔法を取り戻し、最後の魔女も倒して、遂に人間の世界を救った。
『あれ……』
だがそこには一つの誤算があった。誰のせいでもない。完全に想定外の誤算。
『ねえ。公平。一つ、お願いがあるんだ』
『うん。うん?お願い?』
『ボクとさ。お別れしてほしいんだ』
エックスは魔法を極めてしまった。全ての魔法を取り戻したこと。公平が彼女のために創った魔法の存在。あらゆる要素が絡み合って、望んでもいない奇跡が起こってしまった
全能の魔女。ただ願うだけであらゆる現象を現実に変える力。エックスはそういうものになっていた。この領域に至るのには公平の魔法は必要不可欠である。自分がこの領域に至った経緯が他に知られれば公平が狙われる。
故に離れることを決めたのだ。自分と公平の関係性が存在しなくなれば、彼が危険に晒されることもない。
『本当はさ。キライになったって言おうと思ったんだ。本当の理由なんか話さないでさ。バイバイって別れようと思ってた。だけど、ダメだね。全能なんてウソだよ。ボクはそういう嘘は吐けないみたいだ』
『……誰が襲ってきたって関係ない。どんな奴だろうと蹴散らすだけだ。俺は負けないよ』
『……なら。ボクと戦ってよ。ボクと戦って。ボクに勝ってみせて。もしもボクを倒せたら、キミの強さを認める。誰が襲ってきたって問題ないって信じられる』
そうして。当然の結果として公平は敗れた。彼は彼女の吐息一つにさえ敵うことも出来なかった。
『……ゴメンね。バイバイ』
彼女は自分の居ない世界を創った。全てのヒトから自分に関する記憶を消すことで。そして彼の元から去っていった。ささやかな財産だけを公平に残して。
『違う。違う。違う』
そんな世界で公平は、彼女のことを思い出したわけではないけれど、何か大切な存在を失ったことに気付いていた。故に手を伸ばした。その手は忘れていた魔法を発現させて、彼女の隠れた世界の果てへの道を創る。
『……何で来ちゃうんだよお』
『……ごめん。分からない』
名前も知らない巨人の女の子に公平は手を伸ばした。彼は知っていたのだ。見覚えのない彼女が。泣いている彼女が。自分にとって絶対に必要な存在であるということに。
『ボクは最低だ』
そして彼女も分かっていた。自分には公平が必要であると。彼と一緒にいてはいけないことは分かっている。それでも公平がいないと自分はダメになる。故に考える間もなく、差し出された小さな手に大きな手を伸ばしていた。
手と手が触れた瞬間、その小さな感触で胸がいっぱいになった。ただ好きな人の手に触れているだけ。それだけで世界の全部を沈めてしまうくらいの幸せが溢れてきたのだ。
『エックス。帰ろう』
『ありがとう。公平』
こうして。身長100mの巨人は。全能の魔女は。普通の男の子と一緒に生きることを選んだのだった。
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「……ってことはだよ。公平。結局ボクが帰ってくることを望んだのはキミなんだから。少しくらいボクのお願いを聞くべきなんじゃないかなあ」
「そうかなあ……」
「ボクは夜は一緒のお布団で寝たいと言っているだけだよ?」
朝ごはんの目玉焼き。醤油をかけて、白身部分を箸で切り取り、口に運ぶ。醤油の味だと公平は思った。目玉焼きというものはこれでいいのだ。
顔を上げるとエックスが納豆をかき混ぜている。二人は60:1の割合で大きさが違う。エックスが本来の大きさである身長100mのままで生活することを望んでいるので仕方がないのだ。
二人が暮らすのはエックスが魔法で創った家である。家具も本来の彼女のサイズに合わせてある。当然公平にとっては大きすぎるのだが、これも仕方のないことだ。
そういうわけなので、公平はテーブルの上に直接座ってご飯を食べていた。行儀は悪い気もするがどうしてもこうなってしまうのだ。
かき混ぜ終えた納豆。エックスはそれを一口分、箸で摘まんでぐいっと持ち上げた。糸が引いて『おおっ』と声を上げる。そのまま口に運んで、追いかけるように白米を食べる。彼女はご飯の上に納豆を乗せない。そういう食べ方を好んでいない。
こくんと口に含んだものを飲み込んだ。緋色の瞳が公平を見下ろす。
「だいたいボクと一緒に寝ることの何が不満なのさ。自分で言うのもなんだけど、結構な美人さんな奥さんだと思うけど?」
「それはまあ認める」
『えへへ』とエックスが照れ臭そうに笑う。もうとっくに十分以上にかき混ぜている納豆を、照れ隠しなのか更にかき混ぜ始める。ストレートパンチに弱い巨人だ。公平は内心で苦笑しながら醤油のついた目玉焼きを白米に二度バウンドさせて、口に入れる。
「っていうか一緒に寝るのはいいんだよ。俺がやめてって言ってるのは俺のことを枕にすることだよ」
「えー……」
朝起きるとだいたいエックスの頬っぺたの下敷きになっている。ここ最近見る夢は漬物になって重たい石に圧し潰されるとかロードローラに圧し潰されるとかそういう圧迫されて死ぬという悪夢ばかりだ。
「でもそれはさ。寝相が悪かっただけというか……寝ていたら頭の位置があらぬところに行くってこともあるだろう?」
「寝相ねえ。毎日毎日頬っぺたに圧し潰されるかなあ……?
「う……」
「……お前本当は俺が寝るまで起きているだろ。で、俺が寝たのを確認してから頭を乗せてないか?」
「ま、まっさかー!してないしてない。偶然偶然」
嘘だ。公平は思った。エックスはそういうところには特に気を遣う。眠っているとき誤って公平を殺してしまわないようにと慎重にしているはずだった。寝相でそんなことを続けてしまって改善しないわけがない。わざとやっていると推理するのが自然である。
疑いの目を向けられている。エックスは視線を落として味噌汁を啜った。
「わ、悪かったよお。まあキミの思ってた通りさ」
「やっぱり」
「今晩からはもうしな──。ん?」
突然エックスは振り返った。そうして無言のまま台所に通じるドアの辺りを見つめている。公平はインターネットで時々見かける虚空を見つめる猫を思い出していた。まるで見えないものを見つめているかのような猫の画像──。
「……気のせいか」
「……なにが?」
「いや?なんか見られてるような気がしたから……」
「ウソだろ……怖いこと言うなよ」
「え。ボクなんか恐いことなんか言った?」
「いや別になんでもないけど……」
どこか気が気でない公平の姿。エックスは『はて?』と首を傾げた。
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「……ふうっ。危ない危ない」
まさか気付かれかけるとは。油断も隙もあったものじゃない。これだけ強力な女神が、呑気に普通の人間と生活をしているなんて。
「全ては愛ゆえに、か」
私は苦笑しながら記録されたデータを終了させた。魔法を極めたことでエックスは女神の資格を得た。全能の力とそれに負けない巨大かつ強靭な肉体。両者が揃ったケースはそう多くない。あらゆる神々の中でも最強に位置する存在と言える。
それだけ大きな力だ。本来は大いなる責任がのしかかっている。その存在はそれだけで周囲を警戒させる。他の神に目を付けられる可能性だって大いにある。少し前まで彼女がしていたように世界の果てで隠居していた方がいい。存在を大っぴらにしてはいけない。
彼女はその責任を放棄した。取るに足らないたった一人の人間との愛のために。そんなことが許されていいのか。
「──当然、許されていい。むしろそうあるべきだな。神なんてものはエゴイストなくらいでちょうどいいんだから」
自由に空を舞いたいと願う神がいる。他の世界を喰らって大きく強くなりたいと願う神がいる。絶対的な力のために全てを騙してきた神がいる。生き残るために自分以外の全てを滅ぼした神がいる。そして、愛する者と共に生きたいと願う神がいる。強い神は欲張りで、エゴイスティックだ。そういう神こそ研究対象としては面白いものである。
「とは言っても。取り敢えずはここまでだね」
これ以上続ければ彼女は私の存在に気付いてしまう。それではダメだ。今はまだタイミングとしては早すぎる。それならば観察を中断した方が安全だ。
「なあに。いずれ必ず相まみえる時が来るさ」
その時を楽しみにして。白衣に包まれた腕を大きく伸ばす。