5-ピエロ
帰りのバスに揺られていると、急激な眠気に襲われた。
私は寝ます。と、友人に宣言すると、笑いながら頭を小突かれた。
みんな疲れているはずなのに、どうして笑っていられるのだろう。
後ろを振り向くと、沢山のピエロが泣きながら笑っていた。
気分が悪い。
私がピエロが嫌いなことを知っているのに。
私が睨んでいたのを察したのか、友人は顔を手で隠すと、寝たふりをしてしまった。
睨んでいた私が言うのもなんだが、別に気にしなくていいのに。
私は寝ると宣言したのだ。ピエロはずっと笑っていればいい。
そう決心してしまうと、どうにも遣る瀬無い想いが沸々と湧き上がってきて、ピエロが少しかわいそうに思えてきた。
かわいそう。かわいそう。
バスの車窓の外は、色とりどりのイルミネーションで一杯だ。
そんな代わり映えの無い景色をぼんやりと眺めていると、ピエロになっても悪くないような心地になった。
今日は海月にピエロに忙しい。
一人ほくそ笑んでいると、また後ろから頭を小突かれた。
後ろを振り向くと、浅黒い影が一人、床にとけながらも必死に手をのばしていた。
頭を振る。
影はもう消えたんだ。
すると、溶けていた影は消えて、いつもどおりの喧騒といつもどおりの友人の姿が見えた。
体中が熱い、外は冷え切っているのに、バスの中はサウナのようだ。
車窓の窓を空けると、冷たい空気がすうっと頬を撫でて、夢心地の気分が三度ほど下がった。
友人は私の額に手を伸ばして呟いた。
「熱でもあるの?」
―あるかもしれない。夢がずっと離れないの。
ぼんやりとした答えを返す。
夢? と答えの続きを友人が話そうとすると、バスが一際高く揺れ、一瞬友人の掌が額から離れた。
あっと思った瞬間、私は車窓の外に吸い込まれていった。
これも夢の続きなのかな。
漆黒の闇から眺めるバスの中では、寂しげな私と、名も知らない友人が、不安そうにこちらを眺めていた。
そうして、私は闇の中を一人、家路へと歩く、いや、飛ぶことになった。
どうしてこんなことになったのだろう。
赤信号で停止しながら、じっと考える。
赤、青、黄。クラクションが鳴る。排気ガスのにおいがする。
カラフルで辛らつなこの路に居た堪れなくなって、車道を外れ、田んぼの上へと浮かぶ。
夜空には月と星がプカプカと浮かび、優しい光が眠りを誘う。
今日は三日月なのね。
そういえば、映画の始まる前に、三日月に寄りかかって、釣りをしている人の絵を見たことがある。観るたびにいつも思うのだ、あの人は何を思って釣りをしているのだろう、雲の中には何が住んでいるのだろう、そもそも釣り人は人なのか、などなど。疑問が沢山溢れてくるのだけれど、不思議と安心する絵だった。
今もこの月を見て思うのだ。あの人は何を釣っていたのだろう。雲の中には何がいるのだろう。
じっと夜空を眺めていると、何かが弾ける音がした。
星が青光り、一瞬大きく膨らんだかと思うと、月は満月に変わっていた。
青白い海を流れる月の回りをゆっくりと海月が泳いでいる。
ああ、そうか。
雲には海月がいるんだ。
そこには色とりどりの海月がいた。昔失くした風船。手紙を託した白い風船は、今海月になって手紙を運んでいる。
そう考えると、今日一日すべてが、繋がっているとわかった。
釣り人は空に溺れて、魚は海に還ったのだ。
もうすぐ終わりが訪れるのがわかった。
もう帰らなくてはいけない。
すっと、空に向かって手を伸ばすと、私を取り巻く空気に違和感を覚えた。
ふわついた足が田んぼの中に入り、ぐちゃりと嫌な音を立てた。
虫の音が辺りを包み込み、遠くでは車の行きかう音が聞こえる。
身体と世界の隙間がちぐはぐに合わさっている。
異物を飲み込んだ気持ち悪さ。
夜の冷気で頭は冴えているのに、違和感はぬぐえない。
いつのまに分かれたのか、身体と頭は別々に動き出して、妙に涼しげな脳味噌はクールに話し出す。
「このままじゃ危ない」と警告を発する一方で
「このままにしておいても、面白いかもしれない」と楽しんでいる。
深呼吸をする。
凍えきった頭の中に、自然の冷気が入り込む。
人工の空気は押し出されて、ようやく自体が飲み込めた。
私の身体は助けを求めていた。
私の頭はようやくそれに答えることが出来た。
間に合わなかったいくつかの私は気絶して、冷たい私だけが残った。
精神は冷え切り、肉体は溶け出すほどに熱い。
この日、私が憶えているのはここまでだ。




