4-蝉
この狭い階段を上り下りするうちに、不意に此処がどこだかわからなくなる。
今、私は何階にいるのだろう。
右も左も、上も下も同じ構造の世界では、方角と自分を見失うときがある。
軽い眩暈を憶えて、閉まりきった窓を開ける。
そうすると、呼吸を止めていた世界は動き始めるのだ。
通り抜ける風の匂いがとても高価なものに思えた。
窓を閉じる。
帰路に着くべく階段を下りていくと、少し開いた窓の隙間からヒューヒューという喉の音が、私を追いかけてきた。
怖くなって急いで階段を駆け下りる。一段抜かしだ。足をくじく。
バランスを失って手すりにつかまろうとするが、いつの間にか手すりが消えている。
掴んだものは、パリパリとした樹木の枝だった。ぼろぼろと皮が剥がれ落ちる。
どうしようもないので、剥がれ落ちる枝につかまっていると急に階段の段差が消えた。
ツルツルとした階段を滑り落ちてゆく。皮がパリパリ剥がれ落ちる音がする。床は百日紅の木のように滑らかで暖かい。
階段は螺旋状に下へ下へと伸びていき、目がぐるぐると回ってくる。
そして、時折楽しげな話し声が聞こえてくる。
どこか懐かしいざわめき。
まだ学校に誰か残っているのかな。
声の主を探して、辺りを見渡してみても、途切れることの無い木の壁が続くばかりで、声の主を確かめることはできなかった。
どこまで行くのだろう。
不思議と恐怖を感じない。
しばらくの間、こうやって滑り落ちていくのもいいかもしれない。
パリパリ。ツルツル。ザワザワ。
喧騒が遠ざかる。
しばらくボーっとしていると、ふいに白い光が目を突き刺した。
眼球の奥をじりじりと痛めつける眩しさ。
瞼を閉じて、じっと耐えていると風の音が聞こえた。
耳を凝らすと、風の音は私を追いかけてきた、喉の音のようだった。
それは時折途絶えながらも、ヒューヒューと悲しげに泣いている。
何で私は風を怖がったのだろう。こんなにも泣き叫んでいるではないか
自分の愚かさに気づき、可愛そうになったので目をそっと開くと、風が髪をさらって螺旋の階段を駆けていった。
風が過ぎ去り、音が止むとやがて出口が見えてきた。
強烈な白い光が、真四角に切り取られた出口から差し込んでいる。
無機質な冷たさを感じて、左手を見ると、掴んでいたはずの樹木は金属の手すりに変わり、階段はいつものこれまた無表情な階段に変わっていた。
お尻と足がひりひりと痛む。
わけがわからない。ここはどこなのだろう。学校じゃないのか。
そっと足首に手をやると、手首のすそから無数の蝉の死骸が転がり落ちてきた。
とたんに、射し込んでいたた光がすっと引き、変わりに上空へと移動していった。
上を向くと、強烈な光に目がくらむ。何も見えない。
見えない白だけの世界。
足元では無数の蝉の死骸が鳴き声をあげている。
その鳴き声はヒグラシのようでもあり、誰か知っている人の声のようでもあった。
私は蝉の死骸に知り合いなどいないはずなのだが。
冷静にそんなことを考えていると、目の前が暗くなった。
暗い、いや、これは白? 真っ白で何も見えない。白、白、白。
そしてヒグラシの声は遠く、どこかへ行ってしまった。




