1-飛行船
「あなたが好きです」
噎せ返るような熱波とあらゆる音を掻き消す蝉の大合唱の中で、彼女の声だけがクッキリと聞こえた。
いや、これは彼女なのだろうか。彼ではないのだろうか。
二つの影が、一つにくっついては離れ、くっついては離れてゆく。
太陽の光線は燦燦とグラウンドを焼き尽くし、影までもが地面に跡を残しそうだ。
やがて一つの影が遠ざかり、暗い校舎の中へと吸い込まれていった。
私は眼下の影を目で追いかけ、そっと目を閉じた。
どこか遠くで、轟々と何かとてつもない大きなものが、動き出したような音がした。
この音は何だろう。身体が、頭が痺れる。
閉じていた目を上げる。
一つの影は、呆然とグラウンドの真ん中で立ち尽くし、空を見上げている。
何をみているのだろう? 何が影を引き寄せているのだろう。
窓から半身を出して、空を見上げる。
やっぱりそうだ。
底の無い青空に、巨大な船が浮かんでいた。
船体を銀色にギラギラ光らせ、船底から梯子が伸びている。
きっとあの影を迎えに来たのだろう。
船から目を逸らし、グラウンドを見ると影は消えていた。
飲み込まれたのか、それとも梯子を昇っていったのか。白の世界では闇が濃くてよくわからない。
しかし、これでよかったのだろう。
私は小さく船に手を振ると、窓から海へと落ちていった。
落ちるじゃない。飛ぶんだ。
眼前に迫った海と船は、予想以上に大きく、どこか寂しげに見えた。
腕を広げると汽笛がボウーと一声鳴いた。
「待って」
誰かが誰かを呼ぶ声がする。誰の声だろう。彼女か。彼か。私なのか。
声のするほうへ顔を向けると、私がさっきまでいた窓から、もう一つの影が必死に身を乗り出していた。
危ない、あなたは落ちてしまう。
そう思った瞬間、影はゆっくりと落ちていった。
下を向いていた影と目が合う。
その瞬間、すべてがわかった気がした。
涙は粒になって舞い上がり、影は涙にぶつかり飛散した。
ごめんなさい。
上と下が逆転した世界で、私は咄嗟につぶやいていた。
一際高く鳴り響いた汽笛が海を劈き、その先にある果てしの無い空を映し出した。
海は形を失い、くずれ、細かな雨となってグラウンドに降り注ぐ。
足場を失った船は轟音とともに、わずかに残った青空へと消えた。
塩辛い雨が顔中に当たって痛い。
私はどこに向かって飛んでいるのだろう。
目を閉じると、蝉の泣き声が聞こえた