第一話 クラスメイトは天使
人通りが少ない夜の住宅街を僕は歩いていた。受験生らしく予備校で夜遅くまで過ごし、母の美味しいご飯を求めて帰路につく。
そこで僕は何を思ったのかポケットに入れっぱなしだった500円玉を宙に放った。それは僕の手元に落ちては来なかった。カラスが僕の父と母が汗水たらして稼いだお金をかっさらっていったのを僕はこの目で見た。
……言い訳されてほしい。僕には消しゴムなどを時々投げる癖がある。ペン回しの代わりのようなものだと思ってもらえればいい。疲れていてつい18歳の僕にとってはそれなりの金額の金貨を投げてしまった。
僕は500円でカラスに対する憎しみと警戒を買ったと考え諦めて歩みを進める。
「イテッ」
なんとも間抜けな声が出た。頭に何かが落ちて来たのだ。道路を見渡すと電柱のあかりによって照らされた500円玉を発見した。ついでに天使も。
電柱の真下に浮いているのは人の形をしている。金髪でもない。蒼い瞳でもない。服なんてパジャマだった。顔なんてクラスメイトの谷口さんだし。
それでも僕は彼女を天使だと思ったのは背中に真っ白な大きな羽がはえていたからだ。
例え髪にカラスの羽をつけボサボサになっていたとしても天使の要素は備わっていた。
「谷口さんって天使だったの?」
「えっ、君私が見えるの?」
「うん、谷口さんのパジャマってウサギの柄なんだね」
谷口さんは道路に降りてきたけど羽は相変わらずついたままで腕で自分の体を抱き締めた。そしてジト目でこちらを睨んでくる。
「もう少し驚くものじゃないの?この羽見れば」
「僕は驚きすぎると逆に冷静になるタイプなんだ」
「そんな人いるの?」
まるで僕が未確認動物かのような目付きだ。彼女のように教室でよく奇声をあげている人には理解出来ないのかもしれない。
「それで谷口さんは天使なの?はっ、もしかして僕を天国に!?」
「違います~。私は羽を持ってるだけだよ。ある日いきなり付いてたの」
「学校ではついてないけど」
怪訝そうに僕がそう言うと得意げに彼女はフフンと笑った。
「なんと出し入れ自由!しかも羽を出してる間は誰も私のことが見れないのだ!」
「僕は見えてるけど」
「ねぇー、謎だよね。いやー、良かったよ。まだ下着姿で飛び回るほど開放的になってなくて」
僕は無言で家に向かうことにした。
僕に抜かされた彼女はわざわざ羽を使って僕の前で通せんぼをした。微かな風が頬を撫でる。
「ちょっと待って!家についたら部屋の窓開けといてね」
「君がそこにいたら家に帰れないんだけど」
むーとむくれた谷口さんは床を蹴ってあっという間にどこかへ飛んでいってしまった。
部屋についてあかりをつけると窓に谷口さんがいた。
なんと真っ白なワンピースにわざわざ着替えていた。天使らしさが増すかと思いきや口を尖らせてこちらを睨んでいる谷口さんは人間らしさに溢れている。
僕は窓を開けてあげる。
「おっそーい!何してたのよ?」
「ご飯食べて、お風呂入ってた」
「なっ!人がせっかく楽しませてあげようと思っているのに!」
「ところで谷口さん、そのワンピース可愛いね」
「え、うーん、まぁ、ありがとう」
照れ臭そうに笑ってる。こっちの方がいい。
「それで何してくれるの?」
僕は不本意に彼女に近づいてしまった結果、腕をひかれ窓から落ちた。ああ、最後の晩餐がコンビニのおにぎりじゃなくて母の料理だった。僕はなんて幸せものなんだ。
……いつになっても衝撃が来ない。おそるおそる目を開けると僕は浮いていた。
横を見るといたずらが成功したような笑みで羽をばたかせている谷口さんがいる。
「へぇー、私が触れてれば相手も浮けるんだ」
おい、こら。何でお前がびっくりしてるんだ。
「やっぱり僕を天国に導くつもりだったんだね。もし僕も浮けなかったらどうする気だったの?」
「私が君を抱える!」
「落ちるに決まってるだろう!」
「大丈夫だよー。この姿の時は筋力がちょっと強くなるんだ」
「あっそ」
もう何でもありじゃないか。呆れる。
改めて周りを見渡すと家の二階の高さからの景色とはそう変わらない。しかし、足が地面についていないというだけで随分と不安定だ。
「それじゃあ、素晴らしい世界に連れていってあげるよ」
「うわぁぁぁ!!!」
ものすごいスピードで谷口さんは飛ぶ。手を繋がれたままの状態で僕も引っ張られていく。
「ちょっ、待って!あっ、ぶつかるぶつかる!曲がんな。遠心力で手が離れる!うわぁ、鳥!」
「驚きすぎると逆に冷静になるんじゃなかったの?」
一度止まった谷口さんはニヤニヤと人の悪い顔をしている。
「これは驚きじゃなくて恐怖だ!」
「あはは、そう言わないでよ。ほら、見てごらん」
そこは壮大なイルミネーションだった。
随分と高い位置にいる。学校の東京巡りとかいう主旨がよく分からない活動で行った日本で一番高い建物からの景色よりも凄かった。だって周りに何もないのだ。何にも縛られていないそこは確かに素晴らしい世界だ。
「ねぇ、きれいでしょ。ここを独り占めするのはなんだか怖くて」
谷口さんの表現はどこか大人びていて一瞬だけ天使に見えた。
「ああ、きれいだ」
「フフッ、私が?」
「……」
そう、一瞬だけ。
そうして僕たちはしばらくの間、空の旅を楽しんだ。