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45話・暗雲

 

「……婚約者、だと?」

「ああそうさ」

「……」


 目前の男は、それが当然とばかりに言う。

 どうやら琴音と面識があるのは本当のようだ。

 それが何故、今ここに居る?


 それに……婚約者……

 親同士が決めたって事なんだろう。

 今の時代でも、富裕層ならそういう事もある。


 態々相手の家柄を調べる一族もあるくらいだ。

 その事に、驚きはしない。

 問題なのは、奴の態度。


 奴は今でも、自分が婚約者だと思い込んでいる。


「おい、お前」

「なんだい?」

「さっさと失せろ、誰もお呼びじゃねーんだよ」

「……僕も、君に用があるワケじゃあない」


 ピリピリとした殺気が飛んでくる。

 少しはやるようだ。

 しかし、今更そんな殺気に怖気付くか。


 こっちは何度も死線を潜り抜けてきた。

 逆に睨みながら、威圧し返す。

 すると弓の男は一歩後ずさった。


「成る程、君があの竜殺しか……つまり、笹木総司」

「そういうお前は何者だ?」

「……向上輝人(こうがみてるひと)


 ぽつりと、琴音が呟く。

 視線は真っ直ぐ弓の男へ向いている。

 それは男の名前を意味していた。


「そうさ、僕の名前は向上輝人。向上財団の跡取り息子って言えば、分かるかな?」

「知らねーよ」


 やたらと芝居掛かった喋り方だ。

 演劇なら他所でやってほしい。

 つーか本当に誰だ?


 向上財団なんて俺は知らない。

 有名な企業か何かなのだろうか。

 峰打に聞いてみる。


「峰打、お前何か知ってるか?」

「知ってるも何も、向上財団は日本でも有数の大企業ですよ。政界にも通じてるって噂の」


 峰打は知っていたようだ。

 うーん、そういうのには疎いからなあ、俺。

 ともあれ大体の事情は理解出来た。


「それで、その大企業の息子さんが、ダンジョンに潜って何の用だ? 態々戯言いいに来たのか?」

「戯言? はは、面白いな」

「面白いのはお前の喋り方だけで充分だよ」

「っ、君、口の聞き方には気をつけた方がいいよ?」

「お前相手に敬語を使う意味が無い」

「戦う事しか能の無い低脳が……言うじゃないか」


 売り言葉に買い言葉。

 俺と向上の舌戦はヒートアップしていく。

 この短時間で一つ分かった事がある。


 俺と奴は、絶望的に相性が悪い。


 このままだと殴り合いに発展しそうだ。

 俺は大歓迎だが、峰打達に悪い。

 それにいつまで経っても話が進まないからな。


「仮にお前が琴音の婚約者として、何をしに来た」

「勿論、彼女を迎えに来たのさ」

「何?」

「時間は掛かったけど、準備は全て整ったのさ」


 ニヤリと笑う向上。

 その笑みはさっきまでの軽薄な笑いではない。

 何処かに拠り所があるようなまでの、自信。

 何もかもは自分の思い通りに事が進んでいる。

 そういう顔をしていた。


「お前、琴音が親から捨てられた事、知ってるのか?」

「当たり前さ、だからこうして迎えに来たのさ。君のような猛獣から、守る為にね」

「……何だ、そういう事か」


 要するにこうだ。

 奴は俺から琴音を奪いに来た。

 実にシンプルで分かりやすい。


「させるかよ、そんな事」

「ははっ、君にどんな権利が?」

「琴音に聞けば、直ぐに分かるさ」


 ちらりと、彼女に視線を送る。

 琴音は向上の名を言ってから、ずっと黙っていた。

 それほど奴との遭遇は衝撃的だったのだろう。


 だけど、今は顔を上げ、向上と相対している。

 何か決意をしたかのような表情だ。

 それを見て、向上は少し驚いている。


「琴音さん、さあ、僕と一緒に来てください」

「……それは、成りません」

「え?」

「琴音は、貴方と共には、行けません」


 はっきりと告げられる、拒絶の言葉。

 揺らぐことのない固い意志。

 僅かな言葉には、言葉以上のモノが込められていた。


 向上は笑顔のまま固まっている。

 ぎぎ、と、まるで錆び付いた歯車のように口を開く。


「い、言ってる意味が、分からないな」

「では、何度でも、お伝えします」


 琴音は俺の右腕を控えめに掴みながら、再び言う。


「琴音は、このお方と一生を添い遂げると、決めました。ですから向上さん、貴方の誘いには、乗れません。どうかお引き取りください」

「……は、はは……」


 ピクピクと体を震わす向上。

 笑顔が徐々に、怒りの相へと変わっていく。

 全く、分かりやすい奴だ。

 自分の思い通りにいかないと、キレるタイプだな。

 何だか小田を思い出す。


「ふざけるな! 君は僕のモノだ! あの時からずっと決まっていた事じゃないか!」

「……あの時の琴音は、自分の意志を、持っていませんでした。父に言われるがまま、行動していたに、すぎません」


 憤怒に駆られる向上は、ぎりりと歯を噛み締める。


「……最後通告だ、こっちへ来い、琴音。さもなくば、君は……いや、君達は絶対、後悔する」

「……」

「は、はは、そうか、何だ、やっぱりこうなるか」


 無言を貫く琴音。

 もう話す事は無いと、言っているようなものだ。

 そんな琴音を見て、今度はけたけたと笑う向上。


「あの人の言ってる事は正しい……世界は思うように動かない……は、はは……だけど、僕は悪くない、悪いのは……世界の方だ……あは、あはは、ははは!」

「さ、笹木さん、何ですかコイツ!?」

「クスリでもやってんじゃないか?」


 不気味に笑う向上を恐れる峰打。

 流石に俺も気持ち悪いと思う。

 冗談で言ったつもりだったが、案外本当かも。


 それ程に今の向上は狂っていた。

 左手で顔を覆いながら、大爆笑している。

 フラれたショックか?

 それにしたって大袈裟すぎる。


「は、はは、まあ、いいさ。結局あとで、君は僕のモノになる、必ずね。それまでにそう時間はかからない……またね、琴音さん。そして、笹木総司」

「何だよ」

「君とは多分、また会う。決着は、その時つけよう」


 最後にそう言ってから、向上は去った。

 やがて自分のモノになる。

 それはどういう意味だろう。

 ただのハッタリ、虚言……にしては、妙に自信満々で、不気味である。


「何だったんでしょうね、アイツ……」

「さてな。まあ、何か企んでるのは確実だ」

「あの、私が尾行しましょうか?」


 日陰が言う。

 分身と変幻のスキルがあれば、それも可能だろう。


「いや、そこまではしなくていい。と言うか多分、普通に気付かれるな。あいつ、多分強いぞ」

「え、本当ですか?」

「少なくともお前らよりかは遥かに、な」


 高レベルの人間は、特有のオーラを持つ。

 それである程度の強さは測れる。

 奴からはそこそこの圧を感じた。

 戦えば、多少は苦戦する。

 負ける事は無いだろうが。


「それにさっきのコボルト、けしかけてきたのは、あいつだと思うぞ」

「えっ!?」

「まじっすか!?」


 峰打と高山が声を荒げる。


「コボルトは普段、群れで行動しない。それなのにまるで示し合わせたかのように、俺達と遭遇した……最後に現れたコボルトだって、敵感知スキルを持つ俺ですら直前まで気付けなかった。恐らく何らかのスキルで直接呼び出された個体だ」


 根拠となる自論を展開していく。

 峰打達は真剣な表情をしていた。

 一歩間違えれば、自分達は死んでいた……モンスターにではなく、間接的とは言え、同じ人間によって。


「これがダンジョンだ。例え同じ冒険者でも、目的の為なら殺しに来る奴が居る。宝の山である事は間違いないが、数多の悪意が渦巻く蠱毒の壺でもあるんだ」


 こくりと、皆がゆっくりと頷く。

 少し脅かしすぎたか?

 まあ、勝利の余韻に酔い過ぎていたからな。


 良い感じに危機感を与えられた。

 その点に関しては、向上に感謝だ。

 それくらいしか利用価値の無い男だが。


「……」

「琴音、さっきから黙って、どうした?」

「いえ……何でも、ございません」


 とてもじゃないが、そうは見えない。

 帰ったら話を聞こう。


「よし、訓練の続きだ。もっとレベルを上げるぞ」

「はい!」


 その日は夕方までダンジョンに潜った。

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