何も感じ取れずとも、君を感じたい
その男は最期、幸せを感じられたのか──
薄暗いダンジョンの中に、一つの宝箱がある。大きな鍵穴がついた、金属製の物。
そこに一人の男がやって来た。
奇妙なことに、彼は目を閉じたまま歩いている。コツコツコツとしっかりとした足取りで宝箱へと辿り着くと、まるで宝箱の存在を知っていたかのようにしゃがみ込む。
宝箱に鍵がかかっているのを確認すると、ポーチから針金の様な物を取り出し、
「──《三感強化》」
と呟いた。
手慣れた様子で針金を鍵穴へ突っ込み、ゆっくりと動かす。
すると、一分も経たない内に、『ガチャリ』という音と共に蓋が開いた。
中身はランプの様だ──男には見えていないが。
「武器……ではないか」
そう呟くとランプを鷲掴みにし、肩に提げている鞄へ仕舞い込む。
再び歩き始めようと立ち上がった時、男の耳に一つの音が入った。
「キャーッ!!」
女の叫び声だろうか。
洞窟の中で反響し、くぐもっている為、方向は分かりにくい。
「……向こうだな?《五感強化》」
しかし、男は方向がはっきりと分かっているらしい。
少し呟くや否や、しっかりとした足取りで走り出した──目を開いて。
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俺──アンドルクが生まれたのは小さな町の一軒家。
そこそこ裕福な家庭で、両親と兄一人に囲まれて育った。
そんな俺に転機がやって来たのは10歳の時。
町に鑑定士──人が持つ《能力》を読み取り、教える仕事だ──が訪れた。
勿論兄と二人で視て貰った。
兄が持っていたのは《解体》。両親は料理の手伝いで扱き使ってやる、と意気込んでいた。
まあ、これはいいんだ。極一般的な能力で、誰だって訓練すれば手に入る。
問題だったのは俺の能力──その名も《感覚強化》だ。俺も家族も、鑑定士すらも知らない能力で、『研究のために王都へ来ないか』とどこかの学者様から手紙が届いた。……どこかと言えば、まぁ王都なのだが。
そんな訳で家族を残し、一人で王都に行くことになった。
手紙を送ってきた学者は優しい人で、衣食住の保証や税の支払いもしてくれた。
研究をすると言っても能力で何が出来るかの検証の様な物で、別段苦しいという訳ではない。
寧ろ使い方が判って有難いくらいだ。
五感に魔力を感じる力を加えた、全部で六感。《感覚強化》はこれらを強化することが出来る。
例えば、俺が視覚、聴覚、触覚の三つを強化するとしよう。その三つを思い浮かべながら《三感強化》、と言えばそれぞれ常人の約六倍に強化され、代わりにその他の感覚が全て失われる。
つまりは要らない感覚を棄てて、他の感覚を強化するのだ。
初めて使ったときは複数選べるなんて知らず、《聴覚強化》を使った。するとどうだ、目が見えず、鼻は仕事をせず、唾の味もなく、地につく足も感じなかった。唯一感じたのは、歩こうとして転んだ俺が床とぶつかった音だけだ。
普通ならパニックに陥るんだろうが、能力の補助効果なのか頭は冷えて、正確に音から解る情報を仕分けていた。
後から判ったが、この時の俺の聴覚は八倍程になっていた様だ。
何倍になっているのかの調査がなかなか難しく、時間がかかった。
そんな生活が続き、俺は16歳、つまりは成人になった。
既に研究できることはやり尽くし、これを機に自立しなければならなかった。
幸い俺には、食っていけそうな職に心当たりがあった。冒険者だ。
俺の能力を活かせば、斥候としてダンジョンに潜ることが出来るだろう。……攻撃には問題があったが。
ともあれ、俺は冒険者になった。
………………
…………
……
…
ダンジョンを探索する時、視覚はたいして重要ではない。複雑に要り組んでいて、直線を見通せる場所は殆ど無いからだ。
逆に重要なのは聴覚と触覚。音の反響で洞窟の形は解るし、敵の動きも聴こえる。触覚については、ダンジョンなど関係無く重要だ。何しろ立っている感覚も、剣を握る感触も無くなるのだ。他の感覚を全て合わせても、触覚の重要性には及ばない。ああ、そういえば触覚を強化すればピッキングもやり易くなる。そういう意味ではダンジョンに向いていると言えるだろう。
ついでに言えば、宝箱の場所を知るのには魔力を感じればよい。
ダンジョンの宝箱の中身は大抵魔導具で、魔力を放っている。魔力を感じれれば、宝箱の場所も、魔物の場所もなんとなく分かるのだ。
ある日、俺はいつものようにダンジョンへ潜っていた。
ダンジョン探索の時は聴覚、嗅覚、触覚、魔力の四つを強化するのが基本だ。
なぜ嗅覚を、と言えば罠の対策だ。毒ガスの存在に気づかなければそのまま死んでしまうだろう。
さて、話を戻そう。
ダンジョンを探索して、宝箱を見つけた。中に入っていたのはランプだと、音の反響や魔力の放ち方で解った。
短剣とかの武器だったら高く売るなり自分で使うなり出来たんだが……ランプでも臨時収入としては満足しておこう。
それを仕舞って探索を再開しようとした時に、聞こえたんだ。
「キャーッ!!」と。
この時の俺は三感強化、つまり六倍強化だ。
音一つ在れば発生源も余裕で解る。だから、走り出した。
先ずは走りやすいように視覚も戻す。味覚は要らない。四倍強化だが、十分だろう。
次に腰にぶら下げた短剣を抜く。助けに入ったのに武器が無ければ、とんだお笑い草だ。
少し先から戦闘音が鳴っている。先程の声の発生源と同じ場所からだ。
俺は感覚は強化できても肉体が強化できない。
ああ、じれったい。向こうの様子が分かっていても手を出せないのだから。
時間としては一分もかからなかっただろう。俺はその場所に到着した。
少し大きめの部屋に男女が二人ずつと、一体の動く鎧。そして……斥候の格好をした男の死体。
動く鎧は盾使いの男を凪ぎ払い、背中から切りつける剣士の男を無視し、神官の女の弱体化魔法を物ともせず、詠唱中の魔術師の女へと斬りかかっていた。
この状態になってしまうことは様々な情報から既に分かっていた。……斥候の男が息絶えていることも。
故に俺はここでどうするかも決めている。
ガキン!
俺の短剣と動く鎧の大剣がぶつかる。
勿論このままでは押し負けるから、俺は一言宣言する。
「《二感強化》」
求めたのは聴覚と触覚。
敵の位置を聞き取り、短剣へかかる負荷を感じ取る。
負荷が小さくなるように短剣の角度を調節すれば──ほら、受け流せた。
大剣が地にめり込む音が聞こえると同時に、後ろの女が詠唱を終える。この状態で魔法を完成させるなんて大したタマだ。
今の俺が魔力の強化していれば、爆発しそうな程の火の魔力を感じただろう。
何しろメラメラ、パチパチ、と先程まで聞こえなかった音が背後から発生している。そしてその音が──ちょっと待て、近づいて来てる。
俺ごと動く鎧を焼くつもりか!?
「ちょ、おま、《魔力強化》!ふんぐぁぁっ!!」
……最後の叫び声は聴覚を失った俺の耳には入らなかった。
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「ほんっっとうに!すみません!」
目の前で剣士の男が土下座している。どこからどう見ても完璧な土下座だ。感覚を強化するまでもない。
その隣では魔術師の女がオロオロしながら、
「あの、えっと、マー君が謝らなくてもぉ……」
と剣士の男を説得していた。
「パーティーリーダーである僕が謝らなくてどうするんですか。と言うか、早くミリューネさんも謝って下さい」
「あ……そう、ですね。えぇっと……巻き込んでしまってスミマセンでした。助けてくれてありがとうございます」
そう言って魔術師の女は頭を下げる。
それを聞いた俺は、
「ならとっとと動く鎧の下から助けてくれませんかねぇ!」
叫び声を上げた。
なんで土下座してる奴より俺の方が頭が低いんだよ。
咄嗟に魔力強化して魔法を避けたのは良いが、魔法で吹き飛んだ動く鎧がよりにもよって俺が避けた方に来たのだ。視覚も聴覚も無かった俺にはそんなこと分からず、動く鎧の下敷きにされていた。
俺の力じゃびくともしないし、早く退けて欲しいんだが。
「えっと……それ動かせるような力持ちが丁度気絶してまして……」
そう言った男の視線の先には壁にもたれかかった盾使いの姿。
「いや、お前剣士なんだったら力あるだろ!?」
「いやぁ、僕の剣術は力使わないんで」
「おっとここで技術自慢入りました~?」
「それほどでもないですよ、とでも返しておきましょうか」
そんな会話をしながら盾使いの目覚めを待つ。
神官の女が治療しているから酷い傷は無いだろう。
「あ、そうだ。斥候さん。」
「何だ?」
「見たところ単独ですよね。僕たちのパーティーに入りませんか?」
「パーティーって……一人気絶してるのに決めちゃって良いのか?」
いや、そもそも初対面の相手を──助けたとは言え──いきなり誘うってのはどうなんだ?
「リーダーだから良いんですよ。アイツはそうゆうの気にしませんし。それに……丁度斥候役が必要なのもあります」
ああ、そう言えば俺が着いた時には一人死んでたな。何があったんだろうか。
「ネイスのことですか……聞きたいですか?」
「勿論だ。場合によってはパーティーの件は断らせて貰う」
ネイスとか言う斥候に無理な事をさせてああなったんなら、俺も同じ扱いを受ける可能性がある。そんなパーティーに入るのは御免だ。
「なら手短に言うと……宝箱から魔法の鞄が出たんですよ」
「凄いじゃないか」
魔法の鞄と言えば金貨数十枚はする高級品だ。売って金にするか、冒険者ならば自分で使うのも良いだろう。
「見つけるまでは良かったのですが……魔法の鞄だと分かった途端ネイスが引っ掴んで逃げ出したんですよ」
「はぁ?」
「魔が差しただけなのか、前からそうしようと考えていたのかは知りませんが……とにかくネイスは僕たちを裏切った末に──」
「ああなった、と」
動く鎧は気配が少ない。逃げている途中ではいくら斥候だって気が付かないのも仕方がないだろう。
そして気が付いていなければ不意の一撃でこうして死んでしまう。後を追っていた魔術師の女がその瞬間を見て叫び声を上げた、と。
「……分かった。そちらのパーティーに問題は無いみたいだし、有り難く入らせて貰う」
「これから宜しくお願いします。……ええと、お名前は?」
「アンドルクだ。姓は無い。アルでもアンドでも自由に呼んでくれ」
「僕はマーケス。同じく姓は無し。ようこそ、アンドルクさん」
「ああ。宜しく、マーケス」
俺はこの瞬間から、後にSランクとなるパーティー『光の翼』の一員となった。
……一人は気絶している上に俺自身は動く鎧の下敷きではあったが。
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あれから何年か経った。
パーティーメンバーとも大分親しくなり、ダンジョンはもう三個程踏破している。
当時Dランクだったこのパーティーも、今ではBランクだ。現在攻略中のダンジョンを踏破すればAランクになれるだろう。……ま、ここから何年かかるかは知らないがな。
ある日、ダンジョンへ潜った帰り道、俺はパーティーメンバーに一つの相談をした。
「なあ、マーケス。少し良いか?」
「何かありました?」
「俺の能力のこと何だが……」
勿論《感覚強化》の効果は使い方やデメリットまできっちり説明している。しかし改めて考えると、この能力についてはおかしな所がある。
強化倍率の話をしよう。
《感覚強化》を発動させていない時は一律一倍だ。
《六感強化》……視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚、魔力の六つを強化すれば全て三倍になる。
そこから《五感強化》、《四感強化》……と一つ減らす度に四倍、五倍……と一つずつ増えていく。
最終的に一つの感覚を八倍にまで強化できる訳だが、ここに疑問が生じる。《六感強化》の時は一体何を減らしているのか、ということだ。
一倍を基準とすれば、六感の他に二つの感覚が存在する筈だ。そうでないと計算が合わない。
この能力が何も棄てずに三倍まで強化してくれるわけがない。
この事についてマーケス達に話すと、すぐさま返事があった。
「前衛の僕やヒューイが一番頼りにしてる感覚って何だと思います?」
ヒューイというのは動く鎧に凪ぎ払われていた盾使いの男だ。
「前衛の感覚……?」
「ええ、まあ視覚や聴覚も必要ではありますが」
「分からねぇな。何なんだ?」
「直感……でしょ、マーク?」
「その通り」
ヒューイの方から正解が来た。
ちなみにマークと言うのはヒューイがマーケスを呼ぶ時の渾名だ。他にもマー君やマーカスなど、それぞれが言いたい放題に渾名を付けている。……流石にマーカスはどうかと思うぞ。
それにしても、直感か。
「確かに強化中は勘で動いた事は無かったな。妙に頭が冷えてるからそのせいだと思ってたんだが」
「なら一つはこれで決まりですね。試してみましょう?」
「今、ダンジョンの中……危険」
「ああ、そうだな。聴覚を切った途端に魔物が寄ってきたら堪ったもんじゃない」
よって、お試しをするのは町に帰ってからだ。
「後衛の皆さんはどうです?」
「う~ん……特に無いですぅ」
「アタシも無いかな……あ、そうだ!威圧感なんてのはどうよ?」
先に喋ったのが魔術師のミュリーネ。ふわふわした感じの口調だ。
もう一人が神官のマレリア。とにかく元気な奴だ。
「威圧感ねぇ……ありそうっちゃありそうだけど」
「なんとなく直感に近いような気がしますね」
「ま、後でやってはみるけど……今のとこ直感が最有力か?」
「そうですね」
「時間はあるんだしぃ、ゆっくりやっていこうよぉ」
「「そうだな」」
──なお、威圧感なんてものは存在しなかった。直感は正解だったから後もう一個……直感を高めたら分からないだろうか?
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そんなこんなでダンジョンを攻略していき、二年。
遂に最終守護者までたどり着いた。
いつの間にか20歳を越えている。女性陣なんかもう結婚適齢期を逃してるじゃないか。
ま、ミュリーネはともかくマレリアは大丈夫そうだな。何しろ──
「マリー。疲れて、ない?」
「ヒューほど動いてないし平気よ。それに護って貰ってるし、ね?」
ええと、その、あれだ。
ヒューイとマレリアはそういう関係になっている。
後ろの方から聞こえてくる甘ったるい会話で俺もマーケスも居心地が悪い……ミュリーネはそうでもないみたいだが。
いずれはマーケスとコイツを取り合うことになるんだろうか……と思いつつミュリーネを見るも、すぐに目を逸らす。同じことを考えていたのかマーケスと目が合ってしまった。
「もぉ少しでゴールだねぇ~」
コレが誰かと付き合っている所なんて想像もつかない──と思っていたんだが、な。
………………
…………
……
…
「──汝、アンドルクは最期の時まで妻、ミュリーネのことを導くことを誓いますか?」
「ああ、勿論だ」
目の前の神父へと頷く。
「では……汝、ミュリーネは常に夫、アンドルクのことを支えることを誓いますか?」
「はい、誓います」
ミリーはいつもと違って真面目な様子だった。
おい、フワフワはどうした。こっちがやりにくいじゃないか。
「では、誓いの口づけを」
──この日俺は、最も大切な女を手に入れた。
「僕はどうすれば……」
……いや、知らねぇよ。自分で考えろ。
ああ、すまない。話が飛びすぎたな。突然結婚されれば困惑もしているだろう。
あれから色々とあったんだよ。でっかいゴーレムを倒したり、町を襲ったドラゴンを他のパーティーの奴らと一緒に撃退したり。
古の魔大樹の時は大変だったな。ヒューイが大怪我をしていて、その治療にコイツの樹皮と樹液が必要だった。お蔭で俺が代わりに前衛をやらされちまったよ。
ま、その時のもあってミリー──ミュリーネのことだ──と今の関係になれたんだからヒューイには感謝すべきかもしれない。
結婚したが、俺もミリーも冒険者を辞めるつもりは無い。……少なくとも今は。
子どもができたらどうなるかは分からないし、冒険者を辞めるにはまだ貯金も足りない。せめて家を買ってからだな。
おっとそうだ、ヒューイとマレリアはとっくに式を挙げている。
これで残るはマーケスだけだな。アイツのことだし、ギルドの受付嬢辺りとでも結婚するんじゃないだろうか。
──そして更に時は流れ、八年。
本気を出したAランクパーティーの稼ぎは凄かった。それこそ一年も経たない内に家が手に入り、それ所か使いきれない程の貯金も貯まった。
今なら大怪我をしても金の力で治せるんじゃないだろうか。
ここ最近は金の為じゃなく、体が鈍らないように他の奴等では危ない依頼をこなしている。ついでに言えば、ここまで来たんだからSランクを目指したいなんて気持ちもあった。
Sランクになるには一定以上の強さの魔物を何匹か倒さねばならないが、そんな魔物がポンポンと湧いてきたらこちらが困る。引退するまでに条件を達成出来るだろうか。
そうだ、大切なことを言い忘れていた。我が家の小さな姫様のことだ。俺が25歳の時に産まれたから……げっ、俺ってもうすぐ30歳かよ。
ミリーに似た紅い髪で、どうやら魔法の素質もあるらしい。俺みたいに変な能力が無くて良かったよ。これは女の子が使うような力じゃない。
子どもができてからミリーのフワフワ具合は少し減った様に思う。とは言え本当に少しだけで、依頼中にミスをするのは変わらない。……娘よりも怒られやすい母ってのはどうかと思うぞ。
因みに、依頼で遠出する時はマレリアが経営する孤児院に預けている。ヒューイとマレリアの息子とも仲良くやれているようだ。……とは言え、あまり遠出してばかりというのも良くないだろう。そんな依頼は控えないとな。──だが、どうやらそうはいかないらしい。
コンコン
誰かが家の戸を叩いた。
開けてみれば、俺とミリー以外のパーティーメンバーが全員揃っている。
「おいおい、こんな真夜中に皆揃ってどうした?」
「ミュリーネはどこ?」
「どこって……もう寝てるが」
「呼んできて!早く!」
ただ事ではない様子でマレリアが迫る。
「分かった。中に入っててくれ」
寝ぼけ眼なミリーを席に着かせ、マレリアに話を促す。マーケスとヒューイは既に聞いているらしい。
「それで、一体どうしたってんだ?」
「ええと、何から話せばいいかな……」
「マリー。落ち着いて、ね?」
「そうね……じゃあまず、聖女については知ってる?」
「ああ」
「なぁに、それ?」
「ミュリーネさん……」
正教会の頂点に立つ六人、それが聖女だ。それぞれ目、耳、鼻、口、手、魔を司り、その感覚を失っている。
俺の《感覚強化》を調べる時の参考にしたから、かなり詳しく知っている。例えば──度々神託を受ける、だとか。
「そう、その聖女よ。彼女らが神託を受けたらしいの」
「彼女ら?受けるのはバラバラだと聞いていたが」
「歴史上で二回だけ、六人同時に神託を授かった例があるの。それこそが……魔王の誕生」
「なっ……!」
「ふぇ?」
魔王。人類の強大な敵であり、絶対的な力の象徴。
周期的に誕生し、姿形は毎度異なっている。
「奴の誕生はまだ先の筈じゃなかったか?」
「その時期から外れているからこそ、神託が降りたのよ」
「そうか……いや、そうなんだろうな」
神託に関してはよく分かっていない。俺の感覚の中に神託は含まれていないらしく、強化することはできなかった。
そんな物がどんな法則で降されるなんて本人にしか分からないだろう。
「それで、僕から『光の翼』への提案です。討伐隊に参加しませんか?」
「魔王の場所は分かってるのか?」
「モチロンよ。神託を舐めないでよね」
「なら行くべき、だろうな」
「ミュリーネさんは?」
「町のみんなが危ないんでしょ?行くよぉ」
「なら決定、ということで」
「この依頼達成すれば……Sランク、かな?」
「だといいですね」
「そしたらお前も彼女できるかね?」
「独身でも良いでしょう!放っといて下さい!」
「そうね!」
「肯定されるのもなんかムカつくんですが……」
マーケスの彼女はどうでもいいとして、魔王退治か。無事に済むと良いんだが。いや、無事に済ませれるように感知するのが俺の仕事だ。絶対にやり遂げなければ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
目の前で巨人属の男が宙を舞った。
俺はソイツのことを知っている。当然だ、同じく魔王に挑んでいる仲間なのだから。
「──フンッ!」
奴が剣を振るう。
無造作に後ろへ振り抜かれたソレは、気配を消していた暗殺者の女を切り裂いた。自分が殺した物に目もくれず、魔王は魔法を唱える。
「──《ダークランス》」
暗黒の槍が地を抉る。直接的な被害は無いが……俺達は既に思い知っている。
攻撃を避けようと後退した時、味方の攻撃に追撃をする時、仲間を庇って護る時。この穴が邪魔をする。
連携と言う名の石盤に、この魔法が楔を打っているのだ。
こんなことが出来る筈がない。
だって、そうじゃないか。
俺達の動きを読み切った上、どこに打つのが効果的なのかを計算しなきゃならない。勘が良い、では済まない話だ。
感覚のスペシャリストたる俺が言うんだから間違いない。
「ミュリーネさん!合わせて!」
俺を見ながらマーケスが言う。……おいおい流石にバレるだろ、それ。いや、あの魔王が男とか女とか気にしない可能性もある。いくら女っぽい名前でも俺のことをミュリーネだと勘違いする…かも……
マーケスが下から上へ切り上げる。とても効率の悪い攻撃だ。上から下の方が確実に速い。
だが、これで良い。重要なのは力ではなく、角度。マーケスの剣は流れる剣だ。防御に入った魔王の剣へと少しだけ角度をズラして……命中。
すかさず俺が別の方向から斬りかかる。マーケスに流された剣はこちらの防御には使え──んなっ!?防がれた!
馬鹿な。マーケスの剣をまともに受ければ最悪肩が外れる。それ程の勢いで押し流すのだ。魔王であろうとも人型である限り違いはない。受け流す、の発展形である。
なのに俺にも対応出来たということは……マーケスがズラした角度から魔王が更にズラしたのだろう。
クソッ、これも読まれてるのか。
だが──まだミリーの魔法がある。
俺達の役目はミリーの魔法を避けれないように釘付けにすること。そして今、その魔法が放たれる。
「燃えちゃえ──《フレイムレ《魔力妨害》イ》……っ!」
俺の直感が言う。読まれていた、と。
俺の脳が知る。紅い、火の魔力が放たれたのを。
俺の目が見る。魔法が暴発するのを。
俺の耳が聞く。大きな爆発音を。
俺の肌が受ける。熱い、熱い爆風を。
他は何も感じない。何かが焼ける臭いも、粘っこい唾の味も、──ミリーが死ぬかもしれない恐怖も。
嗚呼、コレか。最後の感覚は。
頭が冷静になるのは勘が無くなるからじゃなく、コレが無くなるから。《感覚強化》、お前は俺からどれだけのコレを奪ってきた?
その事に対する怒りすらも湧かない。当然だ、《感覚強化》はそれを感じる『感情』を奪っているのだから。
「《解除》!おい、ミリー!大丈夫か!?」
感情を取り戻し、ミリーの元へと急ぐ。
……戦場は怖い。焦りと不安で押し潰されそうになる。皆はいつもこんな中で闘っていたのか。
「あ、アル君?ゴメンねぇ、失敗しちゃった」
重傷だった。戦場で治せるような傷じゃない。少なくとも、マレリアには無理だ。
「ちょっと痛いかなぁ、でもだいじょーぶだから──」
「いいから、休んでろ」
ミリーの体を抱き留め、安心させようと軽く唇を重ねる。いや、俺が安心したいだけか。
ああ、愛おしい。
その無邪気な顔が、滑らかな肌が、脈打つ鼓動が、暖かい魔力が、甘い唇が、柔らかい香りが、死に往く予感すらも、全てが愛おしい。
願わくば感覚を強化してしまいたい。しかし駄目だ、どの感覚も失いたくない。
──コツ、
近くで雑音が鳴る
うるさい、静かにしろ。
「──■■■■」
ソイツが魔法を唱え始めた。
ミリーとの最期の時を邪魔するな。
「──《大回復》」
そして、奇跡が起きた。いや…後から考えればこれも必然だったのか。
ミリーの傷を治してみせたソイツは目隠しをしている。
「アンタ、は……」
──神託を受けた内の一人、『目』の聖女がそこに居た。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ミリーの治療を終え、聖女がこちらへ振り向く。……目が見えないのなら振り向く意味はないのでは?
「ご安心下さい。ミュリーネさんは無事です」
良かった……いや、ちょっと待て。
「何故ミリーの名を知ってる?」
「神託にありましたので」
「神託が、名前を?」
「名前だけではありません。この場へ来たこと、ミュリーネさんを癒したこと、今貴方と話していること、全ては神託の通りです。そして、これからも」
そう言った聖女は、此処では無い何処かを見つめている様だった。
「これからも、ね。なら魔王の倒しかたまで分かってるんだよな?」
「ええ。しかし彼の者は我々に近い存在。未だ確実とは言えません」
「……おいおい」
「だからこそ私は貴方に伝えます。我々、そして彼の者が持つ『感覚』について」
「感……覚?」
神託は感覚に含まれない筈だ。何度か試したことがある。
「世を混乱させないため、信仰を深めるために我々はコレを神託と呼んでいます」
「実際は違う、と?」
「はい。神の御言葉は聞こえません。自らが望み、視通すのです。今や多くの人間から失われてしまいましたが──」
「周りは戦闘中だ。手短に頼む」
「では、一言で。我々が観測しているのは…『運命』です」
「運……命?」
そもそも俺はもう一つ感覚が在るなんて信じていなかった。何しろ『感情』で最後だと思っていたのだ。
感覚を1つ減らす度に+1倍に強化される。1つ残せば8倍、つまりは+7倍だ。だからこそ俺は感覚が全部で8個だと考えた。
もし本当に『運命』とやらがあるのなら……俺は前提から間違っていたのかもしれない。
何も強化していない時は1倍。勿論これは一般人と同じと言うことだ。俺はこれを基準として考えていた。その前提を崩してみたら?
そもそも基準は0倍で、何かを棄てて1倍にしている。聖女達は感覚を失い、その何かを得ているのでは?そんな、仮説が生まれる。
その根拠となることは先程本人が言っていた。「今や多くの人間から失われた」、と。
「それでは最後に忠告です」
考え込んでいた俺に聖女が話す。
「歴代の聖女の内何人かは元の感覚を取り戻そうとしました。しかしその試みは全て失敗に終わっています。この意味が解りますか?神官の総本山たる正教会のトップが失敗したのです。恐らくはこの感覚を得た時点で後戻りが出来ません。それを理解した上で捨てる感覚を選んで下さい」
「……俺の能力について知っているかの様な口振りだな」
「神託にありましたので」
そう言って、聖女は微笑んだ。
「神託、か」
「ええ、神託です」
「ならその神託は俺がどうすると言ってる?」
「私に与えられたのは私がするべきことのみ。貴方のことは分かりません。でも……一つだけ。この会話の後に貴方が《八感強化》と呟くのを聞かなければなりません」
「八感、ね」
なら俺が最初に棄てるのは──
「《八感強化》」
直感だ。
………………
…………
……
…
「はは、強いな」
聖女の宣言により、俺以外の奴等は全員撤退した。運命を絞るのに邪魔だからだ。正真正銘一対一になる。
いや……あの聖女達は俺無しでも魔王を倒せる様なことを言っていた。万が一俺が負けても良いように準備をしているのだろう。
「お前は弱い。弱いが……如何にして我が運命の糸から逃れている?」
戦い始めてから数十分、遂に魔王が魔法以外で口を開いた。
「答えてもいいがその前に質問を一つ。お前は何を棄てた?俺は『直感』だ」
「成る程……そうか。そう言うことか。ならば我も答えよう。……『感情』だ」
感情ね……
今この世には運命を視れる奴が八人居る。偶然か必然か、目、耳、鼻、手、口、魔、勘、情の全てが揃った訳だ。
尤もこの場に居るのは二人だけだが。
「さあ、再開しようか。とっとと帰って嫁の顔が見たいんでね」
「我は……何故戦っているのだろうな。だが本能が言っている。お前を倒せ、と」
「本能ね……羨ましいな」
軽口を叩きながらも頭は戦闘用のそれに切り替えていく。
無数に伸びる運命の糸の中から俺が勝利する未来へ収束する物を見つけ、捕まえ、太く束ねる。
運命の観測者同士の戦いはこの糸を使った綱引きの様な物だ。自らの望む未来へと手繰り寄せていき、あわよくば相手の握る糸を千切る。
……こう言ってしまうと綱引きとも違うな。まぁ良いだろう。何にしろ俺が置かれた状況に変わりは無い。
とても細い勝利への糸を掴み取るだけだ。全体の一割にも満たない勝ち筋だが、それでもやるしかない。
ちなみに敵の勝ちが三割で、残りは不明。一日より先のことは視えないせいだ。残りの六割の内どのくらいが勝ち筋なのかは……相手も分かってないだろうし気にしない方が良いだろう。
───そして、今
「これで…我の、勝ちだ」
俺の握っていた最後の糸が切れる。状況は最悪。どうしようもなく、詰んでいた。……いや、
「まだだ……」
残された手は、ある。
「まさか、不確定の運命へ賭けようとでも?」
「賭ける?違うな。これから視るんだよ」
「馬鹿な」
……さて、何を棄てる?そもそも一つ棄てるだけで足りるのか?
戦いへの影響が一番少ないのは……ああ、分かってるさ。感情だってことぐらい。
でもそれは、人間を棄てるのと同じではないのか?あの魔王と同じ存在に成ることでは?
散々悩んだ末、俺は一言呟いた。
「──《■■強化》」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
コンコン
誰かがドアを叩いた。
あの時とは違ってまだ日は高い。家主の代わりにミュリーネが対応出来た。
「はぁい、どなた?」
そのドアの先には、
「……ただいま」
「っ!!」
魔王と独りで戦っている筈のアンドルクが居た。
助けに行きたかった。共に戦いたかった。せめて、一言伝えたかった。
でも周りの全員からそれを止められ、結局は待つことしか出来なかった。
それが遂に、終に!
「うん、お帰り。アル君♪」
「……ああ。そう言えば、皆は無事か?」
「マー君も、ヒュー君も、リアちゃんも、もちろん私だって、みぃ~んな無事。」
「……そうか、俺は色々と失ったけど、お前が居るのは解る。感じる」
それで良かったんだ、と呟くアンドルクを尻目に娘を呼ぼうとしたが、呼び止められる。
「……ちょっと待ってくれ。一つ聞きたい」
「うん?なぁに?」
「──俺は今、笑えているか?」
「もちろん!」