幸せ風味のパウンドケーキ
「うーん...」
見慣れない単語とかの意味はリリハに聞いたけどやはり理解出来ない。
これなら今まで散々苦労させられてきた古典や数学のほうが遥かにマシだ。
「うぉっ!?」
歩きながら教科書を読んでいたせいか足元に注意していなかった。なんてことのないただの段差に躓きバランスが崩れる。
「隙間時間を有効利用するのはいいがご主人の場合は意味がないと思うぞ。集中力がないときにやるよりもあるときに徹底的にやり込んだ方がいい。」
ごもっとも。
確かに集中力はほぼゼロだった。それでも少しでも早く魔法の原理を理解しようとしていた僕を少しくらいは労ってもいいのではないだろうか...とは思うが。
完全にやる気がなくなり肩にかけた鞄の中に教科書を押し込む。
生徒会室は南棟の最上階。
先程まで授業があった演習場とは正反対の場所に位置するため移動時間が割とかかる。
こういうときリーゼの能力が羨ましい。
瞬間移動があれば一瞬にして生徒会室まで行けるのに...
「お、レアくんがいる。」
足元に向けていた視線を上げると、膨らんだ購買の紙袋を両手で持ったフィナがいた。
フィナはトテトテと早歩きで僕の前まで近づく。
「いま、帰り?」
「ううん、今から......っつ!?」
言葉の途中でリリハに思いっきり足を踏まれた。
「ああ、そうなんだ。」
リリハは足をどけてしれっと嘘をつく。
痛みに悶絶しながら昨日の会話を思い出した。
「(そういえば僕たちが協力するのは内密にするように言われてるんだっけ。)」
特に事件のことを誰かに話すのはダメだと口を酸っぱくして言われた。
うっかり話してしまいそうだったのを未然に防いでくれたことには感謝するがそれにしたってもっと他に方法があっただろうに...
「...フィナも?」
リリハの嘘に乗っかりそう聞くとフィナは首を横に振った。
「わたしは、放課後ティータイムに向かう途中。」
そう言って購買の袋を抱え直す。
つまり今からどこかでお菓子を食べる予定らしい。
「あ、そうだ。」
相変わらずの眠たそうな表情のままそう言ってフィナは紙袋から2つの包を取り出し僕とリリハに1つずつ手渡した。
「おすそわけ。おいしいよ?」
透明な袋に包まれたそれは手頃な大きさに切り分けられたパウンドケーキだった。
僕のはアーモンドスライスが乗っており、リリハのはマーブル柄だ。
「ありがと。」
「...!」
リリハは驚いたような顔で手にしたパウンドケーキをじっと見ていた。
「リリハ?」
「じゃあ、おなか、へったからもう行くね。ばいばい。」
小さな声で僕がリリハを呼ぶのとほぼ同時にフィナの言葉が重なる。
そして小さく手を振って去っていった。
その背が小さくなっていくのを見送る。
「...誰かに......」
リリハの視線はパウンドケーキに向けられたままだ。
「誰かに...物を貰ったことはほとんどなかった。」
「え...」
「ボクは今まで誰からの施しも受けず、ただ命令のままに1人生きてきた。誰かになにかを貰ったのはこれで2度目だ。」
「2度目...?」
さっきは初めてって言っていたような気がするが...
「1つはこのパウンドケーキ。そしてもう1つはボクの名だ。」
「ああ、そういう事か。」
そういえば僕の名前から1字あげたんだっけ。
つい最近あったことなのにもう随分と長い時間が経ったような感覚だ。
物を貰ったのが初めてというのはきちんと形あるものを貰ったのが初めてという意味だったのだろう。
学校の校舎の壁にある大きな時計で時刻を確認する。
約束の時間にはまだ少し余裕があった。
「せっかくだし、食べてから行こうか。」
ちょうど近くに手頃なベンチもあるし。
「......。」
しばらく待ってもリリハの返事は聞こえない。
不思議に思って振り向くと既にそこにリリハの姿はなかった。
キョロキョロと辺りを見回すといつの間に移動したのかベンチにリリハが座っていた。
膝の上に両手で包み込んだパウンドケーキの包を丁寧に開封している。
自分では気づいていないようだが嬉しそうに口元が歪められている。
僕もリリハと少し距離を開けて同じベンチに座りアーモンドスライスの乗ったパウンドケーキにかぶりつく。
実習終わりでお腹が空いていたので会話をすることもなく食べ進める。
ちらりと隣を窺うと幸せそうな微笑を浮かべたリリハが小さくぱくりとパウンドケーキにかぶりついていた。




