フィナンシェ
「ご主人?」
授業が終わった瞬間に席を立った僕を見上げリリハは首をかしげた。
「ちょっとあの子のところに行ってくる。」
「昨日のふわふわか。」
どうやらリリハの中では性格よりも髪のほうが印象強く残っているらしい。
「知り合いは少しでも増やしてたほうがいいだろ?」
僕には力がない。
こんな人間がいきなり多くの人を動かすことなんて無理だ。
だったら少しずつでも知り合いを増やして協力してくれるように頼むほうがいい。
「そうか。だが行っても無駄だと思うぞ。」
荷物を片付けながらリリハはそう言った。
「無駄って?」
「もういないからな。」
ハッとつい数秒前まで少女が座っていた席を見るとリリハの言う通りその姿はなかった。
どうやらほんの少し目を離した隙に教室から出ていってしまったらしい。
「追うか?」
「あー...」
リリハの言葉に頷きかけてから鞄にしまっていた授業の時間割が書きこまれた紙を取り出す。
今はまだ1時間目。
次の授業までの休み時間は10分しかないのだが今の時点では10分もない。
教室を移動する時間もあるし...
「探すのは昼休みだな...」
時間の都合上今は断念するしかない。
前に学長に挨拶に来てついでに学校見学をしたときにここの学食のオシャレな内装と豊富なメニュー表を見て行ってみたいとは思っていたのだが今日は購買で済ますことになりそうだ。
まあ、学食に行く機会なんてこれからいくらでもあるだろ。
それよりも今はあの少女を最優先にするべきだ。
※
「おーっわったぁー!!」
午前の授業をなんとか終え、大きく伸びをする。
ずっと座っていたからか肩がコキっと音を立てた。
「さて、どうするご主人。」
「そうだな...」
午前中最後の授業は同じ授業を取っていなかったらしくあの少女の姿は見えなかった。
この広い学校の中、今あの少女がどこにいるのかすら分からない。
「とりあえず探して見るか。昼休みも長くはないし。それにこの時間なら学食の方に向かう可能性が1番高い。」
「了解した。」
教室を出て人の流れについて行くように進んでいくと廊下を歩き階段を降りていくと予想通り学食やラウンジ、売店などが集まる場所が見えてきた。
昼時だからか学校見学のときは静かだったその場所は賑やかだ。
キョロキョロしながら人の間を縫って進んでいくと視界の端にふわりとしたものが横切ったような気がした。
慌てて目を凝らして周囲を見渡すと小さな売店の紙袋を両手で持ったあの少女が外へと続く扉から出て行くところを発見した。
やはり読みが当たっていたようだ。
「見つけた!」
「んん......見つけたのか?」
そんな声と共にリリハが人垣からよろめきながら抜け出てきた。
あまりにも人が多いからか少しの間人垣から脱出するのが遅れたらしい。
少女の姿を捉えながら鞄をリリハに託す。
「ちょっと行ってくる!リリハは昼飯確保しといて!」
「おい!ご主人!?」
リリハの返事を待たずそれだけを言ってから僕は少女の後を追った。
※
距離が離れもうだいぶ小さく見える少女の姿を見失わないように早足で歩く。
本当は走って追いかけたかったのだが傍にいた女子生徒に注意をされてしまったから仕方がない。
嫌に反発して面倒事になることは今は避けたかった。
色とりどりの花で埋め尽くされた階段を上りきるとそこには休憩スペースがあった。屋根がついたその場所で少女はベンチに座り紙袋から焼き菓子を取り出してパクリと食べている。
その姿がなんだか小動物みたいで可愛いと不意に思い、そんなことを無意識に考えていた自分がなんだか恥しくてブンブンと頭を振る。
そのとき僕の気配を察したのか少女はゆっくりとこちらに顔を向けた。
「お、レアくん。」
昨日つけられたその変な渾名はいつの間にか定着されてしまっていたらしい。
ツッこもうか迷ったけど結局僕は何も言わずに少女に近づく。
「昨日も会ったよね。僕は...」
まずは自己紹介からと思いそう切り出す。
『人の事を知る前にまずは自分のことを話して警戒を解く』なんてことは相手と仲良くなるためには必須だ。
そもそも警戒されているのかは不明だがただ一方的に相手のことを聞くだけではだめだと思った。
僕がこの子に求めていることはとてもリスキーで不確実なことで、もしかしたら危険な事に巻き込む可能性だってあるのだから。
「ぶほっ...!?」
口を開いた瞬間少女はは袋から取り出した新たな焼き菓子を僕の口に押し込んだ。
言いかけた言葉もそうなってしまったら出てこない。
吐き出す訳にもいかずそのまま咀嚼する。
バターの濃厚な味わいとレモンの風味が口の中に広がった。
「自己紹介は...言わなくていい。」
少女はゆっくりそう言って焼き菓子をパクリとたべた。
慌てながらも焼き菓子をキチンと噛んで飲み込む。
「え、えーっと...じゃあ君の名前は?」
「名前......」
そう呟いて少女はもうひと口パクリと食べる。
「...レアくんは......私の...名前...知りたいの?」
少女は無表情のままこくんと首を傾げた。
「知りたいというか...お互いを呼ぶ時とか不便だからな。それに、僕は君のこと知りたい。」
「もしかして、わたし、口説かれてる?」
『ん?』と思い先ほど自分が言った言葉を思い出す。
確かにそう聞こえないこともなかった。
「違う!ただ僕は......」
「わたしは......」
僕の言葉を遮り、少女は虚空を眺めながらそこで言葉を止めた。
どうやらマイペース...というか人の話を聞かないタイプのようだ。
「仲良くしちゃだめな人だから。」
仲良くしちゃだめ?
「それってどういう...」
「わたしの、魔法...。誰かと仲良くしたらその人を不幸にしちゃう。」
途切れ途切れで主語もなくその言葉の意味を理解するのには少し時間を要した。
つまり、魔法で誰かに被害を与えるからそれで人と距離を置かなければならないということだろうか。
少女はゆっくりと言葉を続ける。
「私の名前、知られたらその人に私の魔法は使えなくなる。良くも悪くも。だから私の名前、ここで知ってるのは学園長だけ。」
1限目のときの謎が解けた。あのとき指導員は名前じゃなくて学生番号で呼んでいたのはそういう理由があったんだ。
制限ありの魔法。
でもその説明だけではまだ『誰かを不幸にする』という言葉の意味は分からない。
「でも僕は君と仲良くしたいってやっぱり思う。」
「レアくん...」
「実を言うとさ。僕、今日この学校に入ったばっかりで知り合いがいないんだ。」
「ひとり...ぼっち?」
「今はね。だから、仲良くする...ってまではいかなくても話してくれると嬉しいかなって......同じ...レアチーズケーキ好きとして。」
話している途中でなんだか気恥しさを感じて顔を背けつつポリポリと頬をかく。
「レアくん。」
「やっぱりその渾名固定なのか...」
「レアチーズケーキ仲間は大事。」
「うん?」
なんだかよく分からないことを言われた。
だが少女の顔は真剣そのものだ。相変わらずの無表情だからその変化は微々たるものだけど。
「友達とか...そういうのはだめ。だけどお話しするのはいい。」
「本当!?」
「ほんとう。レアチーズケーキに誓う。」
少女はボーッと虚空を眺め
「これ。」
と言って先ほど食べてた焼き菓子を僕の前に突き出して来た。
「レアチーズケーキ仲間のお近づきのしるし。」
「くれるの?」
こくんと少女は頷く。
「ありがと。」
そう言って2個目のそのお菓子を受け取る。
口に入れた瞬間先ほど同様にその風味が広がり口の中で溶けていくようだった。
名前を知らないその焼き菓子は2個目にして僕を虜にした。
「これは?」
「フィナンシェ。」
頭の中で今日からお気に入りのお菓子にランクインしたその名前を忘れないように繰り返す。
「そうだ。」
そのときある考えを思いついた。
「どうしたの?」
「君の渾名、これにしてもいい?」
「あだな?」
「呼ぶときとかやっぱり不便だし。名前が教えられないならそれもアリかなって。それにほら、僕も『レアくん』だし。」
いつの間にか定着されてたやつだけど。
「そう...だね。わかった。それなら私のことは『フィナンシェ』と呼ぶといい。」
「いや、そのままってのはさすがにそれは渾名として不自然じゃない?」
「んー...じゃあどうする?」
そうだな...
しばらく頭の中で考えを巡らせる。
「『フィナ』...とか?」
『フィナ』ンシェだから『フィナ』っていう安直過ぎる渾名だけど。
思考回路が乏しい僕にはそのくらいしか良さげな渾名が思い浮かばない。
リリハがいればもう少し良い渾名をつけてあげられたのかもしれないけど。
「フィナ......」
少女は小さく呟いてからゆっくりと立ち上がって僕の正面に立った。
「今日から、わたしは、フィナ。よろしくレアくん。」
「えっ...渾名、それで本当にいいの?」
「いい。わたしが話すのは...レアくんくらいだから。レアくんがそう呼びたいなら、それでいい。」
そう言って少女ーーーフィナは注意して見なければわからないほどわずかに口角を上げた。
「わかった。じゃあ、これからよろしく。フィナ。」
「ん...よろしく。レアくん。」
こうして僕はレアチーズケーキを通してフィナと知り合った。
最後まで気になっていたことはそっと胸の内にしまう。
昨日、フィナが自分から僕に近づいてきたその理由をーーー