名無しの少女
暗闇の中僕はただひたすらに『なにか』から逃げていた。
「はっ...!はっ.......」
『お前なんか...!いる価値もない癖にっ!!』
「ぐっ...」
いつか誰かに言われた言葉がどこからか聞こえたような気がして強く、強く心臓の辺りを掴む。
ずっと走ってるからか上手く呼吸することもままならず足も鉛のように重い。
それでも迫りくる『なにか』に追いつかれないように懸命に足を動かした。
もう限界だ...!
そう感じたとき目の前が急に明るく光り人影が現れた。
助かる!
そしてその人影に手を伸ばした。
「......ッ!?」
だが伸ばした手は振り払われ僕はその人影に突き飛ばされた。
『お前なんかーーー』
そして、『そいつ』は僕に向かって『その言葉』を言ったのだ。
※
体がビクッと震え目を開けた。
やたらとボヤけた視界の中でリリハがこちらを見ていた。
「起きたか。」
その言葉で自分の状況を理解した。
そういえば...寮に入ったんだっけ。
それで魔法を使って体が重くなって......
だんだん意識がハッキリとしてくる。
僕はまだだるさを感じる体を多少無理をして起こす。
「大丈夫か?」
「大丈夫って...何が?」
「酷く...魘されてたからな。」
「うなされてた?」
そう言われ夢の内容を思い出そうとしても頭にモヤがかかったように何も思い出せない。
何だかとても嫌な夢を見ていたということは分かるのだがその内容はさっぱり思い出せなかった。
「まあ、所詮夢だからな。大丈夫だよ。心配かけてごめん。」
そう言うとリリハは瞬時に顔を赤く染め、腰かけていたベッドから立ち上がり目を釣り上げた。
「な...ッ!ふ、ふんっ!誰が心配などするもんかっ!!」
腕を組みぷいっと顔を背ける。
「そんなことよりそろそろ夕食の時間が終わってしまうぞ。ボクは今腹ぺこなんだっ。大丈夫ならさっさと行くぞ。」
「りょーかい。」
布団から抜け出し頬に伝った涙をそっと拭って僕はそう答えた。
※
食堂やラウンジなどの共同スペースがある寮の1階は人が少なかった。
「なにをぼんやりしている。こっちだぞ。」
「あ、うん。」
リリハに言われるまま食事を受け取りトレーを持って席に着く。
リリハの言うように夕食の時間が終わりに近いからか人はほとんどいない。
「どうかしたかご主人。」
「いや、どうかしたというわけじゃ...って早っ!?」
僕の2倍くらいの量が盛られていた皿にはもう半分近く減っている。
結構大食いだったのか...
時間もないし僕も食べよう。
そう思い僕は箸を手に取った。
※
メインの料理を食べ終わり食後にコーヒーを飲む。
ミルクも入っていないコーヒーの苦味が頭をスッキリさせていく。
リリハはあんなに食べたにも関わらず幸せそうな顔でストロベリーパフェを頬張っていた。
見てるだけでかなりお腹がいっぱいになってくる。
だけど普段は見せないその顔についつい僕は惹き込まれていた。
チラチラと見るだけで気づかれないように配慮はしてるけど。
「はい。ここに女の子をチラチラ盗み見る変態さんが1人。」
「...ッ!?」
突然隣の席から聞こえたその声に驚きガシャンと慌ててカップを置く。
決してこっそり見ていたことを指摘されたからと言うわけではなくただ単に『今まで誰もいなかったはずの場所』から声が聞こえたことに驚いたんだ。
首を動かしたことでふわふわした髪が揺れる。
その少女は無表情でなんだか眠そうな顔をこちらに向けた。
「変態さん?」
「違う!っていうか君は?」
少女はしばらく間を開けて口を開いた。
「食後のデザート。」
「いや、それは今君が食べてるものでしょうが...じゃなくて君の名前。」
「......」
僕の質問をスルーし少女は黙々とケーキを口に運ぶ。
初対面の相手に同じ事を何度も質問するのは失礼かと思いどうしたものかと思っているとやがて少女は最後のひと口を食べ終わった。
「わたし......」
お、やっと答えてくれるのかな?
それにしたって結構な時間差だけど......
「レアが好き。」
「...レア?」
「ベイクドも好き。...でもやっぱりレアには勝てない。」
どうやら明後日の方向に話が飛んでいるらしいと言うことを理解するまで数秒かかった。
そういえばさっきこの少女が食べていたケーキはブルーベリーの乗ったレアチーズケーキだったことを思い出した。
「...なんでいきなりチーズケーキの話?」
「あなたはベイクド派?それともレア派?」
「えっ...あー、えーと...レア?」
とりあえず正直にそう答える。
「おぉ...わたしと同じ。今日からレア仲間。」
無表情のまま少女がそう言う。
そして音を立てずにゆっくりと立ち上がって食べ終わった食器の乗ったトレーを手に持った。
「ばいばい。レアくん。」
レアくんってなんだ。
名前も名乗らず終始マイペースのまま少女は去っていった。
結局なぜ隣に座っていたのかも、そもそもいつからそこにいたのかも分からず仕舞いだった。
謎の少女が去ったあとポカンとした僕と紅茶を飲み一息つくリリハだけが食堂に残された。
「なあ、リリハ。あの子...どう思う?」
「割とご主人好みの可愛い子だったんじゃないか?」
淡々とリリハは紅茶を飲みながらそう言った。
「いや、そういう意味じゃなくて...」
「冗談だ。...まあ、得体の知れない感じ...ではあったな。なんとも言えない。」
「まあ、そうだよな。」
名前も分からない名無しの少女。
根拠はないけどまたどこかで会うような予感がした。