6 勝負師の生誕
誕生日は、この世界でも祝う物らしい。
寝返りをうてるようになってから、時は進み、もうすぐ俺は一歳になる。
ようやく、俺は何かに掴まった状態でなら、ある程度動けるようになった。
俺がつかまり立ちをする度に、母親は心配そうな視線を俺に向けてくるが、特に転けたことはない。
「フェイトは、運動神経が良いのですね」
なんて、母親はニコニコしながら、俺に話しかけた。
母親は俺の誕生日が近づく度に、機嫌が良くなっていく。
テーブルの上には、お菓子の作り方が載った本が山の様に積まれていて、彼女は暇を見つけては読みふけっている。
離乳食を食べるようになって、気づいたことが一つ。
この母親は料理が上手い。と言うよりかは、上手くなったと言うべきか。
ある時、俺が夜中ふと目が覚めた時に、隣に居なかったことを不思議に思い、探しに行った時、彼女はキッチンでひたすらに料理の練習をしていた。
「え……!? フェイト!?」
「あー」
驚き、手を止めて、こちらに駆け寄った母親の手は傷だらけ。
容易に料理が苦手で、必死に練習していたことが伺えた。
「うー……」
「あ、この傷ですか?」
痛ましい傷を自分の手で労るように撫でる。
すると、母親は困ったような、それでも何処か嬉しいような顔をして。
「私は今まで、料理をしたことが無かったのですよ、すいません、不甲斐ない母で」
「うー……!」
その時感じた気持ちは上手く表現できないが。
ただ、そんな事無い、と彼女に伝えたかった様に思う。
そんな意思を込めて、母親の目を見つめる。
「……貴方は不思議ですね」
「……?」
「まるで私の言ってることも……いえ、私の心ですら、理解しているように思えます」
それは、言い過ぎだと思う。
歳を重ね、長く生きた経験があっても、わからない物はわからない。
「綺麗な目……」
「う?」
「ふふ、貴方が生まれてきて、本当に良かった」
俺自身、誰かに必要とされるという経験が少ない。
だから、こう素直に言われた時、どう言って良いのかわからない。
「起こしてしまいましたね、私も丁度終わりにしようと思っていた所です、片付けて、一緒に寝ましょうか」
そう言って、俺をベビークッションに座らせて、キッチンの片付けに向かった。
『良い、母ですね』
『なんだ、居たのか女神さんよ』
『あ、なんだか失礼な物言いですね』
『……なぁ』
『……私にも、彼女の気持ちが全て、理解できるわけではありません』
『……』
『ですが、共感は覚えますよ』
『共感、か』
それは、何に共感したのだろうか。
やはり、女にしかわからない領域なのだろうか。
ただ。
『悪い気は、しねぇな?』
『ふふ、そう思っていただけたのなら、幸いですよ』
そんなことが、あった。
今も、彼女は、俺のために手作りのお菓子を用意するため、奮闘している。
そんな姿を、何処か、心地よい気持ちで眺めながら、ふと思う。
(そういえば、父親の姿を見ないな?)
こうして生活を始めて、もうすぐ一年。
未だに俺は父親を見ていない。
母親は、控えめに言っても美人だ。
肩甲骨を超える長く、緩やかにウェーブがかかった黒い髪。
何処か幼さを残しながらも、大人の妖艶さを感じる顔付き。
身長は言うほど高くはないが、形の良い大きめの胸と尻を強調するくっきりしたくびれ。
不思議と、欲情することはないが、もし俺が20代で出会っていたなら、まず間違いなくお相手を希望していただろう。
その上、必死とも言えるくらいの献身さ。
うむ、こんな女を放っておく男は男じゃねぇな。
『何、いやらしい事考えているのですか?』
『……だから、急にはやめないか……心臓に悪い』
思わずびっくりして転けてしまいそうだった。
『それは失礼しました、あまりに思考がアレだったもので』
『アレとは失礼な、枯れた俺を瑞々しく咲かし直したのはお前だろうに』
『知りません!』
『……やれやれ』
ともあれ、父親である。
子供がいる以上、女だけって事はない。
必ず相手がいる。
まさかあのレベルの女を放っておく事もあるまい。
『お前さんは何か知らないのかい?』
『……そういった事は本人から聞くべきではないですか?』
『あぁ、そりゃそうだな、悪かった』
確かに、聞くべきタイミングだってある。
もしかしたら、聞かない方がいい話かもしれない。
そんな俺の思考を知ってか知らずか。
母親は何処か楽しそうに、お菓子の試作品を次々と作っている。
今できたのは……うむ、どうやら失敗したらしい。出来上がった物を見て落胆の表情が伺えた。
俺自身、こうやって母親を見ている、いや、観察するのは非常に楽しかった。
彼女は俺相手に常に敬語を使っていて、あまり大きく、一目で分かるような表情の移り変わりがない為、一見少し冷たい印象がある。
が、慣れてみれば、非常に感情豊かだと分かる。
先程の落胆の表情だって、よく見れば、目を少し垂らして、口の端も落ちていたし。
俺がつかまり立ちを覚えて暫くの間は、視線を俺の頭や足元に忙しなくウロウロさせていた。
嬉しいと思ったり、幸せだと俺に伝える時には、小さな花が人知れず咲いたかの様に、静かに口元を緩める。
俺は、そんな母親に好印象を抱いていた。
平たく言えば、この人が母で良かった。と、そう胸を張って言える。
『なんだか、嫉妬してしまいます』
『はぁ? 何に嫉妬するんだ?』
『むー……良いのです、放っておいて下さい』
『左様かい』
そんな会話を頭のなかで繰り広げているうちに。
母親は同時に作っていたらしい、もう一つのお菓子の出来上がり具合を確認し。
「これなら、フェイトも喜んでくれるでしょう」
と、口元を緩め、珍しく、小さくガッツポーズなんて取ったりしていた。
そんなこんなで、誕生日当日。
俺をテーブルに取り付ける型のイスに座らせた母親は。
「では、このまま少し待っていてくださいね」
と、キッチンへと向かった。
さて、どんな物が出てくるのか、少し楽しみだ。
『お誕生日、おめでとうございます』
『ん、あぁ、ありがとさんよ』
『一足先に言わせていただきますね、この後家族水入らずで楽しんでもらうためにも』
『なんだそりゃ、よくわからない気の使い方するもんじゃあないぞ』
『ふふ、ありがとうございます、ですが私もこれで忙しいもので』
『……忙しい身だったのか』
『これでもこの世界の女神ですから』
『はん、まぁそういうことにしておくさ』
『何やら釈然のしませんが……ほら、料理が来たようですよ』
その言葉に、視線を上げると、母親が小さなお皿をテーブルに乗せた。
少し、スポンジが焦げているが、それは間違いなく、ケーキだった。
「やはり、誕生日はケーキだと思って、一番難しかったのですが……作ってみました、美味しい、とは思います」
「あー」
作って貰って文句なんてとても言えない。
とか伝えたいのだが、あー、とか、うー、としか音にならない。
く、まだまだ喋るには難しいか?
「赤ちゃんでも食べられるようにするのは、なかなか難しくて……」
そんなことを言いながら、可愛らしい蝋燭をケーキに一つ刺し、その蝋燭に指先を近づけると目を閉じた。
「……ファイア」
「う!?」
何だ今の!?
ファイアとか言ったら蝋燭に火がついたぞ!?
「あ、そういえばフェイトは始めて見るのですね、これは、魔法ですよ」
「うー……?」
「フェイトも、もう少し大きくなって、お勉強すればきっと使えるようになりますよ」
魔法、か。
今まで、新しい世界だなんだと言われてもイマイチ、ぴんと来なかったが。
ようやく、異世界だという実感が少し湧いたな。
「ともあれ……一歳のお誕生日、おめでとうございます、フェイト」
「あー!」
「ふふ、まだ火を消せないでしょうし、私が消させて頂きま……」
と、母親が言い切る前に、俺は蝋燭に向かって息を吐いて火を消した。
「え……?」
あ、不味かったか? 驚いてるな。
いやまぁそりゃそうか……俺は、何も知らないはずだものな。
「フェイト……」
「うー?」
あちゃー、やっちまったなぁ……。
とか思ってると。
「貴方は本当に賢い子ですね、驚いてしまいました」
と、笑顔になった。
おや、勝手に何とかなったか?
「……この一年、私は驚きの連続でした、子供の成長はこうも早いものなのかと」
「う?」
「ですが、驚き以上に、貴方が成長の証を私に見せてくれる度、この上ない幸せを感じます」
「あー」
「一年間、ありがとうございます、フェイト。どうか、これからも、貴方の母親で居させて下さいね」
そういう母親の表情は、本当に幸せそうで。
だからだろうか? もっと、幸せになって欲しいと思ったのは。
そう思ったからだろうか、俺も感謝していると伝えたいと、強烈に思った。
「あー……と……かー」
「え……どうしました? フェイト?」
ええい、もどかしい!
ありがとうくらい、しっかり言わせろ!
「ありー……と!かー……か!」
「フェイト……!」
「かーか!あーと!あーり……と!」
「……」
どうだろうか、伝わっただろうか?
俺の気持ちは、母さんに、伝わっただろうか?
その心配は、母さんに抱きしめられたことで、無用の心配だと理解した。
「ありがとう、ございます……!貴方が、私の子供で……本当に、幸せです……!」
俺の頬に水、いや、涙の感触。
あぁ、そうだ。この人が、俺の母さんなんだな。




