Ep.11 『忘却ディストラクション』(9) 妖狐
やけにうるさい蝉の鳴き声で、眼を覚ました。
この世界にも蝉は居るのか。そう思いながら、シズオは、ゆっくりとベッドから身体を起こした。
「ああぁ。これは、確実に木じゃなくて、家の壁に張り付いてるパターンだな」
まるで、蝉を耳に付けているかのような、蝉の鳴き声の大きさから、その事が推測できた。
「あれ?」
そこで、一つの疑問が浮かびあがる。
「結界って・・・どうなったんだ?」
そう。つい前日、紅葉の魔法でこの家の周辺に強力な結界を張ったのだ。そうだというのに、家の壁に直接蝉がくっついているのはおかしい。この結界は、シズオが、承諾していない者は入ることができない仕組みなのだ。もちろん、紅葉やルフィナには承諾しているが、蝉なんてうるさいものを承諾した覚えはない。
「ってことは・・・」
寝ぼけた、自分の脳をフル回転させる。
そして、一つの答えに出た。
窓を開ける。
窓からは、身長三メートル超えの巨大な蝉のような魔獣が結界の外からこちらを覗いていた。
「・・・はぁあ・・・」
答えというのは、『音の原因は結界の外にあり、たまたま蝉のような鳴き声をする魔獣が結界の外にいる』というものだ。
「魔力香は、出ないようになってるんじゃねぇのかよ」
相変わらず、あの女は気まぐれだな。そう思いながらも、ドアを開け、外に出た。
それにしてもおかしい。魔力香が漂わないように張った結界なのに、これじゃあ、意味がない。いくら昨日作業が終わって疲れていたといって、さすがにこんな根本的なミスを紅葉がするとは思えない。それに紅葉は、あんなのでも上級魔導剣士だ。体力もそれなりにあるはず。
では、なぜ?
「・・・ッ!・・・狐・・・?」
どういう訳か、結界の中に狐がいる。
いや、もう紅葉が気まぐれとかそういう問題ではなくなる。どうして、狐が結界の中に入っている。
「・・・あぁ、なるほど。お前、餌と思われてるぞ」
蝉のような魔獣の眼がどこについているかは、分からないが、この狐が結界の中にいると話がつく。
あの魔獣は、シズオの魔力香に釣れられてやってきたのではなく、この狐を“餌”と思い、やってきたのだ。すると、狐が結界の中に入ってくるものだから、魔獣は仕方なく、結界の外から狐を眺めていた。
いや、それでも、だ。
蝉の魔獣がここにいる理由が分かっても、狐がこの結界に入っている理由は分からない。むしろ、そっちの方が大事だったりする。それにしても、この狐も体躯がおかしい。尻尾は三本あるし、額には紅色でなんらかの模様がある。ひょっとしたら、この狐も魔獣の仲間かもしれない。
シズオは、身を構えた。
すると、いきなり、狐の周りに煙が炊かれる。
「ッ!!・・・なんだ?」
煙が薄れていくのを待ち、眼をこらす。
すると、煙の中から出てきたのは、腰に尾が三本生えている美麗な女性だった。
「餌だなんて、ひどいな~」
「なっ、え、ちょ、・・・ハァ!?」
「なんだい?そんなに驚くことかなぁ」
すでにシズオの頭は破裂寸前だった。
女性に尾が生えていることにではない。狐が女性に変身したことにだ。しかも美人。
「お前、・・・ひょっとして妖怪ってやつか?」
「ひょっとしてもどうしても、正真正銘の妖狐だよ~」
この世界には妖怪もいるのか。
今まで、三年間この魔術界をさまよっていたが、妖怪なんてものには出会ったことがなかった。
「・・・訊きたいことは、山々だけど。とりあえず家に上がるか?」
「うん、そうする」
シズオはその妖狐を家の中に連れていく。
それにしてもえらく元気のいい妖怪だ。妖怪とはみんなこんなものなのだろうか。それにこの妖狐はかなりの美人だ。テレビでよく見る芸能人やアイドル、モデルなど足元に及ばないぐらいの人間離れした美貌。おそらく紅葉と同等かそれ以上のレベルだろう。差があったとしても人によっては逆転してもおかしくないぐらいあやふやだと思う。
浴衣を綺麗に着こなし、背丈も高い。もしかしたらシズオとそう変わらないかもしれない。それぐらいスタイルのいい女性だ。バストの方も相当あるだろう。髪は金髪にストレート。少しふわっとしているが、獣特有の毛並みの影響だろう。よく見ると尾も金色だ。
「それじゃあ、いくつか質問してもいいか?」
リビングの椅子に座らせ、お菓子を少し出して話を開始する。その頃には蝉の魔獣は姿を消していた。
「うん、何でもオッケー」
軽い。
「まず一つ。名前を訊こう」
「あたしは夜宮夜宵。夜宵って呼んでね~」
「俺は、霧神倭男だ」
「うん。知ってるよ」
「ん?どういう事だ?」
「あれ?私の事覚えてない?」
「ふつう覚えてないから自己紹介するんだろうが。・・・って、どこかで会ったか?」
「うーん。まあ、覚えてないんならいいや」
どうやら、シズオと夜宵は、知り合いだったらしい。
覚えていないことは、残念だが、それでも夜宵は笑っている。昔知り合いだったらしいから、シズオに再開できてうれしいのだろう。
「それじゃあ、二つ目の質問。・・・どうやって結界の中に入ってきた?」
「ふつうに、こじ開けたけど」
「いや。多分、こじ開ける事自体ふつうじゃないから」
「あんな、うっすぺらい魔法障壁はすぐに開いたよ」
「うすっぺらいって・・・」
テーブルに額を乗せる。
まあ、方法はどうあれ力でこじ開けたということだろう。
あの結界も強化しないといけないな。
「んじゃ、三つ目。お前は妖狐なんだよな?」
「うん。そうだよ」
「この魔術界の住人か?」
「違うよ。あたしは妖魔界から来たんだ」
「妖魔界?なんだそれ?」
「まあ、その名の通り、妖怪やら、鬼やらがわんさか居る所さ」
「行きたくはねぇな」
「はは、そうだね」
夜宵は、腕を交互にしながら『ダメ。ゼッタイ』を主張してくる。
シズオはため息をつき、最後の質問をした。
「夜宵。お前は・・・何の目的でここ来た?」
「・・・そりゃあ」
シズオは夜宵の次の発言に、息を飲む。
「シズに会うためだよ!」
「・・・は?」
気づくと、夜宵がシズオに抱き着こうと飛び込んでくる。明らかに避けられる距離ではなく、そのまま、ぎゅっと抱きしめられた。
「ちょ、夜宵さん!?胸が当たってる!・・・って、聞いてる?ちょっと!?」
「へへ~。離さないも~ん」
そんな事をしていると、家のドアが開いた。
逆光で一瞬だれかと戸惑ったが。・・・間違いない。ルフィナと紅葉だ。
「シズオ君?何してるの?」
蔑みの眼が降りかかる。
「あら、妖狐じゃない。珍しいわね」
こんな状況をもろともしないアラサー。
「ちょ、止めて!離れて!」
「シズオ君・・・いつの間に女を連れ込んだの?」
さらに鋭い眼を向けられた。
「だから、違うって!!」
シズオは、その後ルフィナに三時間ぐらい説教を受けましたとさ。




