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変態好きな彼女は触手が欲しい

作者: いさお

ちょっと前に某サイトで行われた『春っぽいもの』というお題の掌編小説企画に参加した作品です。

短い話なので頭をカラにしてさくっと読んで頂けると幸いです。


「ねえ先輩。そんなに好きですか? 変態」


 目の前で恍惚の表情を見せている先輩に、俺は語り掛けた。


「ええ。変態は良いわね。実に良いわ」


 はふぅ、と色っぽい溜め息を吐きながら返答をする彼女の手元には小さなプラケース。中には今まさに羽化しようとしているモンシロチョウのさなぎが一匹、いっそ艶めかしげに蠢いている。

「見なさい後輩。じきにこの子、背中をばっくりと開いて中から新たな姿を現すわ。その様は何度目にしても決して見飽きる事は無いの。こんなに小さくて儚い虫が合体ロボも真っ青の凄まじい変形を行って、抜け殻から絶対に納まりきれない大きさになってちゅるんと出て来るのよ。素晴らしいわ。生命の神秘とはこういう事を言うのでしょうね」

 うっとりと。

 そりゃあもう、恋する乙女の様にうっとりと。

 無駄な程にイイ顔を見せつつ、先輩は変態の魅力について語る。

「後輩も知っての通り、昆虫は蛹の中で一端溶解して液体になるわ。そして醜いイモイモとしていた身体を美しい蝶の姿に変える訳だけれど、一体どうしてそんな事ができるのかは未だに解明されてない。この子達は我々の、人類科学の遠く及ばない存在と言っても決して過言では無いでしょうね」

 うふ、うふふと微笑みながらウネウネ動く蛹をガン見している先輩。その様は、たとえそれが自分の想い人であっても、ぶっちゃけ少し気持ち悪い。


 俺の脳裏に『完全変態』という文字が浮かんでは消えていった。



 目下、俺と先輩のふたりしか在籍していない生物部。

 そして俺と先輩は一応、彼氏彼女の関係。

 なので理想を言わせて貰うならもっとイチャイチャしながら楽しく活動したい所だけれど、現実はこの有り様である。

 手持無沙汰な俺を華麗に無視して、先輩は両手でデジカメを構えつつ

「いいよーいいわよー、そこでヌルっと出てきてみようねー。ほらがんばーれ、がんばーれ」

 などと蛹に話し掛けている。

「先輩。俺の事好きですか?」

「ん? 好きだよ?」

「そうですか。じゃあ、俺とこの蝶とだったら?」

「今はこの子。あと一時間待ちなさい」

 いっそ清々しいまでに即答。俺泣いても良いかな?

「……うん。変態好きっていうか、変態ですね先輩は」

 恨み節にも似た俺の呟きに、しかし先輩は視線すら寄こさずに言葉を返す。

「心外ね。私は生物部部長として全力で部活動に邁進しているだけよ。後輩もぼーっとしている暇があるんだったら水槽の子達に餌でもあげて」

「奴らの世話ならとっくに終わらせました」

 メンテを終えた数本の水槽を一瞥した後、先輩の肩越しにプラケースを覗く。蛹は既に背中から裂け目が生じ、そこからゼンマイみたいな触角を生やした不気味生物がイヤイヤするみたいに頭を振っている。

「変態をガン見する変態か。なんだか絵になりますね」

 デジカメで両手が塞がっているのを良い事に、俺はささやかな復習も兼ねて先輩の耳元でセクハラ気味に囁いてみる。

 それでも彼女は、

「ふむ。変態を好きな人間が変態と呼ばれてしまうのならば、それは甘んじて受け入れましょう」

 なんて事を涼しい顔で言う。

「それにしても、あれね。この『変態』という言葉は実に不愉快な誤解をされる言葉だと思わない?」

「と言うと?」

「生物学における変態と、いわゆる異常性欲的なニュアンスで使われる変態はまったくの別物よ。なのに、私が『変態が好き』って言うとほぼすべての人が誤解した受け取り方をするの」

「そうでしょうね。事情を知らなければたぶん俺も誤解します」

 今は別の意味で変態だと思ってますけどね。

「変態という言葉は、元を正せば生物の成長過程において形態が短時間で著しく変化する事を指す言葉よ。なのにいつしか、倒錯した性癖の事なんかを指す言葉として定着してしまったわ」

「まあ、それに関しては俺もどうかと思ってますが」

「それに、よ。俗に変態性癖なんて言うけれど、一体何を以て変態と定義するのかしらね。大抵の人は声高に言えない特殊な性癖のひとつやふたつ、持っているものでしょう?」

 相変わらずファインダー越しに蝶の変態を真剣に見つめながら、変態が言う。

「そうなんですかね?」

「そうよ。例えば私の父は内科医というそれなりに社会的地位の高い人だけれど、性交渉時に女性を縄で縛る、いわゆる緊縛という行為を大変に好んでいるわ」

「何でそんな事知ってるんですか」

「父の部屋を物色すると、その手の雑誌や映像媒体がいろいろ出てくるの」

「お、おう……」

「確証は無いけれど、母ともしばしばそういった行為に及んでいるみたい」

「あんたよくグレなかったな!」

 彼女はしれっとした顔で「私は真面目だから」などと申しており。この変態め。


 でも待てよ? わざわざそんな事を言うって事は……


「先輩にもあるの? そういう特殊な性癖」

「そうね。はっきりと自覚はしていないけれど、きっと私にもあるのでしょうね」

 ファインダーを覗きながらキリ顔で、この人はきっぱりとそんな事を言いやがりました。ここまで堂々としていると逆にカッコいい。変態なのに。



「て言うかさ。先輩はどうしてそこまで変態が好きなの?」

 今や一挙手一投足を見逃すまいと全身全霊を掛けてデジカメを構える先輩に、更なる追撃を加える。

彼女の愛する被写体はようやく蛹から身体を引きずり出し、しわくちゃの羽を重たそうに背負ったまま壁に止まっている。

「そうね……変態が好き、と言うよりむしろ憧れていると言った方が良いのかしら。今までの自分とは全く違う何かになって、新たな世界を生きるという行為には……うん、憧れを抱くわね」

 一瞬だけ、ふっと憂いを含ませた綺麗な笑顔を見せる。外見は美人なんだから普段からこういう風にしていれば良いのに。蛹ばっか見やがって。

 と、思いきや。今度は急に真剣な口調になって、

「それに、人間の体というものに対する不満もあるの。こう、もう少し便利になっても良いんじゃないかって思わない?」

 なんて事を仰ります。

「人間は充分便利な身体を持っていると思いますけど。他の霊長類をみても、ここまで精密な作業ができる生き物はいませんし」

「それでも私は不満なの。例えば今、私は両手でカメラを構えているわ。手が離せないの」

「ですね」

「なのに右耳の後ろが凄く痒くて。ちょっと後輩掻いてくれないかしら」

「はあ」

 良く見ればむず痒そうにぷるぷると小刻みに震えている先輩。

「こうですか?」

 やたらと良い匂いのする髪をかき分けて耳の後ろを軽くコリコリと掻いてあげると、先輩は「あ……そう……ん、気持ち良い、よ」なんて妙に色っぽい声を出す。できる事ならこのまま卑猥な行為に及びたい所だけど、羽化しかけの蝶に免じてぐっと我慢。 

 やがて先輩は「ふう。ありがとう。もう良いわ」なんてスッキリしたお顔で仰いました。

「と、まあ。こういう時にね、この子の触角みたいな位置に触手が生えていたらすごく便利だと思わない?」

「お、おう?」

「触手よ、触手。この際手が生えろとは言わないわ。でも、触手の一本もあったらきっと人生変わると思うのよ」

「はあ。触手、ですか」

「ええ。触手。本当に、人間はどうしてここで進化を止めてしまったのかしら。我々の祖先は触手欲しいとか思わなかったのかしら?」

 割と本気で悔しがっている先輩。うん。可愛いのか気持ち悪いのか良く分らない。

 モンシロチョウはいつの間にか触角を伸ばして羽をピンと張り、飛び立つ練習をする様にパタパタさせていた。



「先輩。あれを見てください」

 彼女に、部室の隅に置いてある120センチ水槽を促す。中には部室の『主』としてもう十年以上生きていると言うスポッテッドガーの鰐淵さんが、退屈そうに流木の隙間でたゆたっている。

「鰐淵さんがどうかしたの?」

「あの鰐淵さんはスポッテッドガー。いわゆる古代魚です。割と何でも有りな連中です。奴は魚のくせに浮き袋を使って原始的な肺呼吸をします。おかげで溶存酸素量の少ない汚水の中でも平然と生きて行けますが、反面定期的に水面に上がって呼吸をしないと溺死します。魚のくせに」

「ええ、そうね」

「俺、奴を見る度に思うんです。こいつら、そうまでするんだったらもう少し頑張ってワニかなんかに進化できなかったのかって。見た感じもワニっぽいし、前後のヒレもなんだか手足っぽく動かしますし。ほら、例えば始祖鳥なんかトカゲから進化して空まで飛んだんですよ? すごいガッツだと思いませんか? 彼等とこいつらの差は一体何なんでしょうか」

 ふむ、と興味深そうに彼女は頷いた。

「きっとこの子達は、始祖鳥程には強い心が無かったのよ。現状に満足し、『ああ、もっと進化してえ!』とか考えもせず、ただ漫然と交尾をして子孫を残してきただけなのでしょうね」

 軽蔑とも憐みとも取れる様な眼差しを鰐淵さんに送る先輩。

 そんな彼女を横目で眺めていた時、俺の脳裏に稲妻が走った。

「先輩。俺と子供を作りましょう。触手生やしたいって強く念じながら。そうして出来た子供が更に同じ事をして、それが何世代も続けばもしかしたら、ひ孫あたりには額にツノくらい生えて来るかも知れません。触手の夢は子孫に託しましょう」

「ふむ。君と子供を」

「はい。交尾しましょう」

「確かに、そこまで考えの及ぶ君となら、子孫を進化に導く事ができそうな気もしないではないわね」

 彼女は立ち上がると窓を開け、プラケースの蓋を外す。

 モンシロチョウは少しだけ躊躇した後、何事も無かったかの様に羽ばたいて青空に消えていった。

「とは言え、我々は未だ学生の身よ。社会的な責任の取れない立場で、軽々とそういった行為を行うべきではないと私は思うの」

 蝶を見送った後、振り向いた彼女は諭す様にそう言う。

「まあ、そうですよね。ちっ」

「でもね……将来、そういった事が許される時が来たら、その時は……」

「その時は?」

 頬を乙女色に染めながら、彼女が続けた。


「その時は、その……縛ってくれても構わないわ」


 うん。やっぱりこの人完全変態だったよ。



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― 新着の感想 ―
[一言] 触手イイよな、ロマンだよなぁ
2016/08/22 14:06 退会済み
管理
[良い点] 意外な書き出しから、おもわぬストーリーがはじまり、楽しく読めましたた。先輩のキャラも立っていて、どこか西尾維新先生の作品に出てくる才媛キャラを彷彿させます。 [気になる点] やや類型的に、…
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