第ナナ夜
一部〜空の見えない街〜
扉を開け視界いっぱいに映ったのは、全長五メートルはあろうかという石像だった。
四角い巨石をくっ付けて作ったようなディティールの雑さではあるが、先ほどまで何も無かった家の前に、いきなり巨大物が現れたのだ。
驚かない方がおかしい状況である。
「な、なに、これ?」
「うわぁ〜、練習用の自動人形の二倍はあるよ。相変わらずセンスは無いけどね」
自動人形と呼ばれた石像に圧巻されているフレシと違い、インフィはどうやら見慣れているようで、ディティールの甘さを批判する。
「これが、自動人形ですって?」
フレシは表情を取り繕うのさえ忘れ、ただ唖然と見上げていた。
ユグを魔力に変換する際に起こる仄かな発光現象、それを纏っているという事は石像は魔力を帯びているという事だ。
微動だにしないが、巨石を積んだだけならあのような不安定な状態で形を保っているはずがない。
「自動人形……媒体と触媒、魔力を供給するための〝エノク語〟を組み合わせ作られる、最もポピュラーな錬金術の一つ。錬金術に対応したエノク語を必要としない初級のものだが、難易度は大きさに比例し巨人族ほどの大きさを作るのに上級、それ以上は最上級の腕が必要と言われているーー初心者の為の錬金術教本より」
横に控えていたリリアナが淡々と説明をしているが(おそらくインフィ用の説明だろう、現にインフィは驚いた表情である)、フレシとしては未だに理解が出来ていなかった。
いや、理解できていても納得が出来ないのである。
小妖精族は魔術に長けているが、その他の術式とは相性が悪いのか上手くいかないのが通常だ。
錬金術などはその際たるもので、錬金術は小人族や巨人族が得意な術式とされていた。
一応魔術にも死霊魔術といったものがあり、死んだものをアンデッドとして操る事も出来るが、素養がなければ使えない稀有な魔術である。
そもそも死霊魔術で、石は操れない。
小妖精族が錬金術を覚えたとしても、頑張ってフレシサイズの草か土の自動人形しか作れないのが、フレシの中での常識だ。
いかに目の前の石の自動人形が特殊か、推して知るべしであろう。
と、そこに何か棒状のものを魔術で浮かせながら弐爺が近づいてきた。
インフィはその何かを見た途端弾けんばかりの笑顔を浮かべ、弐爺の言葉を待たずそれを引ったくる。
「はぅあ〜。いつ触ってもこの手触りと重量感、無骨なまでにデザイン性を排してながら左右対称の美を体現したフォルム。そんなこの子が大好きだよ!!」
「落ち着きなさいインフィ、お嬢さんがガチめに怯えている」
弐爺が苦笑するように言い(実際はインフィの奇行より自動人形に対して驚いていたのだが)、また飛行魔術で椅子を呼び寄せ腰掛ける。
「お嬢さん、ワシにお願いがあって来たと言ってたね?」
「え? えっと、」
「返事は素早く的確に!!」
「「は、はいっ!!」」
急に大声で言われて、思わず背筋を伸ばして返事をするフレシ。ついでにインフィも同様に、背筋を伸ばして返事したのはご愛嬌。
弐爺は「よい返事だ」と言いながらローブの懐を探り、手のひらサイズの石を取り出す。
その石にはエノク語で『真理』と書かれており、弐爺は飛行魔術で石を飛ばすと石像の額にくっ付けた。
「あの自動人形は、襲ってくる者を迎撃する命令が施されている。インフィはいつもの修行と同じだから分かるだろうが、今回はお嬢さんと一緒にあの額の文字を消してもらう。そうしたら、お願いを聞こう」
「? すいません弐爺さん、今〝一緒に〟という単語が聞こえた気がするんですけど……」
「なお該当の文字でないものを消したら自動人形が暴走するので、それは注意するようにな。インフィはさっき渡した〝五号〟を振り回しすぎて、この前のように岩盤に穴を開けない事。ワシが見てなかったらこの下の二十九採掘場跡が崩落して、今頃ワシらの家は地面の下だったのだから」
「ねぇ弐爺、ここはもう地面の下だよ?」
「ん? そういえばそうだったな、はははははははーー」
「あのっ!!!!」
無視だけならまだしも、納得しない間に話がどんどん進んでいく気がしてフレシは大声を出す。
案の定弐爺から眼光鋭い目を向けられ冷や汗が出るが、ここで黙ってはいけなかった。
このままいけば確実に、この巨大な自動人形と戦闘させられるだろう。
そんな度胸、十歳のフレシにある訳がない。
「お願いがあるのだろ?」
「そうですけど、何でいきなり自動人形と戦う方向に行くんですか? 壱爺さんも、その……私がどれくらい戦えるか気にしてましたし。言っておきますが、私の〝力〟を目当てにしているのでしたらお門違いです。私は殆ど、扱えません」
「ふ、フーちゃんあんまり怒ると眉間に皺が出来ちゃうよ?」
「あなたは黙ってて!!」
びくっ、とインフィが身体を強張らせたのが分かった。フレシもそこで自分が声を荒げていた事に気付き、しかして謝る事も出来ず、気まずそうに視線を地面に落とした。
「……インフィ、お嬢さんにお前の額を見せてあげなさい」
「え、う、うん」
おずおずとフレシに近づいたインフィは、青みがかった黒い前髪を手で持ち上げ、額が見えるようにした。
一体なにをーーそう言おうとフレシが視線を上げ、そして、驚きに目を見開き固まった。
「〝神姫〟ーー女神の寵愛を賜る愛しき子。インフィの額にあるものが、分かるかな?」
ーーインフィの、いつもは前髪に隠れた額。そこにはフレシの見慣れたそれがあった。
それは見ようによっては痛々しくも見える、丸い円に五芒星の痣。
紛れもなくそれは、『神姫』の証たる『セフィラ』と呼ばれる痣であった。
「インフィも、神姫……?」
「〝も〟って事は、まさかフーちゃんも?」
この時フレシは、インフィのぽかんとした表情を見ながら、この子の目は奥二重なんだなと場違いな感想を抱いていたーー
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〜誰得用語解説〜
「エノク語」
エノクは旧約聖書・創世記第五章のアダムの系図に出てくる人物。
唯一、死について描かれておらず「エノクは神と共に歩み、神がとられたのでいなくなった」という表現がされている。
その彼が天使と会話する時に用いたのがエノク語である。
「セフィラ」
ヘブライ語で「口伝」の意味を持つカバラ。
カバラは古い時代ではメルカバーの秘儀を中心とする修行体系だったが、三世紀から六世紀にかけ生命の樹というカバラの宇宙論が詳細に図案される。
それに描かれている十の球をセフィラと呼ぶ。
本来五芒星は描かれておらず、それぞれのセフィラに対応した名前が付いている。
ちなみにセフィラの複数形はセフィロトと呼ぶ。
※この小説では、単に神姫の証の名前としてセフィラを使用しています。