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飛び込むなら今

作者: 佐々木匙

「廃墟と女子高生、かわいくない猫、雨、壊れかけのロボット、常夏の島」というお題で書いたものです。

 埃と割れたガラス、倒れた棚の残骸を踏みしだきながら、紗江は奥へ奥へと進んでいった。

「誰かいませんか」

 声はやや反響して、虚しく散る。天井の塗装は剥げ、電気の配線が覗いていた。それも、今は通っているのかどうか。くすんだ銀色の無機質な様子は理科室に似ていて、何かの研究所かな、と紗江は思う。汚れたセーラー服姿の彼女がふらふらと歩いていても、それほど違和感はないだろう。往時の整えられた様子のままであれば、だが。

 擦りむいた膝は少し痛むが、それどころではなかった。とにかく落ち着けるところに行かないといけない。ひゅう、と息を吸い込む喉が鳴った。吐く。また鳴る。

 爆弾が落ちたのだ。多分二度目か三度目だ。学校に直撃するのは初めて。でも、いままでと同じく、何かあっても、誰か頼りになる大人の人が指導してくれると思っていた。少なくとも、逃げ込むシェルターは無事であると思っていた。甘かった。破壊されたシェルターの入り口から、最初は友人三人で逃げ出した。二発目の爆発で起きた強い風で、彼女は煽られて転んだ。繋いだ手が解けてしまった。それきりだ。

 彼女はとにかく町外れに逃げた。爆音はやがて届かなくなったが、隠れる場所もなかったので今まで来たこともないこんな廃墟までやって来たのだ。足を止めたらもう動けなくなってしまうような気がして、紗江はとにかくがむしゃらに歩みを進めた。

「誰か、誰かいませんか」

 わかっている。こんな壊れた建物の中に誰かいるとしたら、浮浪者か幽霊くらいのものだろう。それでも、紗江は声を上げずにはいられなかった。


 にゃお。ふと、荒れきった空気の中に甘い声が響いた。

 にゃお。それから、軽い物音。紗江はついに足を止める。

「猫?」

 小さな影が、廊下を滑るように彼女の元へとやって来た。足元で止まって、彼女を見上げる。にゃおーうー。

 人懐こいやつ、と彼女は思った。ここで飼われていたのかな。しゃがんで、頭をそっと撫でてやる。それは錆猫で、なんだか潰れたみたいな顔をしていた。首には銀色の首輪がはまっていたから、やっぱり飼い猫か……実験動物だったのだろう。猫はふるふると首を振る。

 はあ、と紗江は息をつく。なんだか少しだけ力が抜けた気がした。猫を抱き上げてやると、大人しくしている。

「お前、かわいくないけどあったかいね」

 一緒に行こう、と声をかけると、ぷふ、と鼻から息をした。うん、と答えたことにしておいた。

 それから、彼女はしばらくあちこちを見て歩いた。どこもぼろぼろで、あまり居心地の良い場所はなさそうだったが、いざとなったらどこかで夜を明かさないといけないかもしれない、と思った。一度止まっても、足は不思議にまだまだ動いた。

 最上階はところどころ天井にひびが入っていて、上からぽつぽつと雨が降ってくる。紗江は顔を顰めながら進む。廊下の窓から外を見た。町からは幾つもの爆煙が立ち上っていた。風向き次第では、こちらに流れてくるかもしれない。

 紗江は、ぶう、と勝手につけた名前で猫を呼んだ。

「あたしね、学校とか家とかめんどくさくて……戦争が始まった時、ラッキーって思ったんだ」

 ぶうは目を瞬かせる。

「お母さんはあたしのこと怒鳴るし、お父さんは殴るの。お兄ちゃんは自分のことでいっぱいいっぱいのまんま戦争に行っちゃった。先生は横暴だし、部活はつまんない。友達はいたけど……あたしのこと置いて行っちゃった」

 こつこつと、足音が響く。

「だから、今日も家とは反対に逃げたの。これから後悔するのかな。わかんないや」

 ぶうは返事をしない。ただ、耳を不意にぴんと立てた。何か、かつん、かつん、という音が聞こえる。

 紗江は足を急がせた。突き当たりの部屋から音は聞こえてくる。半開きの扉を開け、部屋に滑り込んだ。


 かつん、かつん、と音が響く。それは、小さな自律型の、ごく簡単な造りのロボットだった。方向機能が狂っているのか、壁にぶつかっては下がり、またぶつかっては下がりを繰り返している。

「人間じゃないやつばっか」

 紗江はしゃがんで、向きを直してやる。ロボットはぐるぐるとその場で回転し、やがて動きを止めた。ぶうはその隙に紗江の腕から抜け出て床に座り込んだ。

「ようこそ、安達ラボへ」

 ロボットは、単眼を紗江のいる側とは反対方向に向けて合成音声を奏でる。

「ここの人、安達さんていうんだ」

 そこは、比較的往時の様子が保たれた部屋だった。埃の積もった机の上は片付けられ、書類は一纏めに纏められている。持ち主の神経質さが伺えるようだった。ぶうがそこを歩いて、小さな足跡を残した。

 書棚には、紗江にはおよそ意味がわからない本が詰まっていた。物理学、というのは知っている。本当だったら来年選択するかもしれない教科だ。来年があるのか知らないけど。

 ずん、と遠くから音が響いた。爆撃が、近くまで来ている。紗江はごくりと唾を飲んだ。

「ここ、なんかすごいバリヤーみたいなの、ないの?」

 問いかけるが、小さなロボットはくるりと回って「じゃじゃーん」と声を上げるのみだ。

「それでは安達博士による大大大発明、物質転送そう」

 今度はよほど近い距離で爆音が響いた。紗江はぶうを捕まえると抱きしめてぎゅっと目を閉じる。窓ガラスがびりびりと音を立てている。


 全部なくなってしまえばいいとは思っていた。でもそれは、自分がするりと影のようにどこかへ消えてしまう、というような感覚で。こんな風に、何もかも吹っ飛ばされてしまうだなんて、嫌だ、嫌だと思った。


「そう、そそそそ装置、装置が稼動します」

 二撃目はともかく、すぐには来なかった。紗江は目を開ける。そして部屋を見渡した。

 きい、と小さく音がした。部屋の隅に扉があった。ここは突き当たりだ。どこにも繋がらないはずの扉が。

 細く開いたその扉の向こうは、明るい青空と椰子の木が茂る景色が広がっていた。

「この画期的な転送そそそ装置は安全確実にあなたを遠いところにお届けします!」

 紗江は恐る恐る、扉に近づいて開いた。むわ、と温度と湿気が襲いかかる。海の匂い。同じ水でも、雨の匂いとは違う。

 紗江は目を閉じ、考えた。どことも知らない場所。嫌で嫌でたまらない家。壊れた学校。近づいてくる爆撃。終わってしまった日常。そして、腕の中のぶうの温もり。

 紗江はまた目を開けた。彼女は迷わなかった。ぶうと壊れたロボットを引っ掴み、扉の向こうへと飛び込んだ。


 きい、と扉が反動で閉まる。誰もいなくなった研究室に、やがて爆弾が落ちた。熱風、爆風、全てがひしゃげていく。あの扉も例外なく。

 だから、彼女たちがどうなったのかは、もう誰も知らない。

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