美人の親友とイケメンの男友達
蒼はとっても綺麗で美人。
白肌の小さな卵形の顔に、形のいい眉。
大きくも小さくも無い、シャープな二重の目。
その目を囲むように、くるんと上を向いている長い睫毛
そして筋の通った高い鼻。
これも決して大きくも無く小さくも無く、程よい大きさ。
唇は薄くて、口紅を付けなくても血色がいい。
その唇から現れる白く整った歯をチラリと見せた笑顔は、正に女神そのもの。
程よいブラウンに染めている艶やかな髪は、肩より少し長くして軽くウエーブさせている。
おまけにスタイルもいい。
これって九頭身?
ううん、もしかして、有り得ない十頭身だったりして。
そんな蒼の腰の位置は、自分よりも遥か上にある。
百七十五センチの長身だからかもしれないけど…。
それにしたって、断然足が長い。
スラリと伸びた足は、女の私が見てもドキッ!とする。
「どうした? さっきからじっと見てるけど。」
蒼はクスッと笑いながら、返すように私の顔をじっと見つめた。
「ん? 蒼は相変らず綺麗だなぁ~と思って。」
そう言って私がニッコリ笑うと、
「園子だって可愛いじゃない。
ベビーフェイスで砂糖菓子みたいに甘くって、ほわっとした感じ?
目は大きくてクリッとしてるし、唇は小さいさくらんぼみたい。
私は園子の顔…好きだな。」
ニコッと微笑んで私の前髪をそっと整えた蒼に、私の心は直球ど真ん中に打ち砕かれた。
ズギューーーーンッ!
―うっ!
…やられた。
私は思わず、バタンッ!とテーブルに顔を伏せた。
―私は何回、この笑顔にやられているんだろう?
「どうした、園子? 具合悪い? 」
自分の背中を優しく揺すっている蒼の大きな手が、心地良くて温かい。
「…大丈夫、何とも無いから。」
顔を上げてニコッと微笑むと、蒼はホッと安心した顔になった。
「園子、もうそろそろ午後の講義時間になるから移動しよっか? 」
「うん、そうだね。」
私は頷きながら答えた。
私達は椅子からガタンと立ち上がって、出口に向かった。
カフェテリアに居た人達も午後の授業を受けるために、ガタガタと動き出した。
しかし蒼がその人混みの中を通ると、人々の視線が蒼に集まった。
コソコソと男の人たちが話している会話が、自分の耳に聞こえてくる。
「おい。あれ、法学二年の神林蒼だぜ。」
「あぁ、彼女か?
噂通り、すっごい美人だなぁ~。」
カフェテリアに居た男も女も皆、出口に向かって颯爽と歩いている蒼に視線を移していた。
ランチをしている教授、食堂のおばちゃん達も同様だ。
私は蒼の直ぐ後ろに付きながら、こんなにも人々を魅了する蒼を親友に持って、いつも誇らしく思っていた。
―ほら、皆!
私はこんなに美人で素敵な彼女の親友なのよ。
蒼が人々に注目されればされるほど、私は鼻高々になった。
彼女、神林蒼との出会いはこの大学の入学式の時だった。
「新入生の皆さんは、学部別に分かれて席についてください。」
入学式典を行う講堂で響き渡る職員の声に促され、私は人混みをかき分けながら法学部のブースへと移動した。
やっとのことでブースに辿り着いた私は、空いている席に腰を下ろした。
―ふぅ~、やれやれ。
それにしてもすっごい人ねぇ~。
辺りを見渡して総合大学に見合った新入生の数に驚きながら、やれやれとホッと一息付いた。
「ここ、空いてますか? 」
不意に背後から声を掛けられて、慌てて答えた。
「あっ、はいっ!
どうぞ、空いてま… 」
声の主に振り返った途端、私は彼女に釘付けになった。
―何⁈ 超~美人!
今までお目に掛かったことの無いレベルだ!
まじまじと見つめている私に、彼女はニッコリと微笑んだ。
「初めまして。私、神林蒼です。
同じ法学部ですよね? 」
笑顔も言葉使いも綺麗な彼女に、
ズギューーーーンッ!
私の心は、その場で打ち砕かれた。
ボ~ッと顔を見続けている私に、彼女は困ったように聞き返した。
「あの…法学部ですよね? ここって。」
ハッと我に返った私は、又もや慌てて答えた。
「あっ、はいっ! そうです。
あのぅ… 私、茅花園子です。法学部です。
初めまして、よろしくお願いします。」
ぺこりと頭を下げて挨拶した私に、
「こちらこそ。
私、この学校で知り合いが全くいないから心細くって。
これから、どうぞよろしくね。
茅花園子さん。」
彼女は美しく微笑みながら挨拶した。
私は超美人の彼女、蒼に直ぐ好感を持った。
多分、蒼もそうだったと思う。
何故なら私達は、それからいつも行動を共にしていたからだ。
「ねぇ、園子って名字から続けると、花園子だね?
すごくいい名前。
園子にピッタリで、とっても可愛いな。」
蒼は微笑みながら私に言った。
「え~っ? ほんと?
蒼からそう言われると嬉しいけど…。
園子って言う名前はお母さんが付けたんだけど…ね。
うちのお母さん、宝塚がすっごく好きで、何かそんなイメージで付けたみたいなんだ。
私もその影響で、宝塚の舞台をよく一緒に見に行くんだけど。」
「へぇ~、そうなんだ。
私は見たことないけど、面白いの? 」
「う~ん、面白いっていうよりも、綺麗でステキって感じかな?
男役なんか、本物の男よりもカッコいいし。
何か、こう…夢の中に出てくる王子様的存在?
有り得ない所がまたいいの~。
透明感を持った美しい男性で、憧れっていうの…かな?
女ってこと忘れちゃう。
もしかして男みたいな女ってところに、安心感があるのかな?
それに女なのに、あんなに背が高いってところがポイント高いよね~!」
園子は興奮しながら、一気に自分の思いを語った。
そんな園子が可愛くて面白くて、蒼は思わずプッと吹き出した。
「え~? 何か私、変? 」
「ううん、別にそんなことないよ。」
心配顔の園子をからかうように、蒼は言った。
「でも蒼も、その身長だったら断然似合うと思うよ! 男役っ! 」
真顔の園子に、また蒼はプッと吹き出した。
「そう? じゃぁ、試験を受ければ良かったかな? 」
「うんっ! 絶対イケてたと思うよ! 」
真顔で断言した園子に、蒼は笑い出した。
「ただいまぁ~ 」
園子はリビングのドアを開けながら、疲れた声を出した。
「あっ! 園ちゃん、お帰りなさい! 」
年よりも断然若く見える童顔の母は、園子の帰りを待ってましたと言わんばかりの弾んだ声で言った。
園子のベビーフェイスは、明らかに母方の遺伝だった。
「ねぇ、ねぇ、園ちゃん! チケット取れたわよ~!
明後日の夜の部!
ほらっ! 」
母は満面の笑顔で宝塚のチケットを二枚、園子に見せた。
「わっ、すごいっ! やったねぇ~。」
差し出されたチケットを手にすると、先程の疲れた顔が一変して忽ち笑みが現れた。
「ねぇ、明後日の夜なんだけど大丈夫よね? 」
「うん、大丈夫。授業が終わったら直ぐに行くから。
現地集合でいいよね? 」
そう言いながらチケットを一枚貰って、もう一枚を母に返した。
「わかったわ。絶対に遅れないでね。
ホントに楽しみよねぇ~。
明後日が待ち遠しいわぁ~。」
母はチケットを手にしながらクルクルッ!とターンして、もう自分の世界にドップリ浸っていた。
「園子、おはよう。」
蒼は一時間目の講義室でいつもの様に自分の席を取ってくれている園子に声を掛けた。
「おはよう、蒼。はい、どうぞ。」
園子は自分の荷物をどけながら、蒼に席を勧めた。
「ありがと。」
ニッコリと笑った蒼は、いつものように綺麗だった。
優雅に席に座った蒼はカバンからチケットを取り出して、
「ねぇ、園子。
さっき表通りでこんなチケット貰ったんだけど、一緒に行かない? 」
「え? 」
蒼が差し出したチケットを受け取りながら、じっと見つめた。
「…新しいクラブの招待券? 」
「そう。開店記念で女は千円で入れるから、どうかなって。」
「へぇ~、開店記念かぁ~。
いいね、面白そう。」
「ほんと?
じゃぁ明日の夕方六時開店だけど、大丈夫? 」
「えっ! 明日? 」
園子はチケットを見直した。
チケットには確かに、明日の日付の十八時開店と書いてあった。
「あ~。…ごめん、蒼。
この日、お母さんと宝塚に行く約束をしちゃってた…。
同じ十八時開演なんだ。」
「そっか。
お母さんとの約束じゃ、仕方ないね。
わかった。私一人でちょっと覗いてくるね、どんな感じか。
いい感じだったら、今度一緒に行こ。」
残念顔の園子に、蒼はニコッと微笑んだ。
「ほんとにゴメン、蒼。」
「いいって、大丈夫。
じゃぁ今度、宝塚の感想聞かせて。」
蒼はクスッと笑った。
「園ちゃん、ほんっとに良かったわよねぇ~。
ママ、もう一回見たいくらいよぉ~。」
宝塚の舞台を見終わった母は、もう完全に夢心地だった。
足取りもフワフワで、まるで雲の上を歩いているようだった。
通り道をくるりとターンをした時は、さすがの私も慌てて止めた。
そんな危険な母をずっと見張りながら大通りを歩いていると、
―えっ?
あれって、蒼?
反対側の通りを、蒼らしき人が歩いていた。
「蒼~! 」
車の騒音に掻き消された自分の声に気づいていない蒼を見つめていると、
―あれっ?
園子は蒼が一人ではないことに気付いた。
―男の人…?
蒼が男の人と二人きりなんて…初めて見た。
じっと目を凝らして二人を見つめていると、蒼の横に並んで歩いている男の人は遠目で見てもいい男だった。
つまりすごいハンサム。
美人の蒼と並んでも遜色無いレベルだった。
ぼ~っとその場で突っ立っている園子に、母が怪訝な顔で尋ねてきた。
「園ちゃん、どうしたの? 」
「ん? ううん、何でもない。
ちょっと、友だちに似てる人が居たから…。
でも違ってた。」
「そうなの? じゃぁ、早く帰りましょ。
パパが帰ってくるから。」
「…うん。」
園子は咄嗟にその場を繕って、母の後に付いて歩き出した。
―あれって、絶対に蒼だよね?
園子は帰り道の間中、隣にいた男の人と楽しそうに話していた蒼が頭から離れなかった。
―誰なんだろう?
園子はベッドの中に入っても、あの光景が脳裏に浮かんできた。
―やっぱり明日、蒼に聞いてみよ!
そう決心すると安心したのか、自然と眠りに落ちて行った。
いつものように先に席を取っていた園子に、蒼が声を掛けてきた。
「園子、おはよ。席、ありがとね。」
「あっ、蒼。おはよう。」
そう言いながら、園子は蒼の席に置いてあった自分のカバンを退かした。
「蒼、昨日はほんとにゴメンね。クラブどうだった? 」
園子は遠回しに核心へ近づいて行こうと考えていた。
「うん、良かったよ。
ちょっとアジアン風の雰囲気のあるクラブで。
今度は一緒に行こうよ。」
「結構、人は来てたの? 」
「そうだね。やっぱり開店記念で安かったからかなぁ~?
途中から入場制限してたし。
だから店の中が凄くごった返しててね。
もうちょっと後に行ったら、店も落ち着いてくると思うけど。
それからでもいいんじゃないかな?
園子と一緒に行くのは。」
「男の人も多かったの? 」
「うん。男は三千円だったけど、やっぱり結構来てたね。
カップルも多かったような気がする。」
普段と全く変わらない蒼に、園子はどう切り出したらいいのか自分自身にヤキモキした。
―やっぱり単刀直入に聞いた方がいいかも…。
園子はそう決断して、思い切って尋ねた。
「蒼。昨日私、蒼を見かけたんだけど…。」
「えっ? どこで? 」
「私達が良く行くイタリアンの通り…。」
「あぁ。確かに昨日、あの通りを歩いてたな。
何だ。園子ったら、声かけてくれれば良かったのに。」
全く普段通りの蒼に、園子は少し躊躇した。
「う…ん。
一応声を掛けたんだけど、車の騒音で聞こえなかったみたい。
それに蒼、一人じゃなかったみたいだったし…。」
「えっ? あぁ。
それって多分、クラブで知り合った人だ。
篠原瑞樹っていうS大の四年。
気が合ってね。クラブを出た後、二人で少し飲みに行ったの。」
「へぇ~、そうなんだ。
遠目で見た感じでも、すごくハンサムな人だったけど…。」
「あぁ、確かにいい男ね。
へぇ~?
園子って今まで誰とも付き合ったことがなかったから、男の趣味がわからなかったけど。
あ~ゆ~のが好みなんだ。」
からかいながら微笑んだ蒼の眼差しにドキッとしながら、園子は慌てて否定した。
「ううんっ! 別にそんなことないよ! 」
途端に顔を赤くした園子を蒼はチラッと横目で見て、少し声を落として言った。
「でも私は、瑞樹は止めた方がいいと思うけど…。」
「えっ? 何で? 」
「…。」
目を逸らして黙り込んだ蒼を見て、その瑞樹という人は既に蒼のいい人なんだと確信した。
「ううん。ごめん、蒼。
別に特別どうってわけじゃないから。」
誰が聞いても不自然な答えを、蒼はじっと私の顔を見て聞いていた。
「…いいよ、別に園子に紹介しても。
でも初めに言っとくけど、私は瑞樹の事、何とも思ってないから。
ただ園子に合うかどうかっていったら、そうじゃないと思ったの。」
今まで聞いたことの無い蒼の少しキツイ言い方に、園子はちょっとムッとした。
「別に会わせてって、言ってるわけじゃないからっ! 」
園子の声が以外にも大きく講義室に響き渡り、教室に居た人たちが皆、園子を注目した。
「あっ… 」
園子は恥ずかしくなって、皆の視線を避ける様に俯いた。
そして難しい表情をして黙り込んでいる蒼に視線を移した。
蒼はそんな園子を見つめながら、何か思い巡らしているようだった。
「…ごめん、蒼。」
小声で謝ってきた園子に、蒼はいつもと違う、少し歪めた顔で微笑んだ。
「ううん。こっちこそ…ごめん。
でもほんとに紹介してもいいよ。
園子が良かったら…。」
そう言って、自分をじっと真剣な顔で見つめている蒼に何か引っ掛かるものを感じたが、彼に再び逢える喜びに掻き消された。
「本当? じゃぁ、お願い!
もう一度会ってみたい! 」
園子の本当に嬉しそうな顔を見た蒼は、フッと笑った。
「わかった。
じゃぁ今日、瑞樹と連絡取ってみるね。」
「うん、ありがと~。」
満面な笑顔の園子は興奮しながら、いそいそと授業の準取ってもらっていた席に座りながら淋しそうな表情で見つめて、小さな溜め息を付いた。
翌日、いつもの様に一限目の講義室の中に入ると、驚いたことに蒼が先に席に着いていた。
「蒼、一体どうしたの?
蒼がこんなに早いのって、初めてなんじゃない? 」
園子は驚きながら、取ってもらった席に座った。
「うん。園子に早く報告した方がいいと思ってね。
瑞樹の件だけど、あっちは会うことオッケーだって。
良かったね、園子。」
相変わらずの美しい顔で微笑んだ蒼にドキッとしたのか、彼に逢えることにドキッとしたのか。
その区別が付かない園子だったが、思わず顔が綻んだ。
「うん。蒼、本当にありがとぉ~! 」
「それで待ち合わせ場所なんだけど、私達が良く行くイタリアンにしといたから。
時間は明日の十一時ね。
園子、遅刻しちゃダメだからね。」
「うん、わかった。」
昨日と同じウキウキと嬉しそうな園子の横顔を見ながら、蒼も昨日と同じ淋しい顔をした。
勿論、園子はそんな蒼に気付くことは無かった。
約束の日の時間の少し前に、二人は待ち合わせのイタリアンの店に入った。
蒼の後ろにくっつきながら園子がキョロキョロと店内を見渡すと、
―居た! 彼だ!
間違いない!
園子は思わず心の中で叫んで、ガッツポーズをした。
お目当ての彼は、窓の外に視線を向けながら座っていた。
すると蒼がさっさと歩き出し、彼に近付きながら声を掛けた。
「瑞樹、早かったね。」
園子は急に歩き出した蒼に遅れないように、ピッタリくっついて一緒に彼に近付いた。
「いや、僕もさっき着いたばかりだから。
あれ? 蒼、一人? 」
テーブルにはまだ水しか置いてなかったので、彼の言ったことは事実だとわかった。
そして長身の蒼の後ろにスッポリと隠れてしまっている百六十センチの私を、彼が気付いていないのも事実だった。
「え? 何、言ってんの? ちゃんといるけど。」
そう言いながら、蒼が後ろを振り向いた。
ようやく園子の姿が見えると、彼は微笑んで声を掛けてきた。
「あぁ、ホントだ。
茅花園子ちゃんだよね?
初めまして、篠原瑞樹です。」
紳士的で素敵な声と笑顔の瑞樹に園子は、
ズギューーーーンッ!
―やられた…。
不思議なぐらい、蒼の時と同じの直球ど真ん中だった。
そして顔が瞬く間に赤くなっていくのが、自分自身でもわかった。
「可愛いでしょ? 私の自慢の親友なんだからね。」
そう言って、蒼は園子に席に座るよう目で促した。
「うん。」
緊張していたので、少し上擦った声が出てしまった。
「ホントだ。蒼が言ってたように、確かに可愛い子だな。」
緊張のあまりロボットのようなぎこちない動きで蒼の隣に座った園子を見て、瑞樹はクスッと笑った。
そんな彼を見た園子は、さっきよりも更に顔が赤くなった。
ギクシャクしながら彼と向い合せになると、どこに視線を置いたらいいのかわからなくて、咄嗟に視線をテーブルに移した。
するとまた彼がクスッと笑ったことがわかった。
「園ちゃん、蒼と同じ法学部なんだって? 」
この頂点に達している緊張を解きほぐそうと、有難いことに彼の方から先に話し掛けてきた。
「あっ、はい。そうです。」
気の利いた言葉で話を続けることが全く出来なくて、まるで就職試験の面接のような、情けない返事をしてしまった。
かといって、気のある男の人と面と向かって話すのは初めてのことだったので、これはなかなか難しいことだった。
そのまま黙り込んでいる園子を見かねたのか、蒼が助け舟を出してくれた。
「瑞樹、園子はこういうシチュエーションは初めてだから、すごく緊張しちゃってるのよ。
とってもウブな子なんだから、その辺しっかりわかってよ。」
「うん、そんな感じだな。…蒼と違って。」
「瑞樹に言われたくないわ。」
笑っている彼に、蒼は辛辣な表情ですかさず返した。
大人のような雰囲気を漂わせている二人が、一体何を話しているのか全く訳が解らないという顔で、園子はキョロキョロと二人を交互に見つめた。
「あっ! ごめん、園子。気にしないで。
大した意味じゃないから。」
蒼は園子を安心させようと微笑んだ。
「…うん。」
園子は又もや理解できないという顔で、蒼を見つめた。
「園ちゃんはホントに可愛いな。」
瑞樹はニッコリと園子に微笑んで、蒼の方をチラリと目をやった。
蒼はそんな瑞樹の視線に顔を歪めて言った。
「じゃぁ、これからどうする?
どこかに行く? 」
「そうだなぁ。
園子ちゃん、何かリクエストある? 」
瑞樹は園子に視線を移した。
「えっ? 私? 」
いきなり話を振られてオタオタ慌て出した園子を、ホントに可愛いという目で瑞樹は見て言った。
「それじゃぁ、ボーリングでも行こうか? 三人で。」
「そうね。私は久しぶりだから、いいわよ。」
瑞樹と蒼の二人は、園子の確認を取ろうと同時に視線を移した。
「うん、私もそれでいいから。」
美男、美女二人の迫力のある視線を受け、園子は何も考えず反射的に答えた。
「じゃぁ、行こっか? 」
蒼に促されて、皆ガタガタと音を立てて立ち上がった。
その瞬間、園子は重大なことを思い出した。
―えっ! ボーリング?
ふと正気に戻った園子は、自分は全くボーリングが出来ないことに気付いた。
―え~っ!
確かこの前お母さんと行った時は三年前ぐらいだったよね?
あの時のスコアって確か…
一生懸命記憶を辿ってみると、ガーター続きの散々な結果を思い出した。
―確か八十もいってなかったような…
園子はガックリと項垂れた。
―憧れの人に、こんなに早く醜態を晒すことになるとは…。
しかし今さら変更と言う勇気も無かったので、沈んだ気持ちで二人の後を付いて行った。
後ろから見ても、二人はとってもお似合いでステキだった。
瑞樹は長身の蒼いとそれ程変わらない身長だったが、スタイルの良い蒼と並んでも釣り合いが取れててカッコよく、ずっと二人の後姿を惚れ惚れと見つめながら歩いた。
―やっぱり二人はお似合いだなぁ~。
蒼が瑞樹さんの事、何とも思ってないって言っても、
瑞樹さんは絶対、蒼の事いいと思ってるだろうし…。
さっきのあの雰囲気…何かとってもいい感じで、
お互いが気取ってない関係っていうか…。
そういえば男の人を好きになったのって、
瑞樹さんが初めてかも…。
今まで好きになった人って、宝塚の男役のスターだったし…。
もしかして、これって正真正銘の…
初恋⁈
そう気付いた途端、ボッと顔が赤くなった。
―やっぱり初恋だ~!
顔を真っ赤にしながら瑞樹の後ろ姿を見つめて自問自答していると、もう目的地に着いていた。
―うわっ!
やっぱりここだ!
ボーリングのピンが描かれた看板を見つめながら、これから初恋の人に見せるだろう、イケて無い自分の姿を想像した。
ガックリとして、思わず溜息を付いてしまった。
「園子、どうした? 気分悪い? 」
園子の溜息に気付いた蒼が心配そうな顔で尋ねてきた。
同じように瑞樹も心配そうな顔で自分を見ていた。
二人のそんな視線を浴びた園子は、慌てて否定した。
「ううん、そんなことないよ。
ちょっと久しぶりで緊張してるだけ。
だってボーリングなんて、三年ぶりだから。
ホントに何ともないから。」
「そう? だったらいいけど…。」
相変わらず優しい蒼を、園子は心配させないように普段通りに微笑んだ。
蒼はやっと安心したようで、園子に大きな左手を差し出した。
「じゃぁ、行こうか? 」
「うん。」
園子は差し出されたその左手を、ニコッと笑いながら握りしめた。
そんな仲の良い姉妹のような二人を、瑞樹はじっと見つめていた。
ワンゲーム終わったところで、やはり予想通りの散々な結果に終わった。
園子は憧れの瑞樹の前で緊張したからなのか、それとも本来の実力なのか、いつにも増してスコアは悪かった。
六十七という初心者レベルのスコアに、自分自身に嫌になった。
それに反して二人はというと、まるで申し合わせたようなスコアぶりだった。
蒼が百六十三で、瑞樹は百六十六だった。
ストライク連発の二人に、園子は只々唖然と見つめていた。
「私、飲み物買って来るけど、園子はいつもの紅茶でいいよね?
瑞樹は? 」
「じゃぁ、ブラック。」
「オッケ~。」
そう言って蒼が行ってしまうと、瑞樹と二人きりになっていることに気付いた。
園子はこの間をどうしたらいいのか困惑し、彼の視界から外れようと慌てて席から立ち上がった。
そして先程出てきた自分のボーリンクボールを、意味も無く一生懸命にキュッキュと磨き始めた。
瑞樹はクスッと笑いながら立ち上がり、園子と同じように自分のボールを磨き始めた。
―わっ!
自分の隣にいる瑞樹に戸惑いながら、さらにスピードを上げて一心不乱にキュッキュとボールを磨き続けた。
「園ちゃん。」
「はいっ! 」
突然自分の名を呼ばれてびっくりしたので、反射的に大きな声で返事をした。
「ボール、もう磨く必要が無いぐらいピッカピカだけど。」
「えっ? 」
自分の手元にあるボールは自分の顔が写るぐらいに、ピカッ!と光輝いていた。
「あらら… 」
ふと園子がボールから瑞樹に視線を移すと、思いがけないくらい間近に彼の顔があった。
―うわっ!
思わず園子はその場から一歩下がって、瑞樹と距離を取った。
そんなバカみたいに一人バタバタしている自分を、彼は面白そうに見つめていた。
―ビックリした~!
でもこんな顔の瑞樹さんもカッコいいな~。
何て感慨深げに思っていると、瑞樹が徐に聞いてきた。
「園ちゃんは、蒼との付き合いは長いの? 」
「えっ? はい、そうですね。
実は大学に入ってからの付き合いなんです。
入学式の時、初めて蒼に会って…。
私、初めて蒼を見た時、あんなに綺麗な人に今まで会ったことなくって、ボーッとしちゃたんです。
友達になれたらいいなと、私は思っていたんですけど。
そうしたら蒼も私の事を気に入ってくれたみたいで…。
それからいつも一緒ですね。
取ってる授業も全部一緒だから、尚更かな?
だから私達は学校に居る間はずっと一緒っていう感じです。」
「そうなんだ。
二人はすっごく仲がいいんだね?
さっき手を繋いでいた時なんて、まるでお姉さんと妹みたいだったよ。」
「えっ? そうですか?
何かそう言ってもらえるとすごく嬉しいです。
実は私も蒼の事、お姉さんみたいに思ってるんです。
私は一人っ子だから、本当にお兄さんとかお姉さんが欲しかったから。
蒼は正に理想のお姉さんですね。」
「園ちゃんは…蒼が大好きなんだね? 」
「はいっ! 大好きです! 」
満面な笑顔で答えた園子を、再び瑞樹はクスッと含み笑った。
その時、
「二人とも、お待たせ~。」
蒼が両手にドリンクを持って戻ってきた。
「あっ、蒼。ありがと~。」
園子は蒼からドリンクを受け取り、ブラックを瑞樹に差し出した。
「瑞樹さん、どうぞ。」
「ありがとう。」
そんな二人のほのぼのとした雰囲気を感じた蒼は、少し眉を顰めた。
「何?
私がいない間に、もう二人ともすごく打ち解けちゃった感じ? 」
「まぁな。」
意味有り気に、瑞樹が含み笑いした。
「ふ~ん。」
つまらなさそうな顔をした蒼を見て、園子は思った。
―やっぱり蒼は瑞樹さんの事が好きなんだ。
そしてそれは彼も同じなんだとわかった。
―初恋が、早くも失恋か…。
ゴクンッ!
蒼から貰った缶紅茶を一口飲み込んだ。
心なしか、いつもの紅茶がいつもと違う味がした。
「園子、おはよう。」
いつも通り席を取っていた園子に、蒼は普段通りに声を掛けてきた。
「うん。蒼、おはよう。はい、どうぞ。」
蒼の席に置いてあった自分のカバンをヨイショ!と退かした。
「園子、昨日楽しかった? 」
「うん、楽しかったよ。蒼、ありがとうね。」
園子は蒼を心配させないように、咄嗟に嘘をついた。
「ホント? 」
「ホント、ホント。」
「そう? それならいいんだけど…。」
園子は昨日の帰り際に自分と反対方向に帰る、どこから見てもお似合いの二人の後ろ姿を溜息を付きながら見えなくなるまで見送っていた。
その時の何とも言えない淋しい感情が、今また鮮明に蘇ってきた。
しかしその気持ちを蒼に悟られないように、頑張って平静を保っていた。
「…というわけで、今度からは自分で連絡してよ。
ねぇ、園子。聞いてる? 」
「えっ? 何? 」
蒼に腕を突かれて、ハッと我に返った。
そんな自分を、蒼は呆れたように見つめていた。
「だ・か・ら、これからは私を介してじゃなくて、直接園子が瑞樹と連絡取り合ってよね。」
「何で私が瑞樹さんと連絡取るの? 」
園子の素っ頓狂な返事に、再び蒼が呆れかえった顔で見つめていた。
「何でって、園子は瑞樹の彼女だからでしょ? 」
「…え? 」
ポカンとしている園子を、蒼は不思議な顔で見つめた。
「…ん? どうした? 」
「えぇっ⁈ 」
蒼の言った言葉の意味がやっと理解できた園子は、あまりの驚きに思わず椅子から立ち上がった。
「彼女ぉ~⁈ 」
突然の園子の大きな声に、教室に集まっていた学生が驚いたように一斉に自分の方に視線を向けた。
「あっ…」
園子は恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になった。
慌てて椅子に座り直し、声を潜めて蒼に尋ねた。
「…ねぇ、彼女なんて一体どういうこと? 」
「え? だって園子は瑞樹の彼女になりたかったんじゃないの? 」
蒼はあっけらかんと、園子に尋ねた。
「え~っ!
だって瑞樹さんて、蒼のことが好きなんじゃないの? 」
「はぁ? 何で? 瑞樹がそう言ったの? 」
蒼は怪訝な顔で、またまた問い掛けてきた。
「そうじゃないけど…。
瑞樹さんの雰囲気から、私はてっきり蒼のことが好きだって思ってたよ。」
「瑞樹が私を?
あ~、それは無い、無い。絶対に無いわ。」
自信タップリに答えた蒼を、園子は疑わしい目で見つめた。
「だからこれからは、園子が自分で連絡取ってよね。
はい、これ。瑞樹の連絡先。」
そう言って蒼は、園子に携帯の番号とメールアドレスが書いてある紙を手渡した。
「園子から連絡があったら、付き合いはオッケーだって言ってあるから。
勿論、オッケーよね? 」
蒼は確認を取ろうと、園子の顔を覗き込んだ。
「…。」
じっと紙を見つめながら黙り込んでいる園子の様子を見て、蒼は怪訝に思った。
「園子、どうした? 瑞樹と付き合いたいんじゃなかったの? 」
「…だって。」
チラッと蒼を見た園子は、明らかにどうしたらいいのか戸惑っている状態だった。
「…私、今まで男の人と付き合ったことないから、いきなり二人きりになるのはちょっと… 」
グズグズと煮え切らない園子に、蒼は心底呆れた。
「あのねぇ、園子。
もういい加減、男と付き合わなきゃダメなんじゃない?
あんた、もう大学二年よ。
今時の小学生でも、彼氏や彼女がいるよ。」
いつもと違う蒼のキツイ言い方に、少なからず園子はヘコんだ。
「…でも蒼。
前、瑞樹さんは私に合わないって言ったじゃない? 」
ヘコんでいる割には冷静な判断をしている園子にドキッとしたが、すかさず返した。
「あれは、初めはそう思っただけ。
でもボーリングの時の二人をみたら、いいんじゃないかと思ったの。
それに瑞樹は今、フリーだし。」
蒼の答えは、余り納得できるものではなかった。
昨日の蒼と瑞樹の雰囲気からは、自分よりも絶対に蒼の方が合っていると信じて疑わなかった。
「…園子? 」
心配そうに声を掛けてきた蒼に、園子はそのままズバリ聞いた。
「…ねぇ、蒼。瑞樹さんは私の事、好き…なの? 」
「えっ? 何でそんな事聞くの?
好きじゃなかったら付き合うって言わないんじゃない?
普通は。」
「でもあんな短時間で、瑞樹さんが私の事好きになったなんて思えないんだけど。
そりゃぁ、嫌われては無いだろうけど…。」
「…。」
いつもと違う、鋭い返しをした園子にじっと見つめられて、蒼はどう答えていいのかわからなかった。
暫く黙り込んでいた二人だったが、蒼の方が先に口を開いた。
「…そうね。
確かに園子の言うとおり、いきなり彼女と言われても戸惑うし…。
ましてや園子は、付き合うってこと自体が初めてなんだし。
じゃぁ、暫らくは友達として付き合ってみたら?
それからでもいいんじゃない? 彼女として付き合うのは。」
「うん、それなら納得。」
ニッコリと笑った園子に、蒼はホッと安心した。
「じゃぁ、蒼も一緒だからね。瑞樹さんと会う時は。」
「えっ! 私も一緒? 何で? 」
「だって友達なんだからいいでしょ?
ねぇ~、蒼。お願いっ! 」
手を合わせて一生懸命お願いしている園子を見て、蒼は渋い顔で溜息を付いた。
「…わかった。まるで保護者ね。
でも、暫くの間だからね、一緒に会うのは。
まぁ、そのうち園子の方が嫌になると思うけどね。
私が一緒に居るの。」
蒼はケラケラと愉快に笑った。
―そうかなぁ~?
園子は腑に落ちない気持ちで、笑っている蒼を見つめた。
「ねぇ、ねぇ。
早速なんだけど、蒼は今度の日曜日、空いてる? 」
中庭のベンチで日向ぼっこをしてる時、園子は瑞樹の連絡先が書いてある紙を手にしながらはしゃいでいた。
「日曜~? 」
蒼は面倒臭そうにスケジュール帳を開けた。
「あぁ~、残念ながら空いてる。」
そう答えた蒼に、
「何よぉ~、残念ながらって。」
園子は顔をプ~ッと膨らせた。
そんな園子を見た蒼は、思わず吹き出した。
「ホント、園子って見てて楽しい。」
ニッコリと自分に微笑んだ蒼の顔に、園子はいつものように時めいた。
―蒼のこんな顔、好きだな~。
園子はそう思いながら、蒼の微笑みに応えるように自分もニッコリと微笑み返した。
「う~ん、どうしよう…。
蒼が居る時にメールしとけば良かった…。」
園子はケータイを見つめながら、さっきから同じことを何度も呟いていた。
今度の日曜のお誘いメール送信するのに、かれこれ二時間は過ぎていた。
ベッドの上に座ってケータイを手にしながら、園子はずっと唸っていた。
『瑞樹さん、先日のボーリング楽しかったです。
ありがとうございました。
ところで、今度の日曜日、空いてますか?
蒼と三人で映画を見に行きませんか?
園子』
こんなメール内容、蒼が見たら絶対に笑うと確信していた。
『なぁに? こんな営業みたいな書き方。
もっと、色っぽく書きなさいよ。』って。
でも今の園子には、これがもう一杯一杯だった。
―顔を見るわけでもなし、声を聞くわけでもなし…。
何も恥ずかしいことは無い!
そう思いながら目を瞑って、送信ボタンを押した。
「あっ! ホントに押しちゃった!
くわぁ~! 」
園子はケータイを手にしながら、意味の解らない奇声で唸った。
恥ずかしくなってベッドに顔をボスッ!と埋めた途端、
~♪
返信のメロディが鳴った。
「えっ⁈ 」
慌ててケータイを見つめると、瑞樹からの返信だった。
「速っ! 」
生まれて初めての男の人からの返信を、園子はドキドキしながら開けた。
『園子ちゃん、メールありがとう。
ボーリング、楽しかったなら良かった。
日曜日の件、午後二時以降は大丈夫だよ。
また、連絡ください。』
「くわぁ~! 」
園子はメールを読み終わった途端、先程と同じように奇声を上げた。
顔を真っ赤にして携帯を握りしめながら、またベッドに顔をボスッ!と埋めた。
―この文面、瑞樹さんてホントに誠実でいい人かも…。
「くわぁ~! 」
園子は顔をもっと真っ赤にし、携帯を抱えながら布団の中に潜り込んだ。
―でもやっぱり二人きりって困っちゃうから、
蒼も一緒でホントに良かった。
蒼がいないと、まだまだ不安な園子だった。
約束の日曜日、園子と蒼が映画館の入り口で待っていると、待ち合わせ時間の五分前に瑞樹が現れた。
―うわっ!
瑞樹さん、今日もステキだぁ~!
全身流行を追ってなくて、自分というスタイルの中の所々に流行を取り入れている瑞樹のファションセンスは、蒼とよく似ていた。
「園子ちゃん、蒼。早かったね。」
「いえっ! 私達も今来たところですから! 」
咄嗟に園子は言った。
そんな園子を、蒼は『はぁ~?』と呆れたように見つめていた。
実を言うと、三十分前からここで待っていた。
もっとゆっくり行こうと言った蒼の声を無視して。
何だかすごくソワソワして、全然落ち着かなかったからだった。
保護者付きとはいえ、自分から誘った初めてのデートに、本当に瑞樹が来てくれるかどうかすごく心配だった。
そんな園子達を、瑞樹は面白そうに見ていた。
「何を見るか、もう決まってる? 」
「実はまだなのよ。
私は園子が見たいのでいいって言ってるんだけど。」
蒼はヤレヤレと呆れ顔で答えた。
「だって、皆が見たいっていうのが一番いいじゃない?
蒼は、ホントは何がいいの? 」
「う~ん、そうねぇ~。ホラーはイマイチ。
こ~ゆ~のは、二人だけのデートに見なさいよ。
あと恋愛物も。
そうやって削ったら何が残る?
アクション物かな? 」
バシバシ一人で決めていく蒼を見て、瑞樹は笑った。
―やっぱり、いい感じ…。
気が付くと、どこから見ても隙の無い理想のカップルの蒼と瑞樹を、他の人達が羨望の眼差しで見ていた。
どう見ても自分は、ただのお邪魔虫だった。
やるせなくなって、園子が「はぁ~… 」と溜息を付くと、
「どうした? 園子。」
溜息に気付いた蒼が、すかさず心配そうに声を掛けてきた。
こんなにも自分に優しい蒼にひがんだ気持ちになるのは、本当に失礼だと反省した。
「ううん、何でもない。
映画、何がいいのかなぁ~と思って。」
咄嗟に繕った自分に、瑞樹が尋ねてきた。
「じゃぁ園子ちゃんは、これとこれのどっちにする? 」
瑞樹が指差したものは、アクション物と邦画の歴史物だった。
「…やっぱり、アクションかなぁ?
これって今、話題になってるし。」
「じゃぁ、これにしよう。」
ニッコリと笑ったあまりにも素敵な笑顔の瑞樹に、園子はクラッと目眩がした。
映画を見終えた三人は、カフェテリアでお茶をすることになった。
「もう直ぐ、冬休みかぁ~。」
通りを行き交う人々を見つめながら唸った蒼に、瑞樹が尋ねた。
「蒼は田舎に帰るのか? 」
「う~ん、そうねぇ~。まだ決めてないけど…。」
蒼の実家は九州の鹿児島だった。
両親とお姉さんが一人いると、以前聞いた。
四つ年上のお姉さんはもう勤めしていて、名古屋で独り暮らしをしてる。
時々お姉さんが、こっちに遊びに来てるらしい。
蒼のお姉さんならきっと同じように、かなりの美人なんだろう。
前に聞いたら、『まぁまぁ、似てる。』と言っていた。
「園子ちゃんは、冬休みに何か予定ある? 」
不意に瑞樹が尋ねてきた。
「えっ? 私? 」
「うん。」
突然聞かれてオタオタしている園子を、瑞樹は面白そうに見つめていた。
「…特に決まってないけど…。」
「それじゃぁ、皆でスキーに行かないか?
もう一人、男を調達するから。」
「えっ! スキー? 」
園子は目をパチクリした。
―え~っ!
まだボーゲンレベルだよぉ~!
誘ってきた瑞樹さんは、勿論得意だろうけど…。
でも蒼は九州出身だから、ひょっとして…。
九州人が聞いたら怒りそうな訳の分からない理由で、わずかな望みを掛けて蒼に聞いてみた。
「蒼は、どれぐらい滑れる? 」
「ん? スキーは一応パラレルで滑れるけど。
でもスノボーは、まだ完璧じゃないな。」
―ガクッ!
そうだよなぁ~。
蒼って何でもできそうだし…。
「園子はどうなの? 」
すかさず聞いてきた蒼に、園子は言葉が詰まった。
「…。」
「えっ? 滑ったことない? 」
驚いている蒼に、もじもじと答えた。
「いや、あのぅ… 一応ボーゲンなら…。」
「何だ、滑れるじゃない。
ボーゲンができればどこでも滑れるよ。」
ニッコリと笑った蒼に、
「そ、そうかな? 」
園子はテヘッと照れ笑いをした。
「瑞樹さんはスノボーで滑るんですか? 」
蒼に褒められて嬉しかった園子は、自分達をじっと見ている瑞樹にニッコリと尋ねた。
「僕はどっちでも滑れるけど。
今回は皆スキーで滑るなら、スキーにしとくよ。
じゃぁ、四人で行こうか? 」
「はいっ! 」
満面な笑顔で、園子は元気良く答えた。
「じゃぁ、話がまとまったところで、私ちょっと…。」
そう言って園子は席を立ち、化粧室に向かった。
園子の姿が視界から消えると、蒼は渋い顔で瑞樹にぶっきらぼうに尋ねた。
「ねぇ、もう一人の男って、どんな奴?
もう目星が付いてんの? 」
「あぁ、同じバイトの奴だけどさ。
すごく人懐っこい奴だよ。
何か、柴犬みたいな感じっていうのかな?
愛嬌があって可愛い系。」
瑞樹は笑いながら、蒼の反応を面白そうに待っていた。
すると蒼は瑞樹の予想通り、ぶすっと機嫌の悪い顔になった。
「なにそれ?
何か園子に似たタイプねぇ~。
ふ~ん、ちょっと面倒だな。
で、その可愛い子は瑞樹のこと知ってんの? 」
「…いや。」
瑞樹はにやりと笑った。
「へぇ~、そうなんだ。
それよりも瑞樹、あんたどうすんの? これから。
就職先決まった?」
「…就職はしない。
実はアメリカに留学することが決まった。
あっちの大学院に行く予定。」
「へぇ~? それは初耳だわ。
あっちでどうすんの? このまま? 」
「…まだ、考え中。」
「そうなんだ。」
「それよりも、蒼の方はどうするんだよ?
このままか?」
瑞樹は急に真面目な顔をした。
「…どうしよっかなぁ~。」
蒼はグラスの中の氷を玩ぶように、ストローでカラカラと音を立てた。
「大学を変えるのもいいかも…ねぇ…。
ちょっと自信無くなってきた…。」
グラスの中の氷を見つめながら呟いた。
「あんなに蒼の事を慕ってる園ちゃんと、そんなに簡単に離れられるのか? 」
「…。」
黙り込んだ蒼を心配そうに瑞樹が見つめていると、ちょうどその時園子がトイレから戻ってきた。
「お待たせ~。」
明るい声を出しながら席に着いた園子は、何となく二人の空気が重いのに気が付いた。
「何かあった? 」
少し首を傾げてキョトンとした園子に、蒼はその場を取り繕うと咄嗟に微笑んだ。
「ううん。別になんでもないよ。
それより園子、スキーに一緒に行く男ね、可愛い系みたいよ。
柴犬みたいな人だって。
きっと園子に似たタイプね。」
それを聞いた園子は、興味津々に身を乗り出した。
「え~! 柴犬?
すごく可愛いじゃない⁈ 」
「そう。だから園子と気が合うかも…ね? 」
「えっ⁈
ちょっと蒼!
瑞樹さんの前でそんなこと! 」
園子は慌てて蒼を戒めた。
チラッと横目で瑞樹を見ると、含み笑っていた。
「ただいまぁ~。」
ご機嫌で自宅に着くと、母の興奮した声がリビング中に響き渡った。
「あっ! 園ちゃん、お帰り~っ!
ねぇ、ねぇっ! 大ニュース!
宝塚で今度『ベルばら』やるんだって!
これは絶対に見ないと損よ~! 」
「えっ⁈ マジ? 」
「そうなのぉ~!
こうなったら、何としてもチケットをゲットするわっ!
勿論、園ちゃんも行くわよね? 」
「うん!
私はまだ漫画でしか見たことないから、絶対見たい! 」
「わかった!
じゃぁ、ガンバってチケットをゲットするわね!
勿論、できるだけ前列で! 」
そう言って母は、握り拳を作ってガッツポーズをした。
「ん? ここどこ? 」
園子は黄金細工で装飾されている鏡の壁面がずっと続いている細長い空間で独り佇んでいた。
周りを見渡してみると、天井で輝いている多くのクリスタルのシャンデリアの光が壁面の鏡に反射し、この空間を明るく照らしていた。
そしてアンティークの調度品が所々に配置され、まるで中世の宮殿の一室のようだった。
「うわっ! 綺麗! 」
目を見張りながら辺りを見渡すと、豪華なドレス姿の女性達が自分の動きに合わせてぐるりと取り囲んでいた。
「わっ! すっごい、ドレス!
誰? 」
首を少し傾げて目を凝らしてじっと見てみると、あちらの人々も同じような仕草をしていた。
「え? これって…私? 」
顔が確認できる所まで鏡の壁面に歩み寄ると、それは間違いなく自分自身だった。
鏡に写っている自分は白くフワフワした髪を高く結い上げて、ブルーやピンクの羽飾りで装飾していた。
昔どこかで見たことのあるフランス人形のような、ふわりと膨らんだ裾の長い薄ピンクのドレスを着ている。
ドレスにはレースがふんだんに使われて、色とりどりのリボンがアクセントになっていた。
首にはキラキラと光るダイヤモンドのネックレス、耳にも大きなダイヤのイヤリングを付けていた。
両手を見ると長い白の手袋をして、手首にもダイヤの腕輪をはめていた。
改めて鏡の壁面で全身を見てみると、自分が中世の貴族のお姫様の様な格好をしていた。
「うわ~!
これって、まさにベルばらだ~! 」
感動しながらその姿を見続けていると、鏡に写った自分の後ろに一人の男性が佇んでいた。
長身な男性は長い黒髪を後ろで一つに束ね、白いフリルのブラウスの上に燕尾のようなジャケットを羽織り、細長くピッタリとした細身のパンツを履いていた。
そして靴は、踵の高い黒いヒール。
これも中世の貴族の男性のようなスタイルだった。
その男性の顔を目を凝らしてまじまじと見ると、正に知っている人だった。
「えっ⁈ …瑞樹さん? 」
驚いて振り返ると、ニッコリと微笑んでいる瑞樹が居た。
「瑞樹さん。
どうしてそんな恰好でここに居るの? 」
尋ねても彼は微笑んでいるだけで、そっと自分に右手を差し出した。
「えっ? 」
戸惑ってその場に立ち尽くしている自分の右手をふわりと取り、そしてそのまま空間の中央に移動した。
中央で互いに向き合うと何処からか音楽が流れてきて、彼は自分の腰を支えながらダンスを踊りだした。
なぜか自分も滑るような華麗なステップで上手に踊っている。
「わぁっ! すっごい! 」
自分の動きに驚きながら、夢心地でダンスを踊り続けてた。
「瑞樹さん、ダンスがすごく上手なんですね? 」
そう言いながら、再び彼の顔を見上げると、
「えっ⁈ …蒼? 」
瑞樹が、いつの間にか蒼に変わっていた。
ニッコリと自分に微笑んでいる蒼を、園子は驚いた目で見つめながらダンスを踊り続けていた。
「蒼… 」
じっと自分を見つめて視線を逸らさない蒼の顔が、近くまで迫ってきた。
―えーーーーっ⁈
顔を赤くしてドキドキしながら、蒼の瞳に吸い込まれるように園子は目を閉じた。
「園ちゃん! 早く起きなさいっ!
遅刻するわよ! 」
「わぁーーーーーっ! 」
大声を上げてベッドから飛び起きた。
「園ちゃん、どうしたの? そんな大声出して。」
ベッドの横で、ポカンとした顔の母が立っていた。
「あっ、夢かぁ…。」
独り言を言った園子は、大きな溜息を付いて布団にボスッと顔を埋めた。
「ほらっ、何やってんの?
ホントに遅刻しちゃうわよ!
早く着替えて、降りてらっしゃいっ! 」
母はそう言って、部屋から出て行った。
―…何て夢、見たんだろう。
「はぁ~… 」
再び園子は大きな溜息を付いた。
そしてさっきの夢の中の光景が再び脳裏に現れると、
「ぐわ~っ! 」
園子は大声で絶叫して、またボスッと布団に顔を埋めた。
いつもと違ってギリギリに登校した園子は、バタバタと慌てながら一限目の教室に滑り込んだ。
教室の中を見ると、既に蒼が席に座っていた。
―うっ!
蒼がもう先に来てる…。
すると今朝の夢がぼわっと、再び自分の脳裏に現れた。
―うわっ!
何、思い出してんの?
園子は気まずさを感じながら、蒼のいる席に移動した。
「…蒼、おはよう。」
成るべく蒼と視線を合わせないように、伏し目がちで声を掛けた。
「おはよう、園子。
珍しいね? 園子がギリギリなんて。」
「…うん、ちょっと寝坊したから。」
「へ~、そうだったんだ。
昨日、早く寝なかったの? 」
「ううん、早く寝たつもりなんだけどね…。」
「どうしたの? 園子。
さっきから目を逸らしてるけど。」
いつもと明らかに様子がおかしい園子の顔を覗き込んだ。
「うわっ! 」
いきなり間近に蒼の顔を見て、園子は思わず大声を出して後ろに仰け反った。
「ビックリした~!
どうしたの? 一体。」
首を傾げている蒼に、園子は戸惑いながら言った。
「ご、ごめん、蒼…。」
「別にいいけど…。
園子、ホントにどうしたの?
何か変だよ。」
「い、いやっ! まだ寝ぼけてるみたい。
ほんっとに、ごめんっ! 」
園子は頭を机に付ける位に下げて平謝りした。
「…まぁ、いいけどさ。」
そう言いながらも、蒼は相変らず怪訝な顔で自分を見つめていた。
そうこうしていると教授が教室に入ってきて、いつもの様に授業が始まった。
真面目に授業を聞いている相変わらず綺麗な蒼の横顔を、園子はチラッと横目で見た。
―何で、あんな夢見たんだろうなぁ~。
園子は授業をそっちのけで一人、悶々と思い巡らした。
冬休みに入って直ぐ、瑞樹との約束のスキーに出掛けた。
二人はバスの集合場所で瑞樹とその友達を待っていた。
「ねぇねぇ。柴犬君って、どんな感じなんだろうね? 」
園子はワクワクしながら二人を待っていた。
「う~ん。園子みたいに、可愛い感じなんだろうけどね。」
蒼はケラケラと笑った。
「あっ! あれ、瑞樹さんじゃない? 」
「あぁ、ホントだ。」
園子が指差した先に、確かに瑞樹ともう一人男性が見えた。
「園子ちゃん、蒼、お待たせ。」
相変わらずハンサムな瑞樹に、園子はニッコリと微笑んだ。
「瑞樹さん、こんにちは。」
園子はそう言って、瑞樹の隣にいる男性の方に視線を移した。
「園子ちゃん、蒼。
こっちがバイト友達の、榎本雄太。」
瑞樹が園子たちに紹介すると、雄太は確かに柴犬のような愛嬌のある笑顔で自己紹介を始めた。
「初めまして、榎本雄太です。
どうぞよろしく。」
満面な笑顔の雄太に、女性陣二人は好感を持った。
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
園子はニッコリと笑って頭を下げた。
「雄太さん、瑞樹に無理矢理、誘われたんじゃない? 」
蒼がからかうと、雄太は首を振って否定した。
「ううん、そんなことないよ。
ぜひって、言ったぐらいなんだから。」
そう言って、皆で大笑いした。
夜行バスで出発したバスは、朝には野沢温泉のスキー場に無事着いた。
「じゃぁ、二人とも、着替えたらさっきの場所に集合。」
瑞樹は園子と蒼のいる部屋に、ひょいと顔を出して声を掛けた。
「は~いっ! 」
元気よく答えた園子は、いそいそと嬉しそうに着替えだした。
元気のいい赤のウエアは、園子に良く似合って可愛らしかった。
「ねぇ、蒼のウエアはどんなの? 」
ウエアを取りだしている蒼を覗き込んで、園子が声を掛けた。
バッと広げたシルバーのウエアは、大人っぽい蒼によく似合いそうだった。
「へぇ~っ! 蒼のカッコいいね。」
「うん。これ、姉さんに借りたの。
私のウエアはちょっと古かったから。」
「えっ、お姉さんに会ったの? 」
「うん。
この前こっちに遊びに来た時に、持ってきてもらったんだ。」
「そうだったの?
え~っ! 私、蒼のお姉さんに会いたかったな~。」
園子は本当に残念そうな顔で、蒼に文句を言った。
「えっ、そうなの? 」
「そうだよ。だって、蒼によく似てるんでしょ?
だから一度会ってみたいなと思ってたの。」
園子はプ~と顔を膨らませた。
「そっか、わかった。じゃぁ、また今度ね。
あっ、園子。悪いけど先に行ってて。
あんまり遅いと、瑞樹が文句を言うから。
私、急いで着替えるわ。」
「うん、わかった。」
園子は元気よく部屋を出て行った。
「雄太さんって、瑞樹さんと同じ学年なんですよね? 」
園子が聞くと、雄太は犬のような愛嬌のある笑顔になった。
「そうなんだ。
瑞樹は大人っぽいから、隣に並んでいると僕は年下に見られがちなんだけどね。」
「お前は見かけだけじゃなくて、中身も子供なんだよ。」
瑞樹は肘で雄太を小突いてからかった。
「ははっ!
それより、園子ちゃんはどれぐらい滑れるの? 」
雄太は愛嬌のある笑顔で聞いた。
「あのう… まだボーゲンなんですけど…。」
園子が恥ずかしそうに答えているところに、蒼が合流した。
「ごめん、お待たせ~。」
「わぁ~! 蒼、カッコいいよぉ~!」
園子は蒼を見るなり、感嘆の声を上げた。
「そう? ありがと。
姉さんの借りものなんだけどね。」
「ホントだ。蒼に良く似合ってる。」
瑞樹が頷きながら言うと、蒼は少し驚いた顔をした。
「そう? ありがと。
瑞樹に褒められるなんて、思ってもみなかった。」
楽しそうに言い合っている二人を見て、雄太がそっと園子に耳打ちした。
「ねぇ、園子ちゃん。
蒼ちゃんは瑞樹の…彼女?」
「えっ⁈ あ~… 」
どう答えていいのか園子が躊躇っていると、
「それじゃぁ、園子は瑞樹と一緒に滑りなさいよ。
雄太さんは私と一緒に。」
蒼の鶴の一声が響き渡った。
「えっ? 皆で一緒に滑らないの? 」
驚いて蒼に聞き返した。
「だって、園子は瑞樹と一緒に滑りたいでしょ? 」
蒼はヤレヤレと呆れた顔をした。
「えぇ~っ! まずは皆で一緒に滑らない?
せっかく四人で来たんだから。」
「どうする? 瑞樹。」
蒼は瑞樹の意見を聞こうと振り返った。
「園子ちゃんはボーゲンができるから、大丈夫だろ。
まずは皆で滑るか。
雄太もそれでいいだろう? 」
「あぁ、僕もそれでいいよ。
ボーゲンが出来れば大体の所は滑れるし。」
「そう? 」
三人の意見が一致したので、蒼もそれに従った。
「じゃぁ、早速リフトに乗ろうか?
雄太さんは私と一緒に。」
蒼はニッコリと微笑みながら雄太を促した。
「うん。」
雄太は顔を赤くして蒼に従った。
「じゃぁ、園子。上でね。」
蒼は園子に意味有り気に微笑んで、雄太と一緒に先に行ってしまった。
憧れの瑞樹と二人きりになった園子は、戸惑いながらチラリと瑞樹の方を見た。
その視線に気づいた瑞樹はニッコリと園子に微笑んだ。
「園子ちゃん、僕らも、そろそろ行こうか? 」
「は、はいっ! 」
上擦った声で、真っ赤になりながら園子は答えた。
―蒼ったら…
私と瑞樹さんをわざと二人きりにしようとしてる。
それは確かにとっても嬉しいけれど、何だか蒼が自分を突き放しているように感じられて少しヘコんだ。
その後結局、蒼が始めに提案したようにずっと二組に分かれていた。
蒼と雄太、園子と瑞樹のペアだった。
蒼はやたらと雄太に声を掛けて、園子と瑞樹と離れる様に行動をし続けていたからだった。
丸一日滑り終わって夕食を終え、園子と蒼は部屋に戻っていた。
―蒼、雄太さんの事が気に入ったのかなぁ?
今日の蒼の行動から、そう思わずにはいられなかった。
そんなことを考えながらお風呂の支度をしている園子に、蒼が尋ねてきた。
「園子。瑞樹にパラレル教わって、どうだった?
だいぶ滑れるようになった?」
「う~ん、まだ完璧じゃないけど…。
結構滑れるようになったよ。
でもカーブの所がまだダメかなぁ~?
ねぇ、蒼。早く温泉に行こうよ。
ほら、支度して。」
お風呂セットを抱えながら、園子は蒼を急き立てた。
「う…ん。
それがねぇ~、今日ちょっと足首を痛めたんだ。
だから私、今日温泉は止めて、部屋にあるシャワーにしとくわ。
園子、悪いけど一人で行ってきて。」
「えっ⁈ 蒼、大丈夫?
湿布薬をフロントで貰ってこようか? 」
「そんなに酷くは無いから大丈夫だよ。
ありがと、園子。」
オロオロと心配している園子に、蒼は安心させようと微笑んだ。
「う…ん。でも帰りにフロントで湿布薬を貰ってくるから。
蒼、無理しないでね。」
「わかった。ゆっくり入っておいで。
せっかくの温泉なんだから。」
「う…ん。じゃぁ、行ってきます。」
微笑みながら送り出している蒼を気にしながら、園子は温泉に向かった。
「ふ~っ、いいお湯だったなぁ~。
蒼と一緒に入れたら良かったのに…。
残念だったなぁ~。」
フロントで貰った湿布薬を手にしながら、園子は蒼が待っている部屋に向かっていた。
庭の街灯の光が雪で反射して、ほんのり明るい外の雪景色を見ながら廊下を歩いていると、外に二人の男女が居ることに気付いた。
―あれ?
蒼と瑞樹さん?
思わず立ち止まって、窓越しの二人をじっと見つめた。
二人の表情から、何やら楽しい話をしているようだった。
そんな二人は誰が見ても、とてもお似合いのカップルに見えた。
「何か、あの二人。ホントに似合いのカップルだね。」
「えっ? 」
突然後ろから聞こえてきた声の主に驚いて振り返ると、雄太がしょんぼりとした顔で立っていた。
「何だ、雄太さんか。ビックリした。」
「あっ、ごめん。驚かせて。」
「雄太さんもそう思った?
私はいつもそう思ってるんだ。
でも蒼は、私と瑞樹さんをくっ付けようとしてるんだけどね。
私が瑞樹さんの事を憧れているって言ったから…。
…ホントは蒼の方が瑞樹さんとお似合いなのに。」
「…そうだったんだ。」
雄太はガックリと肩を落とした。
「えっ? 雄介さん、蒼のこと好きなの? 」
園子はびっくりして雄太の方を見た。
「…うん。今日一日、ずっと傍にいて…さ。
それでこれからも会いたいって言ったら、忙しいから無理って断られちゃったよ。
そうかぁ~。
瑞樹が相手じゃ、かないっこないよ。
早くも玉砕かぁ~。」
大きな溜息を付きながら、雄太はフラフラと自分の部屋に戻っていった。
―蒼は瑞樹さんの事、本当はどう思ってるんだろう?
私があんなこと言ったから、
蒼は本当の事が言えないんじゃないかな?
『でも初めに言っとくけど、
私は瑞樹の事、何とも思ってないから。』
『瑞樹が私を?
あ~、それは無い、無い。絶対無いわ。』
「…。」
園子も雄太と同じように大きな溜息を付き、ギュッと湿布薬を握り締めながらトボトボと部屋に戻っていった。
「あっ、園子。もうお風呂から上がってたんだ。」
部屋の扉を開けた蒼は、園子のスリッパに気づいて声を掛けた。
「うん。とっても気持ち良かったよ。
蒼と一緒に入れたら、もっと良かったけど。」
そう言いながら、園子はフロントで貰った湿布薬を蒼に差し出した。
「あっ、ありがと。」
蒼はニッコリ笑いながら湿布薬を受け取った。
「早く良くなるといいけど…。明日も滑るんだから。」
「たぶん、明日は大丈夫だよ。
じゃぁ、明日に備えて、そろそろ寝よっか? 」
蒼は襖を開けて布団を敷き出し、それにならって園子も一緒に敷き出した。
「ねぇ、蒼。初めに謝っておきたいんだけど…。」
布団を敷きながら、園子は顔を赤くして徐に話し出した。
「何? 」
蒼が首を傾げると、園子はモジモジと恥ずかしそうだった。
「実は私ね…すごく寝相が悪いんだ。
だからもしかして、蒼を蹴っちゃうかもしれない。
もし本当に蹴っちゃったら…ごめんね。」
すると蒼は吹き出して笑い出した。
「何だ、そんな事。
別にいいよ、気にしなくて。
園子の力じゃ、蹴られてもたいして痛くないよ。
もっと大変なことだと思った。」
「う…ん、ありがと。」
微笑んだ蒼の顔を見て園子はホッとし、そしてとても嬉しかった。
バタンッ!
「えっ! 何? 」
二時過ぎの真夜中、横で突然大きな音がして、蒼はハッと目を覚ました。
音がした方を見ると、浴衣の裾を捲り上げて太腿を露わにしながら布団からはみ出ている園子だった。
当の本人は、何事も無くグッスリと眠っていた。
「…こういうことか。」
蒼はパンツ全開のそんな園子を見て、思わずプ~ッと吹き出した。
「やれやれ…。」
蒼は園子の露わになっている太腿に、そっと布団を掛け直した。
「あ… 蒼、おはよう…。」
まだ頭の中がハッキリしない寝ぼけ眼の園子は、目を擦りながら既に着替えを終えて自分に微笑んでいる蒼と目が合った。
「おはよう、園子。
そろそろ着替えないと、朝食の時間になるから。
私、先に行ってるから。」
「…うん、わかった。直ぐ着替える。」
園子は部屋を出て行く蒼を、まだボーッとした顔で見つめながら返事をした。
―蒼が何にも言ってこないから、
昨日はかろうじて寝相が良かったかな?
園子はぼんやりとそう思った。
そしてまだ完全に目が覚めていない状態で、のそのそと着替え始めた。
二日目は四人で滑ることになった。
昨日の瑞樹の特訓のお陰で、園子のパラレルも何とかサマになった。
しかし急な坂は、やっぱりボーゲンでなくては不安だった。
暫らく皆で中級コースを滑っていたが、やはり上級者の三人にとっては物足りなくなっているように園子は思えた。
自分が足を引っ張っていることに引け目を感じ、園子は勝手に自分から上級者コースのリフトに一人で乗り始めた。
それを見た蒼は驚いて声を掛けた。
「園子! それは上級者コースのリフトだよ! 」
「大丈夫だって。ボーゲンだったらどこでも滑れるし。」
「…ったく。」
ニッコリと笑いながら遠ざかっていく園子を追うように、蒼も急いでリフトに乗り込んだ。
「ぐわっ! 何、これっ!
メチャクチャ急じゃん! 」
リフトから降りて坂の下を覗き込んだ園子は驚きながら第一声を上げた。
断崖絶壁と思われるぐらいの真っ逆さまな坂を見て、思わず足がブルブルと震えた。
おまけにこの急な坂は、アイスバーンのコブ続きだった。
どうやって降りようかと考えているところに、蒼が到着した。
「園子! 何、無茶してんの⁈
この上級者コースは、今はアイスバーンだから危険なんだよ! 」
「う…ん。そうみたい。
でも頑張って降りるしかないよね? 」
「…そうね。」
怖気づいている園子に、蒼は溜息を付きながら答えた。
「とにかく園子。
思いっきり足を広げて、雪を削りながらズリズリ降りな。
私が先に降りて、見ててあげるから。」
「…わかった。」
園子がコックリ頷くと、蒼はニッコリと笑ってコブを連続ジャンプしながら華麗に滑って行った。
「ひゃぁ~! 蒼、すっごいっ! 」
余りにも華麗な滑りに感動しながら、降りて行く蒼を見送った。
はるか彼方で手を振っている蒼を目指して、園子は足を思いっきり開いて、ゴリゴリと氷を削るように、ゆっくりと慎重に降りていった。
ずっと足に力を入れながら滑り降りていたので足が疲れてしまい、所々休みながら降りて行った。
そうやって半分ぐらい無事に降りてこられたので、ホッと安心した。
―ここからだったら、もうパラレルで降りられるかな?
園子は昨日の特訓の成果を蒼に見ようと、パラレルで滑り始めた。
思ったよりも上手く滑れたので、得意になってスピードを上げた。
ゴリッ!
―えっ?
スキー板が鈍い音を立てた途端、園子は足を取られて物凄いスピードで滑り始めた。
運悪く、むき出しになっていたアイスバーンの上を滑ってしまっていた。
「キャァァァーーーーッ! 」
加速し続けてコントロールが不可能になった状態の園子は、顔を真っ青にしながら直滑降していた。
「園子‼ 」
物凄いスピードに足がガクガクして、まるで棒のように突っ張った状態になっていた。
もはや自分で止まることは全く不可能だった。
「園子! 転んで! 」
必死で叫んでいる蒼の声が聞こえたが、このスピードでは怖くて到底それも無理だった。
すると見開いた目の中に、サッと人が飛び込んできた。
ドカンッ!
「キャアァァーーーーッ! 」
園子は飛び込んできた蒼にぶつかって、ゴロンとだるまのように転がった。
「アタタタターーーーッ!」
「園子! 大丈夫⁈ 」
「…うん、何とか。」
今の状況がやっと呑み込めて冷静になっていると、自分は蒼によって抱き起されていた。
そして目の前には、どアップの心配顔の蒼がいた。
―わわわわわぁぁぁーーーーっ!
どこから見ても綺麗な心配顔の蒼いに見つめられて、園子は思わず顔が真っ赤になった。
そんな園子をいたわるように蒼が聞いてきた。
「どっか痛い所、無い? 」
「…うん。今のところ、大丈夫みたい。」
「良かった。」
ふわっ!
―えっ?
気づくと園子は、蒼にギュッと抱きしめられていた。
―わわわあぁぁーーっ!
突然抱きしめられて動揺したが、その大きな胸の心地良さに思わず自分もギュッと蒼を抱きしめていた。
温かなその胸の中で、園子は囁いた。
「蒼… 」
「ん? 」
蒼はそっと園子を解き放して顔を覗き込んだ。
キョトンとしている蒼を、園子は顔を赤くして見つめた。
「…ありがとう。
それと本当に…ごめんなさい。」
蒼は園子の乱れた前髪をそっと整え、ニッコリと微笑んだ。
「そんなこといいよ。
園子に怪我が無くて、ホントに良かった。
立てる? 」
蒼は立ち上がると、園子にスッと大きな手を差し出した。
「…うん。」
園子は満面な笑顔で、差し出された大きな手をしっかり握った。
充分反省した園子は、今度は蒼と一緒にゆっくりと降りた。
そして下で心配な顔をして待っていた瑞樹と雄太に、やっと合流できた。
「園子ちゃん、大丈夫だった? 」
「はい。蒼に助けて貰ったので大丈夫です。」
園子はニコニコ嬉しそうに蒼を見つめた。
「そっか。なら良かった。」
瑞樹は意味有り気に蒼の方に振り返って、ニヤッと笑った。
すると蒼は少し顔を歪めて睨んだ。
「どうしたの? 二人とも。」
園子はキョロキョロと、二人を不思議そうに見つめた。
「いや、園子ちゃんが無事で何よりだったよ。」
瑞樹はニコッと微笑んだ。
「…うん、ありがとう。」
二人の不自然な様子が解らなくて、園子はただ頭を捻るだけだった。
スキーからの数日後、園子は母と一緒に宝塚の『ベルばら』の観劇を終えて通りを歩いていた。
―あれっ? 蒼?
馴染みのイタリアンのオープンカフェで、蒼らしき人がお茶をしている姿を見かけた。
「どうしたの? 園ちゃん。」
立ち止まった園子を、不思議そうに母が尋ねてきた。
「あっ、うん。
ちょっと本屋さんに寄りたいから、ママ、先に帰ってて。」
「そう? じゃぁ、先に帰ってるわね。」
母と別れた園子は、蒼が一体誰と一緒なのか見てみたいと思い、そっと近づいた。
―あれ? どっか蒼に似てる女の人だ。
もしかしてお姉さん?
園子は以前から蒼のお姉さんに会いたいと思っていたので、ついつい声を掛けてしまった。
「蒼。」
「えっ⁈ 」
蒼はびっくりして声の主に振り返った。
「あっ! 園子… 」
蒼の少し困ったような顔を見て、園子は声を掛けてまずかったと思った。
「…ごめん。ちょっと蒼を見かけたから…つい。」
本当に申し訳なさそうな顔をした園子に、蒼は慌てて否定した。
「ううん、そんなことないよ。」
園子を安心させようと、蒼はニッコリと微笑んだ。
「ほんと? 」
首を少し傾げて、疑った目で蒼を見ていると、
「蒼、この子が園子ちゃん? 」
蒼の隣に座っている女性が微笑んでこちらを見ていた。
「あっ! はい。私、茅花園子です。」
慌てて頭を下げて挨拶した園子を、彼女はクスッと含み笑った。
二人は改めて面と向かってご対面した。
―やっぱり似てる~!
蒼のお姉さんだぁ~!
感動していると、向こうも自己紹介してきた。
「こんにちは、初めまして。蒼の姉の麗菜です。
いつも蒼がお世話になってます。」
蒼に負けず劣らない美貌の麗菜を目の前にして、蒼の時と同じように感動してボーッと見つめてしまった。
「園子? 」
蒼に声を掛けられて、ハッと我に返った園子は照れ臭そうに笑った。
「ごめん~。
お姉さん、蒼とよく似てたから、つい見とれちゃった。」
正直に思ったことを口にすると、麗菜はクスクス笑った。
「あっ! すみません。
…変なこと言って。」
慌てて訂正しても、麗菜の顔にはまだ笑いが残っていた。
「ううん。私達、良く似てるって言われるから。
それよりも園子ちゃんって、とっても可愛い。
フワフワしたピンクの綿菓子みたい。」
麗菜は蒼を見て意味有り気にクスッと笑った。
すると蒼は顔を少し歪めた。
「蒼に会いに来たんですか? 」
「そう。たまには顔を見ないとね。」
ニッコリと微笑んでいる麗菜を本当に綺麗な人だと感動してると、麗菜の横にある大きな紙袋が目に付いた。
「お買い物してたんですか? 」
「えっ? うん、そう。
蒼の買い物に付き合ったの。
私はスキーウエアを取りに来たんだけどね。」
麗菜は蒼の隣にある大きな紙袋を指差した。
「そうでしたか。
お姉さんのウエア、とってもステキでしたよ!
蒼に良く似合ってました! 」
興奮気味な園子を、麗菜は本当に楽しそうに見つめていた。
「あっ、ごめんなさい。せっかく久しぶりの姉妹対面なのに。
すみません。私、これで失礼します。」
園子が恥ずかしそうに頭を下げて立ち去ろうとした。
「園子ちゃん、会えてとっても嬉しかった。
また…ね。」
麗菜はニッコリと微笑んだ。
「はいっ! また会えるのを楽しみにしてます。」
満面な笑顔でぺこりと頭を下げて立ち去っていく園子を、麗菜は手を振って笑顔で見送った。
「とっても、いい子じゃない。
私は好きだな~、園子ちゃん。」
麗菜はニンマリと笑いながら、蒼の方を振り返った。
「…うん。」
蒼はふてくされた顔で麗菜をじろっと見た。
「わかった、わかった。ごめん、ごめん。
それでさっきの続きだけど、ホントに大学を変えるの? 」
「…うん。そうした方がいいと思って…。」
麗菜は蒼を見つめながら、はぁ~と大きく溜息を付いた。
「…何か、悪かったわね。
こんなことになるなら、あんなこと言わなきゃ良かった…。」
「そんなことないよ、姉さんのお陰で分かったことだから。
感謝してる。
でも、これ以上はちょっと… 」
渋い顔の蒼に、麗菜はまた大きく溜息を付いた。
「…まぁ、父さん達には編入の件、上手く言っといてあげるから。」
「…ごめん、よろしく…。」
気落ちしている蒼に、麗菜はふっと微笑んだ。
「まぁ、私としては、いい傾向だと思うけどね。
それじゃぁ、私、そろそろ行くね。」
麗菜はスキーウエアの入った大きな紙袋を持って立ち上がった。
「姉さん、服ありがと。助かった。
お金もかかるから、なかなか買うことできないし。」
「どういたしまして。また、持ってくるわ。
じゃぁ、またね。」
麗菜はニッコリと笑いながら、レシートを持って立ち去った。
蒼は姉の後姿を見送りながら、ボンヤリとこれからの事を考えていた。
特別何があるという訳でなく、平穏無事な毎日を園子は過ごしていた。
相変わらず自分の隣には、大好きな蒼が居た。
あのスキーのハプニング以来、園子はますます蒼を必要として、いつも蒼の隣にくっ付いて歩いているという感じだった。
蒼もそんな園子に対して少しも嫌な顔を見せずに、いつも一緒に居た。
「園子。瑞樹と最近、連絡取り合ってる? 」
ランチの時、蒼が徐に尋ねてきた。
「えっ? うん。メールはしてるよ。
でも何か、瑞樹さん忙しそうだよ。」
あっけらかんとしている園子に、
「ねぇ、園子はそんなことでいいの? 」
蒼が真面目な顔で尋ねてきた。
「えっ? そんなことって? 」
キョトンとしている園子に、蒼は呆れた様にふう~と溜息を付いた。
「まぁ、園子がそれでいいならいいけど…。」
「え? 」
相変わらずキョトンとしてる園子を、蒼はヤレヤレと見つめた。
「ねぇ、蒼。
もうすぐ春休みになるから、一緒にどっか行こうよ。」
ニコニコと嬉しそうに旅行雑誌を見ながら話をしている園子に、蒼はこれ以上、秘密にしていられなくなった。
そして今が話す時だと思った。
「…園子、あのね… 」
「うん、なぁに?
どっか、お勧めある? 」
身を乗り出してきた園子に蒼は一瞬躊躇したが、気持ちを奮い立たせた。
「…ちょっと、大事な話がある。」
「えっ? 何々?
もしかして都合悪い? 」
大きな目を見開いてじっと自分の顔を覗き込んでいる園子に、蒼は少し間を置いた後、声を低くして話し出した。
「…実はね、園子。
私、この大学を辞めて…別の大学に編入する。」
「…え? 」
蒼の言ったことが理解できなくて、大きな目を見開いて首を傾げた。
そんな園子の視線を避ける様に俯いた蒼に、園子は尋ねた。
「え? 蒼。今、何て言った? 」
「…この学校を辞めて、来年度から違う大学に行く。」
「えぇーっ! 何で? 何でいきなり⁈
ねぇ、蒼ぃっ! 」
園子は身を乗り出して、蒼の腕を強く掴んだ。
「ここでは勉強できないことを、新しい大学では勉強できるから…。」
「…そんな… そんなぁーっ!
蒼、考え直してよ! 」
園子は蒼の腕を強く握り、視線を逸らし続けている蒼の顔を凝視した。
園子は絶望的な顔で、蒼の腕をギュッと掴んだまま放さなかった。
「うわーーーーーんっ! 」
園子はベッドに顔を埋めながら、ずっと泣き続けていた。
今までこんなに仲良くなった友達はいなかった。
ずっと一緒に大学生活を送れると思っていた園子にとって、蒼の突然の大学編入話は、正に青天の霹靂、寝耳に水だった。
またそれ以上に、自分がこんなにも蒼に依存していたことを身にしみる程思い知らされた。
「…園ちゃん、どうしたの? 具合悪いの? 」
夕食も食べずに部屋に引きこもっている園子を心配して、母がドアの向こうから声を掛けてきた。
「何でもない… 何でもないからっ! 」
今までに一度も無かった園子のけたたましい怒鳴り声を聞いて、母は心配しながらも、そっとドアの外に夕食を置いて下に降りて行った。
「うわーーーーんっ!
蒼のバカぁーーーーっ! 」
家中に響き渡る園子の絶叫声に、母は溜息を付きながら二階を見つめていた。
「…失恋かしら? 」
母はボソッと呟いた。
次の日いつもの様に登校した蒼は、教室に園子の姿が無いことに気付いた。
普段なら自分より先に登校して席を取っておいてくれる園子だったが、結局その日は一度も学校に姿を現さなかった。
蒼は溜息を付いて携帯を見つめ、瑞樹の番号に電話をかけた。
するとスリーコールで、瑞樹の心配声が返ってきた。
「蒼、どうした? 」
「う…ん。
ねぇ、瑞樹。園子から電話、掛かってきた? 」
「園子ちゃん? いや、掛かってきてないけど…。
何かあったのか?」
瑞樹の探るような声が返ってきた。
「…実は園子に昨日、編入の話をして…。
そうしたら今日、学校に来なかった。」
「話したのか⁈ 」
瑞樹の驚いた声が返ってきた。
「…もうタイムリミット。」
「そうだな…。」
暫らくの間、沈黙が流れた。
「…実は僕も、そろそろ園子ちゃんに言わないといけないと思ってた。」
「留学の話? 」
「あぁ。」
「…そう。
瑞樹までがそんなこと話したら、園子、本当に落ち込んじゃうわね。」
「そうだな…。
園子ちゃんもそうだけど、蒼は大丈夫なのか? 」
瑞樹が心配そうに聞いてきた。
「…まぁねぇ…。
正直…結構堪えた。」
蒼の悲しそうな笑い声を聞いて瑞樹は心底心配になったが、自分は何の助けにもなれないことを充分わかっていた。
「…辛いな。」
しんみりとした瑞樹の言葉が、蒼の心の奥底に響いた。
「…そうね。」
二人は互いに大きく溜息を付き、視線を宙に向けていた。
蒼は園子の携帯番号をじっと見つめていた。
結局、二年次の最終日になっても園子は登校しなかった。
蒼は園子の携帯に電話を掛けようと指を伸ばしたが、パタンッ!と携帯を閉じた。
~♪
携帯の着信メールの音が鳴った。
ベッドに寝そべっていた園子は、のっそりと携帯に手を伸ばした。
見ると瑞樹からだった。
―えっ! 瑞樹さん?
慌ててメールを開くと、
『園子ちゃん、久しぶり。
ちょっと話があるんだけど、会えないかな? 』
―どうせ蒼との事よね?
仲直りしろって。
気が進まなかったが会うことにして、瑞樹に返信した。
今日は普段よりは温かな日和だったので、馴染みのオープンカフェの外で瑞樹を待った。
「園子ちゃん。」
肩を叩かれ振り向くと、久しぶりの瑞樹の顔だった
「瑞樹さん、久しぶり。
忙しいの、もう落ち着いたんですか? 」
「うん、まあね。」
そう言いながら、瑞樹は園子の向かいに座った。
何となく瑞樹の表情がいつもと違うなと感じながらも、園子は普段通り話し掛けた。
「瑞樹さん、話したいことって…? 」
「…うん。」
そう言ったきり瑞樹は少し間を置き、躊躇しながら話し出した。
「…実はね、園子ちゃん。
ここ最近忙しかったのは、アメリカの大学院に進学するために準備していたからだったんだ。」
「えぇっ⁈ アメリカ?
瑞樹さん…アメリカに行っちゃうんですか? 」
思ってもみなかった瑞樹の言葉に、園子は耳を疑った。
「…うん。入学は九月からだけど、それまでは語学留学っていう名目で四月前には 渡米する予定なんだ。
だから、もうそろそろ渡米しないといけない。」
「…そう…なんですか…。」
寝耳に水ということは、正にこのことだ。
蒼といい瑞樹といい、自分が大好きだった人が続けざまにいなくなってしまう。
何も言うことが出来ず黙り込んで俯いている園子に、瑞樹はどう声を掛けていいか分らなかった。
そんな無言の二人に、身に染みるような冷たい風が二人の間をサァッ!と吹き抜けて行った。
その風は、園子の身も心も更に冷たくしていった。
桜が咲き誇る四月。
キャンパスでは満開の桜の下で、学生たちがのんびりと日向ぼっこをしたり、たわいも無いお喋りをしていた。
三年生になった園子は、毎日気が抜けた様にボンヤリと過ごしていた。
これまでいつも自分の隣は一番大好きな人で埋まっていた。
今ではその隣がポッカリと空いている。
こんなに気持ちのいい暖かな季節なのに、園子の心はまだ真冬のように冷えていた。
天気のいい日に、蒼といつも一緒に座っていた中庭のベンチで、楽しそうに騒いでいる学生たちを羨ましそうに眺めていた。
この前まで自分も毎日楽しく過ごしていた。
それが今では遠い日の出来事の様にとても懐かしい。
蒼の存在が自分にとってこれ程大きなものだったとは、今更ながらに改めて思い知らされた。
蒼を思い出す度に、知らず知らずに涙を流している自分に気づいた。
―もしかして私、蒼に恋をしてたのかな?
瑞樹さんじゃなくて…蒼に。
「はぁ~…。」
大きな溜息を付いて俯くとアリが二匹、仲良さそうに自分の足元でウロウロしていた。
足先でアリの行く道を通せんぼして意地悪をしていると、男物の大きなスニーカーが自分の視界に入ってきた。
―ん?
「園子。」
―えっ⁈
聞き覚えのある懐かしい声が聞こえて、思わずそのスニーカーの人物の方に顔を上げた。
「えっ⁈ 」
見開いた目の中に入ってきたのは、
「蒼⁈ 」
自分の目の前には髪を短く切って、まさに男になっている蒼だった。
「えぇーーーーーーっ! 蒼ぃーーーっ⁈ 」
照れ臭そうに頭を掻きながら笑っている蒼に、園子の目はくぎ付けだった。
「なっ、何でぇーーーー⁈
蒼が男になってるぅーーーーーーっ! 」
前のように化粧はしていないが、どこから見ても以前の美人の蒼だ。
いや、美形のハンサムというべきなのだろうか?
蒼は男の格好で、自分を微笑みながら見つめている。
前のように自分を優しく見つめていた、あの蒼の瞳だった。
ズギューーーーンッ!
―やられた…。
…直球ど真中…。
目を白黒させていたかと思うと、今度は真っ赤な顔になっている園子を、蒼はクスッと笑って園子の隣を指差した。
「ここ…座っていい? 」
「えっ⁈ あ、どうぞ…。」
スッと自分の横に座った蒼を、園子は顔を赤くして大きな目を真ん丸にしながら見つめた。
反対に蒼は以前から見せていた優しい眼差しで、自分を見つめていた。
園子はそんな瞳に躊躇いながら口を開いた。
「あの…蒼、ちょっと私、頭が混乱してる。
一体どうなってんの? 」
「…うん、どこから話したらいいのかな?
まず先に言っておくけど…
僕、神林蒼は正真正銘の男…ってこと。」
そう言って、蒼はニコッと笑った。
「はいぃ~~~~?
男って、蒼!
一体、何でそんなことになるの⁈
蒼は美人の女じゃない! 」
園子が興奮のあまり立ち上がって、一方的に捲し立てると、
「う…ん。まぁ、ちょっと理由があって…さ。
長くなるけど聞いてくれる? 」
蒼は園子が座っていた場所を指差しながら言った。
「う…ん、聞く。」
ストンと大人しく座って蒼と向き合った。
ニッコリと笑った蒼は、ゆっくりと話し始めた。
「…僕さ、高校の時までずっと女の子に興味がなくてさ…。
でも始めに言っておくけど、別に男に興味があるってわけじゃないんだ。
何か女の子って、ホントによく分からなくて…。
まぁ、それだけならいいんだろうけど…。
ちょっと嫌なことがあってさ…。
高校の時、僕のこと好きだって言った子がいてさ…。
思い余ったのかなぁ…?
僕に迫ってきて…ね。
それから女の子のことが、すごく怖くなって…。
恐怖症っていうのかな?
学校にも行けない状態になって…。
そんな状態の僕を姉さんが心配したっていうか…
大学入ったら、女として暮らしたらどうかって。
そうすれは、そんな女ばかりじゃないってことがわかるって言ったんだ。
姉さんのこの案、ハッキリ言って凄いことだよね?
園子も、何でそんなことしなくっちゃいけないんだと思うよね? 」
ポカンとした顔で聞いている園子に、蒼は苦笑いをしながら話し続けた。
「でもこのままでは前に進むこともできないから、半信半疑で姉さんのアドバイス通り過ごしてみたんだけど…。
入学式の時、他の女の子達と違う園子に思い切って声を掛けて…。
そうしたら園子は今まであった女の子とは全然違って…。
面白くて…とっても可愛かった。
でも園子が僕を信用しきっているから、本当の事が言えなくてさ…。
もう限界になって、園子から離れようと決心したんだ。」
話を聞き終えた園子は、はぁ~と大きく溜息を付いて、蒼としっかり向き合った。
「…でも蒼は、またここに現れてくれた…。」
じっと真剣な瞳で見つめている園子に、蒼は顔を歪めた。
「…うん。
園子とこのまま離れたくないって…わかったから。」
「そっ…か。
ごめん、蒼。まだ頭の中が混乱してるけど…
でも蒼とまたこうやって会えて、とっても嬉しい! 」
最高の笑顔で微笑んだ園子に蒼は眩しそうに微笑んだ。
「蒼~! 待ったぁ~? 」
駆け足で近づいてきた園子に、蒼はニッコリと微笑んだ。
「ううん、そんなことないよ。」
園子は蒼の隣にスッポリと収まると、満足そうに微笑んだ。
前方のベイブリッジが見渡せる波止場で、二人は嬉しそうに微笑み合った。
五月のこんなに天気が良くって暖かい日は、自然と心がウキウキした。
こうやって真っ青な空を眺めていると、先日までのつまらなかった日々が嘘のようだった。
いや、それだけでない。
今自分の隣には、いつも一緒に行動を共にしていた大好きな蒼がいるからだった。
二人は青い海に浮かんでいる船を見ながら、この一緒にいる時間を心から楽しんでいた。
「蒼。新しい大学、どう? 」
「うん。まぁまぁ、かな? だいぶ慣れてきた。」
「そっか~。良かった。」
「園子の方は? 」
「うん、相変わらずだよ。
でも専門科目になったから、真面目に聞かないとね。」
テヘッと笑った園子を、蒼は愛情一杯に見つめた。
その時、春一番のような強い風が突然吹き荒れた。
ビューーーーッ!
強い風は園子のスカートをぶわっと大きく捲り上げた。
「きゃあぁぁぁーーーーっ! 」
園子は大声を上げて、慌ててスカートを押さえた。
「…見た? 」
顔を真っ赤にしながら、横目で恐る恐る聞いた。
そんな園子が可笑しくて、瑞樹は思わず吹き出した。
「な、何よぉ~!
こんな時に笑うなんて~っ! 」
恥ずかしいのか、怒れたのか。
そんな思いが入り混じった園子は、顔を赤くしながら文句を言った。
「ごめん、ごめん。
別に今日が初めてじゃないから。
…園子の下着を見たの。」
「…。」
一瞬、蒼が何を言ったのか分らず、ポカンとした園子だったが、ハッと我に返った。
「えぇっ⁈ 何時、何時? 一体何時~⁈ 」
蒼の腕を強く握り締めながら問い詰めた。
「瑞樹たちと一緒にスキーに行った時。
園子、浴衣を腰まで捲り上げて布団から飛び出してたんだよ。
僕が布団を掛け直したんだからさ。」
蒼はその時の情景を思い出して、大声で笑い出した。
「えぇーーーーっ⁈ 」
園子は忽ち茹でた凧のように真っ赤になった。
―…やっぱり、寝相が悪かったんだ…
園子は撃沈したように、ガックリと項垂れた。
「そうだ、園子に見せたいものがあったんだ。」
そんな園子を慰めようと、蒼がポケットから手紙を取りだした。
瑞樹からの手紙だった。
「えっ、何?
アメリカに居る瑞樹さん? 」
さっきの落ち込みが嘘のように楽しそうに文面を読んでいる園子を、瑞樹は含み笑いをしながら見つめていた。
「瑞樹さん、頑張ってるみたいだね~。
元気そうで良かった。」
すると封筒の中から、写真が一枚出てきた。
「ん? 」
園子は出てきた写真を、じっと凝視した。
「はぁ~~~~っ⁈ 」
写真には背の高いハンサムなアメリカ人の隣で、髪を肩まで伸ばしてミニスカートをはいているナイスバディーの瑞樹がニッコリと手を振って笑っていた。
「ちょ、ちょっとっ!
何、これっ! 」
蒼は面白そうに園子の顔を見つめていた。
「蒼! これって⁈ 」
「うん。実は瑞樹は正真正銘の女…だったんだよね。」
「はぁ~~~~~~っ?
瑞樹さんが女ぁ~~~っ⁈ 」
あんぐりと口を開けて呆然としている園子の顔を見て、蒼はぷーっと思わず吹き出した。
「…じゃぁ何?
蒼は女の瑞樹さんを私の彼氏にしようとしたの? 」
「僕はちゃんと初めに言ったよ。
瑞樹は園子には合わないって。」
「でも結局、私に紹介してくれたじゃないっ! 」
「まぁ、瑞樹は絶対、女を好きにならないとわかってたから。
だからいいかなって思って…さ。」
「はい~~~~~? 」
―これって、マジで宝塚だぁ~!
だから瑞樹さんに惹かれたんだぁ~…
再びガックリと項垂れている園子に、
「…ごめん。
園子に嘘をつくつもりは無かったんだけど、成り行きっていうか…。
勝手かもしれないけど、僕は他の男に絶対、園子に触れさせたくなかったんだ。
だから雄太さんを園子に近づかないようにするために、僕、結構苦労したんだからさ。」
「えっ? 」
―そういえば…
蒼、やたらと雄太さんに話し掛けてたな。
合点が行き、一人でうんうんと頷きながら納得していると、蒼は急に真剣な顔になった。
「園子は僕の初恋で…誰よりも大切な女の子だから。」
「…蒼。」
蒼の顔がゆっくり近づいてくると、園子は顔を赤くして自然と瞳を閉じた。
―茅花園子、二十歳にして初めてのファーストキス!
ただ今、とってもリア充です!
初めてラブコメを書きました。
感想をお願いします。
もっと精進したいと思っています。