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理由



   7



 依然、逃走した患者の足取りがつかめないまま、数日が無為に過ぎていた。

 溝上と深山は、それこそ藁をつかむ心境で、数日前殺害された男性のマンションへ足を運んだ。被害者の男には身寄りが無く、家宅捜索の手続きに思ったより手間取ったのだ。

 被害者は若いにもかかわらず、そうとう裕福だったらしい。立派なマンションだった。ロビーの小さな個室を除くと、管理人と思わる初老の男が新聞を読んでいた。

 溝上は管理人に警察手帳を見せ、ざっと事情を話した。管理人が愛想よく合鍵を出してくれたので、続けて被害者宅の捜索に立会をお願いする。これにも管理人は二つ返事を返してくれた。心なしか嬉しそうに見える。刑事ドラマの見過ぎではないか、と溝上は思った。

「しかし、こんなところに手がかりなんてあるんすか?」

 深山がさめた口ぶりで言った。

「行って見なきゃわからんだろう。一パーセントの可能性でもあれば動く。それが刑事ってもんだ」

 溝上は説教をたれながらエレベーターに乗り込み、「6」のボタンを押した。

「だいいち、あの被害者が、逃走した女に殺されたと決まったわけじゃないだろう? 別口かもしれん」

「またまた。そんな心にもないことを」

 深山の揶揄に溝上はにらみ返したが、内心そのとおりだった。あの男はいかれた精神異常者に殺された。ここへ来ても、得るものなど何もない。

「――たしか、ここですね」

 ルームナンバーを見上げて歩いていた深山が、あるドアの前で足を止めた。ナンバーを確かめなくても、一号室はたいてい角部屋なのに、そんなこともしらないのか、こいつは。溝上は半分呆れて、無知な後輩の後ろ姿を見ていた。

「ああ、間違いない。……だからさっさと開けてしまえ」

「はいはい、わかってます。……よいしょっと、開けたっすよ。ささ、どうぞ警部殿、お先にどう……う……」

 おちゃらけてドアを開けた深山は、一瞬でその顔つきを歪めた。原因は、部屋のなかから流れてくる異常な臭気。溝上も顔をしかめ、しおれたハンカチを取り出すと口にあてた。

「すごい臭いだ……」

「……死んだ魚の臭いっすね」

 ハンカチでこもった深山の声すら、溝上には不快に感じた。すべての感覚に臭覚が備わった気がする。そして、そのすべてがひどい臭いなのだ。

「とりあえず入るぞ」溝上は深山を促した。

「ええ、入るんっすか?」

「あたりまえだ」

 溝上はそう言い置いて、手袋をはめながら室内へ足を踏み入れた。

 いっそう臭いが強くなる。吐き気を催すのは当然のこと、意識を失ってしまいそうなほどだ。

 臭いは室内に充満していたが、ある場所から特に激しく臭ってきていた。

「……風呂場だ」

「バスルームって言ってください」深山が苦しそうに言った。

「どっちでも同じことだ」

 溝上は風呂場の扉を勢いよく開けた。

 煽られた空気に乗って、さらにひどい臭気が鼻を突く。

 窓もなく、換気口も働いていない。完全な密室。そこに漂っていた空気は想像を絶するものだった。政治家すべての腹のうちを掃き溜め、腐敗させたような臭い。そんなもの想像できるはずないのだが、溝上が連想したものはそれだった。

 バスタブに目を向けると、いびつに膨れあがったビニール袋が無造作に放り込まれていた。口は結ばれることなく開けられたままだ。異様な臭気もそこから放たれているらしい。

 溝上は大きく息を吸い込んで――それもためらわれたのだが――息を止めると、そのビニール袋を覗き込んだ。

 そこにはおおよそ予想通りのものがつめられていた。

「見ないほうがいい……」

 溝上の忠告をよそに、深山はそれを覗き込み……「うぐぅ」と妙な呻き声をあげると同時に口を抑え、そばの洗面台に駆け寄った。

「古い人間の忠告は聞いておくもんだ」

 溝上は、際限なく胃の中のものを吐き出し続ける部下の背をさすりながら、静かにそう言った。



 結局、この日、溝上たちは風呂場以外の場所も含め、合計四体の女性と思われる腐乱死体を発見した。もっとも、それらはすべてバラバラにされており、じっくりと検証してみないことには正確なことはわからないだろう。



〈了〉


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