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やはり人は好きになれない


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 やはり人は好きになれない。

 西日で赤く照らされた自動車の背が、次々と過ぎ去っていく光景を見下ろしながら、翔子は今更のようにそう思った。

 カフェレストランの二階の窓際。翔子は四人用のテーブルをたったひとりで占有し、ウィンドウから覗く景色をぼうと眺めていた。

 人間ほど裏表のある動物はいない。人間社会に引きずり込まれた犬や猫でさえも、自分の感情には素直だ。仮面をつけて生きていかなければならないのは、数多くいる動物の中でもたった人間だけなのだ。

 溜息をつき、冷めきったコーヒーを口に運ぶ。久々に飲んだカフェインだったが、いつもにも増してまずい。顔をしかめ、背もたれに身を預けると、前方の席から遠慮のない馬鹿でかい会話が聞こえてきた。翔子はさらに顔をしかめて、その会話を聞くともなしに聞いていた。

「なあ、アレ聞いたか?」

「ちょっとぉ、アレじゃわかんないでしょー」

 声と口調から判断するかぎり、頭の悪い青年と尻の軽そうな女のようだ。翔子は席を立とうとしたが、男の次の言葉で浮かせていた腰をソファに戻した。

「なんとか精神病院から、やばい患者が逃げ出したって噂だよ。ほら、数年前に連続した無差別殺人があっただろ?」

「知らなーい。あたし、ニュースとか新聞とか見ないし」

「まあ、俺も詳しくは知らないけど、そんな事件があったんだよ。で、その犯人、裁判で精神喪失だとかなんとか判断されて無罪。ま、当然そのあと、精神病院に入れられたわけだ。それで、今回の噂だよ」

「まさか、その犯人が病院から逃げ出した患者、って言うんじゃないでしょうね」

「そのとおり」

「ばっかばかしぃ。そんなの作り話に決まってんじゃん」

「それがさ、この話、かなり信用できる筋から……」

 こんな下らない会話のなかにも、下心が渦巻いているに違いない。そう思った途端、翔子はひどい頭痛と耳鳴りに見舞われた。望みもしないチカラが働く前兆だ。

 男と女の会話が小さく遠のき、再び大きくはっきりと聞こえてきた。

『どうして、この男、こんなつまんない話しかしないのかしら』

『このあと、どうやってホテルに連れ込もうか……。とりあえず、このまま時間を稼いで、もっと暗くなってから……』

 脳に直接響いてくる声に耐えられなくなり、翔子は両目を閉じた。視界を遮断し、色のない世界に逃避する。しかし、その会話がやむことはない。

『この前、加奈子に紹介してもらった、あの男に電話してみようかな。このままじゃ、つまらなそうだし』

『やべぇな。つまらなそうな顔してんじゃん。とりあえず、ここ、出るか』

「――申し訳ございません!」

 その正常な声で翔子は我に返った。

 手元を見ると、琥珀色の液体がだらしなく尾を引き、テーブルの端から垂れ落ちている。

 傍に立つウェイトレスが頭を何度も下げながら、謝意の口上を述べた。

「申し訳ございません。もちろん、お代のほうは結構ですので。――御洋服のほうは汚れていませんでしょうか?」

 ウェイトレスに促され、確認してみる。右袖のところに焦げ茶色の班点がついていた。カップが倒れた際、コーヒーが跳ねたらしい。

『あ。やっぱり跳ねてたか。ったく、なんてついてないの。面倒くさいなあ、もう!』

 しかし、彼女が実際口にする台詞は全くの正反対だ。

「申し訳ございません。どうぞ、こちらの方へいらしてください。クリーニング――」

「結構です」

 翔子は苛立ったように言い放ち、席を立った。

 自動ドアを抜け、下りの階段を音を立てて駆け下りる。車のキーをハンドバッグの中から探り出しながら、心の中でもう一度毒づいた。

 やはり人は好きになれない。



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