『うわ、ちょろい』と私
先日、あーくろさんという方から「一緒に二次創作作品を作りませんか?」という提案があり、「えっ?」と思ってしまった。私などが本当に出来るのだろうかという心配と「やってみたいな」という希望と二つあった。しかし、私はその話をいかにも快く引き受けさせて頂いた。「二次創作」の意味も分からないままに。次の文章は正直、ご期待には添えられる代物では絶対にないと思う。これは紳士的な新人文学者のアレとは絶対に違う。そういう人間は力が入りすぎたり、飾って書くとダメだ。リラックスすること。私は自分がこれから書くであろう「『うわ、ちょろい』と私」というエッセイについて、無駄なあがきはやめたい。形になればいいのだが。
さて、とりあえず、広辞苑で『ちょろい』について調べて見た。載ってる。超ビックリ!(笑)。さすが、あーくろさん。ちょろ・い《形》①つまらない。②なまぬるい。③見えすいている。④簡単である。なるほど。②かな。②だといいな、この小説は。この物語はいろんな人達の「なまぬる」さが展開する物語。つまり、「ちょろ」さだ。最後には「うわ、終わるのはやすぎ」と、作者が作者の文章の「ちょろ」さを漏らす。これは個人的には作者の「ちょろ」さを作者自身がユーモラスに描いているような気がする。
個人的にどういう人間が「ちょろか」ったかに想いをめぐらせる。やはり、私は暴力を振るう人間が「ちょろか」ったと結論付ける。校内暴力、つまり、いじめっ子だ。暴力でしか物事を解決出来ない人間は、心がなまぬるい。きっと、ダサいんだと思う。実は、私もいじめられたことがある。中学一年の頃、親しい友人がいじめられていて、その友人を助けてみたら、標的が自分に変わったというわけだ。そいつは見るからにワル連中のボスで結構、しつこかった。でも、何度やられても、彼に媚を売るような事はなかったと思う。私は暴力だけはなまぬるい。つまり、「ちょろ」いと思うんだ。
ただ、決して「ちょろ」いのは悪い事だけじゃないと思う。「ちょろ」い人の中には優しい人もいる。レディー・ガガを聴いてる人が必ずしも悪い人ではないように。私も事実「ちょろ」い人間だ。だが、諦めるのは嫌だ。諦めることは熱心になることを放棄しているから。エッセイを書いていることが小説を諦めているということにはならないと思いますね。エッセイのほうが却って人間論が書きやすい。それに文学だけが文学ではない。恐ろしく変なことだけど「文学だけが文学ではない」と書くと、今までの世界の在り方とは違ったニュアンスが生まれる。その事が大切だと最近は考えている。私も皆さんと同じように一介の人間です。自分には正義しかないんです。それは何故かというと、元々正義な人間だから。それはいいことであれ、悪いことであれ、一生付きまとうものなんです。