鈴蘭の花より
8時台を目前とした到着した電車がホームへと辿り着き、アナウンスの音の後ブレーキ音が響く。
前に過ぎた電車より気持ちだけ空いているのだが、乗客数は然程劇的に変化するという訳がないので仕方なしに最前列から乗員するものの、席は相変わらず混雑していて始発ではないため3駅とはいえ苦労が絶えない。
もみくちゃにされながらの電車通学に未だになれない自分。それは、鈴蘭も同じだろう。
「今日は目一杯混んでマス」
鈴蘭も苦言を露わにして、頬をひきつる姿に座席に座ることも出来ない混み具合はなんともいえない悲壮感でしかなかったけど、女性専用車両には乗らなかった。
「友達にこういう事を言うのは軽蔑されると思うけど、もしも私が鈴蘭を利用して迷惑を掛けてしまうならば、鈴蘭はきっぱりと私を切り捨てて構わないのだから」
「すずらんは利用されることなんて平気デスヨ。それに迷惑ばかり掛けているのはすずらんダカラ」
そう言って、彼女はまた笑う。
どうしてだろう、その笑いがとても心を安堵させてくれるようだ。
「ありがとう。鈴蘭」
「イエイエ♪ それと、アヤネもまた和菓子店のバイトスル?」
というのも、彼女は日本人が驚愕するほどに日本をこよなく愛するジャパン・マニアの一人。
住んでいる家は態々日本家屋を一軒新築で作り、あまつさえ昭和と平成を行き来する際になにかここまで外国人が拘りを見せるのかと私自身も驚いた。
今現在は、和菓子店へバイトをしてそのお金を総て部費に充てて部員一人なのに奮発して5万以上する着物を誂えてだ。
探究心の凄さもだが、異国の地までやってきた鈴蘭に快くなんて思わなかったらしい。
「そうね、私にも作れるかしら」
「絶対大丈夫ダヨ」
根拠の無い自信も、それでも嬉しくてついこちらもはにかむ。
Sクラスの数少ない信頼できる友達だからこそ、
「お昼休みの時間、鈴蘭が良ければDクラスに行きたいのだけれど」
「イイデスヨ。すずらんも部活勧誘シタイ」
すぐに承諾してくれたみたいで、とても満足気な顔をした鈴蘭。
例えSクラスの人間にも弊害はある。留学生、異国少女は酷く居辛い世界で彼女は本当に健気に振る舞う姿がたまに心苦しいとさえ感じてしまう。
揺れる電車の車内で混み合い身体が何度もぶつかりあいながら、彼女と触れ合う中で何故か一ノ瀬くんを思い出した。
「私、鈴蘭にプレゼントしてもらったら傘駅で盗まれた時に、探し出してくれた男の子がいるの。それに、知らなかつた土地も一緒に案内してくれて」
「アヤネは、その人のこと気になっているノデスカ?」
「かもしれない。こんな自分でも助けてくれる人がいるのだって、そう思うだけで少しね」
「アヤネと同じ優しいヒトデスネ」
「私は……優しくはないわ。ただの自己満足をしたいだけ」
そんなことはないと鈴蘭が述べた。
私は鈴蘭の優しさに触れて、揺れる視界から鈴蘭の姿を外していないと気恥ずかしさに負けそうになる気持ちに本当は、私自身憎まれてもいい筈なのに。
休み時間になり鈴蘭の気持ちに応えたくて色々模索してみるのだが、現在部員は鈴蘭以外いないこと。部活募集の期間をとっくに過ぎていること。
それに私が生徒会から追放された人間であるから、手薄になっていた肝心の募集ポスターを作っても掲示できる場所が限られていて他の場所では認可されることはなかった。
「はぁ」
不快感を露わにして、一人中庭のベンチに腰を掛けているのだが衣替えのしたての半袖が、余計に風に煽られて少し肌寒さまで感じる。
今朝とは打って変わっての景色に爽快さなど何処にもない。
あるのは、衣替えした直後に風邪をひく事が多い理由がなんとなくわかった気分だ。
石段の多い中庭。周囲は建築物に囲まれた広場には屋上とは別に穏やかな内部空間にこの時期に誰も好き好んでここまで足を運ぶ人間など居なかった。
そうして、ただ孤独に次の休み時間を過ぎる10分間を何もしないままに過ごすのだろう。
「なにが、有名人かしら。一人の友達の願いすら叶えられないのだから」
掲示ポスターをくしゃくしゃに丸めてしまおうと思ったそのとき、
「西園寺さん?」
廊下から顔を出したのは一ノ瀬くんが声をかけてきてくれた。
「奇遇ね、一ノ瀬くん」
「偶然、ベンチにいたから声を掛けたけどもしかしてお邪魔だった?」
ただ、丸めようとした茶道部の掲示ポスターの張り紙を終始凝視されていた状態に、
「茶道部って、確か去年の先輩たちで廃部になった部活の一つだったよな。もしかしてまた誰かに頼まれたの?」
「ええ。厳密的にはまだ廃部してないわ。それに今回はあくまで私情だし一ノ瀬くんには迷惑かけられないから」
その言葉を最後まで発声する前に、彼はただ私に対してどう思ったのか。
「今更迷惑をかけるとか、べつに西園寺さんに迷惑をかけられた訳じゃない。あくまで自分のしたいことをしただけだよ」
彼は口にしていたものは、まるで私の考えていたこととは真逆だった。
「でも、」
「一人で抱えていてもしょうがないだろうが。確かに俺は西園寺さんとは違って最下層のDクラスだけど、助け舟を出すくらいは出来るし相談にだって出来うる範囲で応じるつもりだ」
気恥ずかしいのだろうか、少し俯いた視線を感じながら私を観ている。
「ありがと、一ノ瀬くん」
ただ、その言葉を口にしていた私はずきんと心が傷んだ。優しすぎるから、その優しさに甘えてしまう自分がとても、とても。
長方形のベンチに腰掛けた彼は、私の持っていたポスターを軽々となじるように手から奪われてしまう。
横顔を覗き、彼の表情を伺ってしまう。
「ただ、今は私の友達一人きり。だから一人でも部員を確保して部活を存続させてあげたい。大切な友達に頼まれたから」
「事情は理解した。とりあえず、クラス内でも呼びかけてみて賛同して貰えそうな人がいれば手伝ってもらえるか聞いてみるよ」
「でも、」
躊躇い混じりに、感嘆としていた私にどうやら一ノ瀬くんがしびれを切らし一回深く呼吸。
「西園寺さんは、一人で頑張りすぎるんだよ。第一今回ばかりは一人でなんとかならないから尚更だろう」
「一ノ瀬くんはすごく変な人だわ」
「わかっているよ。自分でも」
お互い顔を見合わせて頬を緩ませる。
本当、些細な一瞬の出来事でありながら私は、その言葉を何度も口にしていた。
西園寺絢音にとってお昼休み時間こそ至福の時。
気むずかしい関係も相互プレッシャーがあるわけでもない。まして元生徒会長候補という肩書きも其処には必要なかった。
必要なのはお弁当とお箸くらいで、空気の乾燥を肌で感じながら廊下の角で軽い深呼吸してまるで自分のスイッチを切り替えるように。
リラックスするのはきっとこの一瞬でしかなくて、私は些細で大切な時間なのだと。
「こんにちは」
そっと扉を開き、覗くようにちらっと確認した筈なのに、温かく歓迎の出迎え。
教室では、幾つかのグループに分かれていたが私の周りには一ノ瀬くんを含めて数人の少数派であったがSクラスに留まるよりとても楽しく感じた。
丁度お昼休みということでクラス内も賑わいと団欒が絶えない。そんな1時間足らずの時間が心地の良いものだ。
「あ、絢音ちゃん。ほらほら、太一ってば絢音ちゃん来たからってそんな無愛想な顔しないの」
Dクラスの逢沢智花さん。初めて来た時から人懐っこさとお人好しが相成って私が教室に来たときは必ず声をかけてくれる。
謙虚さとは無縁ではあるがそういった性格に私も見習いたいくらいの無邪気さ。
「ごめんなさい、取り込み中だったかしら?」
私は彼女のあとについていくが、どうやら丁度お弁当を広げ始めていたところだったらしい。
「いや、構わないよ。残念ながら無愛想はどうにも直せなさそうけど」
今日はコンビニのサンドウィッチを手にした一ノ瀬くんが不意に隣にいた鈴蘭も彼の表情を見て、
「はじめまして、エリ・ツェツィーリヤ・鈴蘭と申シマス」
深々と頭を下げている鈴蘭に、呆気にとられていた一ノ瀬くんはどうやら理解した様子。
「一ノ瀬。一ノ瀬太一。他の人は太一って呼ばれているから太一でいいよ」
「では太一さんデスネ。すずらんとお呼びクダサイ」
多少のぎこちなさもあったが、Sクラスとは対照的にすぐに打ち解けられる。
それは、私のエゴからだろう。
「鈴蘭か、可愛いな」
「そう言って頂いて光栄です」
彼女ならすぐに打ち解けられるだろうし、私にとって喜ばしいことだ。
去年の年末、考えるだけでも嫌なことばかりでした。
まずは、年末にチンピラに恐喝されかける、楽しみにしていた祭典にはあまり楽しめなかったり、あげく友人には約束をすっぽかされる。
ていうか、こんな悲惨だった3ヶ月。せめて小説だけでもとおもったけど随分間が空いてしまったし……。
年明けちゃったよ、まぢで。